第9話『暗殺者』

「私、最低だ。またサクラに八つ当たりした」


 親友を傷つけてまで得た小さな勝利がツバキにもたらしたのは、底なしの罪悪感だった。

 頭を冷やすために、適当に街をぶらぶらと歩いていた。

 既に日は沈んでおり、煉瓦造りの建物と雑多な人々が行き交う大通りを街灯の明かりが照らしている。

 ツバキの美貌と蒼脈師学院の制服は、それなりの注目を集めたが、家路を急ぐ彼らの記憶には残らなかった。


 完全に寮の門限を過ぎている。きっと寮母さんから大目玉を喰らうけれど、忌々しい自分の性根を叩き直すには、ちょうどいい薬になるかもしれない。

 昔はもっと単純でいられた。初等科の頃は、誰もがまともに蒼脈法を扱えなかったから。しかし中等科、高等科と歳を重ねるごとに差は歴然となっていく。

 サクラとの差が開くと同時に、劣等感は膨らんでいき、気付けば避けるようになっていた。

 幼い頃は無邪気に誓い合ったものだ。


『二人は、一生いっしょだよ』


 あの約束をしてから数年でツバキとサクラの溝は、決定的になってしまった。

 いや、違う。ツバキが遠ざけたのだ。サクラは、傍に居ようとしてくれたのに、勝手に妬んで恨んで呪って拒絶した。

 一緒に居ると思い知らされてしまう。どれほど才能に差があり、乗り越えがたい壁になっているかを。一生かけても追いつけないのだと。

 大切だったはずなのに。大好きだったはずなのに。傍に居るだけ傷ついていく。


 強くなりたいなんて願わなければ友達で居られたのかもしれない。それでも願ってしまった。狼牙隊の隊員になりたいと。サクラと出会った頃に抱いた憧れを捨てられなかった。

 叶わない夢を抱き続ける代償は、友達との決別だ。割にあっていないが、いまさら捨てることも出来ない。

 後悔がツバキをさいなんでいたせいで、蒼脈師ならば気付いてしかるべきの事態を見落としていた。背後から忍び寄る黒づくめの青年から香ってくる濃厚な血の匂いを――。




 ――――――




 国立蒼脈師学院の敷地内に併設された教員用住居は、木造五階建てのアパートだ。各教員に十二畳の個室が与えられている。

 ユウキの部屋は、備え付けの家具と寝具以外には流行の小説数冊があるぐらいの質素なものだった。

まもなく夕飯時という頃、ユウキは黒電話の受話器を握りしめ、涙と鼻水で顔面中を余すことなく汚していた。


「師匠!! 一体どうなってるんですか!? 話が違うじゃないですか!!」


 電話の相手は、ユウキの師匠にして狼牙隊総隊長『桃木ロウゼン』だ。鬼桃とも称させる風貌をした壮年の男だが、受話器越しに聞こえる声は、孫を甘やかす過保護な祖父のようであった。


『一体何の話じゃ?』

「仕事ですよ!! 今の仕事!!」

『何かあったのか?』

「何かあったのかって……俺のクラスにの人間がいたんですよ!!」


 温和な響きから一転、ロウゼンは愕然がくぜんとした声を上げた。


『なんじゃと!? 桜の一族が!?』

「桜葉なんてよくある苗字だから、さすがの俺でも疑ってませんでした。でも誘導魔法で確信しました!! あれは間違いなくです!!」


 凄まじいまでの天賦の才は、自然の内に手に入る代物ではない。血と共に受け継がれた牙。ユウキの推測は、歴戦の勇士たるロウゼンすらも揺さぶった。


『馬鹿な……どうなっておるのじゃ?』

「それを俺が聞きたいって話です!! サザンカが居る時点で疑うべきだったんですよ! 俺を一体何に巻き込んだんですか!?」

『待ってくれユウキ。わしにも分からんのじゃよ』


 狼狽ろうばいするロウゼンだったが、ユウキは速射魔法のようにまくしたてた。


「一年一組は普通じゃないですよ!! あそこに集められた生徒は間違いなく……俺はもう任務なんかしたくないんです!! どうせ俺は誰も守れないし、何も出来ない!! だから俺は狼牙隊を辞めたんです!!」

『とにかく落ち着きなさい。わしが学院長に確かめる……わしを信じてくれんか?』

「お願いします師匠」


 ユウキは、受話器を置いて部屋の隅で蹲った。ちょっとしたことでも不安に駆られてパニックを起こしてしまう性分に、今回の事態は受け止めきれない。

 鬼灯学院長は、悪人ではないから、今回の件も考えあっての事だろう。しかし九十九%の安心より、一%の不安を見過ごせないのが花一華ユウキだった。

 普通なら気にも留めない不安でも無視出来ない。無視出来なくなった不安の種から芽が出たら最後、心の中に根を張って取り除けなくなる。

 抜いても抜いてもすぐさま生えてきて、きりがない。雑草みたいに除草剤をかけて駆除出来ないから一層厄介だ。唯一の薬は時間薬。長い期間を経て安心を得ても、その頃には別の不安が見つかり、抗う隙も無く生い茂ってしまう。

