第12話『鬼と桃』

 鬼灯ほおずき学院長が学院長に入ると、桃木ロウゼンが憤怒の形相で仁王立ちしていた。黒い着流しと深いしわと無数の傷跡が刻み込まれた面立ちが相まって、歴戦の鬼狩りが待ち構えていたかのようだ。

 しかし鬼灯にとってロウゼンは気心の知れた相手。これと言って緊張もせず破顔する。


「ロウゼン、久しぶりなのだ――」

「どうなっとるんじゃ!?」


 ロウゼンは、鬼灯の姿を視認すると同時に胸ぐらを掴み上げ、前後に激しく揺さぶった。


「ユウキの陰謀論には普段耳を貸さんが、今回はガチ中のガチじゃったわい!! わしの弟子を陰謀に巻き込みよったな貴様!!」


 凄むロウゼンだが、鬼灯は少しも怯えていない。二人は五十年来の旧知の仲であり、悪友でもある。世界最強の蒼脈師の恫喝どうかつも慣れたものだ。


「顔を合わせた途端にこれか。相変わらず激しい気性なのだ」

「貴様がわしの可愛ゆうて可愛ゆうてしょうがない弟子をぞんざいに扱うからじゃろうが!!」


 親バカもとい師匠バカ丸出しなロウゼンも鬼灯にとって恒例行事である。


「ぞんざいには扱っていないのだ。むしろ的確な扱いをしておるのだ」

「なんじゃと貴様!! 何が的確じゃ!」

「お前さんの桜葉ツバキの護衛任務の後任が務まるのは、一番弟子の花一華ユウキしか居らん。別任務でお前さんが抜ける穴は塞がねばならんのだ」

「そんなもんこっちで人員を用意するわい!!」


 鬼灯の瞳がカミソリのように光った。


「用意できなかったから、どうしようとみんなで頭を抱えていたのだ。違うか?」

「ぐっ……」


 腕っ節では手も足も出ないが、口喧嘩ならば互角以上に渡り合える。

 そして今回の勝負は、鬼灯に分があるのは歴然だった。


「しかしじゃな!! 何の事情も伝えずに騙し討ちみたいな形で!」

「教えたらユウキは逃げ回っていたし、お前も引き受けなかったのだ。とは言え、今回の件は私にも想定外なのだ。まさか奴らがこんな直接的に動き出すとは……これまで何年も息を潜めていたのに」

「尚のことじゃ!! あの子がどういう状態か、貴様も知らんわけじゃあるまい! 任務に耐えられる状態じゃないわい!」

「甘い」

「なんじゃと!?」

「甘いと言っておるのだ。お前さんは弟子の扱いが甘すぎる」

「甘くて何が悪い!! たった一人の弟子じゃぞ!」

「獅子は千尋の谷に我が子を突き落とすというのだ」

「それは親であって師匠じゃないじゃろうが!! 親はいくらでも厳しくすればいいが、師匠が弟子を猫かわいがりして何が悪い!? 法律で禁止でもされとるというのか!?」

「普通親より師匠の方が厳しいものだ!! そもそも論点がずれておるのだ!」

「先にずらしたのは貴様じゃ!!」


 桃木ロウゼンに唯一欠点があるとすれば、花一華ユウキを甘やかしすぎる点だ。しかも自覚があって開き直っている辺りが悪質であった。


「花一華ユウキという貴重な戦力を遊ばせておくほど、この国に余裕はないのだ! ただでさえ人手不足の狼牙隊なのに、第一分隊の抜けた穴を埋めるだけで、てんてこ舞いしているのは総隊長であるお前さんが一番理解しているのだ」

「知るかそんなもん!!」

「お前さん、軍人にあるまじき態度なのだが!?」

「儂は、軍人である前に一人の人間じゃ!! ユウキのことは、親御さんから責任を持って預かっておる!! 儂には、あの子の心を癒す責任があるんじゃ!!」

「花一華ユウキは、お前さんに次ぐあるいは匹敵する戦力なのだ。それが分からないお前じゃあるまい?」

「だからと言って貴様!!」


 一向に退く気配を見せないロウゼンに、鬼灯の語気も強くなっていく。


「過保護が過ぎるのだ!! あの一年一組の生徒たちが集められた意味、分かるはずだ!! 何故桃木ロウゼンに匹敵する大器とされる瞿麦くばくソウスケを中心として、あの面子を集めたのか!」

