三章 白日の下に晒されて

悲哀を抱いて歩いてく

 

 サイがショッピングモールで朝を迎え、父の職場である病院へ向かって旅立つのと同じ頃、北中学校避難所では、同じ様に山場叶子と一人の少年が旅立とうとしていた。

 少年の名は関口翔太せきぐちしょうた

 彼は山場叶子と荒木勝己の話を聞いてしまい、旅立つ事になった。






 時は少し遡る。

 荒木勝己が千田薫の亡骸を避難所まで運んだ時、彼は真っ先に山場叶子の元へ向かった。

 荒木は最初に千田の死因――胸を貫いた刃物の跡を見せた。

 次に、それ以前に火葬した藤代宗介の喉を貫いた刃物の跡を思い出してくれと促した。

 山場はこの時にハッと息を飲んだが、荒木は構わずに自分の考えを事実と共に話し続けた。

 千田が奪ったと報告された刀が周辺に無かった事、死後数日は経っているであろう血痕、そして、美城サイが一人でいる時に見せる冷たい表情。

 最後に、荒木はこう言った。

「山場先公、あいつと一緒にここを出た、関口みずほってガキ……もう生きてねぇかもしれません」

 その時、彼らがいた教室のドアが音を立てた――ドアの外で立ち聞きしていた少年が腰を抜かして倒れたのだ。


「な……なんで、どうしてだよ、どうして姉ちゃんが生きてねーんだよ!」


 彼が関口翔太、関口みずほの小学生の弟である。

 翔太は荒木に掴みかかり、その顔を見上げて「なんて酷いことを言うんだ」と訴えている。



「静かにして!」


 子供の癇癪を止めたのは山場だった。

 彼女は黙らせた二人から顔を背けて、苦しい表情をしたまま動かない。

 荒木は初めて聞く山場の怒声と、初めて見る山場の表情に、戸惑いを隠せないでいた。

 だがもっと戸惑っているのは山場の方だった。


 暫く経ってから山場は校長の斎藤道重さいとうみちしげを呼びに行った。

 取り残された二人が喋りだす前に、山場は斎藤を連れて直ぐ戻ってきた。

 山場に促されて荒木は再び最初から同じ話をした。まだ幼い関口翔太もいたが、二人の大人は話していいと頷いた。

 全て話し終えても、校長には山場ほど驚いた様子は無かった。

 ただ、固く閉ざされていた口から、一言重く言葉が落とされた。


「すまない」


 山場は咄嗟に「校長先生の責任ではありません」と口を開こうとした。

 だが今度は斎藤が話す番だった。


「今まで黙っていたが、儂の称号は“心眼を持つ者”だ。最近になって漸く使いこなせるようになった心眼なんだが、これは心の動きを見る能力みたいなものだ。一つ具体的な能力を挙げるとすれば、相手の嘘がわかる。心が罪悪感やバレたくないという不安などによって動かされる、その不自然な動きを捉える事によって嘘を発見するのだ」


「す、すごい……」翔太の純粋な称賛に「ありがとう」と笑ってから斎藤は続けた。


「この能力を持つ儂だからこそ、今回の事で役に立てなかった事を不甲斐無く思う」


 山場は躊躇いながらも口を開いた。「何故見抜けなかったんですか?」


「いや、責めてるわけではなくて、心眼を使いこなせなていなかった事も美城くんの本性を見抜けなかった要因かもしれません。ですが、その、人を殺した直後の美城くんと、校長先生は会っているじゃないですか。その時の彼に、どこも違和感を感じなかったのですか?」


「ああ」斎藤は再びすまなそうに顔をしかめた。

「そう、感じられなかったのだ」


 何故、と問うような視線を受けてから斎藤は続けた。


「言い訳をするわけではないのだが、美城くんには会った時から不思議な感じがしていた。普通の人の心には様々な景色が見える。生命の温かさや感情の動き、周囲の環境に染まろうとする色などの沢山の要因が、絶えず景色を変え続けているようなものだ」


 ところが、彼は違かった。斎藤は思い出すように言った。


「心眼に映る景色が、冷たくて動きのない、真っ白な雪原のようだったのだ。彼がその身体でリズムを刻もうが、その表情で優しい笑みを浮かべようが、いかなる時も彼の心は氷の世界に閉ざされていた……そう、彼が泣きながら藤代くんの亡骸を抱えていた時も全く変わらなかったのだよ」



