第208話 雲の上の庭園

 遥か上空。地上から約一万メートル以上もの場所に浮かぶ巨大な雲の塊。雲では普通有り得ない揺らぎ方を見せながら空を移動していた。




「ほう、よもや【マンタの雲庭園】までもがこちらに来ていたとはな」




 その白い雲の上に立っているのは、先日【エルロンド】において姿を見せたヴォダラだった。傍にはローブに包まれた『呪導師』の姿もある。




 まるで雲が実態しているかのように歩を進めていき、少し高台へと立つ。


 そして眼下に広がる光景を見て鼻を鳴らす。




「フン、相変わらず忌々しい光景だ」




 ヴォダラの視界に飛び込んできたのは、まるで緑の絨毯とも呼ぶべき芝生が広がった場所で、色とりどりの花々が咲き誇っている。




 また腕の立つ庭師が手入れしたような草木などが生い茂り、美しい池には楽しそうに魚たちが泳いでいる。




 まさに情緒溢れる緑豊かな庭園そのものなのだが、ヴォダラは不機嫌そうに顔をしかめていた。


 そしてそのまま立ち尽くした体勢で口を開く。




「くだらない場所だ。お前もそう思わないか――――――ガリブ?」




 彼の視線は庭園に向いたままだが、その言葉は背後に立つ巨大な人影に向かって放たれていた。




「ここに何の用だべ――ヴォダラ?」




 努めて冷静さを保った声音ではあるが、ガリブと呼ばれた巨人の顔は怒りに震えたような表情をしている。今にも爆発してヴォダラに襲い掛かりそうな雰囲気だ。




「まあ、そう邪険にするなガリブ。初の異世界回遊だ。祝いに来たのだよ」




 そう言いながら、懐からワインが入った瓶を取り出す。




「そんなもので今更オラがおめえを許すと思うんだべか?」




 ガリブの身体からバチバチバチと放電現象が起こり始める。




「おー怖い怖い。別にここを荒らしにきたわけじゃない。……前みたいにな」




 最後の言葉を受け、さらに怒りのボルテージを上げるガリブ。それに比例して放電も激しくなり、それが離れているヴォダラにも飛ぶ。


 しかしヴォダラは難なく回避して不敵な笑みを浮かべる。




「ここで会ったが一千年目、おめえはここでオラが始末するど!」


「だから落ち着け。それにここで俺と暴れていいのか? お前の大切な庭園が……いや、マンタ雲そのものが消えるぞ?」


「っ……!」




 ヴォダラの発言に、悔し気に歯を食いしばるガリブ。


 どうやらヴォダラは争いに来たわけではないらしいが、それでもガリブは一切警戒を緩めない。




「だったら何をしに来たべ?」


「言っただろ。祝いだと。受け取れ」




 ヴォダラが投げたワインだが、ガリブはハエを追い払うように手を動かして瓶を砕き割ってしまった。




「おいおい、一応ビンテージものなのだがな」


「おめえと慣れ合うつもりなんてねえべ。用がねえならこっから立ち去るか、それとも死ね」


「辛辣なことを言うな。別にこちらに他意はない。ただ……挨拶をしておこうと気まぐれを起こしただけだ。たまたまお前がこっちに来ているのを見かけてな」


「……やっぱこの状況を作ったんはおめえか、ヴォダラ?」


「さあ……どうだろうな」


「相も変わらず自分勝手だべ。おめえのしたことでどんだけの生き物が苦しむか、おめえは本当に理解してねえ」


「何故他人を慮る必要がある? 他人なんてしょせんは自分以外の命だ。親だろうが恋人だろうが友人だろうがな。誰だって自分が中心だ。己が可愛くて可愛くて仕方ない。だから平気で人を裏切る」


