エピソード 1ー1 幼き日の約束――ただし期限付き

 永遠にも感じられる闘病生活の末に、俺は聴覚以外の全てを失った。

 そうして一日に何度かやってくる看護師の声を聞くだけの日々もやがて終わり、俺は紗弥と同じ永遠の眠りについた――はずだった。

 なのに、俺は再び意識を覚醒させていた。しかも見えなかった目に、ぼんやりと光りが感じられる。その上なんだか周囲が騒がしい。


 俺は……蘇生したのか?

 確かめようにも、モノクロの視界はぼやけてよく見えないし、耳もあまり聞こえない。かろうじて女性らしき声が聞き取れる程度だった。

 ……そうだよな。まだ死んでなかったとしても病が治る訳じゃない。結局はただ眠っているような時間を過ごすだけ――


 なんて思った時期が俺にもありました。


 正確な時間は判らないけど、およそ数ヶ月。

 徐々に目が見えるようになり、周囲の声もハッキリ聞こえるようになった頃、俺は自分が赤ん坊になっている事実を理解した。

 いや、なんて言うかさ? おかしいとは思ったんだ。動けなくなってからは高カロリーの流動食を流し込まれるだけだったのに、最近はなぜかミルクを飲まされてたし。


 なんでミルクって思ったけど、母乳なら納得だ………………って、納得できるか! なんで赤ん坊になってるんだよっ! 天国すっ飛ばして生まれ変わったってこと!?

 ふざけんなっ、死んだら天国で紗弥を探し出して謝る予定だったのに、いきなり生まれ変わったりしたら予定が狂うだろ――って、そう言う問題でもないな。


 少し落ち着こう。

 そもそも、俺は本当に生まれ変わったのか? 見知らぬ女性に授乳されてるのは事実みたいだけど……と、改めて女性を見上げる。

 年の頃は……十代後半くらいだろうか? なかなか整った容姿の持ち主で、着ているのはメイド服……なのかな? 白と黒を基調としたエプロンドレスに身を包んでいる。


 この女性が看護師さんという可能性は……ないな。

 患者に授乳する看護師さんなんて聞いた事がない。そもそも女性は俺の数倍は大きい。もし俺が元の大きさなら、この人は何メートルあるんだよって話だ。

 そう考えると、俺が赤ん坊に生まれ変わったのは疑いようのない事実で、生まれ変わる以外に赤ん坊になっている理由が思いつかない。

 つまり、俺は間違いなく生まれ変わっているはず――と、暫くその想像が間違っていないか考えてみたけど、否定できる要素は見つからなかった。


 ……うぅむ。まさか生まれ変わるなんてなぁ。

 と言うかさ? どうせ奇跡が起きるなら、天国で紗弥と再会って方がドラマティックだろ? 紗弥を置いて、自分だけ生まれ変わってどうするんだよ。

 今年発表した宝くじの一等と番号が一致したよっ! クジは去年のだから賞金は貰えないけどね! ってくらい意味の無い奇跡だと思う。


 でも……奇跡が起きないよりはマシ、なのかな。

 生まれ変わったのなら、もうあの病に恐れる必要はないはずだ。そして元気な体を手に入れたのなら、今度こそ嘘を吐く必要はない。

 本当の意味で、紗弥の最期の願いを叶えられる。与えられた二度目の人生を精一杯自由に生きて、幸せになって、もう一度死んだら、その時こそ――


 なんて考えていると、女性が俺の顔を覗き込んで来た。そうして、不思議そうな顔で何かを口にする。

 彼女が喋ってるのは日本語じゃないので、なにを言ってるか判らないんだけど……俺が考え事をして動きが止まってたから、どうしたの? とか言ってるんだろう、たぶん。

 それにしても、この女性も謎なんだよな。メイド服を着てるから乳母だと思うんだけど、実際にお乳が出るみたいだし……良く判らない。


「――――?」

 おっと、心配そうに見られてしまった。

 と言うことで、俺はボディランゲージよろしく小首をかしげ、

「あいー?」

「~~~~っ!」

 ――うわっぷっ!? ちょっとメイドさん(仮)! いきなり人の頭を抱えて豊かな胸元に押しつけるのは止めてくれ! こっちのサイズが小さいんだから窒息しちゃうって!

