エピソード 3ー2 茶番

 

 あれから一週間が過ぎ、パトリックがうちの学校に通い始めた。

 そして更に一週間が過ぎたある日。屋敷の足湯に浸かっていた俺は、クレアねぇのもたらした報告を聞いてため息をついた。


「パトリックに怒鳴られた女の子の目撃情報が三件。うち二名は泣かされたってなんだよ。身分を振りかざすな、問題を起こすなっていったのに……」

「残念ながら、本人に問題を起こしてるつもりはないみたいよ」

「はぁ? 相手が泣いてるケースもあるのにか?」

「あくまで、貴族に対する平民の正しい接し方を、親切で教えてあげてるつもり見たい」

「あぁ……なるほど。『平民ごとき、貴族様にはへりくだるのが当たり前だ!』って親切で怒鳴って教育してるわけね」

 たちの悪い冗談なら救いがあったんだけど……本気で言ってるんだろうなぁ。


「それと、パトリックが連れてきた男二人も、ちょこちょこ問題を起こしてるわ」

「……どんな奴なんだ?」

「世話係と護衛の騎士ね。両方パトリックと同じ十五歳くらいで、性格は……そうね。俺に逆らうってことは、パトリック様に逆らうと言う意味だぞ、判ってるんだろうな? とか言っちゃうタイプね」

「……もう退学で良いよな?」

「言ったでしょ? 平民と対等に接するあたし達が例外なの。彼の行動は褒められたものじゃないけど、貴族としては許される範囲内よ。この程度で退学にしたら、後で絶対面倒なことになるわ」

