第13話 地下室での乱闘

「その、賢者の石とやらを触媒にして、人体を生成できると?」

「そう。あの時彼はわたしの生成に成功したのではなく、賢者の石の生成に成功した」


 つまり賢者の石が、瀬尾さんの言う「材料」であるわけだ。


「でも、わたしが生まれたのはまったくの偶然。だから生成の方法は確立していない。彼は今日までに試行錯誤を繰り返しているうちに、もうひとつの大事な材料を切らした」

「……何?」

「複製したい人の、DNAが含まれた物質」


  複製、と言うからにはこの錬金術はやはりクローン技術に近しいものがあるのだろう。なるほど、人間を生成するには、その素となる人間のDNAが必要なのか。……俺は、思わず廊下の向こうにある、仏壇がある床の間のドアに目をやった。たしかあそこには、火葬場で拾ったわずかな遺骨が、墓地に埋葬されたのとはまた違う小さな骨壺に納まっていたはずだ。

 まさかおじさんは、遺骨を実験に? 火葬した遺骨からDNAを抽出なんて、できるのか?

 地下室に続くドアの前に立ち、瀬尾さんが俺を睨むように見上げた。


「ねえ、まだ分からないの?」

「何、どういうこと」

「夫婦は他人、DNAは似ても似つかない。でも、親子はどう?」

「…………まさか」


 賢者の石が触媒であることに気づき、嬉々として遺骨を使用し実験を繰り返しても亡き妻はよみがえらない。そのうち遺骨はすっかりなくなってしまった。もうおばさんのDNAはどこにもない。

 しかし彼は気がついた。

 彼女のDNAを受け継ぐ人間が、この世にひとりだけいるということに。


「いや、でも家族でもDNAは違うし……」

「そうだね。でも、赤の他人のものを使うよりは」


 どう?

 彼女は唇だけでそう呟いて、ことさら静かに、地下室へ続くドアを開けた。その途端、もわっとした白い蒸気のような煙が目鼻を襲う。階段の上からすでにこれでは、研究室はどれほど視界が悪いのか、想像に難くない。そして、煙の向こうから、妙に甘ったるい香水を煮詰めたような匂いが漂っている。その濃度があまりに高く、俺は思わず吐き気を催した。


「何この匂い……」


 鼻を押さえ口呼吸に移行するも、口にすら嗅覚があるかのような心地である。

 ふととなりにいた瀬尾さんの頭が少し下がり、階段を下りていることに気づく。正直なところこの匂いの大元であろう研究室にはなるべく近づきたくないが、瀬尾さんが向かっているということと、一華の身が危険なのかもしれない疑惑に気づいてしまうと、近づかないという選択肢はない。俺も、覚悟を決めて一歩ずつ階段を下りる。

 靴下だから、足音はしない。ひたひたと歩を進めるうちに、研究室に降り立つ。もうもうと立ち込める煙の中に、白衣の後ろ姿があった。そして、そのわきのテーブルの上に横たわる一華の姿を見て、思わず一歩足が出た。

 それを、瀬尾さんがそっと腕を伸ばし制する。見ると、まっすぐ白衣の背中を見つめたまま口先だけでほんとうに小さく囁いた。


「待って」

「でも」


 激しく首を横に振るその間も視線はぶれずにじっと前を見ている。俺も、目線を手前に戻すと、おじさんは俺たち侵入者に気づく様子もなく何かを寸胴鍋で煮ている。手元や、鍋の中身までは見えない。しかし、どうやら煙や匂いの発生源はあの鍋で間違いないようだった。

 一華のほうに目を逸らす。だらりと四肢を投げ出して横向きに倒れている一華の服装は制服だ。おとといの帰宅後すぐか、昨日の朝登校前にここに連れて来られたようである。引き締まった剥き出しの脚は、ソックスを脱がされている。そして、俺は気づく。その腕に何か点滴のチューブのようなものがつなげられていることに。

 本格的にヤバい気がする。もう一度瀬尾さんのほうを見ると、厳しい目元をさらに細め、俺を制止した体勢のまま自分はわずかに身を乗り出そうとしている。


「瀬尾さん」


 そう呼んだ瞬間、瀬尾さんが飛び出した。


「あっ」


 俺が零した鋭い叫び声に、おじさんの動きが止まり、こちらを振り向いた。それと同時に瀬尾さんがおじさんに飛びかかる。

 不意を突かれたおじさんが瀬尾さんとともに床にもつれるように倒れ込み、倒れて身体を絡ませた状態のままで揉み合いを始める。しかし体格差がある上に瀬尾さんは非力であるため、いくら混乱していると言っても突然の闖入者を押さえ込もうとしていた。真っ赤な顔で抵抗するも、瀬尾さんの陥落は間近だ。

