2話

 高い背丈の割に横幅の無いひょろりとした男が道端に転がる街頭に照らされた石を片っ端から蹴り飛ばし、いらつきを見せながら陽の落ちた道を歩いている。

 よほど腹に据えかねることがあるのか、口元は小さく動いて何かしらの文句を吐き出していた。

 少し先の角を右に曲がれば文句を言っている男、田所秀雄が住まう寮が見えてくるのだが、角を曲がって蹴り飛ばした石の行方を見て秀雄は足を止めた。

 すでに陽も落ちて辺りは暗くなっていたはずなのに、やけに明るく温かさのある真っ赤な陽の光が顔に当たり、目の前に広がる道路はアスファルトではなく石畳。

 アパートやマンションが建ち並ぶいつもとは全く違う見た事もない街並みがそこにある。

 曲がる場所を間違えたのかと振り返ってみれば、そこは霧に隠され何も見えない。

 一体何が起こったのか。

 不思議に思いながらも道を間違えたなら引き返さねばと、霧の中に足を踏み入れ歩いていく。しばらくして目の前が明るくなりやっと霧の中を抜け出したと思えば先ほど見た、覚えのない街並みが広がっていた。

 何度か繰り返すも結果は同じ。

 結局は同じ場所の同じ街並みの中に戻ってきてしまう。堂々巡りの様で苛立ちが増してきたとき、道の両端に並ぶ家の中から一軒だけまるで自分を誘うようにぼんやりとした外灯を光らせている場所があることに気が付いた。

「意味のないことを繰り返してもしゃぁないな。あそこでちょっと聞こ」

 ため息混じりに近づいてみればそこは何かの店舗のようで、ガラス戸の向こうはやけに明るく人の気配がある。

 ガラス戸に手をかけ、右にスライドさせれば、からからと戸車の音があたりに響き、開いた扉の向こうを見た秀雄は瞳を閉じた。

 開いた扉の向こうは思った以上の明るさで目を開けていることができない。

 額に手をかざしながら薄目を開いて見てみれば、電気の明るさが更に何かに反射することで辺りを明るく照らしだしているとわかった。

「ようこそ、いらっしゃい」

 不意に前方から声がかけられ、秀雄は声のする方を眺める。

 すらりとした細身で真っ白な肌、光に照らされて見える体の、緩やかに描かれるその曲線にそれが女性であるとわかった。

 長い黒髪は女が動くたびに印象的に揺れ、少し顔を隠すようにレースの長いストールを頭からかぶっている。

 女性という者に疎く、そして何より女の醜さを知っているつもりだった秀雄は神秘的であり、自分の思い描く理想の女性のような女の姿に思わず胸を高鳴らせてしまった。

「眩しいかしら、でも大丈夫よ、すぐに慣れるわ」

 少しハスキーな声の主は、眩しさに瞳を細める秀雄の真ん前にやってきて、ストールの向こうから秀雄の顔を覗き込んだ。

 切れ長な瞳に少し厚みのあるふっくらとした桃色の唇。

 視線を下げれば、大きく胸元を開けた洋服から見える柔らかなふくらみと深い谷間。

 秀雄は体が熱くなり体内の血流が速くなっていくのを感じていた。

 そんな秀雄の様子を分かっているのか、女店主は口元に笑みを浮かべるとゆっくり後ずさる。

 女から秀雄は目を離すことができず、突っ立ったまま視線だけは女店主を追いかけた。女店主は部屋の中央に置かれた丸テーブルと椅子まで行き、秀雄に椅子をすすめながら自分は進めた椅子の真向かいの椅子に腰掛ける。

 女が足を組めば、スリットの入ったスカートから真っ白で滑らかな肌が見え、秀雄は動揺を見せないように必死で普通に歩き、すすめられた椅子に腰を下ろした。

 暫くすれば妙に明るいこの部屋にも目が慣れ、額にかざしていた手を外しても大丈夫になる。

 そうして今一度あたりを見回してみれば、輝きを放つ部屋のちょうど中央に自分達が今座っている椅子が二つ、円形で一本の猫足のテーブルが一つ、その周りはところ狭しとショーケースが置かれていた。

