第1話

「五百!」

「五百五十!」

 聞こえてくるのは人身売買のオークション会場では名の知れた男たちの声だ。性的玩具用に作られた『ナンバーズ』のオークション会場、俺は次に売られる対象として舞台のそでに並ばされていた。前でも後ろでも使えるように調教されて生まれてくる、『ナンバーズ』。その中で俺は落ちこぼれロットだった。生殖能力がある、そういう意味で。生物なんだから当たり前だろう能力を持っているだけで、落ちこぼれ扱い。だからオークションにかけられて、どっかで脂ぎったおっさんの相手でもさせられるんだろう。別に人生に絶望しちゃいない。それはもう終わった事だ。希望を探してみるが、とくに見当たらない。そういう人生なんだろう、俺は。舌でも噛み切ってやろうかと思うが、あれは相当うまくやらないといけないらしいから、気は進まなかった。六百万ドルで競り落とされた前の奴が新しい主人の元へ行って、俺が蹴り出される。

「さあ最後に残りましたこちらは皆様にも人気の高い『ナンバーズ』の商品ですが……残念ながら生殖能力が確認されたので、破格のお値段からです」

 司会の男は俺を見て鼻を鳴らす。金にならないものを見るとき独特の目だ。この恥さらしが。この欠陥品が。そう思っているのが、俺には手に取るように解る。性奴隷独特の嗅覚だ。これってのは。

 さてこれからどんな人生が始まるんだか。思いながら俺は胸を張って会場中を睥睨する。どんなでも今より上下ないだろう、そう思いながら。

「さあ百万から皆様、どうぞ!」

「一千万」

 ざわ、と会場中がどよめく。聞こえた声は女だった。探してみれば、ふわふわした髪の長い女が仮面をつけて笑っていた。隣にもマスク姿の足の長い男がいる。おそらく東洋人だろう彼女に、慌てたのは司会者の方だった。会場のざわめきも止まらない。俺だってどよめきたい気分だった。いきなり破格。欠陥品相手に。きょとんとしていると二人はすり鉢状になっている会場の階段を下りてきて、その場で小切手を書いて見せた。そしてにっこり、笑う。

「し……シープ様、先ほどの説明通りこれは『ナンバーズ』としては欠陥品で」

「あら。生殖をしない人間の方が欠陥品ではなくて?」

「ですが、」

「取引は終了しているわ。この子は私がもらう、それでよろしくて?」

「は……はい、お支払いいただけるのでしたらこちらとしては何も言うことは」

 逃亡防止用の手錠を外されて、俺はシープと呼ばれた女の前に突き出される。

 俺は。

 その顔に唾を吐きかけてやった。

 また会場がざわめく。

「貴様、シープ様になんてことをッ」

「よろしくてよ。こんな場所で胸を張っている、その度胸が気に入ったのだから」

 男に頬を拭かせながらシープとやらは笑っている。あたふたしているのは司会の男だけで、それがどこか滑稽だった。

「名前は? あなた」

「こ、これはナンバー86……」

「あなたには聞いていなくてよ」

 ぴしゃり言い放つ女が面白くて、俺は思わず笑ってしまう。

「ハチロー」

「86でハチローか。芸がないわね。あなたはこれから『キャット』を名乗りなさい。トムキャット。それが今からあなたの名前。ホース、ドッグとモンキーに連絡を入れてちょうだい。変わったのを捕まえたって」

「はいはい、シープちゃん」

「こ……この度のオークションはこれにて閉会です。皆様またのご来場を!」

 ざわざわと人々がどよめきながらも去っていく。俺は小切手の手続きが終わるまでと会場に取り残された。何人かの売れた奴らも同様だ。やがて一人ひとり解放されて行って、新しい主人と共に行く。俺の番は一番最後だったが、本当にあの小切手は通ったらしい。驚きながらも目をむいているやつらの考えていることは手に取るように解った。何故。それは俺が一番聞きたい言葉だった。何故、こんな子供に一千万も出したっていうのか。元値の10倍にも近い値段をさらりと言い放ったのか。胸を張っているのが気に入った。俺はせいぜい生意気にしてデッドストックになるつもりだっただけに、その言葉も衝撃だった。