 それを見て我に返る。


「おじさん!」


 押し倒されていたのを逆に押し返し、瀬尾さんに馬乗りになって優位に立った様子のおじさんを後ろから羽交い締めにする。俺も俺で大概ひょろくて力はないが、それは五年間研究室にこもりがちだったおじさんも同じくだった。互角の力で、今度は俺とおじさんがくるくると回りながら床に転ぶ。


「おじさん、目を覚ませよ!」


 ばたついて暴れるおじさんの身体を足で挟み、腕で押さえ、がっちりと固定する。その隙に、激しく咳き込みながら起き上がった瀬尾さんが、鍋がかけられているコンロの火を消した。地下室に続くドアを開け放っていたためか、煙が少しずつ晴れてきて視界も良好になってくる。


「一華ちゃん」


 そのまま、瀬尾さんはテーブルの上に横たわった一華のもとへ向かった。軽く揺するとぱかりと線が裂けるように目が開いて、黒い瞳が姿を現す。


「あ、れ……あたし」

「邪魔しないでくれ、泰司くん!」


 回らない舌足らずな声で一華が何事か言ったところで、おじさんがどんよりとした瞳を珍しくぎらぎらとさせて俺を見て、叫んだ。

 ぷっつり切れた。


「黙れクソオヤジ!」


 わんわんと部屋中に俺の渾身の叫び声が反響した。


「おじさんは何も分かってないよ、一華が前向こうってがんばっておばさんのことを乗り越えようとしてんのにおじさんがそれじゃあ、おばさんだって成仏しない! おじさんが蘇らせようとしてたのは、おばさんじゃない、自分に都合のいい夢だよ!」


 そうだ、おじさんはおばさんを蘇らせてともに未来を歩もうとしていたのじゃない。失った過去を引きずっていただけだ。

 もしもほんとうに瀬尾さんがホムンクルスで賢者の石があってそれを触媒にして棚田真弓を生き返らせたところで、それは生前の棚田真弓ではない。まったくの昔のままというわけにはいかないで、どこかできっとほころびが生じる。人間を作り出すことができたとしても、それはどんなにがんばってみてもおばさん自身ではないのだ。

 でもこの叫び声は届かない。


「おじさんのエゴでもう一華を傷つけるなよ!」


 一華が小さく呻いた。瀬尾さんが、彼女の腕に刺さっていた点滴のようなものを抜いたのだ。すぐに押さえたものの出血があり、俺の頭に再び血が上る。


「どうして生きてる人間を見ようとしないんだ! 一華は、生きてる! おばさんは死んだ!」

「真弓は蘇る」

「蘇らせたってそんなのはおばさんのかたちをした何かだ、おばさんじゃない!」


 もう、本物のおばさんは、俺によくケーキを焼いてごちそうしてくれたおばさんはいない。そんな当たり前のことを、目の前の男に教えてやらなくちゃならないのだ。

 喉が引きつれるくらいの絶叫で、おじさんに馬乗りになって襟ぐりを掴み揺さぶる。


「蘇らせたって、それはミョウバンとか化学物質とかでできた、化合物だ! おばさんじゃないんだ!」


 よどんだガラス玉みたいな目は、何を考えているのか分からない。でも、叫ばないと、言わないと、伝わらない。何のために人間に口がついていて言葉を話すことができ、チンパンジーですら明日までのことしか考えられない未来のことを考える力が備わっているのか、おじさんはまるで分かっていない。人は、人と分かり合うために喋って、過去に縛られないように未来を夢みるんだ。

 昨日を生きる人間に明日はない。


「パパ」


 腕を押さえ瀬尾さんに支えられながら、一華が身を起こしテーブルを下りてこちらに近づいてくる。ふらふらと足元がおぼつかないのを不安に思いながら見ていると、一華は俺が馬乗りになっている父親の頭のすぐそばに膝をついて言った。


「ごめん」


 その言葉と同時に一華の目から大粒の涙が零れ落ちた。


「なんで一華が謝るんだよ……」

「……あたし、ママのお葬式のあとで」


 青褪めた頬を震わせた一華が語ったのは、ちょっとだけさびしい真実だった。


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