 ケースは二種類で壁際には床から天井までのショーケースが置かれ、その手前、通路を挟んでテーブルと同じ高さのショーケースがある。その中には無数の一見すれば宝石のように見えるまばゆい石達が置かれていた。

 異様な様子の部屋だったが、秀雄の中に恐ろしさなどという負の感情は無く、瞳の端には必ず美しい女を映り込ませている。

 今秀雄の関心は部屋の様子やこの場所の事ではなく、目の前に居る女店主にあった。

 女性経験がないと言うわけではない。

 もてたという記憶はないが、彼女という存在が居た時期もある。大学にもバイト先にも性別が女である者達は沢山いたし、全く女という生物と関わらずに生きていくなど無理な話。ゆえに秀雄は女性という物に幻滅もしていた。

 秀雄にとって女という者は、化粧で本当の自分を隠し表面上の美しさを追いかけ、男を利用しようとしていて自分勝手でずる賢く、何より秀雄の素晴らしさを一つも理解していない連中のことだった。

 しかし、目の前に居る女店主はそんな連中とは全く違う。

 物腰や態度、そして容姿に至るまで、まるで自分が今まで思い描いていた理想の女がそこに居るのだ。

 自分の体が言葉にできぬほどの興奮を訴えているのを知りながらも、それを決して女店主に悟られてはならないと背凭れにもたれかかり、腕を組みながら平静を装う秀雄はその瞳に女店主だけを映しこむ。

 女という生き物は男が興奮していると悟ればつけあがる。

 そして、それ以降の全ての主導権を自分の物にしようと動き始めると秀雄は思っていた。

 それは秀雄が経験から知った事。

 だからこそ悟られないようにしなければと思っていたが、今回はそれと同時に女店主に自分が興奮しているということを悟られるのが恥ずかしいとも思っていた。

 鼻から息をゆっくりたっぷり吸いこんで、少しずつ吐き出す。そんな秀雄の様子を女店主は半分ほど開いた妖艶な瞳で見つめ続け、口元に小さな笑みを浮かべる。

 数度の深い呼吸をし、それが収まったあたりで頃合いを見計らったかのように女店主の唇が動いた。

「あらためて、ようこそいらっしゃいませ」

 口を大きく開くことなく艶やかな女店主の唇が揺れ動き秀雄の視線はその唇にくぎ付けとなる。

 胸の奥底から湧き上がってくる、今にも自分が獣となってしまいそうな衝動を何とか抑え込み頭の片隅で「ここは店やったんか」と思いだしていた。

(このショーケースの中身って宝石か? よく分からへんけど宝石店やろうか?)

「残念。ちかいけれど宝石店ではありませんのよ」

 秀雄は女店主の言葉に驚き瞳を見開いて女店主を見る。

 ショーケースの中で己の美しさを競い合うかのように輝く石達を眺め、宝石店だろうかと心の中で思っただけだった。なのに女店主はその考えを読み取ったかのように応えたのだ。

 驚きのまなざしで見つめてくる秀雄に女店主はたおやかに笑う。

 超能力者でもあるまい。

 第一、人の考えを読むなんてそんな非科学的な事、できるはずが無い。きっと心の中で考えたと思っていたことが、思わず口に出てしまっていたのだろう。秀雄はそう考え、

(そんな人間離れした事、できるはずが無い。一体何を考えてんねん俺は。馬鹿馬鹿しい)

 と自分で自分を嘲笑った。

 自分自身に嘲笑した瞬間、目の前の女店主が不気味な笑みを浮かべたが、己の馬鹿な考えに呆れかえっていた秀雄がその笑みに気付くことはない。

「ここは宝石店ではありませんが、石を扱っているには違いありません。ここは石屋です」

「石? 石なら宝石と変わらへんのんとちゃうん?」

 女店主の言葉に秀雄は眉間に皺を寄せて理解できないと言った風に思わず首を捻ってしまった。

「光り輝く宝石もあればただの河原の石のようなものあるでしょう? 石と言っても色々。ここはありとあらゆる全ての石を扱っている石屋なのよ」

 石なんか売ってどうしようって言うんだろうか。秀雄の素直な感想だった。

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