二章 暴かれてゆく

勇者の目覚め

 

 彼女は夢を見ていた。何気ない日常である、幸せな過去の夢だ。

 隣に座る彼は大学時代に交際を始めた同業者。もっとも彼は小学校教諭であり、夢を見ている彼女は中学校教論である故、職場が同じわけではない。

 しかし彼が小学校で育てた生徒を、彼女が中学校で受け入れる事には感慨があった。


「今年は一年一組の担任なんだっけ?」

 コーヒーを片手に彼女に問いかける彼。


「ええ、零士れいじが受け持った子も何人か私のクラスに来たわ。特に美城サイくんなんて、一年、三年、六年生の頃に担任をしてたでしょう? 大きくない学校とはいえ、三回も受け持つなんて珍しいわ。思い入れも強いでしょう?」


「ああ、彼ね……」

 彼女の恋人である水谷零士みずたにれいじは、美城サイの名前を聞いて難しい顔をした。


「美城くん、貴方が言うほどおかしな所なんてないわよ? 言葉遣いも丁寧だし、大人しくて成績もいいし、優等生って感じ」


 この時は四月の後半、少しずつ生徒たちの個性を把握してきた彼女は、以前に彼から聞いていた生徒の性格について疑問を投げかけた。


「うん、そう。そうなんだ。今となっては周りの生徒と殆ど変わらないだろう。俺が倫理観や常識を教えたから。でも、もしかしたらそれは間違いだったのかもしれない。あの子は他人の感情を頭で理解しても、共感する事がどうしても出来ないんだ」


 零士は落ち着いた雰囲気とは裏腹に、勉強熱心で知的だ。心理学の知識にも長けている彼が他人の性格を分析する場合はいつも正しい。

 そんな彼を彼女は信頼していたが、美城サイの話だけは今ひとつ納得出来ない。


「それが貴方がよく言っている精神病質者サイコパスの特徴だって事はわかるわ。事実、六年前、美城くんが小学一年生の頃の事、よく話してくれたよね。貴方はあの時もあの子の事を精神病質者だと言っていたし、私も話を聞いてそう思ったわ。でも、今のあの子がそうだとは思えないわ」


 彼女は真剣な表情で続ける。


「人間って誰でもそうだけど、幼い頃は何も知らないから平気で残酷な事するでしょ? 例えば、蟻よ。子供は皆んな蟻を見つけると踏み潰したり、高い所から落としたりするのよ。それで蟻が死んでも死ななくても子供は笑っていられる。だけど時が経って成長した時、いつの間にかそれを残酷な事だと思い、やらなくなる。大人に教えられたのか、自ら嫌悪感を抱き始めたのかはわからないけど、子供達はそうやって少しずつ何かを哀れんだり、思いやったり出来るようになるのよ」


「わかるよ、君の言いたい事は」

 彼女が一息ついたところで零士は口を開く。


「美城サイも多くの子供達と同じ、いや、一般的な子供より成長が遅いだけで、今ではまともな心を持っているって言いたいんだろう?」


 彼女は無言で頷く。


「なぁ、叶子」


 零士は真っ直ぐ彼女を見つめて問い掛けた。


「精神病質者が恐れられている理由はなんだと思う?」


 山場叶子は話題の変化に戸惑いながらも思い浮かんだ答えを言った。


「目の前で人が血まみれになっていても、その場で平気で食事が出来るくらい共感能力が低いのが彼等なんでしょう? あと、最も理に適った判断を好む……って事は、目的の為ならば人を殺める事を厭わないのよね。彼等のそういう異常な価値観こそが恐ろしいと思うわ」


「ああ、そうだな」


 零士は頷いてから言った。「だけどな」


「一番恐ろしいのは、そんな彼等が善人のフリをして、普通に社会や組織の中で暮らしているという事実だ。誰も彼等の正体を知らないから、知らない内に事件は起こる。俺たちが当たり前に暮らしている日常に精神病質者が紛れていれば、その日常はいつの日か簡単に壊されてしまうんだ」








 長い夢から覚めた時、叶子は保健室のベッドの上にいた。暫くの間真っ白な天井を眺め、夢の中の愛しい人を思い浮かべて寂しさや不安を紛らわせていたが、徐々に冴えていく頭が目覚めを求めているようで、彼女は現実と向き合うために起き上がった。