「チッ……じゃああいつが太一と笑ってたのも、避難所の皆んなの為に頑張ってたのも、全部嘘だったって事かよ」

 荒木は嫌悪感を露わに髪をかき上げた。


「あぁ、全てを知った今、漸くあの景色の意味が理解出来た。彼は何者も受け付けない凍りついた心を隠しながら、他者を欺き生きていたのだ」



「精神病質者……」

 山場の呟きに斎藤は共感するように頷いた。


「あぁ、所謂サイコパスという奴だな。言い得ているのかもしれん」



 暫くの沈黙。

 不安げに口を開いたのは、話の半分近くを理解出来ていない幼い少年だった。


「よくわからないけど、結局、姉ちゃんは無事なの?」


 沈痛な面持ちで山場は答えた。

「ごめんなさい、なんとも言えないわ」


 不安を更に膨らませて叫ぼうとする翔太より先に、山場は言葉を続けた。


「だから私がみずほちゃんを探しに行くわ」


「先公!」荒木は驚いた。

「避難所から離れるなんて危険っすよ。一番可能性を秘めている勇者の先公は、その身を大事にして下さい」


「いいえ、美城くんの事なら私にも責任があるの。彼が精神病質者だと、彼をよく知る人がいつも言っていたのに、私はそれを信じずにみずほちゃんを危険に晒した。早急に彼女を探さなくてはいけないわ。美城くんの目的がわからない以上、彼の側には誰も近付けてはいけない……」


「なら、僕も!」

 翔太は強い視線で山場を見上げた。


「僕も姉ちゃんを探しに行く! いつも助けられていたから、今度は僕が助けに行くんだ」


「それは」

 すかさず拒否しようとする山場だが、それを止めたのは斎藤だった。


「連れて行ってあげてほしい」

「でも」

「山場先生」斎藤は山場にだけ聞こえる声で言った。

「儂には心が見えると言ったろう。彼は山場先生と行かなかったとしたら、いつか一人で抜け出してでも姉を探しに行くつもりだ。だから、貴女が側で守ってあげてほしい」

 山場はハッとした表情で翔太を見る。

 その真剣な瞳を見て、校長の言葉に一層信憑性が増した。

「わかりました。ただね、翔太くん。絶対に勝手な行動をしない事、私から離れない事を約束して」


 それからここを出発するまでにもっとレベルを上げないとね、と山場が言うと、翔太は決意のこもった眼差しで頷いた。


「そうじゃな、出発は数日待って欲しい。それまでに美城くんの情報を集め、避難所の戦闘員達に情報を共有しよう。彼を見つけたら最大限警戒をするように」


「校長」荒木は浮かない顔をしていた。

「太一には黙っておいてくれませんか? あいつは何も知らずに美城サイを親友だと思い込んでる。他に友人がいないから、美城の本性を知ったら立ち直れないだろう。何せアイツは今、美城の為に自分を磨いてんだから……」


 校長や山場も太一の最近の努力には目を見張っていた。それが美城サイのためだとも知っていたから、荒木の言葉には頷きたかった。


「しかし、荒木くん。この世界において、絶望はいつも隣にいる。それを見つめる強さがなくては生きていけない」


「だったら! 少し待ってやってくれますか。太一が強くなるまで……全てを受け止める事が出来るくらい強くなるまで、残酷な真実を伝えないでやって下さい」


 頭を下げる荒木に、校長は戸惑う。

 今度は山場が校長に意見した。

「確かに花園太一くんは今急成長しています。美城くんのことをこのまま隠しておけば、何も知らずにどんどん力を磨くでしょう。だから……騙しているみたいで罪悪感はありますが、黙っておくというのは、太一くんの為にもなるでしょう」


 その言葉で校長は了承した。

「わかった、そのように動こう」



 こうして数日かけて情報は伝達され、美城サイはこの避難所内で要注意人物とされた。

 また、中学校のデータから美城サイの自宅や父の職場などの個人情報が調べられ、山場と翔太はどこへ捜索に行くかを決定していった。






 そうして二人が出発する日、見送りに来た校長は山場叶子に言った。


「君には人を殺す事が出来るかね?」


 それは叶子自身ずっと悩んでいた事だ。

 美城サイと出会ったらどうするべきか。

 これ以上の被害者が出ない内に殺すべきか?

 でも、もしも彼の隣でみずほが楽しそうに笑っていたらどうだろう。

 自分はみずほの幸せを奪ってでも、美城サイを殺せるのか。

 そもそも、この手で人を殺めるなど、本当に出来るのだろうか。


 結局、叶子は首を振った。

「わかりません」


「それは会うまでわからない。会った時に何かがわかるのかと聞かれても、それすらもわかりません。それでも……会いに行かなくちゃ」



 そうか、と校長は頷いた後、その強い瞳で叶子を見据えた。


「ならば約束してくれ。君の心が僅かでも美城くんを悪だと判断したなら、その後は一切の感情を捨てて正義を全うしてくれ。迷いは君を危険に陥れる」


 校長の言葉に重々しく頷いてから、叶子は翔太の手を引いて歩き出した。

 この道の先で誰が哀しむ事になったとしても、その現実を受け止めて生きていかなくてはならない。

 その事を強く噛みしめながら前を向いていた。

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