第210話 またトラブルの予感
「……ケイちゃん」
沙庭が不安そうに釈迦原の名を呼ぶ。無理もない。俺から見ても、今の釈迦原はどうもおかしい。
何がおかしいって、あの男嫌いの釈迦原が、男に親友をたった一人で預けた状況がだ。これまでの態度から見ても、絶対にそんなことを許容できる奴じゃなかったはずだ。
それなのに……。
「あ、あの鳥本さん!」
「……ああ、行っておいで。俺は逃げたりしないよ」
「! ……ありがとうございます!」
深々と頭を下げた沙庭は、クルリと踵を返すと、去って行った釈迦原を追いかけていった。
さて、逃げたりしないとは言っても、これからどうしたものか。
するとそこへ……。
「――鳥本様」
俺に声を掛けてきた者がいた。
視線を向けると、そこには小百合さんの直属の護衛役である青頭巾を被った女性が立っていたのである。
ただその人は、俺をここへ連れてきた人物や、よく信者に注意をする人じゃなく、いつも物静かに現場を見極めていたもう一人の方だった。
「あなたは……」
「そういえば申し遅れました。私は教団の幹部が一人――蒼山奏と申します」
「その蒼山さんが何か?」
「……実はあなた様には御内密にお話したいことがございまして」
……あれ? 何だかこのシチュエーション、覚えがあるなぁ。
敵地の中で、そこそこ権力を有している人物からの内密な話。
……ああ、ラジエの爺さんの時と同じか。
けど……。
俺は冷たい瞳でこちらを見ている蒼山を見て、ラジエの時とは違う印象は受ける。
何せ蒼山を俺を見る目には、一切の温もりがないからだ。同じ人間を見るような目では決してないだろう。
あの王坂や流堂のような、見下すようなものでもない。ただただ……そう、異質なものを見る目つきだ。自分とは違う。バケモノでも見るような、その存在を認めていないような。
きっとコイツもまた男という生物を信じていないし、この世から消えてほしい存在だと思っているのだろう。
それなのに男と内密な話とは……。
……こいつはまた厄介事なんじゃねえだろうな。
俺は内心で溜息を漏らしながら、話の続きを聞くことにした。
「内密の話、ですか?」
「はい。しかし今は人目につきますので、また夜にでも伺わせて頂きます。よろしいですか?」
「……了解ですよ」
女は「では」と言うと、そそくさとその場を去って行った。
〝シキ、どう思う?〟
〝危険な香りがプンプンと。何せ殿はトラブル発生装置ですから〟
〝だよなぁ。……って、それは言い過ぎじゃないか? てかもうこのまま逃げた方が安全そうだが〟
〝それがしは早々に離脱するのを推奨しますが〟
〝ただ今度の会談が終わるまでは待機していたいしな〟
せっかく儲かりそうな案件なのだ。このまま手放すのはもったいない気がしてしまう。
〝しょうがないか。夜……って言ってたな?〟
〝はい、そのようで〟
〝とりあえずは話を聞いてみることにしよう〟
先のラジエの件もあって、もしかしたらさらに大金が関係する話かもしれないし。ここは大人しく夜まで待って、彼女から話を聞こうと判断した。
そして俺は再び一人になったが、そう言えばと、医務室へ向かった二人が少し気になった。
暇潰しがてら、ちょっと様子を見に行こうと建物の中へと入る。
医務室の居場所は、一応沙庭たちに教えてもらっているので、真っ直ぐそちらへと向かう。
すぐ目の前に医務室が見えたその時だ。
「――待ってよケイちゃん、今……何て言ったの?」
震えるような声音が、少し開け放たれた扉から聞こえてきた。沙庭の声である。
俺は何やら取り込み中だと思い、中には入らずに壁を背にして耳を澄ませた。
「だから……ここから出て行きなさいって言ってるのよ」
やはりお相手は釈迦原らしい。
それにしてもここから出てけとは、医務室のこと……だよな?
「何で? 何でそんなこと言うの?」
「じゃあアンタはいいの? 男を殺せるの? これから戦争が始まるのよ?」
「そ、それは……」
む? 戦争の話をしてた? 一体どんな話の流れなのかいまいち掴めないな。
「今までとは違う。相手は大規模なヤクザ。多分今度は総力戦になる。たとえ『イノチシラズ』や『平和の使徒』と組むことになっても、数じゃ絶対的に不利だもん」
確かに釈迦原の言う通りだ。調査によると『宝仙組』だけならともかく、彼らには横の繋がりがある組が多い。それにその気になったらチンピラを集めることだってできるだろう。
下手をすれば一千人規模の兵を用意してくるかもしれない。
対してこちらは、三つの勢力を合わしても二百から三百。温存できる余裕はなく、全戦力を投入することになるだろう。
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