エピソード 2ー4 大事なのは建前だというお話
グランシェス家の応接間。リズはソファに座る俺の腰にしがみついている。それを見下ろすクレアねぇの瞳は冷ややかだった。
「随分と、楽しそうにしてるわね……」
ちなみに前回に続いて二回目のセリフである。それで我に返ったリズは慌てて俺から離れて立ち上がる。
けど、慌てていたのはその瞬間まで。リズは優雅にスカートの端を摘んで膝を曲げた。
「初めまして、クレアリディル様。わたくしはリズと申します。本日は急な申し出にもかかわらず、お時間を頂きありがとうございます」
よどみのない口調で挨拶を続ける。そこにどじっ娘の面影は残っていない。この光景を見れば、クレインさんの紹介で入学してきたって言うのも頷ける。
こんなのを見たら、ただのドジっ娘って言う認識は改めなきゃいけないな。リズはただのドジっ娘なんかじゃない。凄く育ちが良いドジっ娘だ。
なんてどうでも良いことを考えている間に二人の挨拶が終わる。
「それで、リズ様はあたしに相談があるとのことですが、その前に一つお聞きしてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんですわ」
「ならお聞きしますが、あたしが来た時、随分と楽しそうにしてましたね。一体、なにをしていたのですか?」
ピシリと場の空気が凍り付いたような気がした。
これはマズい、非常にマズい。クレアねぇが嫉妬とかあんまり記憶にないけど、アリスの例もある。身内は良いけど、それ以外はアウトって可能性は否定出来ない。
リズの頼みがなんなのかは知らないけど、さすがにさっきのやりとりのせいで断られるなんて事態になったら可哀想だ。
どうするべきかな? アリスの件を踏まえて、唐突に『リズは俺の妹にする予定なんだ!』と切り出すとか?
……意味不明すぎる。そして普通に火に油を注ぐ結果になりそうな気がする。それで『それなら良いよ』とか言うのはアリスだけだ。
……アリス、だけ……だよな?
――と、俺は必死に考えていたのだけど、
「リオさんが帰ろうとしたので、引き留めていたんですの」
リズはクレアねぇの変化に気付いた様子もなく答えた。もし空気に気付いた上での発言なら大物だけど、たぶん素で言ってるだけだろうな。
「帰ろうとしてって……どういう意味?」
クレアねぇが俺に説明を求めるような視線を向けてくる。
あんまり印象が悪くなるのも可哀想なので、込み入った話みたいだし、俺は聞かない方が良いと思って、帰ろうとしたんだと答えておく。
「なるほどね。つまリズ様は、おと――リオくんを頼ろうとした訳ですね?」
「えっと……そうですね。そうだと思いますわ」
「では、それはどうしてですか? 貴方の目的はあたしに会うこと。ここに来た時点で、彼は用済みだったのではないですか?」
なにそれ酷いって思ったんだけど、リズは俺がグランシェスの当主でクレアねぇの弟だと知らない。目当てがクレアねぇである以上、確かに俺は用無しだろう。
「そう言えば……何故でしょう? なんとなく頼りがいがあると思ったんです」
「……そうですか」
なんでもない風を装うクレアねぇ。だけど俺には判る。弟である俺が褒められてむちゃくちゃ嬉しそうだ。リズは天然でバッドエンドを神回避だな。
「それで、あの。クレアリディル様。ご相談があるのですが」
「そう、ですね……まずはお話を聞きましょう。ですがその前に、あたしのことはクレアとお呼び下さい」
「クレア様、ですね」
「いえ、ただのクレアで結構ですよ」
「いいえ、クレア様。ここに居る限り、わたくしはただの生徒ですわ。だからどうかその様に扱って下さいまし」
「……判ったわ。それじゃリズ。話を聞かせてくれるかしら?」
今のやりとり、リズって伯爵家より上の地位なのかな? もしかしてクレイン侯爵の親戚とか、もしくは他の侯爵家の娘とかなのか?
なんて考えてる間に、リズが相談内容とやらを話し始めた。
その話を纏めると、リズは勝手に決められた婚姻が嫌で、家を飛び出してきたらしい。
だけどこのままじゃ連れ戻されるのは必至。なのでクレインさんのツテを頼ってミューレ学園に入学、なにか結果を残して自立しようという話らしい。
クレアねぇに面会を求めたのは、その協力を仰ぐためのようだ。
率直に言って、非常に厄介な話である。
だって、さっきの会話だけでも、リズはうちと同等以上の家柄の可能性が高い。そんな女の子の家庭事情に関わる。
うちと同等以上の誰かと敵対するハメになるのは目に見えてる。
俺が周囲の人に幸せになって欲しいのは、大切な人達が過ごしやすい環境を作るためだ。アリスの学園生活を蔑ろにしてまで、周囲に手を貸そうとは思わない。
だけど……だけど、だ。
よりにもよって政略結婚。
俺もクレアねぇも、親が勝手に決めた婚姻で苦しんだ経験がある。今のリズがどれだけ苦しんでいるか想像出来てしまう。
さてさてどうしたものか……と考えていると、クレアねぇが口を開いた。
「一つ聞きたいんだけど……リズ、貴方は婚約者のことをどう思ってるの?」
「慕っていますわ。けれど、それは恋愛感情ではありませんの」
「なるほどねぇ……うちとは逆なのね」
クレアねぇがぽつりと呟くけど……逆ってなんだ? 父とキャロラインさんの関係とか? でもあれは、結局両思いだったよな。
なんて考えてるうちに、リズが話を進める。
「クレア様もわたくしと同じような境遇でありながら、自分で成果を上げて今の地位についたとお聞きしましたわ。ですからどうか、お力を貸して下さいまし!」
「独り立ちするためになにか成果を上げたい、ね。そういう事情なら、残念だけどあたしは力を貸せないわ」
「――っ、そう、ですか……」
そこまであっさり断られると思ってなかったのだろう。リズは哀しげに俯く。
でも意外だったのは俺も同じだ。どうしてと口を挟もうとする。けど、クレアねぇはそんな俺を視線で押しとどめた。……なにか考えがあるのか?