 そういえば自分は魔物を倒した後に気を失ったのだと思い出す。謎の高揚感の後、体中が熱くて目の前が真っ白になった。あれがレベルアップという事なのか。途方も無いほどの負担が身体にかかるんだな、と思いながら叶子は呟いてみた。

「ステータスオープン」



【名前】 山場叶子

【称号】 勇者

【レベル】 1

【体力】 A

【魔力】 A

【魔法】 無、火、水、雷、土、風、光



(な、何よこれ……研究班で見た皆んなのステータスと比べると異常に高いわよ……)


 自らの身体に何が起きたというのか。

 未だ寝ぼけているのかと頬を抓ってみてもこれが現実だと理解出来た。


(でも、力があれば皆んなを守れるし、零士のことも探しに行けるわ)


 持ち前のポジティブシンキングで叶子は行動を開始しようと床に降り立った。

 保健室内に人はおらず、取り敢えず多目的室に目が覚めたことを報告しに行こうかなと歩き始めた時だった。


「誰か……! 誰か助けて!」


 少年の悲痛な叫び声が、荒い足音と共に廊下から聞こえた。

 それはどんどん近付いて来て、保健室のドアを開いた叶子の目の前に現れたのは、血と涙に濡れた美城サイと、彼に抱きかかえられた藤代宗介の亡骸だった。






「可哀想に……目の前で友が殺されるなど、こんな少年に耐えられるはずがない」


 パニックに陥るサイを落ち着かせた後、騒ぎを聞きつけた斎藤道重がやって来た。彼は目覚めた叶子に驚いたが彼女は、私の事は後にしてサイくんの話を聞きましょう、と言った。

 二人がかりで、しどろもどろなサイの話を聞くと、どうやら千田薫が藤代宗介を殺し、刀を持って逃げたらしい。その時に止めようとした美城サイも肩から胸にかけて斬られた様で、目を逸らしたくなる様な傷が付けられている。


 今、サイは気を失った様に眠っている。

 隣のベッドには藤代宗介が横たわっているが、彼は既に事切れていた。


「まさか優秀な第八グループがこの様な形で崩壊するとは……人間とは残酷なものだ。そして、千田薫くんの本性に気付けなかった儂にも責任がある」


 悔しそうに拳を握る道重を宥める様に、叶子は言った。


「なにを仰いますか、校長先生が悪いわけではありません。ただ、不運だったんです……」


 言いながら思い出す。

 彼等は災害の様なものだから、という零士の言葉。

 千田薫は精神病質者だったのだろう。だから唐突に事件は起きた。

 叶子はそこでふと、ベッドで眠るサイを見下ろす。

 この子は被害者だ。今生きている中で、最も辛い目にあった被害者。可哀想に。

 さっき見ていた夢で恋人に言われたことは、今でもよく覚えている。だからこそ、はっきりと否定した。


(サイくんは精神病質者サイコパスなんかじゃない。友人の死に涙を流す事が出来る優しい少年よ)


 だから自分が守ってみせる。

 もう誰も悲しませない。


「校長先生、私もステータスが発現したのですが、どうやらこの避難所の中で最も数値が高い様です。だからこれからは、外の世界に積極的に関わって行こうと思います。この世界に起こった謎を解明しなければ、人々はいつまでも魔物に怯えるだけの存在に成り下がってしまいますから」


 それに、と伏し目がちに付け加えた。


「法も秩序もなくなった世界で、これ以上人間の愚かさを見たくありません……」


 きっと今回千田薫が犯した間違いは、始まりに過ぎない。

 命が脅かされる世界で、人々はどんどん己の欲望に抗えなくなり、本性を晒け出すだろう。

 取り締まる者がいなければ尚更だ。

 だから叶子は守りたいと思った。

 全ての人々を、魔物から守りたい。

 罪なき人々を、精神病質者から守りたい。

 災害だからと、諦めたくない。

 そしてあわよくば、精神病質者の事すら救いたい。彼等の異常にも何らかの原因があって、それさえ正せば真っ当な人間として生活できるはず。

 そんな甘ったるい希望を叶子は持っているし、叶えようとしている。


 全ての人々に平和をもたらす。


 これが勇者となった山場叶子の決意だった。

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