絶望、そして激情から幸福へ

 

「あ……ぁあ……」


 消えてしまった。

 どうして大切な人は直ぐにいなくなってしまうんだろう。

 いなくなる?

 違う。

 殺したんだ。

 私の弱さが、大切な人を殺した。

 何もかもが未熟だ。

 謙虚を知らぬ慢心が己を冒険に駆り立て、自衛力も逃走力も持たないから両親が身代わりになった。

 浅はかな知識と鈍い思考力しか持たないのに地球人を導こうとして、何人も騙し殺した。

 己の力と仲間の力を正しく把握せず、闘争と逃走の判断を誤り、恐怖に勝てず、敵の速度に対する反応力が足りなかった故に仲間を殺した。

 誰よりも自分を信頼してくれた少年を、自分の無力が殺したのだ。


「ぁああぁぁぁ……」


 クラリスは憎悪した。

 愛する人を守れなかった自分を。

 彼だけが自分を迫害しなかった。

 彼だけが自分を守ってくれた。

 彼だけが全てを受け入れて抱きしめてくれたのに。

 そんな彼を、自分は守れなかった。

 酷く情けない。

 愚かで醜悪な自分が許せない。


「あぁぁぁ!」


 もういらない。

 何もいらない。

 平和も、自由も、愛情も、喜楽も、懇親も、幸福も。

 彼がいなければ全てが意味をなさない。

 彼がいない自分なんて。


「……壊れてしまえ」




 クラリスが全てを諦めたとき、その手に持った鮮やかな紅の刀は、どこまでも続く深淵の様な漆黒色に変わった。

 その闇は竜鱗よりも深い黒色。

 これこそが呪刀の本当の姿。

 鬼族に代々伝わる呪われた直刀。反りが無く、一般的なものより刀身が長く、使用者を選ぶ刀。

 神格を得るほどの実力を持った初代鬼族長を除いて、誰一人この刀をこの姿で扱えた者はいない。

 理由は単純。

 呪刀を激流の様に荒狂う力だとすれば、使用者にはそれを塞き止めるか制御する術が必要なのだ。

 クラリスの母は制御こそできなかったが、腕力で激流を塞き止めながら振り回した。

 クラリスは強かな精神力で、その刀の力を自身が扱える程度まで制御していた。

 必要以上に力を求めなかったし、力に飲まれなかった。


 だが、その制御は今解けた。


 何からも阻まれずに激流は荒狂う。

 誰にも手に負えない力が暴れ出す。

 刀を握る少女に、既に自我は無い。



「―――――――――――!」


 逆鱗に触れられ怒り狂っていた漆黒竜でも、この力の暴走には警戒する。

 憎悪や絶望の静かなる悲哀は、怒りの激情と違って果てがない。

 全てを飲み込みそうな深い闇を抱えた少女を目前に、怒れる竜は冷静さを取り戻していた。ここが知性の高い魔物の強みだ。


 魔力の奔流。

 体内に留めきれず漏れ出し、具現化した漆黒色の魔力が少女を覆う。

 稲妻の様に、炎の様に、揺れ動いてるだけで強力だと思い知らされるエネルギィ。

 冷静なクラリスならば魔力配分を考え、一気に力を放出する事などないが、彼女はもう激情に飲まれて自分を失った。

 戦い方も荒々しい。


 無心の少女は地面を抉って竜の懐に迫る。

 乱雑に振り上げた右手は狙いも定めず、破壊だけを目的として振り下ろされる。

 その目的を達成しようと、漆黒刀が呻る様に黒い魔力を増大させた。

 刀身に纏わり付く魔力は刀を大きく見せる。

 衝突。

 竜は禍々しい三本の竜爪で刀を迎え撃った。

 力のせめぎ合い。

 暴走した力でも竜を押し切る事は出来ない。

 自我を失っても本能がそれを判断して直ぐにその場から離脱した。それは魔神ウラリュスの転移と見間違う程高速な移動。

 一瞬にして対抗する力が無くなった為、竜の爪は勢いを殺せず大地を破壊した。

 どこに行ったのか。

 竜がそれを把握する前に翼の根本に衝撃が走る。

 細い刀身からは想像できない暴力。

 竜の身体も、漆黒の刀も、どちらも硬い。

 故に刀は本来の用途である、斬るという行為を行えずに殴る様に叩き付けられた。

 斬れないとはいえ、無視できる攻撃ではない。

 自慢の鱗は数枚剥がれ落ち、何よりあの刀は全てを破壊しようとしている。

 竜は蛇の様に長い尻尾を振るった。

 人がハエを煩わしく追い払う様な、何気ない動きみたいに。

 だが竜のそれは、明らかに生物を殺す力を持っていた。

 漆黒の鱗だけでなく、尻尾の先端には計十二本の大小様々な棘がある。

 擦るだけで肉を抉られそうな棘だ。

 だがクラリスは、あろうことか尻尾を迎え撃った。

 翼を切断する事を辞め、迫る尾に刀を向けた。

 硬い鱗と強い力。

 少女が押し負け、弾き飛ばされるのは当然だった。

 だが、漆黒の刃も強かった。

 クラリスは自分の身を蔑ろにして、押し負けるその時まで刃を竜の身体に当てていたのだ。

