第30話 戦前夜

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 小夜の背に乗せられて上空に上がる。赤岩の大地を越えた先にも濃い緑が広がっていた。

 森の中心に四角の平地が見える。整然と区画された敷地。正面の城門を抜けると石畳の広場が見え、奥には角楼を脇に従えた宮殿らしき建物が順々に続く。中央に一際威風を見せる建物を見るが、あれが恐らくは玉座を配した本殿だろう。四方を石の牆壁しょうへきで囲まれた宮城は歴史の教科書で見られるような中国の城に似ていた。

  ゆるりと高度が下がる。小夜は木々の真上を滑るように飛行した。向かい風がハルの髪を揺らすと同時に戦いの緊張を冷ましていく。

 近付くほどにその大きさを増していく城はやがて目を見張るほどの様相を拝ませた。

 これが異界の王の権威か、ハルは猿翁の風体から捉えていた印象を改めた。

 猿翁の居城に降り立つと、ハルらは最奥にある建物に押し込められた。かいがいしく務める召し使いらしき妖怪達から向けられる視線がどこかよそよそしい。彼らの様子から自分達が好まれざる来客であることは容易に理解が出来た。

「豪華絢爛って感じだね」

 感嘆というよりは呆れていた。外見は荘厳を思わせたが中に入ると一転して梁も柱も床までも豪奢な彩色が施されていた。

 派手だがそれらは意味なく煌びやかに装飾されているのではない。見ればどこか宗教的な重々しさが感じられた。

「ただの悪趣味ですよ」

 大刀から女性に姿を戻した騒速が居心地悪そうに目を細める。見知ったように語る彼女は以前にも雨の陰陽師と共にここを訪れたことがあったのだと話した。

「猿翁って何者なの?」

「あの者は西の一角を治める者。異界の王の一人でございますよ」

「異界の王? その内の一人ってことは他にも?」

 うろうろと見て歩く。ハルは部屋中を見回しながらつぶさに尋ねた。

 異界には十二の王がいること。それぞれが四神や四神の長を奉じながら定められた方位に準じて国を治めていること。陰陽五行についても掻い摘まんで騒速は話してくれた。

「つまり、その五行の縛りがあるため異界では国と国との戦争がないと、そういうこと?」

「王の上位に四神らの均衡があります。それに、五行は自ずと循環する。なので五行のいずれかが抜きん出て強くなることがない。そもそも覇を唱えること自体が無意味なことなのです」

「循環?」

「五行が正しく五芒星をなして循環する以上、必ず均衡が取られるのです」

 騒速が指で星を描いて説明する。

「……五芒星?」

 ハルは少し首を傾げる。

 騒速はこちらへといってハルを手招きした。近付いていくと彼女はテーブルの上に置いてあった花瓶から花を抜き、その花弁を一枚ずつ並べて五角を作った。

「あちらでは、木、火、土、金、水の五つの気がこのように五角を成します。こちらでは、土性を中央にして、東西南北に木、金、火、水と位置を定める。そうしてそれぞれの外側に十二の王を配置する」

 騒速は花弁の一枚を真ん中に移動させ四角を作ると、その外側に子、丑、寅と数えて葉を配置した。その上で、順番に力関係を教える。

「水は木に力を与え火を滅する。火は土に力を与え金を滅する、か……」

「異界には相生と相克という絶対律があるので相手を滅ぼし尽くすことは出来ないし、自分達も滅ぼされることはない」

「そういえば、雨の陰陽師は五行を極めていたと聞いたけど?」

 ハルが窺うように視線を送ると、騒速が如何にもと言って頷く。

「雨様は、五行それぞれの力を言の葉に変じて呪術とすることが出来ました」

「……言の葉」

 ハルは、脳裏に浮かんだ文字の羅列を思い浮かべた。

「雨様には、あらゆる呪術を瞬時に読み解いてしまう力がありました」

「それは凄いね」 

 これまでも雨だの何だのと持ち上げられてきたが凡庸であることは自身が一番理解している。だから今も、彼のすごみの一端を聞いただけで辟易とした。そのような超人と比べられていたのかと思えばもう開いた口が塞がらない。

 恐る恐る騒速の顔色を窺うと視線が合わさる。ハルは咄嗟に目を泳がせて逃げた。

「ハル様と雨様を比べているのではありませんよ」

「あ、ああ」

 今更慰みなど、と思いながら曖昧に応じた。随分と手前勝手な言い分だと反発しながら自嘲していた。力があると言われながらも発揮することが出来ない。周囲の期待に応えられず、誰一人の命も救えていない。――全くお笑いである。

