聖女様が抱えるもの(※改稿版)

 柊とは、家に着くまで一言も話さなかった。

 電車の中や、二人で並んで歩いている時も、お互いの間には無言の空気が続き、ただ手を繋いで帰っていった。

 不思議と、この時の俺は柊の手の感触に喜ぶことはなく、ただただ彼女が悲しそうにしていることだけが、頭に浮かんだ。


 もしかしたら、俺が離れなければ、柊は悲しまずに済んだのかもしれない。

 だからこそ、俺は彼女に何かしてあげたい。

 けど、俺にできることなんて、果たしてあるのだろうか?


「すまん、無理矢理連れて帰るような真似してしちまって……」


「いえ、大丈夫です……」


 とりあえず、柊を俺の部屋に入れたのはいいものの、これといって何か元気づける策がある訳でもない。

 ただ、お互いの間に沈黙が続く。


 無理矢理に話してもらうのは、違うと思う。

 何かあったのは分かっている。その所為で柊が傷ついているのも感じている。

 しかし、彼女が話したくないのであれば、そっとしておいてやりたい。


 自分で解決できるのであれば良し。支えが必要なのであれば、その支えとなってやりたい。

 だから、今は彼女の中で答えが出るまでそっとしておいてやろう。


 俺はまずは飲み物を、と思いキッチンへと向かう。

 コーヒーでも飲めば、少しは落ち着いてくれるかな?


 そんなことを思いながら、インスタントのコーヒーを作り、マグカップ2つに注ぐと、柊の元に持っていく。


 —————すると、


「ちょ、お前!大丈夫か!?」


 慌ててマグカップを置き、柊の元に駆け寄る。

 少し目を離していただけなのに、彼女の目からは大粒の涙が零れていた。


「……あ」


 泣きじゃくることも無く、ただ涙を流すだけ。それが、俺にとっては不気味で、それだけ追い詰められている証拠なんだと感じる。


 だからこそ、俺は己を悔いた。

 悠長に話してくれるのを待とう何て思わずに、無理やりにでも聞かなくてはいけないんだと……理解させられた。


 俺は、己の中に後悔と罪悪感を抱き、柊の涙をそっと拭う。


「なぁ、柊?何があったんだ?」


 すると、彼女は肩を震わせ、俺に顔を向けた。


「如月さん……」


 今にも消え入りそうな声で、俺の名を呼ぶ。


「相談……乗ってください……」


 始めて、彼女の弱い部分を見た気がする。

 誰にでも見せる弱い部分でなく、柊の心の中核にある弱い部分。

 俺は消えてしまわないように、折れてしまわないように、彼女をそっと抱きしめる。


「……あぁ、聞かせてくれ」


 少しでも、そんな彼女の支えになりたい。



 ♦♦♦



「私って、孤児だったんです。両親は私が生まれた時に亡くなってしまったみたいで、私は生みの親の顔を覚えていません」


彼女は、ゆっくりと震える体を抑えるように俺を強く抱きしめる。


「しかし、私は孤独というわけでもありません。すぐに、両親の友達である夫婦が私を引き取ってくれました」


物心ついた時から親がいない。

……その事実を、一体柊はどう受け止めているのか?

覚えているわけでもない、けど血が繋がっていないと知った時、彼女はどう思ったのだろうか?

きっと、複雑な気分だったのだろう。


「引き取ってくれた私の親の家庭って、結構お金持ちなんです」


 柊は、俺の胸の中でぽつりと言葉を紡ぐ。


「大きな家に、豪華な食事、お手伝いさんもいて、何一つ不自由のない生活を送っていました」


 それは、薄々と分かっていた。

 今回、調理器具を揃えると言った時も、なんの迷いもなく家電製品を購入している姿は、どこかのお金持ち何だろうなと思っていた。


「引き取ってくれたお父さんもお母さんも、優しくて、私は幸せだったんです。今でも、血の繋がりこそないですが、本当の家族のように思っていたんです……当たり前のこの日常こそ、私の宝物だったんです」


 ……けど、と。

 そう紡ごうとした柊の体は冷たく、震えていた。

 だから、頑張れと。そう思って欲しくてぎゅっと強く抱きしめる。


「2年前。私の両親は天国へと旅立ってしまいました。何の前触れもなく、仕事に向かう途中に……事故で亡くなりました」


「………」


「そこからは、本当に私にとっては地獄みたいなものでした。大好きな両親はいなくなり、親族が親の残したお金を奪い合い、叔母さんも、私をいらない子の様に扱います」


 地獄……きっと、その表現は正しいのだろう。

 両親がいきなりいなくなった絶望に加え、新しい環境では邪魔な存在として扱われる。

 彼女が、これほど酷い環境にいたとは思わなかった。


「思い出のある家も、お母さんやお父さんの残してくれたものも、全て叔母さんが大きく変えて、優しかったお手伝いさんも、私が縋ってしまった所為で辞めさせられました」


「それは……」


 言葉を紡ごうとして、俺はぐっと飲み込んだ。

 きっと、今出ようとした気休めの言葉なんて、余計に彼女を傷つけてしまうだけだと思ったから。


「だから、私は家を飛び出しました。私の知っている家じゃない、ここは私の家じゃない、あんな人、私の家族じゃないって。叔母さんも、それが嬉しいのか、嬉嬉として私が出ていくのを認め、こうして一人暮らししても大丈夫なぐらいのお金は与えてくれます」


「………」


「私は、忘れたいんです。私から奪っていった叔母さんのことを、変わってしまったあの家も、今までの私を。そして、これからは1人で過ごして、自立して、関係を無くしたいんです。……でも、結局私は1人では何も出来なくて、今日叔母さんに出会ってしまって、やっぱり忘れられないんだなぁ……っておもっ……思っで……」


 そして、彼女の中で限界がきたのか、消え入りそうな声から、嗚咽の混じった心の叫びへと変わる。


「私って、どうしてもダメなんでしょうか……?いくら勉強や交友関係も頑張っても……根っこの部分は変われないのでしょうか……?私は……やっぱりいらない子何でしょうか……っ?……忘れる、ことなんでできるのでしょうか……?」


 あぁ……そうか。

 彼女は、今までたくさんのことを抱え、明るく振る舞いながらも、どんどん傷ついていったーーーーー可哀想な子だ。

 聖女様と呼ばれていても、理不尽な現実に叩かれた、1人の女の子なんだ。


 どうして気づいてやれなかったんだろう……そんな後悔が押し寄せる。


「如月さん……私…」


 大粒の涙を流しながら、彼女は俺の顔を見上げる。

 そんな彼女に俺は—————



「なぁ、柊………」



 彼女の支えになれるよう、己の想いを口にしよう。

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