12
音も無く閉まっていく自動ドア。
その向こう側で胸を張って前へと進んでいく女の背中にマスターはそっと声をかけ、飲まれることの無かったドリームという名のカクテルを見つめた。
「とうとう、お飲みにならずに帰ってしまいましたね」
カクテルを手に取り、静かにゆれる水面を眺めてそっとグラスに口をつける。
口の中に広がる香りに瞳を閉じて鼻から息を吐き出し、一人心の中で呟いた。
(夢は見るもの。その通りです。が、美味しい夢を飲むのもまた一興だと思うんですけどね)
女は、鏡を見て自分の年齢を痛感した。
……老いは誰にでもやってくる。そんな事、一生という大きく長い物差しで計れば小さな出来事なのに。
そして、同時に夢も努力も全てを捨ててしまった。
……外見の老いばかりを気にして、その中身まで老いに蝕まれ。
見た目や着飾ることではなく、美しく自身の歳を重ねる事。それはお金で買える物じゃない。
外見を着飾るブランド品や化粧品も、それ、その人にみあった、身の丈にあった物で無いなら意味が無い。
ご機嫌取りのお世辞で与えられる褒め言葉など塵も同然。
いかに内容が濃い人生を生き、いかに過去の自分に未来の自分が胸を張れるか、それこそが本当の美しさを滲み出させる。
今現在、生きているこの時までの人生どれだけの夢を見て、どれだけの夢を諦めてきたか。
それは人それぞれ。
ただ、折角抱いた夢を諦めるのであれば、その夢に胸をはって「お前を諦めて良かった」と言えなければ意味が無い。
その時、その事柄に後悔したとしても、未来で過去の夢があったから今の自分があるのだといえたなら、それはとても素晴らしい。
今幸せでないのであれば……。
未来の自分が幸せだと胸が張れるよう、そうなるように努力をしなければならない。
諦めてはいけない。
怠ってはいけない。
己が己である為に。
鏡を見つめてみれば、そこには等身大の己自身が偽り無く映っているはず。
そこに立つアナタは一体どんなアナタだろう。
自分の背丈に、自分にみあった、内側からの美しさ。そして、そこから生まれる外見の美しさ。それこそが美ということ。
彼女は気づいただろうか?
どんなに歳を重ねても、人は夢を見る生き物だと言う事が。
そして、その夢を実現するのに年齢制限など無いと言う事を。自分にもまだまだ輝ける瞬間が残されて居るのだと言う事を。
「そう、全てを諦め、全てに怠った時、鏡には何も映りこむ事は無い。美しさも汚さも、何も無い、誰も居ない世界がそこには広がる。夢を思い出せるうちに、己自身の諦めを認識できるうちに、もう一度自分自身を見つめなければ……。全ては本当の無に飲み込まれてしまう。夢を飲み込んでしまう」
ぼそりと呟いたマスターは、グラスに残ったドリームを喉に流し込む。そして、そっと、グラスを持っていないほうの手で自分の喉をさわり、カクテルが流れていくその道を外側からなぞった。
いつも通り、柱時計の螺子を巻き、レコードをプレイヤーに置いて針を乗せる。
初めにピアノが、そしてウッドベースが微かに空気を揺らしはじめれば、カウンターに入って来客を待っていたマスターの首筋に生暖かく嫌な気配が触れた。
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