 尻尾は敵を叩いただけなのに、その肉の半分までが刀で斬られていた。


「―――――――――――――――!」


 痛みに今更気付いた竜は激昂し、それでも再び己を落ち着けようと、遥か遠くに飛ばしてやった少女を真っ直ぐ見つめた。

 恐れや痛みを無視し、何より自らの身を雑に扱う。それが今のクラリスだ。

 こういった者が敵ならば注意しなくてはいけない。

 矮小な人間とはいえ、その身を犠牲に攻撃されれば一溜りもない一撃となる。

 今の攻撃がそうだった。

 自分が押し負ける事を理解していただろうに、それなのに避けるつもりもなく迎え撃ったのだから、生物として身を守ろうとする本能が欠如してしまったかのようだ。


 クラリスはまた走った。

 考えも無しに、魔法の存在も忘れ、その刀で獲物を仕留める事だけが全てだと言うように。

 もうさっきまでの冷静で聡明な少女はどこにもいない。

 クラリスは右手に持った刀の先を竜に向け、右脇腹に大きく引いた。

 その姿勢で走る少女を、竜は近寄らせない為にブレスを放つ。

 高速の火球だが、クラリスは最低限に進路を変える事で躱す。

 地面に触れたブレスが爆発を起こし、その火が最低限しか避けの動作をしないクラリスの肌を焼くが、それも気にせずに走った。

 何度かブレスを避けながら竜に迫ったクラリスは大きく跳躍し、竜の鼻先に向けて、引いていた刀を大きく突き出した。

 反りのある刀には出来ない、直刀だけに許された強烈な攻撃。

 刺突。

 膨大な魔力のエネルギィが竜の身にダメージを与える。

 更に真っ直ぐ突き出された鋭利な刃先は黒い鱗を砕き、少しずつ深く刺さる。

 だが、目の前に迫った敵を竜が見逃す筈がない。

 ほぼゼロ距離で放たれたブレスはクラリスに直撃した。

 また、顔先で爆発した己のブレスに、竜も弾かれるようにして後退した。

 これでまた距離を取った、竜はそうした。

 しかし空中に咲いた爆発の光から、全身を焼かれ所々皮膚を爛れさせた少女が迫って来た。

 爆風に飲まれて後方に撤退すれば良かったものを、彼女は爆発の威力を全てその身に受けながらも前に進むことを選んでいたのだ。

 予想外の敵の動きに竜は反応出来ない。

 一閃。

 昼間に似つかわしくない暗闇が輝いた。

 明かりが闇で、暗黒が光だと錯覚してしまうほど鮮やかな太刀筋だった。

 竜の胸は大きく――少女の手にする刀が斬った傷だとは思えない程大きく斬られていた。

 竜は叫びも上げずにその場に崩れ落ちる。

 だが、まだ生きてる。

 竜の生命力は凄まじく、生きてる限り再生する。

 今も傷口の深くで、赤い肉が繋がろうと蠢いているのが見える。


 クラリスは止まった。

 刀を左手に持った鞘に仕舞い、足を止めて、目を閉じた。

 竜を見逃すつもりでは、勿論なかった。

 極限の集中状態に入る為に、少女は全ての感覚を断ち切り、静止する。

 たった一つ、全精神力を捧げて集中すべきものは、刀の声。

 刀が更なる力を求めてる。

 もっと魔力を。

 もっと身を捧げろ。

 全てを籠めて、解き放て。

 この欲望とも言える命令だけがクラリスの力を増幅させてくれる。


 軈てクラリスの周囲に荒狂っていた漆黒の魔力が全て刀に集中した時、少女は静かに目を開いた。


「刀剣魔法奥義――」


 その声は普段のクラリスらしく、凛とした落ち着きを孕んでいた。

 しかし力を制御出来たわけではない。

 少女の怒りも、憎悪も絶望も悲哀も全て、漆黒の刀が受け継いでいた。

 何もかもを力に変換して、今放出される。


「――無明之紅凪」


 世界を支配したのは、静寂だけだった。

 耳が痛いくらいの静けさ。

 変化を嫌う様に動かない景色。

 それは不自然な穏やかさ。


 止まった世界を動かす再生ボタンがあるとすれば、少女が刀を鞘に収めた時に鳴った、小さく高い音。

 それがトリガーだったかの様に、瞬間、竜の身体中を血が走った。

 正確には与えられた斬撃が血を撒き散らしたのだが、それは与えられた竜ですら気付けない刹那の出来事だった。


「―――――!」


 腹を半ばまで斬り裂いたのが最も重い傷で、その周囲に不規則に入った赤い線は、一太刀に籠めきれなかった強大過ぎる力が暴走した跡だ。

 それほどの威力があった。



 竜は今度こそ横たわり、戦闘は終了したかの様に思えた。



 なのに、クラリスは自然に刀を振るった。

 それは刀に操られた行動では無く、本能や第六感といった、理屈では説明出来ない何かが少女の手を後方に向けて動かしたのだ。


 刀は斬った。


 それを手応えで感じた時には、少女はもう幼く弱いクラリス・キラであった。