「あのね。あたしも貴方の力になってあげたいと思ってるのよ? けど、あたしが手を貸して貴方が成果を上げたとして、家の人はそれを貴方の成果だと認めてくれるかしら?」
「それは……そう、ですね。恐らくは認めてくれないと思いますわ」
そっか、そうだよな。
リズに成果を上げさせるのは簡単だ。俺が知る知識の一つをリズに使わせてあげれば良いだけだから。
けどそれじゃ、周囲は誰もリズの能力だとは思わない。少なくとも、リズが自分で成果を上げたと周囲に思わせるだけの過程が必要だろう。
「それとね、リズ。誤解してるようだから言っておくけど、あたしが周囲から成果を上げたと評価されているのは、自分の実力なんかじゃないのよ?」
「……え? ですが、ここまでグランシェ領を大きくしたではありませんか?」
「それはあたしの力じゃないわ。あたしは、ある人から成果を貰っただけよ」
「そう、なんですの?」
「ええ。その人はね、あたしが政略結婚を嫌がってるって知ってたの。だから、あたしに成果を上げさせてくれた。世間じゃあたしが凄いって話だけど、本当はあたしなんて大したことしてないのよ」
……クレアねぇ、そんな風に思ってたのか。
確かに多くの人は、クレアねぇが色々な技術を開発した思って褒め称えてる。そしてそれはクレアねぇの功績じゃない。それは事実だ。
だけど、クレアねぇはそれ以外の分野で本当に良くやってくれてる。俺でもアリスでも、こんなに上手くグランシェス領を治められなかっただろう。
それは間違いなくクレアねぇの功績だ。……と言っても、納得しないんだろうな。まあ、その話は後だ。今は二人の会話に耳を傾けよう。
「だからね。貴方が誰かに協力を求めるのは間違ってないと思うわ。けどそれはあたしじゃダメ。周りが貴方の成果だと認めてくれないからね」
「つまり、私が主体となれる協力者を探せという意味ですの? ですがわたくしには、その様な知り合いは……」
「居るじゃない。同じ学生で、貴方に協力してくれそうな男の子が隣に」
――ぶっ。あ、あぶねぇ。思わずむせるところだった。
いや、確かに間違ってない。間違ってはないよ?
俺はただの学生。リズと一緒になにか成果を上げても、問題なく二人の、もしくはリズの成果だと皆は思うだろう。
だけどな? 俺の正体はグランシェス家の当主にして、グランシェス領が誇る技術を提供した片割れだ。そんな俺が協力者って……良いのかなぁ。
「リオくん、リズの手伝いをしてあげてくれないかしら? それはきっと、貴方にとってもマイナスじゃないと思うのだけど」
……ふむ。マイナスじゃない、ねぇ。プラスだと言わない辺り、なんとなく事情を察した気がしないでもない。
俺の今の目的は、アリスに穏やかで幸せな学園生活を送って貰うこと。クレアねぇはそれを知った上で、マイナスにならないと言った。
逆に言えば、リズの件を放っておくと問題が起きて、アリスの穏やかな学園生活に支障が出る――って意味なんだろうなぁ。
「リオさん、わたくしからもお願いします。協力して頂けませんか?」
俺が黙っているから流れが悪いと感じたのか、リズが俺に頼み込んでくる。なんか必死な感じが伝わってくるけど……どうして俺にそこまで頼むんだろうな。
「乗り掛かった船だからな。協力するのはやぶさかじゃないけど……ホントに俺で良いのか? 俺のこと、なんにも知らないだろ?」
「確かにわたくしはリオさんをあまり知りません。ですが、グランプ侯爵様が紹介して下さったクレア様のお奨めですから」
「クレア様の意見を信じるって?」
「ええ。それにわたくし、こう見えても見る目はあるんですよ?」
かつてのクレアねぇと同じような状況で、同じようなセリフを口にする。そんな風に言われると放っておけなくなるじゃないか。
……まぁ良いか。なにか成果を上げる手伝いをするだけなら、大した手間にならないだろう。アリスのためにも引き受けた方が良さそうだし、クレアねぇの頼みでもある。
取り敢えず、出来るところまで手伝ってみよう。
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