3話

 女店主に言われ、改めて辺りを見てみれば明るい蛍光灯の光を反射させ輝く石の中に無骨なまるで溶岩石のような光り輝かない石も見える。様々な石を眺めてふと秀雄は教授の部屋で女子が話していた内容を思い出した。

「あ、何処で買った? そのストラップ」

「駅前のパワーストーン売ってるお店」

「私もあそこで恋愛向上の石のキーホルダー買った」

 パワーストーン。

 宝石や貴石と呼ばれる石に特殊な力があると謳われそのパワーにあやかるという代物。

 もちろんそのような他力本願な事を秀雄が信じているわけではなく、その時も適当に話を合わせてそんなことに頼るやつは一生自分の力で何もできやしないと心の中で少々馬鹿にしていた。

「石ってパワーストーンとかそういう類の?」

「あら、良く知ってらっしゃるのね。そう言うものに興味がおありかしら?」

 女店主の口調は何処か秀雄を試すような言い方をする。

 このような言い方をされると、いつもなら癪に触って眉間の皺が深く刻まれ睨むような視線になる秀雄だったが、この女店主に言われると何故か気分が高揚してしまっていた。

「いや、別に興味はあらへん。女子が話していたのを聞いただけで、押し売りで無いなら見るくらいはええけど買うのは勘弁して欲しいな。信じる者は救われる、そう言う類の物はあまり好きやないんや」

「占い、迷信、オカルトの類がお嫌いなのね」

「まぁ、嫌いと言えば嫌いやな。全部否定しているわけやないけど、俺は信じようとは思わん。そんなもんに振り回されて生きていくなんて馬鹿のすることやと思ってる」

 これだけの石を嬉しそうに集め飾っている女店主。

 秀雄はこの女店主も大学の女子同様、石に何かしらのパワーがあるなどと思っているのかもしれないと考えていたが、自分の気持ちを偽るつもりのない秀雄は女店主に向かってそう言った。

 その言葉に女店主が気分を悪くし不機嫌にでもなるかもしれない、これで嫌われてしまうかもしれない。そんな気持ちもあったがそれでも嫌なものは嫌だと言った秀雄に女店主は嬉しそうに微笑んで椅子から立ち上がった。

 ヒールの音を響かせて女店主は秀雄に近づく。

 秀雄は足が差し出される度に翻るスカートのスリットから覗く肌に視線を奪われ女店主の行動をよく見ていなかった。

 足が自分の真横にやってきてもまだ視線をスリットの根元に向かって注いでいる秀雄は、自分の左肩に少しの重みを感じて初めて顔をそちらに向ける。

 細く白い滑らかな肌の左手の指先は左肩から首筋に向かって艶めかしく揺らめき秀雄の顎をとらえた。

「そうね、貴方の言う通りだわ。そんなものに振り回されるなんて馬鹿のすることよ」

 顎から頬をとらえた女店主の冷たい指とは対照的に秀雄の体は熱くほてり始めていたが、何とか必死でそれを抑え込み別に何の関心も示していないと言う表情で「あぁ、そうや、馬鹿のすることや」と返事をする。

 しかし、意識の大半は自分の体に絡みつくように存在する腕にあり、このまま腕がますます前方に絡みつけば自分の背中に女店主が乗っかることになるのではないかと妙な期待感が生まれていた。心臓が体の中から飛び出してくるのではないかというほどに跳ね上がっている中、女店主の息遣いを耳元で感じ神経が集中する。

「でも、たまにはそんな馬鹿になってみない?」

 胸の前で交差された腕に締め付けられ、肩甲骨辺りに感じる女店主の胸の感触と耳元で囁かれるハスキーな声に、秀雄の頭は冷静に考える事が出来なくなっていった。

 無意識に秀雄は息が上がっている。

 あからさまに興奮を示す荒い鼻息で、先ほどまでは興奮を悟られないようにと必死で隠していた意識はその場に無く本能だけがむき出しになっていた。それほどまでにこの女店主の放つフェロモンは強力で理性など存在させる方が難しい。

「ば、馬鹿にやなんて、この俺がなるわけ……」

 秀雄が女店主の言葉を否定しようとした瞬間、女店主の右手の指が唇を塞ぎ、言葉をつむぎ出させ無くしてしまった。

 そして秀雄の口を塞いだまま女店主は耳元で囁く。

「うちの店をその辺にある雑貨屋と一緒にしないでちょうだい。うちの店の石はそこいらのパワーストーンなどというただ願い、叶えばいいと希望を託して持つような代物とは違って、必ず貴方の願いをかなえるのよ」

