しがらみ

 

 サイとクラリスが南小学校を去った後も、水谷零士は暫くその場から動けなかった。


(俺は何故動かなかった。何故止めなかった。攻撃的な避難民を、去って行く二人を、俺は何もせずに傍観していた)


 あの場でどうするのが正しかったのか。

 サイの様にクラリスを庇うべきだったか。

 しかしクラリスのせいで死んだ者達は納得するだろうか。

 クラリスのせい?

 魔物が食べられることなんて誰も知らなかったのに、クラリスの言葉を鵜呑みにした俺達にも責任はあるだろう。

 そもそも俺は何故皆の意思を尊重している?

 勇者だから?

 勇者だから皆が納得する道へ進まなければならないのか?

 それって民達の奴隷ってことか?

 俺の意思はなんだ?

 俺が守りたいのは誰だ?

 俺はどうしたらいい?


「叶子……」


 知らず知らず呟いていた零士の顔を、隣に来た伶奈が覗き込んでいた。


「先生。いい加減不合理なヒーローごっこは辞めましょ? あんな奴ら生かしておいても害にしかならないもん」


 伶奈は言いながらステータスを持たない避難民を指差す。

「なっ……なんてこと言うんだ、ガキ!」


 吠える大人を冷めた目で見下した後――さっきのサイと似てるな、と零士は思う――伶奈はサイが去って行った方向を見つめた。


「食料は消費するし、私達の気分をも害する。こんな愚図共の為に、先生は強大な戦力を二人も失ったのよ。バカらしいでしょ。もう付き合いきれないわ」

 歩き出そうとする伶奈を、零士は慌てて呼び止める。「ど、どこに行くんだ」


「決まってるでしょ。サイくんの所よ。自分のすべき事を自分で決定していて、それを実行する手際は合理的そのもの。頭も回るし力も強いし、彼の方がよっぽど勇者だわ」


 伶奈の言葉は零士にとって鈍器の様なもので、それで頭を殴られた零士は何も言い返せなかった。

 彼女の言う通りだ。

 サイは自分の正義を持ってる。

 サイは誰が批判しようと自分の道を行く。

 サイは合理的で、目的の為に手段は厭わない。


 あれ?

 サイは……幼少の頃から変わってないぞ?


 零士の全身に悪寒が走った。

 今までは彼の正義が誰も傷付けなかったからよかったけど、もしもあいつの目指すものに対立する人がいたら、その人は、無事でいられるだろうか。

 そうだ、さっきだって避難民が殺されそうだった。

 あれが冗談のレベルか?

 あの場で恐怖していない人間などいなかった。

 俺が止めなかったら、あいつは刀を振り切ったんじゃないか?

 そもそもあの刀も、あの黒い魔法も、あいつの力について俺達は何も知らなかった。

 隠していたのか?

 俺は過去に何度も迷った末、最終的にサイを安全だと思い込んだ。

 だが、それはやはり勘違いだった。

 法の強制力が無くなった現在を精神病質者サイコパスが生きるなんて、鎖を解かれた獣が街を歩く様なもんだ。


 未だ自分のすべきことを迷う零士だったが、サイが明らかな悪を起こす可能性が高い事に気付いてしまった。

 だからダメだ。伶奈を行かせるわけにはいかない。

 そして俺がサイを連れ戻すんだ。


 呼び止めようとしたのに、向こうの空から大き過ぎる咆哮が響いて、零士の言葉は掻き消された。


「な、ななななんだよ!?」

「ひっ、あれって――」


 距離が離れていてもわかる程大きい。

 あれは間違いなく――


「――ドラゴンだ!」


 反射的に身体が動いたのは二人。

 伶奈と零士だ。

 二人とも目的は同じ。あの方向に歩いて行ったサイとクラリスを助ける為だ。

 零士はサイの本質に気付いてしまったが、彼はまだ罪を犯していない(と零士は信じたい)から、助けに行くのは当然の行為だった。

 しかし――


「み、水谷さん! どこ行くんだよ! アンタがここを守ってくれなきゃ全滅だよ!」

「そ、そうだよ水谷先生! 行かないで!」

「ね、ねぇ、どうせ異世界人達が倒してくれるから、ここにいてよ」


 避難民も、ステータスを持っている者ですら怯えて、零士の力に依存している。


 零士は戸惑う。

 まただ。

 また動けない。

 皆んなを助けたいのに。


 そんな零士達を――勇者零士すらを見下した目で、伶奈は言い放った。


「もういいわ。アンタ達はここで身を寄せ合って恐怖に震えていればいい。私は私の大事な人だけを守る。守るべきものを決められない奴は来なくていい、邪魔よ」


 最後の言葉は零士に向けられていたのに、何も言い返せず、その場から動けず。

 一人で走り出した少女の事を、零士を含め誰も止めなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る