-竜鎧-

才藤かづき

第1話

――思えば、これまでの俺の人生はとても空虚なものだった。

何か目標があるわけでもなく、押し寄せる波になんとなくで流されるだけの人生。

きっとこれから先もそうなのだろう。波間で揺れる水泡のように、何の意味もなく水底に帰していく。

結局それを自分1人で変える事は出来なくて、諦めたように消えてゆくのだろう。


*


「ありがとうございました~」


 やる気の無さそうなコンビニ店員の声を聞き、ビニール袋を持った1人の青年が出入口の自動ドアをくぐる。

 彼は車や電車の騒音に紛れて、すぐ近くから聞こえる誰かの話し声を耳にする。説明会ががどうなどと、駐車場で談笑しているスーツ姿の若い男女を横目で少し見る。


 彼は、「そういえば、もう就活解禁してるんだっけ」と、視界の端に映った自身の赤茶色の髪を見ながらそう呟く。

 大通り沿いを歩きながら、未だに休み気分が抜けていないままの頭を働かせる。季節は春、遅咲きの桜でさえ既に散り始めている4月の下旬。

 当然、彼が現在通う私立大学でも、入学式はおろか在学生の始業式も終わり、平常通り講義が始まり、4年生に至っては就職活動で西へ東へ飛び回る時期に入っている。

 しかし、彼はこの時期になっても大学に行かずに、他の就活生を見てそれを思い出すほどに堕落した生活を送っていた。


 彼は大通りを外れてそのまま歩みを進め、都会の喧騒から遠ざかり閑静な住宅街に入ってゆく。時刻は18時前、日の入り前の朱い光が隙間なく建ち並ぶ家の外壁を染めている。

 その住宅街の外れに、彼が現在住んでいるアパートがあった。薄い黄色のを一瞥し、駐輪場横の階段を上り、一番奥の部屋へと歩き、鍵を開けて中に入る。


「ただいま」


 彼の帰宅時の挨拶が10畳ほどの部屋に流れるが、それに返事をする声は聞こえなかった。彼はこの部屋で、独り暮らしをしていた。

 彼は、部屋の奥へと進むと手に持っているビニール袋を机に置き、小さな台の上に置いてある仏壇の前に座り、慣れた手つきで線香をたき目を閉じて手を合わせる。部屋に線香の匂いが微かに広がる。


 合わせていた手を戻し、彼は長く息を吐く。立ち上がり、部屋の中央に置いてある机の横に胡坐を搔いて座り直す。


「いただきます」


 彼は袋から既に冷め始めているコンビニ弁当を取り出し食べ始める。スマートフォンを100均で買ったスタンドに置き、動画サイトで適当な動画を流しながら箸を進める。

 画面の中では、世間だとかなり人気の人物が、2人で笑い合いながら何かを楽しそうに語っている。そんな動画を見ても、食事によって空腹が満たされても、彼の顔は無表情のまま変わらず、時折小さくため息を吐くばかりだった。

 弁当を平らげた後も座ったままスマートフォンを眺め、彼が気付いた頃には時刻は24時を回っていた。緩やかな眠気が彼を襲う。


 彼はそろそろ寝ようと思い立ち上がり、ベッドの方へと移動する。風呂や着替えも面倒になり、そのまま仰向けに寝転がる。彼の前髪が目にかかり、それを鬱陶しそうに払い除ける。

 そろそろ何か行動を始めた方が良いのではないか、と彼は思考する。就職活動が始まり、そしてもうすぐゼミも再開され、卒業論文の作成もしなければならない。

 学年が上がってゆくにつれて疎遠になっていった友人達も、今はスーツを着て走り回っているのだろうか。せっかく大学に入り、後1年の所まで来たのだから、せめて卒業までは頑張るべきなんじゃないだろうか。

 彼は目を閉じながら色々なことを考える。


「……とりあえず明日、髪染めよう」


 最後にそう独り言を呟くと、彼の意識は眠りへと落ちていった。



*


「はじめまして、── ─ 君」


 ふいに優し気な声に呼ばれたような気がして、彼は目を開けた。


「え?」


 目を開けた彼が見たのは、辺り一面真っ白な世界だった。そいて、彼の前には、先ほど彼の名を呼んだであろう何かが立っていた。

 彼の目からは、自身の名を呼んだそれが何なのか、灰色の霧のような影がかかり、輪郭さえも捉える事は出来なかった。

 ゆらゆらと揺れているそれは、困惑し固まっている彼をよそに、女のような声で彼に語り掛ける。


「突然のことで困惑しているのはもちろん分かっているわ。でもあなたに聞いて欲しいことがあるの」


 それが彼に語りかける。彼はその得体の知れないものの正体を探るために近付こうとする。しかし、上手く前に進むことが出来ていない。彼の身体は目の前のそれと同じく、灰色の霧がかかり、輪郭が曖昧になっていた。


「これから先の未来、あなたは大きな壁にぶつかることになる」


 自身の身体を動かすことも出来ずに、言葉が出ないでいる彼をよそに、それは言葉を続ける。彼はそれが語った言葉を飲み込もうとするが、何を言われているのか全く理解出来ていない。


「でも心配しないで、私がついているから。 私は、あなたの幸せを願っているわ」


 そう語った声は、悲しそうにも、嬉しそうにも聞こえた。彼は何故か、その言葉から慈愛に満ちた暖かなものを感じた。


「こ、れは、夢?」


 やっとの思いで言葉を発する。自分はおかしな夢を見ているのか、もしかすると自分の精神は少し疲れているのかもしれない。早く目覚めてしまおう。朧げな意識の中で彼はそう考える。


「夢じゃないわ、すぐにわかる。でも、もうすぐ時間みたい」


 夢じゃない、彼へとゆっくりと近付いて、灰色の揺らぎがそう告げる。霧の形が変わり、彼の方へと伸びて来る。彼は自分の頬を撫でられているような感覚を覚え、それがどこか心地良く、そして穏やかな気持ちになり、ゆっくりと意識が薄れてゆくのを感じる。


「それじゃあ、また会いましょう」


 それが別れの言葉を告げた時には、わけもわからないままその言葉を聞いていた彼、素留もとどめ よう の意識は、再び深い眠りの底へと落ちていった。  

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