 必ずと言われ秀雄は女店主に向かって怪訝な視線を送った。必ず、そんなことが本当にあるのだろうかと疑ったのだ。

「あら、信じてないのね。まぁ、当然かしら。貴方は疑り深い人だものね」

 小さく微笑みを浮かべながら店主の手が離れれば英雄はすぐに言葉を吐き出す。

「なんでそんなこと初対面の人に言われなあかんねん。失礼やろ」

「あら、じゃぁ疑わない人なのかしら? だったら少し馬鹿になって私の特別な石達と契約してみない?」

「け、契約? 石を買うだけに契約までせんとあかんのか、益々怪しいな……、そういえばそういう類の詐欺があるって聞いたことがあるで、確か……」

 疑いの言葉を口にしようとすれば女店主が秀雄の口を塞ぐ。

 先ほどとは違い、強く、英雄の言葉を力でねじ伏せようとするかのように。

 一体この細い手のどこにそんな力があるのだろうかと思うほどに力強くふさがれた唇に、興奮よりも恐ろしさがじわじわと足元からやってきて背筋に悪寒が走った。横目に女店主の顔を見れば今までの妖艶さもさることながらさらに怪しい笑みを浮かべて秀雄を見つめている。

「貴方ほどの人が疑いを疑いのままにしておいていいのかしらね」

(俺、ほど?)

「貴方はとても優れているわ。疑問を疑問のままにしておくなんてそれは愚かなものがする行為でしょ? それとも貴方もその周りの人たちと同じお馬鹿さんだったのかしら」

 耳元で息を吐き出しながらまるで挑発するように言ってくる女店主の言葉。

 しかし、挑発するようでありながら秀雄本人はその言葉に反発することなく「そうや。俺は他の連中とは違う」と妙な自信の中に居た。

「契約をするかしないかは貴方次第。だから当然このまま帰ってしまってもいいわ。ただし、契約をせずにこの店を出た場合、もう二度とこの店と巡り合う事は無い。この十字街の他の店には立ち寄れるかもしれないけれどこの店は絶対に立ち寄ることは出来なくなる。当然よね、貴方自信がこの店に訪れることが出来たその権利を放棄したんだもの。二度目は無いに決まっている。自らの願いを必ずかなえる事の出来る私の店に二度と立ち寄れなくなってもいいならこのままお帰りなさい。私には止める権利も留める権利もない。全ては貴方が決める事」

 女店主はそう言うと秀雄の口を塞いでいた手をゆっくりと放した。

 そしてその手は秀雄の体を舐めるようにゆっくりとわたり、悪寒の走ったはずの秀雄の体に再び興奮を目覚めさせる。

 耳元で女店主の息遣いが聞こえ僅かに耳たぶに唇の濡れた感触が伝わると、秀雄はもう深く思考する事は無くなった。

 秀雄の中の決断はたった数秒の女店主のその行為によって決定された。

(願いとかどうでもええ。この女に二度と会えなくなるのだけは嫌や)

 願いがかなうと言う事柄よりも本能に忠実な欲望の方が勝った瞬間、「契約」という一言が秀雄の口からぽつりと発せられる。

「聞こえないわ。もっとはっきり私の胸に届くように言ってみて」

「契約する」

 秀雄がはっきりとそう言い、自分の体に纏わりつく女店主の手首をつかもうとすれば、女店主はするりとそれをかわし吐息を聞かせるように耳にくっつけていた唇がゆっくりと動く。

「ありがとうございます。嬉しいわ」

 女店主の声が秀雄の耳の中で何度も反響していた。

 この時秀雄はこの「契約」と言うものが何なのか余り深く考えてなかった。ただ、この目の前にいる自分の理想そのものの女に二度と会えないという事を回避するためだけに深く考えもせずに出した答え。

 妖艶で自分を誘うようにしているけれど捕まえようとすれば逃げる女店主の態度に「からかい」「惑わし」「疑念」などの負の感情が湧き上がっていたが「欲望」の力には遠く及ばない。

「それじゃ、早速契約を結びましょう」

 秀雄を横目で見下すように言った女店主はその場に秀雄を残して店の奥へと消えていった。

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