「やかましい!! だからこそじゃ! そうじゃ……今回の襲撃は事が動き出しておる証拠じゃ。あの計画が動き出せば、嫌でもユウキは巻き込まれてしまう。それも中心にな」

「そうなった時、花一華ユウキが居てくれれば――」

「あの子は戦える状態ではないわ!」


 鬼灯だって鬼ではない。ロウゼンの気持ちは痛いほど分かる。ロウゼンにとって。過去を知れば肉親同様に思っているのも知っている。


「いざとなれば身体が動くはずなのだ。彼は狼牙隊の分隊長に上り詰めた男。ひ弱に見えても狼、それもとびっきりの精鋭。牙を隠しているだけに過ぎないのだ。そして隠されたその牙は、鋼すら切り裂く」


 戦場を駆ける花一華の牙は、眼前の障害全てを切り裂く絶牙。阻める者など存在しない。

 ロウゼンだって自覚しているはずだ。花一華ユウキがどれほどの英傑か。世界最強たる桃木ロウゼンに勝ちうる可能性を秘めた怪物であることを。


「あの子は……連れて帰るわい」


 深すぎる情がロウゼンの目を曇らせている。とうに成人した男に対する態度とは思えない。まるで赤子を相手にするかのようだ。

 愛情は時として正常な判断力を奪う。悪友の目を覚まさせなければならない。


「これは、政府だけでないのだ。のご要望でもあるのだ」

「知ったことか!! 今は立憲君主制。彼等には何の力もないわ!」

「しかし威光は大いに残っているのだ」

「だとしてもわしは――」

「私に彼を預けたのはお前さんだ。私を信じてほしいのだ」

「信じられるわけが無かろうが!! わし小遣こづかい盗んだくせに!!」


 桃木ロウゼン、昔の事をよく持ち出してくる。意外と小市民的感覚の持ち主で、器の小さい所がある。

 そもそも借りたと言っても駄菓子一つ買うのに必要な僅かな金子を借りただけ。あれぐらい奢ってくれてもいいだろうに。


「五十年以上前のことをまだ根に持っているのか!? まったく器の小さい男なのだ」

「貴様の首をここで跳ねてユウキは連れて帰る!!」

「やれるものならやってみるのだ!! 私もただ殺されるほど老いてはいないのだ!!」

「やってやるわい!!」

「何をこの殺人犯!! 人殺し!!」

「急に弱気になるんじゃないわいこの野郎!!」


 ロウゼンがいよいよ蒼脈刀に手をかけるという時、学院長室の扉を叩き、


「失礼します」


 花一華ユウキが深々とお辞儀をして入ってきた。

 ロウゼンも弟子の前ではいい格好をしたいのだろう。師匠然とした威厳に満ちた顔を作った。


「ユウキ。どうしたのじゃ?」

「あ、師匠。鬼灯学院長に用がありまして」

「そ、そうか。わしじゃないのか」


 孫にそっぽ向かれた爺やのように、ロウゼンは肩を落とした。

 ユウキは、ロウゼンには構わず、鬼灯を見据える。その眼には決意と覚悟が咲いていた。


「あの、仕事の件なんですけど……続けてみようと思います」


 ロウゼンは、驚愕していたが、口を挟むことはしなかった。

 一方の鬼灯は、狙い通りに事が運んでご満悦である。


「そうか! よかったのだ!」

「ただ聞いておきたいこと」

「なんなのだ?」

「一年一組の生徒は、ソウスケを除いて全員訳ありなんですよね?」

「花一華先生の想像通りの事情を抱えた者たちなのだ」

「じゃあソウスケは、あの子たちを守るための牙ですか?」

「ゆくゆくはそうなるのだ。ソウスケは私が見てきた蒼脈師の中でも最強となる才能を持っているのだ。恐らくは君やロウゼンを超えるやもしれん。その彼を中心として、様々な事情を抱えた生徒たちを集めたのが一年一組なのだ」

