物々交換、出来るかな

 

 真っ暗闇を無言で歩く。

 足音は二人分。

 一定のペースで歩くものと、遅れては近付く不規則なもの。


 同行者が遅れても振り返る事もしない早足のサイに、みずほは後ろめたそうに言った。


「サイくん、怒ってる?」


 サイは怒りという程の激しい感情を抱いた事は無いが、避難所を出てからみずほに対して遠慮が無くなったのは事実だ。

 組織内で不審な動きを見せれば大勢から警戒され、場合によっては潰される。

 だが、ここにはサイとみずほしかいない。

 最悪の場合、彼女を殺して仕舞えば、サイが何をしても誰かに伝わる事はない。勿論、サイも進んで人を殺したいわけではないため(リスクが高いから)刀を取り出すなど、明らかに不自然な行動は取らないようにはしている。



「怒ってるよ。僕は自分の身なら守れるけど、君を守りきれる自信は無い。君は安全な避難所で弟と一緒に待っていればよかったと今も思ってる」


 サイの言葉はいつもデタラメだ。

 怒っていないのに怒っていると言い、身を案じているフリをしながらどっか行けと念じている。

 それでもサイの言葉に感情を動かされるのは、彼の話術と演技力が巧みだからだ。

 振り向いたサイの責める様な視線の奥に心配の色を含んでいる、こんな表情で思いやる言葉を投げかけられて、一体どうして彼を疑えるというのだろうか。


「っご、ごめんなさい……でも、わかって欲しいのは、サイくんが私の事を心配してくれる様に、私もサイくんの事が心配なの……だから、どうしてもついて行かせて。足は引っ張らない……」


 喋り続けるみずほを手で制したサイ。

 何を言っても彼女はついてくるらしいから、サイはこれ以上会話を続けるのは無駄だと判断した。

 そんなことより魔物を倒してレベルを上げた方が建設的だろう。

 鬼となったサイは、目の良いみずほよりももっと夜目が利く。だから彼女にバレない様に、自然に魔物を察知して自ら近付いていたのだ。


「魔物に気付かれた」

 サイはそれだけ言って走り出す。

 本当はまだ気付かれていないが、みずほには魔物がどこにいるか見えていないため、サイの言葉が嘘だとわからない。


 みずほを置き去りにして、電柱にもたれかかって眠っているオークの前に躍り出たサイは、固く握った拳をその横面目掛けて振り抜いた。

 鬼の筋力を手に入れたサイに殴られ、無抵抗な豚は二メートル近い体を大きく飛ばし、そのまま半壊した家屋の瓦礫に大きな音を立てて埋まった。

 後ろから「サイくん!」と呼ぶ声が聞こえたが無視し、睡眠を妨げられて怒りを露わにする豚をただ見つめる。


「ブモォォオォ!」


 暗い夜にオークの鳴き声が響く。

 この場所はすでに避難所から五百メートル以上離れている。

 争いの音を聞いた魔物達がこちらに向かって来る事を、サイは察知している。

 狙い通りだ。

 夜であり、人がいない。これは魔物が集まりやすい最高のシチュエーションだ。

 レベル上げには勿論適しているし、魔物の猛攻に耐えきれずにみずほがやられてくれれば尚良いのだが、果たしてどうだろうか、とサイは考える。


(まあ、なるようになるさ)


 こうして後先考えないサイの戦いが始まる。






 一方で、大多数の人間と同じように恐怖や不安を押し込めながら魔物と戦う関口みずほは、絶望的な現状に足を震わせていた。


(どうしよう……次から次へと魔物が……私に倒せる魔物なんて限られてるし……)


 現在サイは、最初に殴ったオークの頭部を踏み潰して、その命を奪っていた。

 しかしそれを倒して安心など出来ない。

 みずほでもわかるくらい近くに、狼の魔物や、全長一メートル程のフクロウの魔物が集まってきている。もっと遠くからも重たい魔物が歩いている足音が近づいて来る。

 みずほは十メートル程離れた位置にいるサイに視線を固定している。

 そのせいで、背後に迫るゴブリンが鳴き声を上げるまで気付かなかった。


「グギッ!」


 振り向いた時には棍棒が迫っていた。


「きゃっ!」


 身を屈めてやり過ごすが、次の攻撃に備えられない。

 まずい。

 何も役に立たないまま終わりたくない。

 それでも体は動かず、恐怖で視界を閉ざしてしまう。

 鈍い殴打音。

 しかし痛みはなく、続けて聞こえたのはゴブリンの痛々しい鳴き声。


「サイくん……ごめん……」


 自分を助けるために一瞬で駆けつけてくれた彼に、申し訳なく思った。

 役に立たなくてごめん。

 手を煩わせてごめん。

 そんな思いで見上げるが、サイはもうそこにいなかった。


(なんて速いの……これじゃあ私なんて邪魔でしかない)


