妖怪に恋した僕と英雄譚② ー黒蝶の翹望ー
楠 冬野
1章 虚ろな花々
第1話 器の少女
-1-
「お婆さま、みてみて、今年もこんなにキレイに咲いたよ」
いたいけな女児が、野に一面の花畑からひょいと顔を出し老婆に向かって手を振る。花々と戯れている稚児は、この落人の里に残された黒鬼の後嗣である。とはいえ、あの残滓のような存在を後継者と呼んで相応しいのかは測りかねる。里を訪れる度に容姿を変ずるあれは黒鬼衆の生き人形といって差し支えない。木偶姫と呼ぶは如何にも言い得て妙である。
「儚いな、実に」
稚児の背丈ほどあるその花の名は、確か……ヒナゲシといっただろうか。
市中の花売りで見かけるものは紅や白など単色のものが多いが、この里のヒナゲシは朱の花弁の内に黒斑をもつ変わり種であった。
黒の者から
花は人界のものではない。怪異の世界に咲く原種は相当に危ないものらしいが、ここに咲くのはあくまでも改良種なので害は為さない。時節に構わず咲き、決して枯れることの無いあれは妖気を放つ化け物である。
里を訪れて見る度に、悍ましき情念のようなものを感じさせる妖花。この美しくも儚い花を見る度に身の毛がよだつ。しかしながら、所詮は草である。殊更に気に留めることはない。それに、仙狸は生来、花を愛でる趣向など持ち合わせていない。なので当然のこと、草花に関心など持てなかったし、謂われを尋ねたことも無かった。
――それでも、この日は何時になく胸に迫るような悲壮を抱かされる。
「長老、あの方が黒様で」
男の曇り声を耳にする。なるほど、来客あってのことで花が騒いでいるのか、仙狸は物珍しさに様子を窺った。老婆の横で難しい顔をする棒立ちの男、落胆しながら女児を見つめる男の目には悲哀の情が浮かんでいた。
無理も無いことだな、仙狸は再び後嗣がはしゃぐ様子を眺めた。一同が揃って目に映すのは余りに薄弱な姿。過酷な定めを背負うにはあまりにも貧弱である。
「――所詮は無常しか無いのだよ」
溜め息交じりに溢し、仙狸は取り囲む花の群れを見る。
ひょろりと細長い茎の先に、和紙で作られたような花弁をもつ朱色の花は、群を成していなければ吐息に吹かれても倒れてしまうのではないかと思えるほど軟弱に見えた。
「――で、あるの。しかしながら、朱に隠れるようにしてしか生きられぬ我ら黒の、恐らくはあれが最後の希望となるであろう」
老婆が押し黙る男の傍らで話す。声に力は無かった。
仙狸のぼんやりとして定まらない焦点が朱を捉える。彼女は指先に触れる花を一輪摘んで持ち上げその花弁を青空の中に浮かべた。
――いま散るも後に散るも変わらない。花はいずれ散るものだ。
仙狸は哀れを胸中に抱き細く息を漏らした。
「……最後、ですか」
男が言葉に無念を滲ませ口を引き結んだ。
「あれからもう八百年あまりが過ぎた。我ら一族の血もいよいよ限界に来ておる」
「我らが滅びると?」
「囚われし力を取り戻せぬでは、それも致し方なしじゃな」
「長老、何か手立ては無いのですか。このまま侍して滅ぶなど」
「無いな、無い。そうであろう
定めを語る老婆が皺だらけの顔を向けて尋ねてきた。
「そうだな。雨がおらぬ以上はどうにもならぬな」
花を投げ捨て仙狸は言い切った。
「しかし御霊集め殿、雨様がお出ましになれば――」
「男よ、雨などはまやかしでしかない。この私をして八百年だ。骨折り探せども手掛かり一つ見つけられなかった」
あれから苦難の八百年が過ぎていた。昔々、仙狸は養い親の
「ですが、伝聞は偽りでもござりますまい。現に貴殿は雨様の神器を持っておられる。その太刀を抜ける者が見つかりさえすれば……」
縋るような男の声色。その執着に厚い忠義を見て同情するも、仙狸は為す術を持たぬ。雨の太刀を所持すれども、それはただ預けられているに過ぎない。
「雨の太刀に行く末を委ねるのは絶望を希望と読み替えるのと同義だよ。太刀に雨は探せぬのだ。いや、そもそも雨など降らぬ。あれは虚ろな語りでしかない。然らばこの呪いを解くことは叶わない。酷な話ではあるが、たとえ収まるべき器の血脈が絶え、黒が行き場を失ったとてそれは叶わぬであろうな」
さざめく花々の中に浮かぶ小岩に腰掛け、群れなす朱色を眺めながら話す。諭されて男は、怒りとも悲しみともとれるような苦い顔を見せた。
銀の髪がそよ風に吹かれる。仙狸は乱れた銀髪を撫でつけたあと胸にそっと手を当てた。
そこには老婆どもの希望が決して偽りではないという証しがあった。ときの彼方で伐たれた黒鬼の力が彼女の胸の中には確かに存在していた。御霊の収集は易いが保持は叶わない。これまで幾度となく挑んだが、忌まわしい呪いを解くことは叶わなかった。
花畑が風に吹かれて鳴く。呆然と立ち尽くす男の失意がどれ程のものであるかは想像するに難くない。既に一族の行く末を見切っている老婆の思いも理解出来た。仙狸とて同じである。尽力するも空しい始末には憤りもだえる思いであった。
視線の先には無垢な笑みを見せる幼子の無邪気。
――哀れな。
その子供の未来には闇しか見えなかった。
「妖者が情けとは……私もまだまだ半端者だな」
失笑を溢す。仙狸は眉根を寄せ胸元をつかみながら奥歯を噛んだ。
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