第13話『仙法』

 花一華ユウキが一年一組の教室を訪れたのは、始業時間から十分過ぎた頃だった。師匠の桃木ロウゼンや鬼灯ほおずき学院長と話していたらすっかり遅れてしまった。

 恐る恐る教室の扉を開くと、ツバキには心配そうな顔で、残りの四人には辟易へきえきとした表情で出迎えられる。


 これまでのユウキの言動を考えれば、生徒たちの反応は穏当おんとうなぐらいだ。しっかり挽回しなければならない。生徒たちを守る育てるのが教師の役目。絶対に失敗は許されない。

 狼牙隊の大切な部下を守れなかったからこそ、生徒たちだけは何に変えても守らなくてはならないのだ。


「みんなおはようございます……あ、あのさ。再来週に他の組との模擬戦があるんだけど……」


 二週間後に始まる組対抗の模擬戦は、春夏秋冬季節ごとに行われる蒼脈師学院の恒例行事。

 各学年の一組から十六組までの生徒たちが、実戦形式の模擬戦を行うトーナメント戦である。

 暗殺者対策にツバキだけに重点的に修行を課すのもおかしく思われるし、かと言ってツバキが暗殺者に狙われているから、みんなで修行して強くなりましょうなんて正直に話したら生徒たちを怯えさせてしまう。

 そもそもツバキ護衛任務は極秘事項。いくら一年一組の生徒たち相手でもまだ話時ではない。

 模擬戦にかこつけてより実戦的な修行をするのは、とても自然な流れだ。


「今日から模擬戦に向けた訓練をしようと思います」

「具体的には何をするんや?」


 ソウスケの問いに、ユウキの思考は火花が散るぐらい高速回転した。

 これを言ったら生徒たちを傷つけてしまうのでは?

 しかし言わなければ話は前に進まない。だがようするにみんなが弱いから強くなるために修行しましょうって話でもある。弱いと言われて喜ぶ蒼脈師がこの世にいるはずもなく――。


「気を悪くしないでほしんだけど!!」


 とにかく予防線を張りまくってなるべく傷つけないような表現を心掛ける。ユウキに、それ以外の選択肢はなかった。


「本当に気を悪くしないでほしいんだけど!!」


 さらに念押しするユウキの目に、呆れかえった生徒たちの姿は写っていない。自分の事で精一杯で周りを見る余裕はなかった。


「仙法と気法の訓練を中心にやろうと思うんだ! みんな少しだけ!! 本当に少しだけ未熟な面があるからさ!! そこを改善して行こうと思うんですが、よろしいでしょうか!?」


 最後の方は涙目になったユウキの懇願をソウスケは、笑顔で受け止めていた。


「ええやんか。昨日あれだけの技見せられたら黙ってついていくのが生徒っちゅーもんや」

「ほ、本当に? じゃ、じゃあ今すぐ訓練場に行こうか」


 ユウキとしては思いの外すんなり事が運んだと安堵していたが、


(というかです。断ったらまたネガティブ発動です)

(そうでありますね。ここは先生の意向に沿わねば)

(せや。下手に波風立てとうないからな)


 生徒たちの苦労と気遣いは、ユウキには全く届いていなかった。




 ――――――




 訓練場に着くとユウキは、すぐさま新しい技術の指導に入った。


「それじゃあ、みんな仙法をやってみてくれるかい? まずは通常出力」


 ユウキの指示を受けた生徒たちの身体には一切の変化はない。だが仙法を使用している気配は蒼脈師ならば感じ取れる。

 生徒たちの体内で仙力が駆け巡り、皆常人を超越した身体能力を獲得している。

 同年代の蒼脈師と比較してもツバキを除く生徒たちの仙法は出力が高い。十二分の出来と言っても差し支えはないだろう。しかし実戦で通用するには、まだ練度が足りない。


「それじゃあ最大出力で」


 瞬間、生徒全員の身体が白い半透明な炎に包みこまれた。身体能力を活性化させる仙力の発露だ。

 最も大きい仙力の炎を出しているのはソウスケ。次に大きいのがサクラで、最も小さい出力なのがツバキである。

 大きさの如何いかんに問わず、生徒たちは歯を食いしばり、毛穴という毛穴から汗が拭き出していた。


「ありがとう! もういいよ!」


 生徒たちの纏っていた白い炎は消え失せ、サザンカを除く全員が肩で息をしている。

 

「仙法っていうのは蒼脈を仙力に変換して、体内を高速で循環させ、身体能力を強化する技術だよね。みんなの問題は最大出力まで上げた時、体表に仙力が出てきてしまうことなんだ」


 悔しそうにソウスケは、唇をへの字に歪めた。


「それは分かっとるわ。せやけど出力を上げたら余剰仙力の放出はしゃーないやろ。上級生とか先生の人らでも最大出力の時は出とるで?」


 ソウスケの発言でやる気に満ち満ちていたユウキの意識は真っ白になった。


「…………」

「なんや。急に黙ってしもうた」


 ユウキの沈黙をいぶかしむソウスケに、サクラが刺すような目つきで囁いた。


(ソウスケ、あんたがやらかしたに決まってんじゃん)

(ワシが!? 何もしてへんで!?)

(ようするに、この学校の先生はユウキ先生から見たらレベルが低いんだってば)

(どういうこっちゃ?)


