エピソード 3ー4 これからのこと

 グランシェス領に新たに造られたミューレの街。

 その中心にあるグランシェス伯爵のお屋敷の、更に一番奥にある執務室で、憐れな子羊が女帝に睨まれて震え上がっていた。

 ……いや、クレアねぇに睨まれた俺である。


「あたし、言ったわよね? 面倒なことになるから、ロードウェル子爵家とは正面からやりあっちゃダメだって……言ったわよね?」

「き、聞いたような、気がします」

「だったらどうして、精霊魔術で吹き飛ばしたりしたのかしら……?」

「ご、ごめんなさい」

「あたしは、理由を、聞いているんだけど、なぁ?」

「そ、それは、その……ティナが殴られたのが許せなくて……」

「そうね。あたしだってティナが殴られたのは許せないわ」

 感情の読めない表情を浮かべていたクレアねぇの顔に、微かな怒りが浮かび上がる。それを見た俺は、同意してくれると勢いよく口を開いた。


「クレアねぇもそう思うだろ!?」

「そうね。でも、だからって、正面からやり合う必要はなかったはずよね? いくらティナが殴られたからって、貴族を殴ればこっちが悪人扱いされる。それくらい判るでしょ?」

「あうぅ……」

 少女に説教されて項垂れる俺。

 外見的には十二歳と十一歳なので微笑ましい感じかもだけど、俺の中身は三十年くらい生きてるから凄く情けない。俺は一体なにをやってるんだろうと自己嫌悪に陥っていると、クレアねぇが小さなため息をついた。


「あのね弟くん。あたしは弟くんに感謝してるし、信頼もしてるわ。だから弟くんが本気で真正面からやり合うつもりなら、あたしは口出ししたりしない」

「そう、なのか?」

「ええ。でも今回は違うでしょ? グランプ侯爵を敵に回したら、学校だって潰されるかも知れない。それを避けようとしてたんじゃないの?」

 ……あぁ、そうだよな。俺はソフィアやみんなを護ろうとしたのに、その結果がみんなの居場所をなくしてしまうかもしれない。

 ……判ってたはずなのに、俺は一体なにをやってるんだ。


「ごめん、クレアねぇ。俺が浅はかだったよ」

「反省した?」

「うん、反省した。もう目的を見失ったりしないよ」

「……そう。だったらこの話はお終いね」

 クレアねぇはその言葉を切っ掛けに、今までのやりとりなんて無かったかのように、柔らかな笑みを浮かべた。


「……許してくれるのか?」

「まぁね。と言うか本音を言うとね、少し安心してるのよ」

 意味は判らない。けどクレアねぇはそれが事実だというように微笑んでいる。

「安心って、どうして?」

「領主としては、より大きな問題から守る為に、目先の小さな問題を無視するのは正しい判断よ。でも、そう言うのって、弟くんらしくないじゃない?」

「俺らしい、か……」

 言われてみれば、そうかもしれない。


 屋敷に捕らわれていた頃の俺は、いつだって目の前の問題を乗り越えようと必死だった。後のことなんて、少しも考えてなかった。きっとあの頃の俺なら、パトリックが顔を見せた時点で追い返していただろう。