 必死になって手足をばたつかせると、俺の様子に気づいたメイドさんが慌てて解放してくれた。


 はぁはぁ、助かった。せっかく生まれ変わったのに、胸で窒息死とかしゃれにならん。

 気を付けてくれよと言う想いを込めた視線を向けると、何故かメイドさんは幸せそうな表情を浮かべ、今度はそうっと俺を抱きしめた。

 うぅん。不満げな顔をしたはずなのに喜ばれるとは、まだ上手く表情を作れてないみたいだな。早くコミュニケーションを採る方法を確保しないと不便でしょうがない。


 ……よし、今後の方針が決まった。

 自分の置かれている状況を知る為にも、まずはこの国の言語――そうだな。自分の名前や、メイドさんの名前から覚えていこう。



 俺が生まれてから四年の月日が流れた。

 ちなみに四年というのは、数えたり日付を覚えた訳ではなく、四歳になった誕生日のお祝いして貰ったから、そうなのだろうと思っているだけ。

 四季があって、一年は十二ヶ月のようだけど、一日の時間や細かい日数が地球と同じかまでは確認していない。


 ともあれ、俺はようやくこの国の言語を使いこなせるようになっていた。

 赤ん坊の脳が柔軟なお陰か、前世の記憶があるからか、覚えようとした内容はスポンジが水を吸うように記憶されていく。

 にもかかわらず、言語を覚えるのに一般的な赤ん坊と変わらない期間を費やしたのは、俺を取り巻く環境のせいだ。


 どうやら俺は離れに隔離されているようで、ミリィ――俺を育ててくれているメイドさんしか話し掛けてくれる人間が存在しないのだ。

 ミリィ以外の人間を見かけたのだって、たまに物資を運んでくる無口なメイドさんと、一度だけ顔を出した父親だけ。そんな事情もあり、言語を覚えるのに随分と苦労した。


 ちなみに隔離されている理由は俺の生まれにあるらしい。

 俺の名前はリオン・グランシェス。グランシェス伯爵家の次男坊と言えば聞こえが良いけど、母親は貴族様のお手つきとなった侍女――ようするに俺は妾の子供なのだ。

 そんな訳で、正妻のキャロラインが口出しした結果、俺は離れに隔離されている――とまぁ、以上が一度だけ会いに来た父親の独白で知った情報である。


 ここからは俺の予想になるけど……伯爵の地位を継げる子供は一人だけ。俺が女なら問題は無かったんだろうけど、男である以上は正妻の息子の地位を脅かす可能性がある。

 ――って感じの思惑が絡んでるんだと思う。


 ちなみにその延長なのかなんなのか、俺はミリィ以外に外界と接触する手段がない。

 別に後を継いで伯爵になりたいなんて野心はないからそっちは好きにしてくれて良いんだけど、あれこれ学ぶ機会を取り上げるのだけは勘弁して欲しい。

 俺が自由に生きて幸せになる為の具体的なプランはまだ決まってないけど、どんな道を進むにしろ最低限の知識は欲しい。

 それには、今の環境じゃダメだ。どれくらいダメかというと、自分のいる場所が地球以外の何処か――恐らくは異世界だという事実に、四年近く気づかないくらいダメダメだ。


 いやぁ、夜にふと窓の外を見上げて、蒼い月を見つけた時は本気でびびったね。日本語が通じないから日本じゃないのは判ってたけど、地球のどっかだと思ってたんだもん。


 もっとも、後から考えてみればそれらしいヒントはあった。

 例えばこの屋敷は金の装飾を施したりと、結構なお金が掛かっている。にもかかわらず、ベッドは硬いし、衣類は着心地が良くない。

 最初は妾の子供だから安物をあてがわれてるのかと思ってたけど、一度だけ尋ねてきた父の服も大差のない生地を使っていた。


 お金があるのにどうしてと不思議に思ってたけど、ここが異世界だと知って腑に落ちた。つまり品質が低いのは安物だからではなく、この世界の技術力が低いせいなのだ。

 技術的には中世のヨーロッパくらいだろうか? 他国の輸入品がまったく手に入らない辺境という可能性もあるけど、どっちにしても地球ではあまり考えられない環境だ。


 そんな訳で、俺の最近の日課は、離れを探索しての情報収集なんだけど……

「リオン様ったらまた部屋から抜け出して、探しましたよ?」

 そんな声とともに、後ろからひょいっと抱き上げられた。そうして抵抗する余地もなく、俺は部屋へとお持ち帰りされてしまう。


「うぅ、もうちょっと見て回りたかった」

「好奇心旺盛なのは良いですけど、一人で出歩いたらダメって言ったじゃないですか」

「ごめんね、ミリィ」

 俺は素直に謝っておく。前に離れの外に出たいと我が儘を言って、ミリィにマジ泣きされた過去があるからだ。

 ミリィが悪い訳じゃないのに『ごめんなさいごめんなさい、不自由をさせてごめんなさい』って、俺を抱きしめたままぼろぼろ泣くんだもん。

 あの時の罪悪感と言ったら……うぅ、思いだしただけで辛くなってきた。


「リオン様?」

「うぅん、なんでもないよ」

「本当ですか? それなら、もう勝手にうろついたりしないって約束してくれますか?」

「……………」

 俺は無言で明後日の方向を向く。

「……リオン様? 約束、してくれないんですか?」

 くっ。そんな寂しそうな顔でこっちを見るのはズルイぞ。俺も負けずに、捨てられた赤ん坊のような目で見返してやる!

