「100日後に死ぬワニ」の炎上と3つの違和感

@nazononiku

はじめに

 この文章を一言で表すなら、この新しい時代の作品と作者、読者の付き合い方に無神経な奴らへの嘆き、である。



 しかし、まずこれを見る前に、一つ注意がある。

 この文章は貴方の持つ「100日後に死ぬワニについての意見」を補強したり、正当化したりすることはない。

 なぜなら、作者のフィルターがあるとは言え、その根拠も情報も一切真新しいものがない、貴方と同じかそれ以下の情報を持って書かれた記事だからである。



 「100日後に死ぬワニは何故炎上したのか…」と、このような記事はネットで多数見られる。ワニの作品そのものより、炎上現象自体にフォーカスを当てて擁護、揶揄する意見がネット上に数多く存在している。このエッセイもその一つであるが、フォーカスは「炎上した後に見られた擁護や批判の論調への批判」に当てられている。


それでは今から3つの主題を語る。




①作者の商業化意欲を批判する人はほんとにいない?


 擁護側は「作者にも生活がある。」や「作者も商売をしている。」と作者を擁護をしている。しかし批判側はそんなところを批判していない、論点がずれているという意見を良く見かける。



しかし、批判側の人間は間違っている。


「買わない。」「見損なった。」という作品から離れていく感情(作品への悪感情、感情的批判)をわざわざネット上に表明する行為は作者側の思考を持つ人にとって、作品批判ではなく作者の金銭欲批判に見えるからである。要は図らずも言ってしまっているのだ。一定数、そう感じるクリエイターサイドの人間がいるのは間違いない。なので、商業化欲を批判する人はそこそこ存在している…ことになっている。




②作品を頑張って無料で発表してくれた作者に感謝しろ、は正しい?


 作品はTwitterが発祥である。日本中、世界中にエンターテインメントを届けた作者。それは間違いない。面白いを生み出したのも間違いない。物語の生みの親としての敬意を作者へ向ける人が出るのはわかる。 


 少なくとも100日まで作者は己の作品を描き切った。人々を作品の中に引き込んだ。そして結局、100日後に「感動と、死の喪失感」から「作者の商業化の思惑、外部の協力者の存在」によって作品から現実へと叩き出されたのだ。


 この場合、作品を生み出した作者には感謝すべきだが、作品をただの商業的な収益装置に戻したのも作者である。感謝しろという主張自体が、作品を見ている読者と、作品以外を加味して見ているクリエイター側との決定的な温度差だ。



③収益化は正しい流れとする結論。は正しい?


 散々、この炎上騒動を扱うメディアで、記事の最後に見られるこの、…コンテンツの収益化について論じる記事…について。

 そもそも、収益化する手段もタイミングも間違えておいて、作品への一種の特別な感情を踏み躙っておいてよく言えたものである。クリエイターサイドの記事として、その論調は非常に大事であろうから書かざるを得ないのだろうが…。

 この問題は、作者の権利や人格が一方的に侵害されたことにあるのではなく、読者が作品の権利や人格が侵害されたと感じているために炎上したのだ。

 (実際に作者も作品も、読者の手によって残念なことにはなったし、作者サイドも一枚岩でないどころか、作者も預かり知らぬことも合ったかもしれないが、それは論じない。)


 そこまでやられておいてまだ、ファンや客が「収益化は正しい」という論調に共感できると思っていることが手に負えない。

 スーパーで並んでいる商品について、作り手側の売り方や利益率などを気にして買い物をするか?欲しいから客は買うのである。

 自分の食い扶持を気にするのは人として当然だが、少しは作者に同情するのではなく作品に同情する記事があっても良いはずである。


 客やファンは、作者と繋がっているのではない、作品と繋がっているのだ。

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