 ――だけど、グランシェス領の当主となった俺の行動は違った。


「……俺は、最初から間違ってたのか?」

「まぁね、後で喧嘩を売るくらいなら、あの時に売っておけば良かったのは事実よね」

「うぐ……」

 それは結果論って言いたいけど……パトリックを甘く見てたのは事実か。なんて思って落ち込んでいると、クレアねぇがクスリと笑った。


「あれこれ考えて、でも結局、目の前で困ってる人がいたら放っておけない。不器用だとは思うけど……あたしは、弟くんのそう言うところ、好きよ?」

「クレアねぇ……ごめん。それと、ありがと」

 今回は正直、判断ミスの繰り返しだったと思う。だけど、だからこそ、次は今より上手くやろうと俺は気持ちを入れ替えた。


「話を戻すけど……重要なのは後の対策だよな。まずはロードウェル家にどうやって対抗するか考えないとだな」

 間違いなく苦情を言ってくるだろうと思っての発言だったんだけど、クレアねぇはロードウェル家? と小首をかしげた。


「ロードウェル子爵はどうでも良いわ。スズの鉱山を持っている程度の家柄だもの」

「鉱山? そういや、そんなこと言ってたな。って言うか鉱山を持ってるなら、かなりの収入があるだろ? それなりに力を持ってるんじゃないか?」

「弟くん……………」

 え? クレアねぇに残念なモノを見るような目で見られた!? なんだかんだと慕ってくれてるクレアねぇにそんな目で見られるなんて、無茶苦茶ショックなんですけど!?


「お、俺なんか変なこと言った? 鉱山の利益って結構あるんじゃないのか?」

「そうね。うちは不作で税率も下げてるから、ロードウェル家の収入は家より多いかもしれないわね」

「それはつまり、力が大きいって意味だよな?」

 考えはあってるはずなのに、なんで呆れられたんだと首をかしげる。するとクレアねぇはため息を一つ、そう言えば――と口を開いた。


「領地に派遣してる第一期卒業生の護衛から報告が上がってるわ」

「お、どんな感じなんだ――って、派遣してからまだ二ヶ月やそこらだよな。大した報告はないんじゃないか?」

「えっとね、ほとんどが、なんとかして欲しいって言う相談ね」

「……え? 何か問題が起きたのか?」

「弟くんのせいよ」

「……俺?」

 卒業生を領地に派遣しただけだよな? 子供だけだと信用されないかもって護衛はつけたけど、卒業生や護衛の給料はうちが出してるし、教えた内容だって直ぐに実行出来るようなモノばっかり。特に問題が起きる要素は思いつかないけど……


「なんかやらかしたっけ?」

「弟くん、卒業生にも制服を渡したでしょ?」

「あぁ……うちの学校を卒業した証代わりにな。それがどうかしたのか?」

「あの制服を売って欲しいって、商会なんかがつめかけてきたらしいわ」

「……はい?」

 一瞬、女子の使用済み制服を買い求める特殊な性癖の人達を想像した。けどそうじゃないな。見たこともない素材の服だから取引したいって意味だろう。


「この国最大の商会は金貨200枚出すと言ったそうよ」

「金貨200枚とか言われても……俺、お金の価値が判らないんだけど」

 あ、頭を抱えられた。しょうがないじゃん。この世界に生まれ落ちてから、自分で買い物した経験が一度もないんだから。


「ちなみに、うちの税収はどれくらいなんだ?」

「おおよそ、金貨1200枚ね」

「…………………………なぁ?」

「なによ?」

「制服が六着しか買えない税収って……少なくないか?」

「制服が高いのよ!」

 ……うん、実はそんな気がしてた。



「――って、あれ? もしかして、強盗とかやばいんじゃないか?」

「もしかしなくてもやばいのよ」

「なにを暢気に、直ぐに護衛を増やさないと!」

「心配しなくても既に対処済みよ」

 慌てる俺に対し、クレアねぇは落ち着いた口調で言い放つ。そうして机の上に置かれた紅茶を優雅に飲み始めた。

 ……って、俺の分がないんですけど。あ、怒られてたからないのか。


「服はもうすぐ一般に販売する旨を告げ、卒業生に良くしてくれた商人や街には優先的に取引を。その逆は後回しにするって連絡を入れたの」

「それで、みんなが護ってくれてるってことか?」

「ええ。優秀な護衛を用意してくれたわ。もちろん、対価はちゃんと支払ってるけどね」

「なるほど……」

 まさかそんな事態になってるとは。これは洋服を早く販売しないと、大変なことになりそうだ。取り敢えずは数量限定とかで売るべきかなぁ。


「ちなみに、一般的な収入ってどれくらい?」

「農家の年収が、金貨で換算して1~4枚よ」

 ……1~4枚。平均的な農家の給料80年分の制服。……凄まじいな。そんな大金で購入したいって、国王にでも献上するつもりなんだろうか?