 ハルは唇を噛み締める。境遇を承服出来ずやりきれない気分になった。何でこうなる。何で求める。基よりそれに成ろうとは思っていないのに。

「しくじりを数えたとてどうなりましょう」

 騒速の冷えた声がハルを突き放した。ハッと顔を上げて相手を見た。慌てて心を隠すと、応じて騒速が軽く溜め息をつく。心が通じる以上、意図して隠したことは見通されてしまう。

「それよりもさ、騒速は彼らのことを知っていたの?」

 ハルはその場の空気を嫌った。一方的に期待されて出来なければ失望される。それはとても理不尽なことだ。失望させたことを申し訳なく思うが、だからといって、どうすることも出来ない。

「田原藤十郎とその娘の小夜月のことでしょうか?」

「うん」

 やるせないままに答えた。

「彼の者は竜門の守人でありました」

「竜門? あの雨の三宝のうちの一つに纏わる門のことかい? たしか天神地祇免状を受け取るための……」

「そうですね。免状を受け取るための、というのは少し違うのですが、先代雨様の場合に限ってはそういうことになるでしょうか」

「どういうこと?」

「正確には、雨様が通ることを許されたのが東の門、青龍の門のことをいうのです」

「青龍……四神のうちの一柱か」

「雨様は五行の全てを扱えます。ですがそれは何も雨様だから扱えるというのではないのです。そもそも人には属性など無い。人間は無属性なのです。故に人はどの属性にも合わせることが出来るのです。ただし、術を扱う以上は五行の作用に影響を受けます。それにより得手不得手が生じてしまう」

「例えば、何にでもなれるけど、火を覚えたら水が苦手になるってこと?」

「簡単に言ってしまえばそういうことです。五行の全てを扱えるというのは実は相克と相生によって全ての力を凡庸なものにしてしまうのです」

「なるほど、器用貧乏ってことか」

「そういうことですね」

「それでも、雨様は五行の全てを扱えた。もしかして免状とやらが関係しているのかな?」

「察しが宜しいですね、天神地祇免状というのは神の権限の行使を許された者に与えられるもの。雨様は元々は木性を主とする術者でありましたが、異界を旅するうちに神々と縁をもたれ、末に青龍に招かれ免状を授けられて力の行使が出来るようになりました」

「雨様も異界を旅したのか」

「そうです。その旅の折りに出会ったのが守人の田原藤十郎と娘の小夜月です」

 騒速は二人の名を語って目を伏せた。

「騒速?」

「ハル様、私は、所詮は道具。過分に者は申せませぬ。ハル様が否と仰るのならばいつまでも刀の形で眠り続けることを厭いません。ですが――」

 騒速の瞳が潤んだ。遠い昔に置き忘れてきた禍根だけはこの手で絶たねばならぬのだと、彼女は物静かに訴えた。この時ハルは、普段から冷徹を装う外見からは窺い知れぬ厚情な内面を見た気がした。

「騒速、話してくれるかい? 八百年前に何があったのか、雨音女になりそこなった女の話と、それから藤十郎さんと小夜のことについても」

 ハルは騒速の目を真っ直ぐに見つめた。

 騒速は頷き居住まいを正すとゆっくりとした口調で話し始めた。

 そっと椅子を引き腰掛ける。丸いテーブルで差し向かいに座り耳を傾ける。

 過去にどんな悲劇があったのか、黒の娘、揚羽は如何にして呪いになったのか。六つに分けられ彷徨い続けた魂。染まれば邪に落ちるという謂われを持つ黒の魂魄。先の黒鬼事件で死んだ少女も呪いに浸食されて真蛇となった。

 揚羽を八百年もの間、仙里の中で抑えていた騒速。彼女が遠い昔に残してきた悔恨とは何なのだろう。

 無力な自分に何が出来るというわけでもない。それでも聞かなくてはいけない気がしていた。受け止めてあげたい気がしていた。ハルは心に被せたベールを払った。騒速が、驚くように伏せた瞳を持ち上げる。

「……ハル様」

 

 日が暮れて間もなく、猿翁の計らいで宴が開かれた。

 豪勢な料理と酒に果実、舞を見せる女性達の美に見惚れ、情緒的に奏でられる雅楽の音色に耳を澄ます。その振る舞いには惜しげも無い。猿翁はハルらを歓待した。実体を持たないハルに空腹感はなかったが、いざ食してみれば異界の食事は意外と口にあった。