 表に待たせてあるのは、軍用トラックだった。男の方が運転席に向かい、俺たちは後部座席に通される。

 仮面をとった彼女は、控え目に言っても美人な性質だった。涼しげな黒目がちの目元、ゆるふわウェーブの髪。大きな目ををくすっと細めさせて、シープと呼ばれる女は淡々と俺に話し掛ける。

「あなたはこれからドッグとモンキーという私の仲間がいる潜水艦に乗ってもらうわ。そこで1年ぐらいは働いてもらうつもり。その後の事はあなたの仕上がり次第ってところかしら。特に変わった仕事じゃなくてよ。何でも屋。なんでもするだけ。ああ、性的虐待をするような子たちじゃないから、そこは貞操の心配をしなくて大丈夫よ。あの二人も出来てるんだかそうじゃないんだかよく解らないけれど――あら、私が部下のことを把握していないのが心外かしら。プライバシーは守るわよ、元でも公務員ですもの私たち。意外そうね? そりゃ元公務員が人身売買やってるなんて、お笑い草だわ。でも私たちはこういう生き方を選んだから、矛盾はしていないのよ。これでも、ね。ホース、近くの埠頭に二人を呼び出してくれた? そう、あとで良い子良い子してあげるわ。冗談よ。本気で喜ばないで、気持ち悪い」

 中々毒舌だった。女は俺にぽいと黒い塊を渡す。

 銃だった。

 思わずぎょっとする。

「使い方はドッグに習ってちょうだいな。安全装置はかけてあるから暴発の危険は一応なくってよ。見るのも触るのもこれから慣れていけばいいし、慣れていかなくってもいい。ただ、武器を身に着けて扱えるというのは恐怖に対しての良いアドバンテージになることは覚えておいた方が良いわ。あんな場所から出て来たんだからそれは解っているでしょうけれど」

 シープは淡々と話す。そこから感情を読み取るのは困難だったが、とりあえず俺を人間扱いしてくれる人に出会えたことにはホッとした。やがて埠頭に車が止まり、俺は銃を腰の後ろに挟んでトラックを出る。

「シープ!  こっちこっち、久しぶりだな!」

 流暢な日本語で、だけど見た目は金髪碧目、はねたショートカットの女が埠頭まで延ばされた橋の上から手を振っていた。潜水艦とやらから伸びているのだろうその橋の方に、俺は手を繋がれて連れていかれる。

「ドッグ。この子はキャット。トムキャットよ。キャット、この人はドッグ。さっきの私の話に出て来たわね?」

「はい……」

「じゃ、よろしくお願いするわ」

「オーケーだぜ、シープ。ちなみに体罰はどこまで?」

「モンキーのげんこつまで」

「ははっそりゃ頑丈な頭だな! ん、お前も何日か風呂に入れられてねーな。髪が臭うぜ」

 すんっと嗅がれて思わず避けようとするが、手はシープにつながれたままだったから出来なかった。はい、と掴まれた手がドッグに渡され、まるで犬のリードを託すようだと思う。

「モンキーと一緒に風呂入りな。うちの潜水艦は特別製だからな、ちょっとぐらい騒いでも問題ねーんだ。だからごっしごっし洗え」

「俺が洗う方なの?」

「そーなの! 不潔は交渉の大敵だぜ、ボーイ」

「交渉……」

「ま、依頼で何かやったりすることも多いからな、私らは。殆どはモンキーがネットで片付けてくれるが、いざとなるとデスクに嚙り付いて意地でも外に出ねー奴なんだ。ってわけで。行くぞ少年!」

「ど、どこに」

「どこかに! まあ、まずはバスルームだな!」

 けらけら笑いながら橋を渡らされて、俺は初めて潜水艦――回天――コードネームturn of the worldに、入る事になった。


 言われた通り最初の仕事はおっさん洗いだった。ちょっと不潔そうな天パーを長く伸ばしたおっさんはなぜか白衣姿のままバスタブに沈められていて、色気もムードもあったもんじゃない犬だよねえ、なんて俺に話しかけたが、とりあえず何度やってもシャンプーの泡が立たないので何度も流した。やっと泡が立つ頃になると今度は長さが鬱陶しくなって、結局俺も上着を脱いでその丸洗いをすることになった。水ってのは希少品じゃないのだろうか、潜水艦にとって。尋ねると陸に着けてる時しか洗わないからそうでもないのだという。世界中に基地みたいなのがあって、寄港するたびにドッグにこうして放り込まれるのだと言う。駄目な大人だった。でもげんこつはすごいらしいからそれに触れないように、上げた髪をタオルでくるむ。