 うぅん。最近クレアねぇに頼りすぎだな。合間を見て少し勉強しないと、自分達の収入も知らないって、さすがに問題すぎる。


「……ふと思ったんだけど、ロードウェル家の収入って、少し多い程度なんだよな?」

「ええ、そうよ」

「それって……もしかしなくても、制服を売れば収入で勝てるんじゃないか?」

 希少価値込みの金貨200枚だから、数着売ればすぐに値崩れすると思うけど、他に類のない高級品には違いない。

 量産して販売すれば、ロードウェル家の収入は超えられるだろう。


「やっと気が付いたの? そうよ。弟くんが見境なくばらまいてる技術のどれか一つでも独占すれば、ロードウェル家の利権を簡単に上回るのよ。それなのに弟くんと来たら、惜しみなく領民に技術を公開して……」

「あは、あはは……」

 さっきクレアねぇに呆れられた理由がようやく判った。そりゃロードウェル家のお金の力なんて問題ないと言われるはずだ。


「ようするに、問題はグランプ侯爵の権力ってことだよな。こっちも、お金の力でなんとかならないのか?」

「うぅん……一年くらいあれば、色んな所に根回しも可能なんでしょうけどね」

「グランプ侯爵に服を十着くらい届けるとか」

「相手が商人ならそれも可能だったんでしょうけどね。今回はグランプ侯爵が後ろ盾になってるにもかかわらず、ロードウェル子爵の跡取りが恥を掻かされた訳でしょ? つまり、グランプ侯爵が舐められてるって話になるから……」

「お金で解決って訳にはいかないか?」

 結局は相手次第ってことなんだろうけど、クレアねぇはグランプ侯爵とも面識がある。その辺り、どうなのかなと聞いてみた。


「正直良く判らないのよねぇ。悪人って感じじゃないんだけど……」

「善人という感じでもない?」

「少なくとも、ただのお人好しじゃないことだけは確かよ。可能性としては賠償金という形の手打ちもありうるけど……相手がどんな手を打ってくるか判らないから、それなりに覚悟はしておく必要があるでしょうね」

