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……まだ胸のドキドキが治らない。


本当に、私、あの人と知り合いになれたんだ。

振り返ると、確かに、あの人事務所がある。

夏の夕暮れが眩し過ぎて目が痛い。

痛い……夢じゃない。


『絶対に忘れない』


一応、場所の写真も撮っておこ(カシャリ)。

……、

……でも、やっぱり不思議だ。

私は、スマホで『妃探偵事務所』(+市の名前)で検索。

……他県の同名の場所は出るけど、ここのは表示されない。

色々ワードを変えても同じ。

ホームページすらない。

誰もが滅多にお世話になる場所では無いけれど、だとしても『誰も知らな過ぎる』。

場所だって、人通りもそこそこある市内なのに……アレだけ存在感のある人なのに。

……まぁ、クノミさんも言ってたな、『他言無用』って。

目立ちたくない事情があるのだろう。


名残惜しさはあったが、私はその場を後にし、家に帰る。


——そして、夜。


「はぁ……なんか……疲れた」


ちゃぷちゃぷ

昨日まではお風呂でも気が抜けなかったから、本当に、今はゆっくり出来てる。


天井の四隅から視線を感じないし、

シャワーしてる時も背後から人の気配がしないし、

『だるまさんがころんだ』って子供の声もしないし、

蛇口から赤い水や長い髪の毛がゴポッと出てこないし。


普通の生活って、こんなに素晴らしい物だったんだなと、再確認。


「ふぅ」


まるで、今までの事が全て『夢』だったんじゃないかって、思う。

霊が見えてた時も誰一人友人に相談しなかった……というか、意味が無いと思って出来なかった。

だから、明日からは普通の学生生活に戻れる。


「……普通」


そう、普通になった。

だからもう、『普通じゃ無いあの人』に会いに行く理由が無くなってしまった。

ただ遊びに行っても、私を受け入れてくれるだろうか?

多分、クノミさんに門前払いされるのがオチだ。


「……クノミさん」


学校ではぶっきらぼうな彼女も、あの人の前では、普通(?)の女の子だった。

彼女の口振りからほぼ同棲状態なのだと窺えるし、彼女が、学校が終わればすぐに帰る意味もよく分かる。

実はあの人が『男性だった』というのには心の中で驚いたけど、元々性別を超越した美しさだったし、すぐに納得出来た。

羨ましい事この上ない……が、毎日となると『あの人成分の摂りすぎ』で廃人になりそうだ。


あの人は——劇薬だ。


だから、再会を許されたとしても、会いに行くのは定期的で良いと答えるだろう。

色んな意味で、何故、彼女はアレだけ近い距離に居られるのだろうと疑問に思う。

クノミさんも、元は『依頼人』だったんだろうか。


「……また会えるかなぁ」


もし、今日が最初で最後だったら……これなら、まだ——


「ッ!」


私は、今、『何を考えた』?


「ふぐっ!」


反射的に口を塞ぎ、その勢いでバシャンと湯船からお湯が溢れる。

『それ』を口には出すな。

……一瞬、私の頭の中をかすめた『良くない理想』。

『また見えるようになれば、会う理由が出来る』

思っても、絶対に口には出すな。

『言霊』とは、そういうものだと学んだから。


——風呂から上がり、体と髪を乾かした後、自室へ。

すぐにベッドに倒れ込む。


「……はぁ」


今日何度吐いたか分からない溜息。

もう、今日も終わる。

後にも先にも、今日以上に心臓がドキドキする日は来ないだろう。

明日以降も、あの人と会えたなら、更新の余地もありそうだけど。

……いっそ。


『知らなければよかった』


なんて、思ってしまう。

怖い目に遭ったから、あの人と出会えたけど、

それが無ければ、出会う事も無かった。

……明日はどうしよう。

普通に登校して、普通に勉強して、普通に放課後は友達と遊ぶ……望んでいたそんな普通の生活に戻れるだろうか。

ひょっこり、あの事務所に行っても平気だろうか?

怒られるのを覚悟すれば、あの人に会える。

リターンの方が大きい。

だったら——。


「瓏……さん……」


恐れ多くて呼ぶのも憚られたその名を漏らすと、胸の中がほぉっと温かくなって。

私の意識は、心地良く落ちていった。



……

……

……


パンッ

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