「俺はソウスケや皆を育てつつ、守るのが仕事ですね」


 鬼灯が頷くと、ロウゼンはすまなそうに言った。


わしは、完全に騙されたのじゃ。こいつは善意からお前の身柄を引き受けてくれたと思っていたが、よもやわしのツバキ護衛任務の後釜に据えるとは。おまけに別の任務まで」


 鬼灯は、ロウゼンの殺意を受け流して、ユウキの両肩を叩いた。


「師匠とほぼ同格の弟子なのだ。後釜にこれ以上適任はおらんのだ。しかもユウキの得意戦法はロウゼン、お前さんの超攻撃特化と正反対に超防御特化。生徒を守るのに最適な人材なのだ」

「いえ、そんな。俺は全然。ただ色々悪い方に考えちゃうから、つい立ち回り方も防御に偏っちゃって……」

「過剰な謙遜は嫌味になるのだ」

「すいません」

「まぁいいのだ。こっちとしては仕事を全うしてもらえたらありがたいのだ。期待しているよ」

「はい。善処します」

「ロウゼンもこれで文句はないのだ?」

「ふん」


 ロウゼンは鼻息を荒くしてそっぽを向いた。完全な敗北宣言をするとき、ロウゼンはこういう態度を取る。

 鬼灯が勝利の余韻に酔いしれていると、ユウキはおずおずと口を開いた。


「ただ、寮の警備をもっと増やすとか、そういう手は打っていただかないと。俺一人じゃ、ツバキを守れないので」

「分かった。その件は手を打つのだ」

「師匠、すいません。俺のせいでわざわざ出向いていただいて」


 ロウゼンの表情が柔らかくなる。やはり弟子の前ではいい格好をしたいらしい。


「気にするんじゃない。お前の好きなようにやりなさい」

「弟子には甘いのだ。手綱の取りやすい男なのだ」

「ぐっ……この野郎覚えておけよ」


 捨て台詞を残してロウゼンは足早に学院長室を出ていくと、ユウキも鬼灯に会釈をしてから後に続いた。

 廊下に出て学院長室の扉を閉めた瞬間、ユウキはロウゼンにすがり付いた


「師匠!! 狼牙隊を動かせそうですか!?」


 ロウゼンは険しい顔つきをさらに険しくした。まるで岩石が人の顔を形どっているようだ。


「正直言って難しいわい。国内の反政府勢力はだけではない」


 アザミの一族。七百年前、白百合王家に反旗を翻した国内最大にして最古の反政府組織だ。


「各組織の掃討に内定捜査。その上同盟国との協力作戦など、人員はほとんど出払っておる。わしも明日から国外での任務があるんじゃ」

「そうですか……」


 ユウキの落ち込み方は、谷底に突き落とされたようだ。今のロウゼンに出来る事があるとすれば、それは些細な助言ぐらいだ。


「ユウキ。あの子たちの基礎力の向上をするんじゃな」

「基礎力ですか?」

「昨日の襲撃、ツバキはアザミの連中が差し向けた暗殺者に気づておらんのじゃろう。せめて殺気ぐらいは感知したり、逃げるぐらいの足だったりは欲しいもんじゃからな。仙法を中心に鍛えると良いじゃろう。もうすぐ模擬戦もあるんじゃろう? それにかこつけてな」

「……頑張ります」

「ユウキ。儂が心配なのはお前のことじゃ。大丈夫なのか? お前さんの想像通りなら襲撃は今後もあるかもしれん」

「先生になる事は、俺の夢なんです」


 夢。ユウキがその言葉を口にした時、ロウゼンは何も言えなくなってしまう。


「……そうじゃたのう」

「……いい子たちなんです」

「そうか」

「俺なんかと違って才能があるんです。俺みたいなと違って」

「ユウキ」


 ユウキにこびりついた自己嫌悪を溶かすように、ロウゼンの大きなてのひらがユウキの頭を撫でた。


「お前は泥棒なんかじゃないわい。お前の力はお前自身の力じゃ。努力して磨き上げた力じゃ。それを忘れるな」

「はい……ありがとうございます」


 そうだ。何があっても役目を果たさなくてはならない。

 ユウキには、もうこの夢しかないのだから。

 逃げることは許されないのだから。

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