初恋を、ありがとう

 日が沈み、街灯に灯りが灯り始めた。

 勿論、この路地には人影は見えず、不気味さが漂っている。


「帰ろうか、神無月」


 そんな俺達しかいない路地から逃げるように————という訳ではないが、こんなところに女の子を長居させるわけにはいかない。

 だから俺は、神無月に手を差し伸べて起き上がらせる。


 おずおずと立ち上がった神無月は、俺の袖をつまむ。


「……」


 お礼もなし。戸惑いと先ほどまでの恐怖が蘇ってきたのか、神無月の体は震えている。

 けど、抱きしめて安心させてやる————なんてことはしない。


「神無月の家はこっちでいいか?」


「……」


 俺が尋ねると、その首を縦にこくりと振る。

 確認が取れた俺は、そのまま神無月の家の方向へと歩き出した。


 さて、そろそろ……だよな。


「なぁ、神無月……」


「ッ!?」


 声をかけただけで、神無月の体が強張る。

 ……そんなに、怯えなくてもいいんだがなぁ。


 しかし、俺は神無月に構わず言葉を続ける。

 だって、今ここで言わないといけないと思ったから。


「俺さ、神無月が言った通り……


 誰もない路地に俺の声が響き渡る。


「好きになったきっかけは一目惚れみたいなものだった。中学2年生の時にさ、初めてお前が俺に声をかけてきただろ?————馬鹿みたいな理由だけど、俺はあの時神無月を好きになったんだ」


 神無月に話しかけられただけで、胸が高鳴ったり、幸せな気持ちを抱いたり、些細なことに嫉妬したりした。

 神無月が付き合っていると知る間まで、ありとあらゆる方法で好きになってもらえるように努力した。

 それは、一重に神無月が好きだから。


「お前が付き合っているって知って、浮遊感を味わった。どん底に落とされた気分になった————でも、俺は高校に入っても、この気持ちは捨てられないでいた」


 この気持ちは簡単に捨てきれるものではなくて、高校に上がっても尚、女々しく抱き続けた。


「それがさ、最近になってその気持ちが変わり始めたんだよ————いや、変わってはなかったな……ただ、新しい気持ちが加わったんだ」


 料理が出来なくて、おっちょこちょいで、些細なことでムキになる。それでいて、優しくて、支えてくれて、安心させてくれる————そんな彼女と出会って、この気持ちが加わった。


「それでも、神無月に対する気持ちは変わらなくて、恋し続けた。そして、その矢先にお前に体育倉庫で言われたんだ……落ち込んだよ、すっげぇ落ち込んだ」


 神無月は黙ったまま歩き続ける。

 俺の声だけが、薄暗い路地に響く。


「玩具だって、神無月がそんな事を思っていただなんて知らなくてさ————それを知って、あの時と同じどん底に落とされた気分になった」


「……だったら」


 初めて、神無月が口を開いた。

 立ち止まり、泣腫れた瞳で俺の顔を真っすぐ見つめる。


「どうして、私を助けたの?恨んでるんじゃないの?如月くんの気持ちを弄んだ私が、憎くなかったの?」


 どうして……って。


「女の子が襲われていて、助けない理由なんてないだろ?……それに、あの時も言ったが俺は別にお前を恨んじゃいない」


「ッ!?」


「お前がどんな理由でそんな性格になったかは知らねぇよ。それを知って、他の男は恨むかもしれないが、俺は違う————それは、お前に貰ったものがいっぱいあるからだ」


 この気持ちをくれたこと。幸せな時間と、安らぎを与えてくれたこと。

 間違いなく、彼女にもらったこの気持ちは間違ってないし、俺の人生に大きな彩を与えてくれた。


「俺はお前のことが本気で好きだったよ。それは、俺が勝手に神無月からもらっていて、お前が何かしたわけじゃない。極端に言うなら、お前はこの気持ちには無関係なんだ」


「……」


「確かに落ち込んださ。俺は神無月の知らない部分を知って、どん底に落とされた。でも、俺はそれ以外の部分を好きになった。だから、俺は神無月の知らない部分を知ったからって言って、恨むわけでもない、嫌いになったわけでもない————ただ、お前の事を知れただけなんだ」


 知らない部分を知った。

 だからなんだというのだ。それは、その人の事を多く知れたということだけじゃないのか?

 それを————柊が教えてくれた。


「この想いにケリをつけるために言うけどさ————ありがとな、この気持ちを教えてくれて、好きにさせてくれて……本当にありがとう」


 俺は神無月に頭を下げる。

 最大限の感謝を伝えるために、初恋にケリをつける為に。


「……ずるいよ」


 すると、神無月は瞳から涙を零し始める。

 俺は顔を上げ、彼女のその言葉を受け止める為に彼女に向き合う。


「ずるい……っ!ずるいよぉ……!」


 彼女は溢れる涙を拭うことなく、ただ己の抱いた気持ちを吐露し始めた。


「どうして、私の知らない事を言うの!?周りにいる男の子みたいな事を言わないの!?私、こんなの知らないよぉ……っ!」


 彼女は、何を思ってそんなことを言っているのだろうか?

 分からない。彼女がどうして泣いているのか、何故俺がずるいのか。


 でも————


「……受け止めて、やるんだもんな」



 初恋にケリをつけるなら、この彼女の想いも受け止めなくてはいけない。


 決して、俺だけの問題じゃないのだ。

 神無月が何を思って、男を弄んできたのか。






 ケリをつける為にも、俺は彼女の言葉に真摯に耳を傾けた。

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