「ヴォダラ……おめえ、まだあん時のことを……!」


「いいや、それはただのきっかけに過ぎない。元々俺がどんな人間だったか……知らないわけじゃないよなぁ、ガリブ。いや…………兄弟」




 とんでもない言葉がヴォダラから発せられた。




 どう見ても姿形が違う二人。片や少々体格は大きいものの、普通の人間の容姿を持ち、片やもう一人は身長など軽く十メートル近くはあろうかという巨人だ。




「もう兄弟じゃねえべ。おめえが自分の口であの時言ったことだ!」


「……ああそうだな。お前にはお前の。俺には俺の道ができた。俺は必ずあの夢を取り戻す。そのためだけに今まで耐えてきたのだ」


「っ……やっぱおめえの目的はそれか? ならやっぱここでオラがおめえを仕留める! それが兄弟だったオラの義務だべ!」


「フン、こんな小さい箱庭に縛られてるお前がに何ができる」


「ここでおめえを殺すだ! うおぉぉぉぉぉぉっ!」




 ガリブの跳躍。その巨体が、頭上からヴォダラへと迫って来る。




「――《落雷撃イズナル》!」




 全身から放電させながら、まるで雷が落ちるかのような鋭い動きでヴォダラに襲い掛かる。




 ――バチバチバチィィィィィッ!




 雲の上に落下したせいか、地面程の衝撃力はないが、それでも激しい放電が周囲に迸り、落下した部分の雲が焦げてしまっている。


 しかし目標だったヴォダラの姿はそこにはない。




「くっ、どこ行ったべ!」


「――ここだ」




 背後から聞こえてきたヴォダラの声に、振り向き様に右拳を繰り出すガリブ。拳自体は届かないが、突き出された拳から雷撃が放たれる。




 ただその雷撃も虚しく空を切り、今度もまた背後から気配を感じ取ったのか、ガリブは凄まじい殺気を漲らせながら振り向く。今度は攻撃を繰り出さずにである。




「……お前ではこの俺に勝てない。昔も……今もな」


「それはやってみねえと分かんねえべさ! ――《雷霆監獄ボルガッチ》!」




 空に向けて雷で構成された塊を放ったガリブ。その塊が二人の頭上で弾け、一気に広がり、ヴォダラとガリブを包み込む鳥かごのように逃げ場を塞ぐ。




「ふむ。さすがは【マンタの雲庭園】の管理者にして、かつて『雷神』とまで呼ばれた男だ。どうやらあの頃から劣っていないようだな」


「おめえも知っての通り、この雷の檻に触れると一瞬にしてあの世行きだべ。おめえはぜってー逃がさねえ。ここですべての決着をつける!」


「ククク、勇ましいことだ。……なあガリブ、すべてを捨て、俺のもとへ来い。その力を俺のために使え」


「ふざけるなぁぁぁぁぁぁっ!」




 弾かれたようにヴォダラへと突撃するガリブ。動かないヴォダラに向かって巨岩のような拳が放たれる。


 だが直撃寸でのところで、またもやヴォダラが霧のように消失してしまった。




「くっ、今度はどこだべか!?」




 しかし周囲を見回すものの、ヴォダラの姿は見当たらない。




「バカな……どこから逃げて……!?」




 この技に絶対の自信があったのだろう。しかし容易く突破されてしまい困惑している。


 するとどこからともなく、ヴォダラの声が聞こえてきた。




〝ガリブよ、その時は必ず訪れる。俺を阻む者はこの世に存在しない。俺は成し遂げる。かの夢をな。そしてその時を迎えて、俺は初めて実感できるだろう。……生きている意味をな〟




「ヴォダラッ!」




〝お前はいつまでも小さな世界で満足していればいい。ではな……兄弟〟




 その言葉を最後に、ヴォダラの気配は消えた。


 そして残されたガリブは、雲の地面を怒り任せに叩き、悔しさで打ち震えている。




「……ヴォダラ……ああそうだべ。確かにオラには何もできねえど。けんどなぁ……きっと世界が黙っちゃいねえ。いつか必ず、おめえを止める力を持ったヤツが現れるべ。きっとな……」




 ガリブの声だけが、物寂しくその場に響いていた。




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