親子の会話

 

 拓魔の後に続いてサイが手術室内へ入ると、最初に目に入ったのは手術台上のゴブリンの死骸だ。その胸は切り裂かれており、何かの作業中だったことが窺える。


「サイ。こんな世界になったのだしな。私にはお前を養う義務はもう無いだろう」


 二人は立ったまま話し始めた。

 向き合ってはいるが、お互いに距離を保っている。

 相手は強敵だ、どんな隠し玉を持っているかわからない。決して敵対してはいけないし、隙を見せてはならない。


「その通りだね。法も秩序もなく、取締る者もいない。全てが自己責任で、頼れるのは自分の力だけ。そんな世界だからね」


 サイが言うと拓魔は頷き、黙ったままサイを見つめた。

 これは交渉の必要があるな。サイはそう判断した。


「ところで、この病院内では世界の改変に伴って変死が起こったらしいね。僕も色んなところを見てきたからわかるけど、別にお年寄りや赤ちゃん、病人でも魔力のせいで死ぬって事は無かったけど……そういえば、お偉いさんが死んだお陰で父さんはこの病院の全てを仕切ってるんでしょ? やっぱり凄いなぁ。僕には人を盲信させる程の地位や社会的証明はないから羨ましいよ。更に、この世界において利用価値のない人々は皆んな死んでしまったんだから、さぞかし運営しやすいことだろうね。気配を探ってみたら、沢山のベッドや資源があるのに、あまりにも人数が少ないから驚いたよ。しかもそのほぼ全員がステータス持ちときた。まるで父さんが創り上げた砦だね、ここは」


「ほう」

 美城拓魔は邪悪な笑みを浮かべた。

「私を脅すつもりか」


 サイは思う。脅しているのはそっちの方だろう。アンタが理由もなく笑うわけがない。

「まさか。そんなつもりはないよ。僕は父さんを尊敬しているんだ。世界の改変が起きて直ぐに行動を起こした事や、現実ではあり得ない現象にも発揮された分析力や適応能力、必要な人間を見定める取捨選択力、自らの罪を隠蔽する為のそれらしい原因を作り上げる知力、困惑する人々を信用させる話術、どれをとっても素晴らしい。そして、極めつけはその能力だよ。毒かい? いったいどんな力を手に入れたのさ」


 今までの美城サイは、美城拓魔にとって庇護の対象だった。つまり弱い立場であり、見下されており、興味すら持たれなかったのだ。

 だからサイは同じ目線に立つ事を優先した。

 サイは様々な物資や情報を持っている。特に情報は強力な武器だ、拓魔が欲しがらない筈が無い。

 それでも、見下されていては搾取されて終わる。

 交渉とは、同じ立場の者同士で行うのだ。

 サイは自分の力を、会話の中で見せつけようとしている。



「お前は」


 拓魔はサイに自らの罪を知られていながらも動揺せず、すかさず返答した。会話のスピードで頭の回転の速さがわかるというものだ。


「私に提供出来るモノを持っているのか?」


 先に価値を示せということか。

 サイは闇の亜空間に右手を突っ込み、片っ端から物資を取り出し床に落とした。


「食料、調味料、衣類、石鹸、歯ブラシなどの日用品、手斧や包丁などの凶器もあるけど……何か欲しい物がある? レベル五十の鬼人となった僕の力で誰かを殺そうか? それとも、僕が異世界人と過ごした数日間の思い出話をしようか?」


 拓魔は再び微笑んだ。今度の笑みは不敵だったが、悪意はなかった。


「猟奇的外科医」


 拓魔の呟きにサイは顔を上げた。


「私の称号だ。お前、失くした腕は?」

「もちろんあるよ」

 サイは左腕の先を亜空間から取り出した。

 拓魔はサイに近付き、それを受け取ってから、サイの身体を見た。

「傷が塞がっているな。いつの怪我だ」

「昨日の朝」

「凄まじい回復速度だな」


 そういえば竜と戦った翌日だというのに、全身の火傷や傷もいつの間にかきれいに治っている。流石に失くなった腕が生えて来る事は無いが、この回復力にはサイも驚いていた。

 拓魔は床に落ちた包丁を拾い、それでサイの左腕の肉が塞がっているところを、再び切り落とした。

 サイは避けることも出来たが、されるがままになっていた。美城拓魔はサイの価値を十分に理解したのだから、危害を加える事は無いと思ったのだ。

 再び赤い断面を見せ、血を垂れ流すサイの左腕と、取れた左腕を合わせて、拓魔は呟いた。


「外科魔法“縫合”」


 直後、サイの腕の繋ぎ目に、無数の白い光の糸が走った。サイは意識を集中して腕の感触を確かめる。

 最初に繋がったのは皮膚で、それから左腕全体がボコボコと沸騰したように熱くなる。

 その熱の中でサイの腕の肉が、骨が、血管が、神経が、幾つものミミズの様に蠢いて、外れた左腕をくっつけようと絡まり合い、繋がり合い、溶ける様に交わって、軈て完全に一つになった。


「……」


 サイは無言で左腕を握ったり開いたり、軽く振って感触を確かめていたが、その腕が今までと同じ様に動く事がわかると、拓魔に向き直った。


「全てだ」

 拓魔は言った。


「情報の全てを要求する」




 サイは一から話し始めた。家に入ってきた豚から、訪れた避難所、勇者の存在や魔神の訪れ、クラリスが話した知識や彼女の亡骸から手に入れた呪刀の事も。クラリスを殺した事だけは話さなかった(伶奈が聞いているから)が、それ以外は隠さずに話した。