 いつから自分を取り戻したのかわからない。

 力を使い果たした時か、或いは斬ったモノを見つけた今なのか。


 真後ろに刀を振るったせいで、体勢が悪く、力のかかり方が悪かったのかもしれない。

 斬れ味の良いこの刀なら、斬ればその途端に獲物は重力に従って地に落ちるはずだから。

 とにかく、クラリスが斬り上げたモノは宙を舞った。

 それがなんだったのか。

 クラリスの目はハッキリと映した。


 人間の腕だ。


 自分と同じくらいの歳の、少年の左腕。


 聡明なクラリスなら誰のものかわかるはずなのに、力を使い果たした影響か、酷く頭が鈍い。

 いや、現実を認めたくないだけか。

 少女は戸惑った。

 何故。

 この手はいつも見ていた。

 彼の刀を握らない方の手。

 右手で刀を持ってる時はこの左手からよく魔法を放っていた。

 そんな器用な少年の手。

 どうして。

 なぜ私はサイの左腕を斬ったの。


 困惑はまだ続く。

 自らの胸を貫いている刀を見つけてしまったからだ。

 尤も、皮肉にも最初の疑問はこれで晴れた。


 サイの左手が私を刺したから、この手は刀を振るったんだ。


 クラリスは遂に顔を向けた。

 止めどなく溢れてくる疑問をその目に浮かべたまま。

 サイが生きていた事を喜びたいのに、喜んでもいいの?


「クラリス、君は本当に強いよ」


 少年は穏やかに微笑んだ。

 左腕を斬られた事を微塵も気にしていないどころか、クラリスを慮る様な優しさだ。

 戸惑った。

 彼に殺意や、悪意や敵意もない事に。

 美城サイは、善意や慈愛でクラリスを刺したのだと感じさせられる。

 困惑を続ける少女の疑問に、少年は答えた。


「言っただろう。僕は君の幸福を望んでいる」


「……こう……ふく?」


「あぁ。地球ではね、生前に積み重ねた善行の数が、死後を幸福に過ごせるか決定するんだよ。言うまでも無い事だけどね、君は十分がんばった」


 サイはクラリスに刺した刀を右手で抜き、鞘にしまう。

 それから歩み寄って、右手だけで彼女を抱きしめた。

 クラリスは温かい、と思った。

 寂しさに慣れた身体が、触れ合った所から優しさの熱を帯びていく。

 やっぱり、彼は私の大切な人だ。


「わたしは……がんばった?」


「あぁ、もちろん。人間の本質とは、卑しくて愚か。正義を騙って嫌いなモノを蹂躙する、醜悪な生物なんだ。そんな奴らと共存するために、君は長い事頑張って来た」


 けどね、あいつらが変わる事は無いよ。


 サイのその言葉はクラリスに重くのしかかった。


「奴らは何もかもを批判する。今日みたいにきっかけを見つければ、それについて無限に叩き続ける。だからね、もし奴らに受け入れて貰いたいならね、決して間違ってはいけないんだよ」


「まちがう……そう、私が、間違ったせいで……」


「違う」サイは断言した。


「それは不可能だ。何故なら、奴らは周囲に散らばるタネの一つ一つから悪意の花を咲かせるから。君が関係してなかったとしても、全てを君のせいにし、吊し上げる」


 醜い人間共に受け入れて貰うには、一本の細い綱を歩みながら、散らばるタネを回収し、何本もの針の穴に糸を通し続けなくてはいけない。

「そんな気が張る事、誰にも出来ないでしょ?」と少年はため息を吐いた。


「でももう大丈夫。美しい君が醜い人間と共に暮らす必要なんて無いんだから。今まで耐えた君には、これから沢山の幸福が待ってる」


「死後の、世界……そんなの知らなかった。ねぇ、サイも来てくれる?」


 少年は迷いなく頷いた。

「もちろんだとも。ただ、それよりまず、死後の世界に先にいる両親に会いに行かなくちゃ。二人もクラリスを待っている筈だから」


「……そっか! 二人とも、いるんだ」


「そうさ。そしてその世界ではクラリスが望んだ通り、全ての人々が仲良く暮らしているんだ。ご両親も頑張ったクラリスを褒めてくれるよ」


 少女は目を閉じたまま微笑んでいる。

 想像力を膨らませて理想の世界を思い描いているのかもしれない。


「そっか、いろんな世界があるんだね。じゃあ、お母さんとお父さんとたくさん話して、そしたら、そしたら……」


「うん。そしたら僕も行くから、だからおやすみ、クラリス。生き辛いこの世界で足掻く必要なんて無いんだから、君はここでは無い世界で幸せに暮らすんだよ」


 サイの言葉を全て聞けていたかはわからない。

 クラリスの身体からは既に力が抜け、支えきれずにサイも一緒に地面に崩れ落ちた。


 ただ、少女の表情を見る限り、幸せな最期だった事は間違い無い。

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