「もぅ、そんな目で見てもダメですよ? 約束してくれるまで許してあげません」

 あれぇ~? 最初はこれだけで簡単に誤魔化せたのにな。なんだか、日に日に手強くなっていく気がするぞ?


「リオン様?」

「……判ったよ。もうミリィに黙ってうろついたりしない」

「本当ですか?」

「うん、約束する。その代わり、ミリィが話し相手になってよ?」

「そんなので良ければいくらでも。私はリオン様おつきのメイドですから。あ、でももうすぐお昼寝の時間だから、今日はそれまでですよ?」

「うん、判った」


 俺がベッドに寝転ぶと、ミリィは添い寝をするように寄り添ってくる。それは最近ずっと続いているお昼の光景だ。

 ミリィの紫色の瞳に俺の顔が映り込むほどの近距離。俺の精神年齢を考えたら気恥ずかしいはずなんだけど、そんな風に考えたことは不思議とただの一度もない。

 まあ俺を育ててくれてる親も同然だしな。入院中の紗弥の体を拭いても何も感じなかったのと似たようなものだろう。


「それで、今日はどんなお話を聞きたいんですか?」

「ん~そうだなぁ……今日はミリィの話を聞きたい」

「私の話、ですか?」

「ミリィは家に仕えるメイドなんだよね? どうして、ボクの世話係にされたの?」

 俺は生まれる前から離れに隔離される運命にあった。ようするに、グランシェス家の権力争いにおいて、最初から敗北が決定している。

 そんな子供の世話係なんて誰もなりたがらないはずだ。だから、何らかの理由で押しつけられたんだと思っていたんだけど……

「私が自分で志願したんですよ」

「……え? そうなの?」

 ミリィの答えは、俺の予想を覆すモノだった。


「なんですか、その反応。私がリオン様のお世話を嫌々してるように見えますか?」

「見えないけど、ミリィは優秀みたいだし、内心を表に出さないだけだと思ってた」

「リオン様……」

 俺の子供らしからぬ発言に、ミリィは目を丸くする。だけどそれは一瞬、穏やかな微笑みを浮かべた。


「リオン様が不安になるのは判ります。でも私はいつだってリオン様の味方ですから」

「……本当? なら、ボクの質問に答えてくれる?」

「ええ、もちろんです。何なりとお聞き下さい」

「なら聞くけど、どうしてミリィはお乳が出たの?」

 俺はかねてよりの疑問を口にした。

 俺の知っている常識では、お乳が出るのは子供を産んだ女性だけ。この世界でもその常識が通用するかは判らないけど……と、俺はミリィの反応を見る。

 ミリィは驚きと悲しみをないまぜにしたような表情を浮かべていた。


「……リオン様は、何処でそのような知識を」

「それより、ボクの質問に答えてよ。ミリィはもしかしたら、ボクの――」

「いいえ、それは違います」

 お母さんじゃないの? と言う疑問は、口にする前に否定されてしまった。

「私はちょうど子供を産んだところだったんです」

「そう、なの? でも、それじゃあ、その子供は何処にいるの?」

 疑問を何気なく口にして、俺は自分の浅はかさを呪った。ミリィの整った顔が、悲しみに歪んでいたからだ。


 そっか……だからか。俺の世話係を望んだのは――

「――違いますよ。私は貴方のお父様――ロバート様にとてもお世話になったんです。ですから、私は自分の意思でリオン様のお世話をしようと思ったんです。それは悲しみを紛らわす為なんかじゃありません」

 ミリィは見る者を安心させるような微笑みを浮かべ、俺の体をそっと抱き寄せた。ミリィの穏やかな鼓動が伝わり、俺の疑念を取り払っていく。


「……そっか。ごめんね、変なことを聞いて」

「気にしてません。それにこのような場所に閉じ込められて、リオン様が不安になるのは無理からぬ事ですから」

 ミリィはそう言って一息。ですが――と優しげな口調で続けた。

「私はどんな時だって、絶対にリオン様の味方です。それだけは、忘れないで下さいね」

「ミリィ……ありがとう」

 ミリィの優しい鼓動を感じながら、俺はゆっくりと目を閉じた。


 そうして目を瞑っていると、ミリィが子守歌を歌い始めた。穏やかで、聞いている俺を安心させる優しい音色。家族を失って久しく忘れていた安らぎを感じる。

 俺が思っていたのとは違うけど、こんな風に穏やかに過ごすのも幸せの一つだろう。そんな風に考えながら眠りにつく――寸前、

「せめてリオン様が結婚させられるその日までは、私がずっと側にいますからね」

 子守歌を止めたミリィがぽつりと爆弾を落とした。

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