 状況を理解していないソウスケを見かねてサザンカが口を開いた。


(つまりです。花一華先生が当たり前に出来ることが、この学校の先生は出来ていないですよ。花一華先生は元狼牙隊。ここの先生方が優秀と言っても軍の最精鋭と比べれば大きく見劣りするです)

(そういう事かいな……あ、もしかして……)


 鈍感なクラスメイトに、サクラは今日一番の溜息をついた。


(やっと気づいたわけ? あんたの発言に対して正直に答えると、ユウキ先生よりここの先生は圧倒的格下って認めたみたいなもんじゃん。そりゃ答えにも詰まるっての)

(あかん……下手するとこれネガティブ発動――)


 もちろんユウキには、他の先生方を貶める意図は全くなかったが、結果的にそうなってしまった。

 無自覚に嫌味を吐いてしまうから同僚からも好かれない。人の気持ちが分からないから仲間も守れない。

 やはりこんな自分が教師になるなんて土台無理な話だったのだろうか?


「しもた。手遅れや」

「あたしはフォローしないからね。あんたが何とかしてよ」

「せやけどサクラ、連帯責任ちゅーもんがあるやんか」

「ねぇよ。一人で何とかしろ」

「うちは知らないです」

「自分も関与していないであります」

「なんやおどれら冷たいやっちゃな。なぁツバキ――」


 ツバキは、ソウスケと視線を合わせないように目を泳がせた。


「薄情な友達やでホンマ!! お前等がいざって時、ワシ絶対助けへんからな!! 今日のことは忘れへんからな!!」

「ほら。早く何とかしろっての」

「このガキ……」


 石畳の床板に指でのの字を書いているユウキに、ソウスケは満面の笑顔で近づき方を叩いた


「先生。ようする先生は、ここの先生たちよりめっちゃすごいってことやな。すごいやんか!!」

「バカ!! あんた他になんかあるでしょうが!!」

「しゃーないやろ!! ワシは口下手なんや!!」


 焦燥しょうそうするサクラやソウスケを尻目に、ユウキは、はにかんでいた。

 面と向かってすごい、なんて言われたのは久しぶりだったし、生徒たちに尊敬されるのは、嬉しいものだ。

 一方ころころと態度を返すユウキに、サクラは冷笑を、ソウスケは同情を露わにした。


「あの教師、ちょろすぎじゃん」

「褒められなれてないんやろか?」

「ネジ外れてんじゃないの?」

「サクラ……お前、先生への対応が日に日に辛辣になってへんか?」

「そうでもないっての」

「いや明らかやで……」


 サクラとソウスケのやり取りが耳に入っていないユウキは、嬉々として微笑んでいた。


「じゃあ改めて仙法の練習行ってみようか。まず仙力が体表に出ないように意識すること。出力を上げるよりも体の外に出さない方を意識してみてくれる?」


 サクラたちとしても、ユウキがやる気を出してくれるに越したことはないし、狼牙隊の分隊長直々の指導はありがたい。素直に修行を始めた。

 仙力を体表に出さずに動けるようになれば、蒼脈の効率的な使用にも繋がる。簡単な理屈だが、実践は難しい。

 緻密な仙力制御を行いつつの戦闘は、パンパンに膨らんだ水風船に針をあてがった状態で、風船を割らずに全力疾走するようなものだ。

 ユウキも完全に会得するには五年の歳月を要した高等技術――しかしソウスケは、早くもそれにものにしつつあった。


「コツがつかめると簡単やな。それに力がみなぎるようやで!」


 驚嘆きょうたんするしかない。ソウスケの圧倒的なまでの天賦の才を。


「正直仙法と気法じゃあいつにはかなわない……って簡単に認めるかっての!! うぉおおお!!」


 好敵手に追いつこうとするサクラの真っすぐな姿を。


「なかなか難しいでありますね……」

「だめ……安定しないけど、諦めない」


 強くあろうと努めるツバキとキュウゴの賢明さを。

 四人は、いずれもユウキが持っていない輝きを持っている。眩しくて直視すると胸が苦しくなった。


「あーお腹すいたです。朝ごはんもっと食べればよかったです」


 真面目に授業を受けず飄々ひょうひょうとしているサザンカの存在は、ユウキにとっての清涼剤だ。


(サザンカは……まぁいいよね。このあたりの技術に関しては)


 そして授業開始から三時間。サザンカを除く全員が仙力を体内に押しとどめることに成功する。

 今日中に成功するとは思っておらずユウキは面食らっていた。

 数日掛けるつもりの修行だったが、いい意味で予定が変わってしまった。

 今日はこれで終わりにしてもよいが暗殺者の襲撃がいつあるか分からない以上、多少負担をかけてでも今日中に次の段階に移行するべきだろう。


「みんなすごいよ! よく頑張ったね! 十五分休憩しよう。休み時間が終わったら次の修行に移行するよ」


 休憩の号令と同時に、サクラたちはその場にへたり込んだ。既に生徒たちの疲労の色は濃いが、それを凌駕りょうがする充足感で満たされていた。

 早く次の修行に移りたい。

 胸が期待感で高鳴っている。

 わくわくが抑えきれない。

 十五分の休憩時間がこれほど長く感じたのはサクラたちに取ってて初めての経験だった。

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