第12話 安井の場合4

 「ちょっとここまで堅い話になってしまいましたね。」


 石原はそう言いながら、例のごとくお茶菓子を安井にすすめた。今日は男性ということと、安井がブラックコーヒーを注文したこともあり、甘さ控えめな洋菓子が用意されていた。石原は自分もコーヒーを一口飲み、口を潤しながらつづけた。


「さて、ここまではあくまで、一定の条件下でのお話をさせて頂きました。」


「でもそれって日本では常識のようなお話なので、やっぱり自分はダメな人間なんじゃないかって正直感じてしまいます。」


「なるほど、では安井様、常識、とおっしゃっているこのような一定の条件が発生している会社の割合は全体の何%ほどだと思われますか?」


「そうですね、、、さすがに80%もないと思うので、、、60%くらいでしょうか?」


「正解は“1%もない”です。」


 その衝撃的な数字に安井は言葉を失っていた。その様子を見た石原はたっぷりと間をとってから話をつづけた。


「順を追って説明しますね。転職回数という足切り基準を設ける会社の多くは、大手企業です。では日本には大手企業と呼ばれる会社はどれほどあるのか、桜井は知ってる?」


急にふられたことに驚きながらも桜井は答えた。


「そうですね、日本に400万社ほどの会社があるうちの、1%もないはずです。株式を上場している企業ですら3500~3600社ほどなので0.1%ほどかと。」


「そうだね、桜井が言う通り売り上げや利益などの一定の条件がいる株式の上場企業ですら3500社ほど、東証一部上場企業と絞れば約2000社ほどです。それほどの知名度がある企業の場合、足切りをしなければならないほど応募が殺到することもあるのですが、400万社という分母から考えるとその段階でかなり少数派ということがご理解頂けるかと思います。」


「そんなに少ないんですね。」


「数字で見ると分かりやすいですよね。実際にはいろんな例外があったり、中小企業でも足切りをしている会社もあれば、労働者数比率などで見るとまた違う見え方もするのですが、今日のところはこれまで見てこられた世界が、社会全体から見たときにどういう世界なのか、ということをご理解頂きやすい数字をお伝えしました。」


 安井は初めてそういう感覚で話を聞いて驚くばかりだったが、元々数字は好きなタイプだったので、とても理解しやすかった。また、石原が有名私大に入られる段階で、社会全体から見るとかなり少数派だが、今いる世界を当たり前と思ってしまうのは、人間の脳の仕組みの問題なので自分を責めないで、と付け加えてくれたことで救われた気分になれた。


「それではお話を大きく戻しますが、なぜ転職エージェントを利用されると、転職回数が不利に扱われるか、ということですが、これは転職エージェントのビジネスモデルの問題です。」


「ビジネスモデルですか?」


 安井はめくるめく新事実の連続で頭がショートしそうだったが、頑張ってついていくことにした。


「そうです、端的に言うと採用コストが一番かかる採用手法のため、利用しているのが一部の大手企業や、採用コストをかけられるごくごく一部の中小企業に偏っているため、となります。」


「そういうことだったんですね。」


「同じような理由で、莫大なコストで人を集めるインターネットなどの大手求人サイトでも、足切り基準がある企業に応募されてしまうケースが増えます。恐らく安井様はこれまでは大手求人サイトからご転職されることが主だったのではないでしょうか?」


「おっしゃる通りです。それでこれまでの転職でもなかなか書類選考に通らなかったんですね、、、」


「そうです。逆説的に言ってしまうと、求人サイトに大きなお金をかけてでも、足切り基準を設けられない危ない会社、にだけ書類選考が通っていた可能性がある、ということです。」


「それってようするに、お金をかけても人が集まらないような、それかどんどん人が辞めているような会社にしか書類選考にうかってなかった、ってことですか?」


「残念ながら、、、例外はあるんですが、概ねそのような傾向にあります。厳しい表現ですが、求人サイトの中でもあまり良くない社風の会社にだけ、受かってしまうということです。」


 石原は言葉を選んでくれていたが、平たく言えば求人サイトの中でも質の悪い会社にしか受からない、ということと安井は理解した。だから転職すればするほど、どんどん問題のある社風の会社に入ってしまい、坂道を転がるように心も沈んでいったのだ。ようやくこれまでの失敗の原因がわかったが、1つ気になることがあったので聞いてみた。


「これまでの失敗の理由はわかりました。じゃ、これからはどうすればいいんですか?」


「とても素晴らしいご質問です。」


 今日も石原の決まり文句が出た!と桜井は心の中で思った。

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