 常に心は疲れ切っていて、やがて肉体の活力までもが奪われていく。安心出来るのは眠りにつく寸前の微睡まどろみぐらい。

 朝が来れば寝ぼけた頭の内は、不安を感じずにすむが、意識が覚醒するに従って何を不安に思っていたかを思い出してしまう。

 永遠に終わらない苦痛の日々。死ぬまで不安と憂鬱に支配されて生き続けなければならないのか。

 今日はもう寝てしまおう。脳を動かしている時間が苦しいなら、眠りの中以外逃げ道はない。

 敷布団の支度を始めると、ふいにユウキの後頭部を静電気のような感覚が撫でた。


「殺気?」


 ユウキに向けられたものではない。それに距離も離れている。学院の中からではない。だが気配で分かる。紛う事なき達人の発する殺意だ。

 反射的にユウキは、愛用の蒼脈刀を手に、自室から飛び出した。

 自分に向けられたものではないが、明らかな殺意と敵意。近くで誰かの命が狙われている。気配からするに敵の数は一人。相当の手練れである事は想像に難しくない。


 誰かの命が危ない状況で、それを捨て置けるほどユウキの性根は腐っていない。しかし後悔は、多いにしている。

 ロウゼンに電話をしてこの場に来てもらった方がよかった。あるいは警察に通報して人員を送ってもらうか。けれど今は一秒の時間すらも惜しい。不安しかないが一人でやるしかなかった。

 ユウキは、憂鬱な表情をのまま、石畳の道を駆け抜け、屋根瓦を飛び越え、電柱を足場にする。道行く人々は、超常的なユウキの身体能力を目の当たりにし、呆然としていた。

 あと数秒で辿り着く。石畳を蹴り砕いて跳躍し、気配の伝わる方角を見やった。

 雑踏の中を一人の少女が歩いている。


 ――桜葉ツバキ!?


 彼女は、殺意の主ではない。そして自分に向けられている敵意にも気付いていなかった。

 少女の背後に迫る影が一つ。黒づくめの装束を身にまとい、覆面で顔を隠しているが、雰囲気からするに若い男に思えた。

 彼が殺気の主だと判断したユウキは、蒼脈刀を振るい抜きながら急降下する。常人であれば知覚すら許されない強襲を男は容易く躱してみせた。

 切っ先が地面に突き刺さり、土埃が天まで舞い上がる。

 突然の事態に悲鳴を上げて人々は逃げ惑い、この場に残されたのは、互いに蒼脈刀を構えて向かい合うユウキと黒ずくめの男、そして状況が呑み込めないのか、呆気に取られた顔で立ち尽くすツバキの三名であった。


「は、花一華先生?」

「ツバキ、怪我はないかい?」

「えっと……あの、はい。でも何が何だか……」


 何が何だか分からないのあこっちだ。生徒の手前叫びたいのを何とかこらえて、ユウキは敵を見つめていた。

 勘の良さ。身のこなし。覆面から僅かに覗く錆びた刃のような眼光。相当の手練れであるのは間違いない。獲物は刀身の短い直刀であり、暗殺に特化した装備である。

 一人で来てしまった自分を呪いながらもユウキは、ツバキの盾になるように立ち、刀を正眼に構えてどっしりと腰を落とした。

 こういう手合いは速度で撹乱しつつ、隙を見つけて急所を狙ってくる。経験上、防御を固めて受動的に立ち回った方がいい。

 敵との戦い方を構築しつつも、ユウキの意識は状況の考察に多くが注がれていた。男はどういう理由でツバキを狙っているのか。思い当たる節が多すぎて絞り切れない。

また、これほどの使い手が露骨な殺気を出していたのは何故か。


(誘われた? いや確かめた? 警護の者が居ないかどうかを……ていうか警護の人どこ!? ツバキに付いてるはずなんだけど……)


 それらしい気配は週から感じられない。

 全員殺されたか?

 そもそも護衛がついていないのか?

 前者の可能性が極めて高い。男の服や獲物からは、濃い血の匂いが香ってくる。

 一歩下がって男との間合いを広げた瞬間、男が飛び込んでくる。

 

 ユウキは左袈裟切りを放った。牽制でなく、相手の斬殺を目的とした一撃。その動作には、微塵の隙もない。回避は容易ではないはず。だが、手応えは伝わらず、刃は空を切るばかりだった。

 男は、ユウキの射程距離から既に離れ、すかさず蒼牙閃を放ってくる。しかし弾速は緩慢だ。迎撃は容易。

 だからこそ違和感がある。高位の蒼脈師の行動には全て意味があり、応じる手を間違えれば即首を切り落とされる。


 蒼牙閃がユウキに着弾する刹那、男が背後に回り込んだ。挟み撃ち。それもほぼ同時に行われる前後からの攻撃。

 繰り出された剣閃は、気法を纏って橙色の輝きを纏っている。

 蒼牙閃も弾速は遅いが、技のキレそのものは鋭く研ぎ澄まされている。どちらも直撃を受ければ致命的。

 これは躱せまい。覆面の下で、男がほくそ笑んでいるようだった。


 迫る二つの致命打。突き付けられる死の二択。ユウキは蒼牙閃目掛けて蒼脈刀を振り下した。刃が青い斬撃に触れた瞬間、輝きは霧散し、無となる。

 想定していなかったのだろう、男の剣閃がほころびを見せた。刀がユウキを捕える寸前、ユウキは身体を捩じりつつ横一閃に薙ぎ払う。

 追い払うための剣ではない。この一撃で仕留める覚悟の籠った剣。

 その場でしゃがみ、紙一重で回避した男は立ち上がり様、後方へ飛び退き、ユウキとの間合いを取った。

 もしもユウキが蒼牙閃をかき消さなかったら、男はそのまま攻撃を続行していただろう。ユウキの冴えた技がむしろ仇となり、男の中に恐怖心を生んでしまった。

 ユウキを激しい後悔が襲う。相手の油断に付け込み、仕留める機会を棒に振った。

 敵はもう二度と無謀な攻撃はしてこない。花一華ユウキの強さを学習した。


「その強さ。狼牙一閃の刻印を持つ蒼脈刀……なるほどなるほど。厄介だ」


 言いながら男の姿が闇に紛れて消え失せた。

 あとに残された濃密な殺意の残り香の揺蕩たゆたう夜気だった。

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