《第3章》アリアナ x フラーウム(2)

霧の女王:「あ、ありがとう」

 差し出された紅茶を急いでひと口飲みこむと、やっとまともに話せるようになったようで、口に当てた手をおろす。そしてえへんと咳払いをして背筋を伸ばし、

「あー、バレちゃったか。これは視察です。視察なので、執務をさぼってるわけではありません」

と、かしこまった口調でアリアナに答えた。



アリアナ:変な声が出そうになって口をふさぎ、慌てて立ち上がる。

「そうとは知らず、失礼いたしましたっ。えっと、お一人でいらしてるのですか?」

 思わず周りを見回すが、私に見つかるようなへまをする護衛はいないのかもしれない。その代わり聞きなれた足音が近づいてきていた。



霧の女王:「ひとりよ、ひとり。だって…」

そう言いかけて、辺りを見回す。

「あ、お連れの方が戻っていらしたようね。お邪魔だと思うから、もうおいとましようかしら」

 そう言って、女王も慌てたように立ち上がる。スコーンはいつのまにか、すっかりたいらげたようだった。



フラーウム:野菜のスコーンを何種かとくるみパン、それからおかわり用にと紅茶を買ってあずまやの方へと戻っていく。アリアナの他にもうひとり誰かがいることに気づいた途端、にアリアナが慌てて立ち上がった。飲み物をこぼしでもしたのだろうかと少し早足になって近くに寄る。

「アリアナ、何かあったのか?」



アリアナ:「いえ、あの、お邪魔では全然ないです!」

 変な言葉遣いだと思いつつ

「あの、連れも”そういう連れ”なので、多分陛下はご存知でしょうから。ご紹介します。それに」
 

 近づいてきたフラーウムに手を振ってから

「スコーン、良かったらまだありますから!チョコチップですけど」


フラーウム:「アリアナ、何かあったのか?」



アリアナ:「ラウー!大丈夫だけどちょっと急いで来て?」

 足早に戻ってきてくれたラウを手招きして、立ち上がった少女をそっと失礼のないように手で指し示す。小声で

「あのね……この方、霧の都の女王様。カフェのマスターから私たちのこと、お聞きになったみたい」



霧の女王:「チョコチップ!」

 そう素で声をあげるが、彼女は咳払いして

「でもそれは、おふたりの分でしょう?私が食べちゃうわけには」

と言いつつ、視線はちらちらとテーブルの上に注がれている。



アリアナ:そっと小声で

「ちょっと多めに買ってしまったので。もしお口にあうなら是非」

にっこり笑って紙包みを女王様の前に置いた。


「できれば少し伺いたいことがございます。情報料ということで、お納めいただけますと嬉しいです」

にっこりと笑って見せた。



フラーウム:急いで戻るとこちらを見ながらアリアナが指し示した先には、高貴な者なのだろうという雰囲気を備えつつもまだ年若いと思われる少女がいた。そのまま霧の女王であると告げられ内心驚くが、礼を失してはならないだろう。

 アリアナが女王にやや多めに買っていたらしいスコーンを分けている間に手に持った飲み物や篭を手早くそばのテーブルに置いてしまい、アリアナの言葉を聞きつつまだ手をつけようか迷っている女王の前に出て跪くと


「お初にお目にかかります、霧の女王陛下。フラーウムと申します」

と名乗った。



霧の女王:「ごきげんよう、フラーウムさん。こちらこそ、はじめまして」

女王は長いドレスの裾を軽くつまんで略式の礼をすると、アリアナに向き直る。
「えっと、聞きたいことって?」小首をかしげて、尋ね返す。



アリアナ:少し迷ってから

「実は夢で赤い薬を飲む人を観ました。フラーウムも薬の夢を見ています。恐らく戦いを予感させる夢だと思います。薬を渡していた人は今朝も夢に出てきて、とても高貴な印象でした。あれが、もし凝華の怪物を作る薬なら、解毒剤は本当にないのでしょうか」



霧の女王:女王は先ほどとはまるで異なる沈鬱な表情を浮かべ、彼女に答える。
「解毒剤はないわ。あったとしても無駄だと思う。だって、人は望んで、凝華の怪物になることを選択するのよ。あなたには信じがたいことかもしれないけれど」



アリアナ:夢の中であの人は望んで薬を受け取って、水もなしに一息に飲み込んでいたようだった。

「いいえ、そういう絶望があることは、少しは理解できます。……驕っていたかもしれません。もしかしたら救えないのだろうか、と。確認できて、良かったです」
 

 一礼してフラーウムに視線を向けて

「私と彼は今、ここにいます。恐らく次の戦いはまもなくだと思います。全力を尽くしますが、やっぱり気が重いのは確かです。陛下の騎士とともにあるのは心強いですが……」


 目を伏せた。フラーウムなら何を陛下に尋ねるだろうと思いながら。



フラーウム:フラーウムは内心アリアナの質問に驚いていた。彼女が「怪物」となった人間をも救えないかと考えていたことに。


 しかしすぐにこれまでのアリアナの行動を思えば至極当然のことなのかもしれないとも思い直す。それは驕りでもなんでもなく、ただ手を差し伸べたいという単純な思いからくるものなのだ。


「……女王陛下は、この霧の帝都、それから桜の帝都というこのふたつの世界の平和について、どうお考えになっていらっしゃるのでしょうか」そんな言葉が口を突いて出た。



霧の女王:「それはとても難しい質問ね」

 女王はフラームスに向き直り、まっすぐ彼の目を見て答えた。


「あなたたちも知っての通り、この世界は危機に瀕しているわ。たとえ騎士団やあなたたちみたいな生徒会のみなさんがよく戦ってくれたところで、この平和は長くはもたない。早く彼が私の願いを聞いてくれたらよいのだけれど」