「最悪は、グランプ侯爵と正面から権力争いをするハメになるのか……」

「まぁそうならないように、色々と手を考えてみるわ」

 その後、相手の出方待ちと言うことで、ある程度の方針だけ立てて解散となった。



 話し合いを終えて執務室を出るとチラチラっと複数の視線を感じた。誰だと視線を巡らすと、ソフィアが廊下にたたずんでいた。

「ソフィア? そんなところで何をやってるんだ?」

「……リオン、お兄ちゃん。ソフィア、ソフィアね……ぐすっ」

 俺に気付いたソフィアがポロポロと涙を流し始める。それに驚いた俺は慌ててソフィアの元に駆けよった。


「ひくっ、ごめ、ごめんなさい! ……ひぅ。ソフィアの、ソフィアのせいで、ティナお姉ちゃんが。それに、リオンお兄ちゃんにも、迷惑を、掛けちゃった……」

 あぁそっか。パトリックのことで責任を感じてたんだな。

「悪いのはパトリックと、みんなをちゃんと護れなかった俺だよ。だから、ソフィアが泣く必要なんてないから」

「でもっ、でもぉ……。学校が潰されるかも知れないって、言ってたよね。もしソフィアのせいで学校が潰れたりしたら……うぅ」

「……俺とクレアねぇの話を聞いてたのか」

「ごめんなさい。外にいたら聞こえちゃったの」

「そっか……」

 さすがに防音対策まではしてないからなぁ。部屋の前で待ってたなら、普通に聞こえてたんだろう。俺は仕方ないなぁとソフィアの頭を撫でる。


「絶対に学校は潰れないから大丈夫だよ。さっきクレアねぇがそう言ったのは、俺の反省を促す為だから。だから、心配しなくても大丈夫だ」

 ――嘘だ。本当は、可能性としてはありうると思ってる。だけど心配を掛けたくないので、そんな風に嘘を吐いた。

 それに可能性としては有り得ても、実際にそんな事態にするつもりはないからな。


「ホントに? ホントに大丈夫?」

「ホントのホントのホントだ。それにな、お兄ちゃんは妹を護るモノなんだよ。だからソフィアが責任を感じる必要なんて、何処にもないからな」

「……妹、なんだね」

 ソフィアがぽつりと呟く。

「妹じゃ不満なのか?」

「うぅん、護ってくれるのは嬉しいよ? でもね、ソフィアは護られてるだけの妹は嫌なの。もしパトリックさんがお兄ちゃんの邪魔になるなら、ソフィアは……」

「――ソフィア」

 その先を言わさないように、ソフィアの両手を掴む。そうして、何らかの決意を秘めようとしていた紅い瞳を覗き込んだ。


「俺の為に何かしようとしてくれるのは嬉しいけど、そう言うのはダメだ。……いや、俺がして欲しくないんだ。だから、そう言うのはしないって約束してくれ」

「でも、ソフィアは他に何も出来ないから。アリスお姉ちゃんみたいに精霊魔術で色々作ることも、クレアお姉ちゃんみたいに執務をこなすことも出来ないから」

「……それは比べる相手が悪すぎると思うぞ」

 チート級の転生者と、その知識の大半を一年ほどで吸収した天才だからな。


「ソフィアもみんなみたいに、リオンお兄ちゃんの力になりたいの」

「うぅん。ソフィアはまだ子供だし、焦らなくて良いと思うけど」

「でもリオンお兄ちゃんも、ソフィアと同じ年の頃にはもう色々とやってたでしょ?」

 すまん、俺も転生者だから規格外なんだ。真面目な話、ソフィアはかなり出来る子だと思うんだけど……比べる相手が本気で悪すぎると思う。


「気持ちは判るけど、焦らなくて良いよ。それと――」

 俺はそこで一度言葉を切り、廊下の曲がり角へと視線を向ける。

「ティナ、盗み聞きは趣味が悪いぞ?」

「はぅっ!?」

 見え隠れしていたスカートの裾がビクリと震え、角の向こうへと消える。だけど僅かな沈黙、観念したかのようにティナが姿を現した。


「……いつから気付いてたんですか?」

「部屋を出た時に視線を感じたからな。それより、頬は大丈夫か?」

「えっと……はい、アリスさんに冷やして頂いたので、腫れは収まりました」

 ……冷やさなきゃ腫れが引かないレベルだったのか。まったくパトリックの奴。十二歳の女の子相手に、どれだけ遠慮なく叩いてるんだよ。


「それで、ティナは何をしてたんだ?」

「え、いやあの……さっきのことを謝ろうと思ったのと、ソフィアちゃんの様子がおかしかったのが心配で」

「そっか。ソフィアにも言ったけど、気にしなくて良いぞ」

「ですが、私が上手く対処出来ていれば、あんな事にはならなかったですよね?」

「それを言うなら、俺が冷静に対処してれば済む話だったんだ。だからホントに気にしなくて良いよ。それよりソフィアを心配して来たんだろ?」

 俺はそこで一度言葉を切り、ソフィアへと向き直る。

「ソフィアも、何をそんなに焦ってるかは知らないけど、大丈夫だから。な?」

「……うん、判った」

「よし、それじゃティナと食堂でお茶でもしておいで」


 そんなこんなで、パトリックが引き起こした騒動はいったん幕を下ろした。そしてグランプ侯爵から書面が届いたのは、それから一ヶ月後のことだった。

 

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