 自分が魔物に狙われたらサイは助けてくれる。でも、それではサイの負担が大きすぎる、とみずほは考える。

 魔物に意識を向けながら、自分の事を気に掛けてくれるなんて、やっぱり私なんていない方がいいのかな。

 みずほはそう考えているが、サイは実はみずほを助けるつもりなんて全く無い。さっきはゴブリンが棍棒を持っていたのを発見した為、それを奪う為に倒したのだ。

 尤も、みずほがそれを知る由はない為、まだまだみずほの自責の念は積もっていく。


(それにしても……サイくん、いつの間にあんななら強くなっていたの……筋力だって、怪力女のさくらさんより強そうだし……)


 以前避難所でオークと戦った時、サイは今ほど強くはなかったとみずほは認識している。あの時は千田薫や荒木勝己、服部さくらとの連携があってなんとかオークを倒せていたが、今、サイは一人で多くの魔物を倒している。

 オーク、狼、フクロウ、ゴブリン、サメ、またオークがやってきて、それもたった今倒し、今度は三体のゴブリンに囲まれている。


(いったいどんな思いで戦っているの……)


 みずほを含め、避難所を守っていた戦闘員は皆、千田薫の本性と、藤代宗介の無念、それから生き残ったサイの心身に与えられた深い傷(サイにとっては痛くも痒くも無いのだが)を聞かされている。

 だからみずほはサイの心を心配して着いてきたというのもある。

 今、サイは無言で、無表情で、ひたすら魔物を狩っている。

 手にした棍棒を振り抜き、足で振り払い、水魔法で弾丸を作り放つ。

 それはまるで、宗介を守れなかった自分の弱さを振り払う様な、悲しくも強くあろうとするひたむきな戦い樣。

 共感能力の高いみずほは、こうやってサイの言動に秘められた想いを汲み取ろうとする。


 尤も、それら全てがみずほの主観で、彼女の想像に何一つ正しい事が無いという事実は変えられないのだが。


 それでもみずほは勝手な想像でサイを慮り、優しさに惹かれ、信頼を寄せて行く。

 サイにとっては迷惑この上ない事だが、みずほはサイと行動を共にすればするほど、サイから離れたくなくなる。


(サイくんから離れたくないなら、私も強くならなくちゃ……必ず彼の力になってみせる)


 足手まといを自覚して帰って欲しいというサイの本心とは真逆に、みずほは己の力を伸ばすべく奮い立つ。

 一般的にみれば素晴らしい精神力なのに、サイからしてみれば不都合でしかないのが、二人の相性の悪さを物語っている。


 ともかくそうしてみずほも参戦し(家庭科室から持ってきたナイフで弱いフクロウを二体狩った)この夜は落ち着いた。

 どうやら魔物にとって強過ぎる敵は獲物にはならない様で、争いの音を聞いて寄ってきた魔物も、無傷のサイを見て逃げ出す事が多くなった。



 完全に静かになった頃、二人は再び歩き出す。

 言いたい事聞きたい事は多かったが、みずほから見たサイは疲れた様子であり、話しかけづらかった為、足音だけが二人の聴覚を刺激していた。

 因みにサイは疲れておらず、ステータスを見たり周りの気配を察知していたのだが、この時ばかりはみずほの行動(静かにする)は正しかった。






 あてもなく歩き続けるサイは、鬼の嗅覚で様々な事を感じ取っていたが、その時、醜い臭いが鼻についた。


(これは……いわゆる情欲の匂いって奴か。子孫を残そうとする生物の本能なのか、それとも快楽を求める獣の欲望なのか……恐らく後者だな)


 幼い上に成長も遅く、冷血なサイには異性に対する興味は微塵も無かったが、知識として人間の欲望は理解している。

 鬼の鼻はそんな欲望すら感知するのだから驚きだ。

 因みに多くの精神病質者サイコパスにとって性体験とは興味の対象であり、早い年齢で済ませ、その後も不特定多数の者と体験する事が多いのだが、その点に関して言えばサイは異質だった。ただ、そういった欲望に囚われないからこそ、無駄に長く生きている大人たちよりも理性的な決断が出来るという利点はある。


 さて、どうしてそんな欲望を感知したかと言うと、それがサイの後ろにいるみずほにぶつけられていたからだ。

 場所は右前方にある、損壊のない民家の二階。三人の成人男性が窓からみずほを見下ろして汚い笑みを浮かべている。

 サイの目は彼らの笑い皺までハッキリと映しており、直後に民家の階段を降りる音までが聞こえてきた。

 ただの人であるみずほは当然何も気付かず歩いているのだが、容姿も性格も良いこの少女は彼らにどう対応するのだろうか。


 サイは彼女に何も伝えずに歩き続ける。


「あ! サイくん、人が居るよ。避難途中かな? 避難所まで送り届ける?」


 三人の男の下卑た笑みも暗さのせいでみずほには見えず、能天気な事を言っている。


 避難民がこんな所を呑気に歩くわけないだろうとサイは思うが口にしない。

 今の世界で外を歩くのは、力を手にした正義の者か、力を手にした強欲な者だ。

 目の前の人間達に正義感などありそうになかったが、だからこそサイは、丁度良いと微笑んだ。

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