「ぐぅぅぅ……」

 失敗した。身分を振りかざすなって釘を刺すだけじゃなくて、平民と同じ扱いでと明言して、署名させておくべきだった。

 次に貴族を入学させる時は、必ず署名させよう。


「はぁ……このまま一日ずっと足湯に浸かってたいなぁ……」

 俺は足湯につけた脚を揺り動かす。温泉の成分は知らないけど、足から熱が登って体の芯まで温まるような感覚が心地よくて癒される。

 部屋にいながら足湯につかれるって最高だよな。


「ちょっと弟くん? 現実逃避してちゃダメよ」

「そんな事言わずに、たまには温泉でゆっくりしようよぉ~」

「甘えた声を出したってダメよ」

「むぅ……クレアねぇが優しくない」

「気持ちは判るけどね。一番大変なのはソフィアちゃんや他の生徒達なんだから。あたし達が弱音を吐いてちゃダメでしょ?」

 ……確かにその通りだな。

 と言うか、当主代理を頼んだ頃は一杯一杯って感じだったのに、いつの間にか頼もしくなって。俺も負けてられない。

 俺は自分の頬をパチンと叩いてクレアねぇへと向き直る。


「ごめん、クレアねぇ。お陰で目が覚めたよ」

「うんうん、それでこそ弟くんね。それで、対策は考えてる?」

「そうだなぁ……目撃情報はあっても、苦情は一件もないんだよな?」

「ええ。報告は全部仲裁に入った教師からよ。まさかとは思うけど、苦情がないから気にしないとか言わないわよね?」

「逆だよ、逆」

 教師というのはミリィやミシェルのことだ。あの二人がそれだけ現場を目撃してるのに、誰一人として生徒が泣きついてこない。


「相手が貴族だからって、みんな我慢してるって意味だろ? このまま放っておく訳には行かないよ」

「あ、そうよね。目撃されてないだけで他にもあるかもしれないし。そうすると……生徒一人一人に会ってケアしておくべきかしら?」

「その方が良いと思う。それに、今後そうならないように対策もいるな」

 生徒のケアはミリィやミシェルに任せればなんとかなるだろう。


 後は、どうやってパトリックが問題を起こさないようにするか。理想は本人に考えを改めて貰うことだけど、それは生まれ変わるくらいじゃないと無理だろう。

 そうなると、誰かが側で押さえるしかないんだけど……パトリックは自分より身分が下の意見なんて聞かないだろうなぁ。

「しょうがない、明日からは俺が授業に参加するよ」



 翌日の教室はざわついていた。ミリィと一緒に俺が現れたからだろう。

 俺はミリィと一緒に教室に入り、壇上から教室を見回す。

 一人一人に机があるタイプではなく、大学の講義室のような作り。それぞれの席で、皆が驚きながら俺を見ている。

 そんな中、ミリィが俺が授業に参加するという説明を始めた。


「――という訳で、今日から暫くリオン様が授業に参加されます」

 ちなみに様付けなのは、周りに生徒やパトリックがいるからだろう。確かにミリィは使用人の立場だけど、ホントは俺の母親だってみんな知ってるはずなんだけどな。


 それはともかく、俺はよろしくなと生徒に向かって軽く頭を下げる。だけど、生徒達の表情は心なしか硬い。前はもうちょっと打ち解けてくれてたと思うんだけどな。

 これもパトリックの悪影響だろう。


「みんな、俺は生徒として参加してるから、貴族なんて思わなくて良いぞ。ミリィも様付けとかいらないからな」

「そう言えばそうですね。……ならリオン。先生を呼び捨ては無いでしょ? ミリィ先生と呼びなさい」

「そ、そういやそうだな。それじゃミリィ先生、よろしくな」

 さすがミリィ。切り替えが速い――って言いたいところだけど、俺に先生って呼ばれてみたかっただけだろ? 平然を装ってるけど、嬉しそうな表情が隠れてないぞ。


 とまぁそんな感じで始まった一時間目は、教室での座学だった。ミシェルが黒板とチョークを使い、文字の読み書きを教えている。

 そしてそれを見た生徒達は、和紙にペンで一生懸命に書き写している。


 一応注釈すると、黒板やチョーク、それに和紙はこの世界にもともと在ったモノじゃない。元からあったのはペンや羊皮紙くらいだろう。

 他の物はアリスがいつの間にか職人に作らせていたのだ。


 まだ生産量が少なく一般には出回ってないので、この教室の備品を持ち逃げしたら一生遊んで暮らせる気がするんだけど……今のところそんな不届きな生徒は出ていない。

 もっとも、生徒は価値が判ってないのかも知れないけどな。国王への献上品になりそうな高級紙で、文字の練習をさせられてるとは思わないだろうから。

 もし価値を教えたら……みんな紙を使えなくなりそうだから黙ってよう。そのうち大量生産して安価になるはずだしな。


 ちなみに、価値が判るはずのパトリックは特に反応がないらしい。

 これくらい大した技術じゃないと知ったかぶりで見栄を張ってるか、価値が判ってないんじゃないかなとはアリスのセリフだ。


 そのパトリックとツレの二人だけど、今は退屈そうにあくびをしている。

 不真面目な――ってちょっと思ったけど、よく考えたらパトリックは貴族だし、その取り巻きもそれなりにエリートのはずだから、読み書きの勉強は必要ないんだろう。

 そう考えると、文字の読み書きや計算を教える予科と、専門知識を教える本科で別けた方が良いのかもしれない。少し考えてみるか。


「それじゃリオン、ここの答えは?」

「ふぁ!?」

 いきなり呼ばれて変な声が出た。いくら生徒として参加してるとは言え、ミリィ達に色々と教えた側の俺が当てられるとは予想してなかった。

 ええっと問題は――98×97?