 女王は深く深くためいきをつくと、立ち上がった。


「おいしいスコーンをごちそうさま、誓約生徒会の騎士様。あなたがたが幸運に恵まれることを祈っています。戦いが終わったら、今度は私が宮殿でのお茶会にお招きするわ。それでは、ごきげんよう」

 そう2人に告げると、いつのまにか深くなってきた白霧の中に姿を消した。



フラーウム:隣にいるはずのアリアナさえも隠してしまうほどの深い霧が晴れると、そこにもう女王の姿はなかった。言葉のなかにあった「彼」とは、やはり昨夜夢に出てきた男性のことなのだろうか。

 そんなことを考えていると、アリアナがフラーウムの服の裾を掴んでいることに気づく。


「どうした?」



アリアナ:「良かった。ラウまでいなくなっちゃうかって思った……それだけ」

 力を込めて掴んでいた手をそっと離す。自分がひどく幼く思えてためいきをついた。色々なことが脳裏を駆け巡って苦しいけれど。

「お腹、すいちゃったね。冷めちゃったけどごはんを食べよう?」



フラーウム:「いなくなりはしない」

と呟いて、昼食を食べてしまおうという提案に頷く。


「しかし、だいぶスコーンを買い込んでいたようだな? 半分以上は女王が食べていったみたいだが」



アリアナ:「うん」

 彼の呟きが心にわだかまる苦い思いを清めてくれた。

「え?そ、ソウカナー、ココニハ ヒトツシカ ナイヨー」

 ぱぱっとスコーンの紙包みをまとめて「ほら」と残った一個のスコーンを見せる。彼はとても呆れた目でこちらを見ている。


「あっ、わたし女王様にお茶を差し上げちゃったから、自分の分がないやー。カップを返しがてら新しいの買ってこようかなー」


 デポジット式の陶製カップなので、同じ店でおかわりの時はカップ代も引かれるしー、とか言いながらそっと立ち上がってじわじわと後退する。

「ラウ、荷物見てて?」



フラーウム:「……俺は俺で自分のを買ってきてる。だからまず、そこに座って残ってるのからちゃんと飲め」


 アリアナは自分が嘘やごまかしが苦手だということを知っているくせにこういうことをしてくる。


「俺の買ったものからも適当につまんでいい。余ったら持ち帰ることになるだけだしな」



アリアナ:「はーい、いただきます」

 退路を断たれたので大人しく座る。二つ買った紅茶のうち、手付かずのカップを手にして口に含む。ミルクと紅茶の香りが穏やかな心地にさせてくれた。ミートパイも具が思ったよりたっぷり入っていて、思わず食べるのに夢中になった。

「美味しい」

 ミートパイを食べてから、木漏れ日の向こうの喧騒に耳をそばだてる。出し物に群がる子供の声。

 フリーマーケットの呼び込みの声、ざわめきが遠くても届く。

「ねえラウ。私はこうして美味しいものを作ったり、それを美味しいねっていいながら食べたりする幸せを守りたい」


フラーウム:アリアナと同じように喧騒を聞きながら

「……そうだな。そういった当たり前の幸せこそ、受け継がれていくべきだ」

と返してわずかに表情を緩めると、そのままくるみパンを口にして紅茶で喉を潤した。


アリアナ:「うん、護ろうね、望む人がある限りは」


 彼がそれを当たり前の幸せと言ったことがとても嬉しくて。今それを感じていてくれるならいいと思いながらお茶を一口飲んだ。


「で、午後なんですが。上手くお買い物したので、資金は意外と潤沢です。ラウ、なんか欲しいものある?」



フラーウム: 「辞書だな」

 とフラーウムは即答する。なんらかの力で人々が話していることは解るのだが、読み書きはさすがに参考書がないとまだ手間取る状態だった。


「あ、自分の金で買うからな。本を置いてるところに聞いてみたら、学生が使ってたものあたりが欲しければ古本屋のほうがいいという話だった。だから午後はそちらに行きたいんだが、いいか? ……まずこの荷物をいったん家に置いてから、だな」


 ベンチ一個分を埋め尽くしている物たちをぼんやり眺めながらフラーウムは言った。



アリアナ:「うん、買おう。それは有難いな。わたしのは簡易版でいいから」
  荷物を見やる彼の遠い目に冷や汗を流しつつ

「うん、そうしよう。そしたらお夕飯のものも帰りがけに買えるし。今日はお肉屋さんの特売日だから!」

 そう答えるのだった。何だか夫婦みたいだなと思いつつ。


フラーウム:「肉か、たまにはスペアリブもいいかもしれないな」

そんなことを言いながら


「アリアナのカップはデポジット式だったか? 待ってるから返してくるんだな。……余計なものは買ってこないように」
そう釘を指し、ほかのものを手早くまとめてしまう。



アリアナ:「スペアリブ!おいしそうだね」

うきうきと片付けして

「うん、戻してくるね!……うう、わかってますよー」


 カップを二つ手にもって、わたしは駆け出した。「転ぶなよ」というラウの声をまたしても背後に聞きつつ。どんだけ危なっかしいと思われてるの?と笑いながら。



フラーウム:駆け出したアリアナに声を掛けて見送ると、吹き抜ける風が頬を撫でていった。次の戦いがすぐそこであるときに、どこか穏やかな時間を過ごせていることを少し不思議に思いながらフラーウムはベンチに座ったまま軽く目を閉じた。



アリアナ:お金を受け取って戻ると、わたしを待っていたフラーウムが私の足音でふっと目を開く。そんな小さなことが嬉しくて、笑う。


「お待たせ、行こう!」

 荷物を手に、わたしたちは家路を辿るのだった。
たとえ今夜戦場に赴くとしても、世界の未来を想って歩もう。貴方と一緒に。


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