 上機嫌で話す翁に対し朴訥に応える藤十郎。ハルの周囲で掌サイズの小夜がじゃれつくように遊ぶ。翁から話しかけられ、意味も分からず愛想笑いを返す。談笑するもさして重要と思える情報は得られず。猿翁の言葉で心に残ったのは、妖艶なる花園の奥にある梨の果実が実に美味であるということだけだった。

 猿翁の頼みというのは、その果実を持ち帰ることと、猿鬼を襲った土蜘蛛の討伐であった。土蜘蛛如きは如何様にも出来るのだが、梨の園を囲む朱の花園には手が出せないのだと猿翁は話した。聞いて直ぐに無理だと思った。妖気を吸い取る不可侵領域、忌まわしき朱の花園。猿翁ほどの化け物が出来ないことを成せるはずがない。ところが藤十郎は造作も無いといった感じで引き受けた。

 小夜と藤十郎には禁忌に踏み込める曰くのようなものがあるのだろうか。彼らは妖怪の身に墜ちたとはいえ元は竜に属する者だった。竜には特別な何かがあるのだろうか。

 

 深夜、部屋に戻ったハルはテラスから黒い樹海を眺めた。

 眠れないのは翌日の討伐に高揚しているからではない。ハルは騒速から聞かされた悲話を思い返していた。

「ハル様、お休みにならなくてもよいのですか?」

 後ろから声を掛けられる。

「今の僕は妖怪だからね。お腹も減らないし、眠気も来ないんだ」

「それでも休息は必要でしょう」

「どうなんだろう。こちらに来てからずっとあの二人に振り回されてきたから、静かにしていられる今が一番休めているとは思うのだけれどね」

 ハルは総大将として再び戦場に赴くことになった。夜明けと共に出陣する手筈になっている。

 向かうのは血みどろの戦場だ。当然、敵はこちらを殺しに来る。こちらも敵を屠るために刃を向ける。大軍が激突する乱戦の最中に、ハル一人が足掻いてもどうにもならない。それでも、殺しは嫌だ。何か手立てはないものだろうか。敵の戦意をくじき、思惑を潰えさせる手が何か。

 ――次もまた、敵を封じることは出来ないだろうか、もしも蘇生が叶うならば……。

「ハル様、それはあまりに途方も無い考え。くれぐれもご無理をされませぬように」

  騒速が、ハルの心情を読み取って忠告した。

「ああ、そうだね、敵の姿を思い浮かべる事さえ出来ない。数も知れない。猿よりは蜘蛛の方が幾分か与し易いのかなと思うくらいで見通しも立たない。これではね」

 考えた策はあまりに無謀なもの。そもそも、自身が生き残れる保証がない。それに、発揮できる力の底も測れていない。行き当たりばったりの策は無策とおなじである。――でも、わずかでも可能性があるのならば。

「心中は察しますが、此度ばかりは無血での解決は無理かと」

「うん、わかっているよ。それでもね、あれを見せられればね」

 ハルは宴の席で目の当たりにした事実を思い出しながら苦笑した。

 宴も半ばを過ぎた頃だった。猿翁に呼ばれて現れたのは、猿鬼の長と、若い猿鬼。それは小夜に殺されたはずの猿鬼だった。ハルが修復した遺体が生き返っていた。妖怪は身体よりしろが朽ちなければ息を吹き返すと教えられた。

 顔を見れば穏やかで、対峙したときとは別の者のようにさえ見える。猿鬼はハルに向かって傅き助力を請うた。ハルは猿鬼と猿翁から信を得るに至ったことを知った。どうやら群れを一匹残らず封じて生き返らせたことが功を奏したようだ。

 戦いを思えば憂鬱になる。ハルは行き場の無い心を持て余しながら夜空を見上げた。銀の砂をまき散らすように星が満ちていた。

 騒速がゆっくりと近付いて来てハルの肩にショールのような織物を羽織らせた。

「ありがとう」ハルは心配りに感謝し笑みを返した。雨の眷属らの意図は分からない。しかし、寄り添ってくれている彼らの真心は伝わっている。出来る限りのことはやってみよう。

 悪戯な風がテラスに舞い込んで窓張カーテンを揺らす。反射的にショールを手繰り寄せたハルの横で騒速の金の髪がキラキラと風に吹かれた。

 何て美しいのだろう。見つめると彼女は不思議そうに首を傾げた。

「なんでもないよ」

 はにかんで夜空を見上げる。瞬く星々をみてハルは思い出す。そういえば、未だに彼女の願いを叶えられていなかったな、そうだ、この美しいきら星にちなんで「綺羅きら」という名はどうだろうか。気に入ってもらえるだろうか。

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