 サイは拓魔を敵対してはいけない危険人物として認識しているが、拓魔もサイの事を同じように認識している、サイはそう感じたのだ。だからこそ腕を治して貰えたのだ。



 話の最後に、サイが着ているパーカーのフードから、細長い蛇が顔を見せた。


「蛇なんか飼っていたのか?」

「いや」

 勝手に顔を出すなと言って置いたのに、阿呆はこれだから困る。サイはそう思いながら、拓魔にお辞儀をして見せる蛇の事を説明した。

「コレは……」

 コレと言った事に対して蛇は怒り、サイの後頭部を尻尾で叩いた。

「この人は、そう、人なんだ。父さんと同じ特殊魔法の使い手でね、蛇になれるんだけど、戻れなくなっちゃったみたい。結構強いよ」


 サイの説明を聞くと、拓魔はそれで話が終わったのだと悟り「そうか」と言って黙り込んだ。

 対して興味を持たれなかった伶奈は寂しそうにフードの中に潜った。



「サイ」

 拓魔に呼ばれて顔を上げる。


「お前も言った通り、ここでは全てが私の思うように動く。私のステータスはお前ほど高くは無いが、私はステータスを持つ者を百人以上操る事が出来るし、お前のいう所の“特殊魔法”で様々な働きも可能だ。そこにお前達が加われば、この砦はより一層強固になるだろう。最も強いお前達を優遇する事もやぶさかではない」


 それは拓魔からの勧誘だった。

 合理的な彼がこの結論を出すのはサイも予想していたし、合理的に考えればサイがここに居座る事は、この上なく安全だろう。

 しかし、サイは首を振った。


「僕は明日にでも出ていくよ」


 拓魔は意外に食い下がった。

「それはなぜだ?」


「逆に問うけど、父さんは今の話を聞いてもこの病院に篭る事を続けるの? 勇者以外は倒せない魔神が蹂躙しにくれば、百人のステータス持ちでも、成すすべなくやられる。ここにいる事が安全だと、本気で思っている?」


「思ってない。だがな、不確実な事に目を向けて何になる? 魔神はやはり来ないかもしれない。もしくは勇者が本当に倒してしまうかもしれない。来ても誰も殺さないかもしれない。そもそも私は殺される事に恐怖はない。つまり、考えても仕方がない」


 拓魔の考えはサイにはよくわかった。刹那的に生きる性質、不安や恐怖を感じられない脳、目先の欲望を大事にする躰。

 考えても仕方ない未来は無視して、今楽しい事をする。それが美城拓魔であり、また、美城サイもそうであった。

 しかし。


「じゃあもう少し先のことを考えてみよう。わかってる、無駄な事なのは。でも付き合ってよ。ほら、例えば、魔神が倒されて、地球は蹂躙されない事になったとする。そしたら今生きてる人々は生きるために知恵を絞り、再び文明を築き上げるだろう。そして新たな魔法社会が完成し、法や秩序も再び整備される。それって僕らにとって、生きづらい世界の再来って事にならない?」


「確かに今の壊れつつある世界は自由度が高くて居心地が良い。自分以外の全てが無価値な世界というのは、私やお前の価値観に合っているというものだろう。それに対して、復興されると居心地が悪くなる。皆が手を取り合って同じ方向へ足並み揃えるのだからな、不自由極まりない。誰かに咎められる様な行動を取ればたちまち全人類の敵という事にもなりかねない。全てを殺せる力があるなら構わないが、私にもお前にもそれほどの力は無い」


「そう。その通りだよ。だから僕は生きづらくなる地球を捨てて、異世界ティスノミアに行きたいんだ」


「しかしティスノミアの人族にもルールがあるのだろう? 法やルールというのはお前の躰を縛り付ける縄みたいなものだ」


「うん、でも、魔族には無い。僕の内に感じる鬼は、きっと魔族として受け入れられる。力こそが全ての世界で、僕は何からも縛られずに生きたい」


「しかし頂点にいる魔神には手も足も出ない。結局その自由は偽りだろう」


「偽りだとしても、少しでも軽く、少しでも居心地の良い場所を僕は求める。僕の邪魔をしなければ魔神は敵ではない。僕の邪魔をするならどうにかして殺す。とにかく――」


 サイは話している内に気付いた。自分の欲望に。


「これは僕の唯一の不合理だ。僕は至上の自由を求めている。誰からも縛られずに、自分の意思で生きていたい。例えるなら、何もない大海原を、この身一つでプカプカ漂っていたいんだ。それこそが仕合わせだと僕は思っている」


 暫く沈黙が流れた後、拓魔はサイの説得を諦めたらしい。


「私は毒の生成等は出来ない。しかしお前も最近気付いたようだが、魔物の躰が毒になる事に私は直ぐに気が付いた。だから魔物の血液を注射器に入れて、外科魔法の“不可視針”で、誰にも気付かれない様に要らない奴らに打って行った。それだけの事だ」


 それはサイが最初に質問した事の答えだった。これでお互いが持っているモノを提供し合い、等価交換が成立したと、拓魔は思っているのだろう。サイもそれで満足だった。


「魔神が現れるのは、勇者が現れた座標の側らしい。だから僕は再び自宅近くに戻るよ。魔神が通って来る“次元の狭間”に飛び込めば、ティスノミアに行けるらしいからね。まあ、今日は一晩だけ休ませて貰うよ。空いてるベッドを使わせて貰う」


「そうか、気が変わったらまた来るといい。私は有用な者ならばいつでも受け入れる」




 これが親子の最後の会話となる。

 翌日の早朝、サイは父に挨拶もせずに病院を出て行った。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る