うず

森宇 悠

がうん

 枕元でアイザワが言うには、こういった病気は近頃流行っているらしい。


「気持ちの病は、伝染りはしないけど流行るんだよ」


 そう言って枕元でスルメを噛み噛み酒をすするアイザワの顔はなんだかぼんやりと揺らいで見えた。


 六畳の、フローリング敷の、私の部屋だ。

 天井まで届きそうな書棚が二本。中身はほとんど無くなっている。

 床に直に置いたテレビがひとつ。

 繋ぎっぱなしのゲーム機が一つ。

 あとは布団とそこに寝る私と枕元のアイザワ、それだけだ。

 我ながら潔い部屋だと思う。部屋の押し入れにも衣類は三日分だけ、それもぽつりとそのまま床に置かれているだけだし、磨りガラスの引き戸を開けてキッチンに出ても冷蔵庫や電子レンジも無い。

 大分多くのものを捨てた。そういう病気だった。


「音楽が聴きたいなあ」


 アイザワの息は酒くさかった。


「手持ちで流せよ……」

「イヤホンからしか流せないんだ。君、オーディオ類はどこにやったのさ」

「レコードごと……処分した」

「あれ全部かい。勿体ない」


 と、ふとそこで何かに気がつき、


「アールヴァンダイクの、ほら、モータウンのやつは?」

「売ったよ。二束三文だった」

「馬鹿な、あれこそ聴きたかったのに」

「いつもあれしか聴かないだろう……」


 アイザワは不満げな息を吐き、やはりスルメを噛む。その噛みっぷりがあまりにも悔しそうだったので、仰向けの胸の内だけで詫びた。

 しかしどうしようもなかったのだ。

 レコードとプレイヤー、スピーカーの類いを一斉に処分した時は、そうせざるを得ないというような心境だったのだから。


 ある日突然、自分の部屋にモノが溢れていることが許せなくなった。


 レコード、オーディオ、書籍、写真集、ゲーム、DVD、CD、服、カバン、弾けないギター、ベッド、デスク、壊れかけのソファ、ポスター、めくり忘れたカレンダー……。


 そういったモノが部屋の中を家主の私以上に占有しているということに耐え切れなくなり、手当たり次第に捨てた。

 捨てに捨て、一旦は落ち着き、それでも手元に残った幾つかの品々と暮らしている内に、またムラムラと、さて捨てようさあ捨てようという欲望が渦巻き始めたころ、今度は急に気持ちが萎え、一転して布団から出るのも億劫になった。

 以来、ここ一週間ほど臥せったまま、ただがらんとした部屋に空しく息の音だけを放り投げていた。


「スミダは君よりもひどかったなあ。布団も捨てて、床の上に直接寝てた」

「……そうか」

「流行ってるんだ。次々に捨てて、次々に臥せる。次々に見舞いに行っているが、みんなぼんやりとした顔をしている」

「俺もそういう顔をしてるか」

「している。と言っても君は元々ぼんやりした顔立ちだから、そこまで差はない」

「黙れ」


 不思議なもので、一人でいるとただ寝るのも億劫なほどだったはずなのに、枕元からいつも通りの気に障る言葉を投げられると枯れていたはずの感情というものが腹の底からぐらぐら湧いてくる。

 次第に起き上がれそうにも思えて来るが、アイザワが黙るとその気分も消えてしまう。

 一日それを繰り返し、世話を焼くでもなくただ酒を飲んで益体もない話を勝手に喋っていたアイザワがいつの間にか帰ってしまうと、もう気分が湧きたつこともなかった。


 がらんとした部屋に、ひとり。


 寝返りを打って布団が擦れるのさえも煩わしい。


 とにかく億劫だった。



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