 ……え、あれ? さっきまで文字の書き取りをやってなかったか? ……って、書き取りの文字が並んでる黒板に、唐突に数式が出てる。なんだよこれ。


「どうしました? 判らないんですか?」

「え、いやちょっと待って」

 ええっと……98×97? そういやこの前、両方の数字が100に近い数字の時に使えるインド式かけ算を教えた気がするぞ。

 ええっと……100-98と100-97で出た2と3を足しいて5。100から5を引いて95と、さっきの2と3を掛けて、出た6を併せて……95、06だから、

「9506かな?」

 俺が疑問系で答えると、ミリィは黒板にチョークで計算式を書いていく。そして程なく、俺が答えた数字と同じ答えが出た。

「さすがリオン、良く暗算で出来ましたね。皆さん拍手」

 教室が拍手に包まれる。……って、いやいや。なにこの茶番。

 この計算の仕方、俺が教えたんですけど? そもそも二期生が学校に来てからまだ二ヶ月足らずだぞ。いつの間にこんな計算まで進んだんだよ。


「とまぁ、授業を真面目に受ければ、今のような計算も暗算で出来るようになります」

 進んでないのかよ! 完全に茶番じゃねぇか――って思ったら、なんかパトリックが凄い目で俺を睨んでる。

 ははん。さてはこいつ、同じことやられて答えられなかった口だな。あくびなんてしてるからだぞ、ニヤニヤ。

「リオン? 判ってるからって、よそ見してちゃダメですよ」

 あ、はい。ごめんなさい。



 とまあそんな感じで座学は何事も無く? 終わり、実地の授業へと移った。そうしてやって来たのは、実験的に作られた小麦畑――なんだけど、今は五月の終わり。

 暖かい地方なので、既に小麦の収穫は終わっていて、目の前にはなにも植えられていない畑が広がっている。


「みなさん。今日は畑に灰を撒いて貰います。事前に軽く説明しましたが、こうすることで小麦が育ちやすくなるんです。皆さんも、灰を撒いてみてくださいね」

 ミリィが合図を送り、まず一期生のメンバーが灰を巻き始める。それを見て、他の生徒も同じように灰を撒き始めた。


 ちなみにパトリック達は……と、居た。なんか灰を撒かずにキョロキョロしてるな。編入してきた理由を考えたら当然だけど、あんまりやる気はなさそうだ。


「ねぇリオンお兄ちゃん」

 不意にソフィアに話し掛けられた。

「どうしたんだ? みんなと灰を撒いてこないのか?」

「うん。どうして灰を撒くのかなって」

「さっきミリィが説明してただろ?」

「んっとねぇ。灰を蒔いた方が良く育つって教えて貰ったけど、理由までは教えて貰ってないんだよぅ」

「……あぁ、そう言うことか」

 かなりハイペースで様々な知識を詰め込んでるから、あんまり掘り下げて説明してないんだよなぁ。余裕が出たら、二年制とかにするべきなのかな。


「んっと、灰の中にある成分が、植物の成長を促進する効果があるんだ。それと……弱酸性とか言っても、判らないよな?」

「酸性とかアルカリ性のこと? 弱ってことは、少しだけ酸性なのかな?」

「……え、なんでソフィアがそんなことを知ってるんだ?」

「んっとねぇ……実は最近、アリスお姉ちゃんに色々と教えて貰ってるんだよ」

「マジかよ……」

 相変わらず自重してないな――と、近くでソフィアを見守っているアリスを見ると、目を逸らされた。一応、自重してない自覚はあるらしい。


「それで、弱酸性がどうしたの?」

「あぁうん。えっとな。雨は空気中の二酸化炭素が溶け込んでるから弱酸性になるんだ」

「二酸化炭素って?」

「それは……って、なんか際限なく話が逸れそうだから、取り敢えず雨は弱酸性だって思ってくれ。んで、その雨が染みこんだ土はどうなると思う?」

「……弱酸性になるの?」

 ソフィアは小首をかしげる。なんか可愛らしかったので、俺は正解とばかりにソフィアの頭を撫でつけた。


「作物によっては弱酸性で問題なかったりするんだけど、小麦は弱酸性の土壌に弱いんだ。だからアルカリ性の灰を撒いて土壌を中性に戻すんだ」

 ついて来れてるかなと思ってソフィアの顔を見ると、そうなんだぁと頷いていた。まだ八歳なのに、良く今の説明で判ったな。


 もしかしてソフィアは天才なんじゃないか? いや、さすがにそれは親バカ――じゃない、兄バカか? なんて、それこそ馬鹿なことを考えていたその時。

「この平民がっ、人が下手に出てやればつけあがりおって!」

 不意にパトリックの怒鳴り声と共に乾いた音が響いた。

 

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