「こー言うのは女の子にしてもらいたいのにねえ」

 背中をこすると引くほど垢が出た。排水溝は詰まらないんだろうかと謎に思いながら腕もこする。しなやかに筋肉が張っている。けれど、どこか不格好な気がして、首を傾げてしまう。するとそれが伝わったのか、けらけら笑いながらモンキーは手を振った。

「なかなか目ざといねえ、キャット。この腕はペグさ」

「ペグ……」

「義体。俺の両腕は義体化済みで、ドッグの顔もそう。あいつは昔臭気鑑定士――って言って分かるか? まあニオイに関するエキスパートでスペシャリストだったんだが、それを邪魔に思ったシンジゲートの奴に顔面ずたずたにされて、鼻中心にペグ化してんだ。だから顔がちっとばかし歳に合わなく幼い」

「元公務員って、シープ……さんが、言ってましたけど」

「シープで良いよシープで。そ、ドッグも俺も元公務員。犯人の残り香から探りあてる、究極の警察『犬』だったって訳さ――」

「腋毛剃ります?」

「良いよ、せめてもの嫌がらせで残しといてくれ」

「シャンプーはしときます」

「ふはっ、お前、面白い子だねえ」

 そうなんだろうか。他人に評価された経験の薄い俺にはよく解らないが、この人はどうやら俺を気に入ってくれたらしい。嫌われるよりは楽かな、思っているとビーッと音が鳴って艦内放送がかかる。

『キャット、モンキー、侵入者だ。適度に叩きのめせ』

 ドッグの声が冷たくそう言うのに、腰に差した拳銃の冷たさがよみがえる気がした。

 モンキーにバスローブを着せて、俺は銃を持ち角を確認しながら潜水艦の構造も把握していく。紡錘形の一番後ろにあったのがバスルーム、そこから追い詰めていけばいいのだから簡単な作業に思えた。相手が素人なら。俺も素人だけど。

「――ハチロー。出てこい、ナンバー86!」

 聞き覚えのある声。あのオークション会場で一番少年性奴隷を落としていた奴だと覚えている。と言うことはおそらく狙いは俺だろう。ドッグとモンキーには巻き込んで悪かったな、思いながらぶるっとまだ裸だった上半身を震わせる。どっちも童貞だと言うことはオークションのパンフレットに書いていたはずだ。そしてそういうのを自分色に染めたがる奴が一定数いることも、俺は知っている。

 モンキー曰く二重構造で内側は軟鉄製のこの艦は、艦内戦も想定しているらしい。勿論ある程度上に上がってる時に限るだろうが。とん、と冷たいものに肩を叩かれて思わず銃を向けると、いたのはドッグだった。ぱっと両腕を上げられると、その両手には三十八口径のピストルが二丁。この国の警官が昔使っていたものだと、聞いたことはある。変なところで昔気質なのかな、なんて思っていると、くいっと顎で男を差された。こくんっと頷いて自分関係だと示すと、ふむ、とドッグは頷いて――

「ッ」

 俺を廊下に突き飛ばした。

「86!」

 歓喜した男の声に、気分が悪くなる。

「脱がされただけだね? まだ何もされていない? ああ良かった、あの中で君は一番に手に入れたかったんだ。ルビー色の髪、真っ黒な目、なんて綺麗なんだと思って――それをあの女が手に入れたものだから、思わずここまで着けて来てしまったよ。よかった。何もされていなくて本当に」

「気持ち悪い」

 べたべた触って俺の身体を確認してくる男に、唾棄するように俺は一言喋った。

「買戻しもできない貧乏人が俺に触るな。俺はシープに買われたんだ、あんたじゃない」

「86、」

「気持ち悪いんだよ。離せ」

 バンッと。

 気持ちのいい音で頬を叩かれる。

「そんなことが言える立場だと思っているのか、貴様! 人工性奴隷に人権を与えてやろうという私の意志がわからないのか? 慈悲がわからないのか? 欠陥品めが偉そうに言うなよ。お前に欠陥をつけたのがこの私だということもな!」

「何……」

「格安の性奴隷にしようと思春期から含まされる薬を抜いておいたのは私だぞ? 研究所の職員に高額支払ってな。その時点でお前は私のものなんだよ。おとなしくこの潜水艦を出るぞ、いつ潜られるか分かったもんじゃない! そうしたら私たちは袋の鼠だ!」

「鼠はあんただけだ」

 俺は。

 拳銃をその額に突き付けた。

 ヒッと喉を鳴らした男が、ひくっと口元を引き攣らせる。反射的に出てしまったのは笑いだろう。まさかと思う時ほど人は笑ってしまうものだから。俺だって二束三文でオークションに出されることになった時は笑ったもんだ。まさか自分が欠陥品扱いされるなんて、思ってもみなかったものだから。『ナンバーズ』は高級性奴隷だと聞いていたから、はした金で安く買い叩かれるなんて思ってもみなかった。まあ、結果的には随分な高値で売られたようだけれど。シープにはそのあたりの自信回復にちょっとばかし感謝しないでもない。その部下二人も、悪くない。不潔と潔癖、犬と猿。世界はくるりと回転し、俺はほぼ自由の身だ。あの二人は俺を拘束するようなことはしないだろう。そんな面倒なことはしないだろう。やりたいようにやれ。その割に今はおとりに使われているけれど。三十八口径に一つ弾丸を入れる音がして、シリンダーが回る。その前に俺は、自分の手に握らされたベレッタの引き金を引いた。

 空砲だった。

 にたあっと男が笑って、その隙に。

 今度は実弾が頬をかすめる。

 男の頬も。

 壁にぶつかるガギャンと言う音に、男は放尿して失神した。

「うわっくせぇ、鼻がひん曲がる」

 自分でやっといてドッグは不愉快そうだった。じろりと睨み上げて振り向くと、あー、とドッグはつかつか革靴で近付いてくる。

 そして。

 俺の頬をぺろりと舐めた。

 沁みるのと驚くのが一気に来て何も言えなくなる。

「掠っちまったな、悪い悪い。とりあえずこの男は裸に救命胴衣で湾に浮かべておくとして、しょんべんの片づけは頼んだぜキャット。モンキーは論外だとして私はキタネーからやりたくねー。ったく、ペラペラうるせー奴だったな。とりあえず財布の中の現金はとっとこう」

「元公務員的にどうなんです、それ」

「ん? シープから聞いたか?」

「モンキーにも聞きましたけど。三十八口径なんて威力が劣るものに拘ってるのだって、その名残でしょう」

「流石に目ざといねえ。性奴隷ってのは感覚が鋭敏になるように観察力が只人より高く作られてるって聞いてたけど、本当だったのか。ま、今のこいつは悪党だったからな。特に躊躇することもねーよ。私の場合はな。それに袋の鼠ったって、こっちには猫がいるし『ラット』は間に合ってんだ。要りゃしねーよ、こんな奴」

 カラカラ笑ってぐいぐい服を剥いていく。確かにこの人ならモンキーを半裸にしてバスタブに突っ込むぐらいするかもしれない。思いながら俺はぶるっと寒くなってきた上半身を掻き抱いた。と同時にベレッタの冷たさにも触れて、これ、とドッグに銃を示す。

「シープにもらったんだけど、弾が入ってなかった」

「持った感じで分かれ……ってのは初心者には難題か。まあ、あいつ特有の試験だよ。躊躇いなく引き金を引けるような奴なら、この艦に乗せても大丈夫だっていう」

「そういうこと」

 後ろを向くと、ふわふわの髪にコンバットスーツを着て、シープが佇んでいた。

 いつの間に。いろんな意味で、いつの間に。

「どうやらあなたは合格みたいね、キャット。これから私のために尽くしてちょうだいな」

「女王様っぽいぞ、シープ」

「あらあなたたちには上司にあたるんだもの、そんなものじゃなくて? それにこの格好はモンキーのオーダーよ」

「あいつ侵入者がいるって艦内放送掛けたのに何してんだ……」

「自分の仕事でしょう? キャットには初陣になるわね」

「なんだあ? キナくせえなあ」

 ほとんど真っ裸にひん剥いた男に救命胴衣を着けて、ドッグが軽くシープを睨む。

 魔女のような顔で笑ったシープが、それに答えた。

「フォーグラー財閥令嬢誘拐事件の解決、賞金は一千万」

「円? ドル? ユーロ?」

「ドル」

「はん」

 上等じゃねーの、とドッグは笑った。

 俺はやっと鼻に届いてきた男の小便の臭気に、うげ、と吐き気を催していた。

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