第6話
名声を得、何でも手に入れることの出来る女が四人目。
舞台の前方、中央に二つのライトを浴びた女は大きく両腕を広げて艶やかな微笑を浮かべる。
何度も大きな舞台のヒロインを演じ続けた彼女の腹筋から吐き出される声は広い劇場全体に響き渡った。
「あたしは女優。今ではこの劇場の花形の、この劇場で公演される全ての主演女優。今のあたしがあるのは貴方のおかげ。貴方がいたからあたしは生きてこれたの」
あたしは昔、ストリッパーだった。
あたしにとっては思い出したくもない過去の話。
母親は娼婦で父親は居ない、貧乏を絵にかいたような家庭にあたしを学校に行かせるだけのお金は無く、当然のことのようにあたしに学は無い。あるのは生まれ持った美しさと男を誘うためだけにあるような厭らしい体。あたしは生きていく為にその体を武器にした。
でも、あたしはそんな道しか選べない自分が嫌いだった。客からの野次を受けながら、淡い光が揺らめく、怪しい雰囲気の舞台から、身を乗り出して涎を流す男共を睨みつける。
なんて馬鹿な男共なのかしら。たかが女の体。触れることすら出来ない女の体を見て興奮に目の色を変える馬鹿共。何時までこんな輩にあたしの、この最高の体を見せ付けなくてはいけないのか。
あたしは自分の体の価値を分かっていた。
自分の体は男を誘い、男の性を刺激するのだと知っていたからこそ、安い金で自分の体を拝むことが出来る男が許せなかった。
舞台の袖から薄い衣装を着て現れ、音楽と共にその衣装を誘うようにじらすように脱ぎ捨てていく。より自分が美しく、より艶かしくなる仕草を男に見せていたあたしだったが、その瞳は嘘をつかない。自分を見つめてくる安っぽい男共を蔑むあたしの瞳は客を怒らせた。
「いくら体が良くてもその目が気にくわねぇ、萎えるんだよ」
男の言葉にあたしはよりいっそう蔑んだ瞳を向ける。
「フン……。気に入られる必要など無い。馬鹿に気に入られて嬉しいものか……」
そう悪態をつきながらもあたしの体はその舞台で怪しく揺らめいていた。男達もまた、顔さえ見なければとあたしの舞台を見にくる。あたしは生きる為に、男は欲望を満たす為に舞台は光を放つ。
あたしが二十歳の誕生日を迎えた日、あたしにとっての転機が訪れる。
あたしがいつも通り薄い衣装に身を包み、布切れを脱ぎ捨てていく観客席に馬鹿共とは違う男が現れたのだ。
男は友人に良い体の女が居ると誘われ、乗り気じゃないままやってきて、舞台に現れたあたしに釘付けになる。完成された体つきに、しなやかに、優雅に揺れる体の曲線。男は友人を先に返してあたしの楽屋に現れた。
そう、あの時、あたしを貴方が拾い上げ、救い出してくれた。
命の恩人。
そういっても過言じゃない。
男はあたしを自分のアトリエに連れて行き、いちから演技を仕込む。毎日毎日、発声練習から始まって、舞台演技の基礎、そして台本読み。クタクタになって知らぬ間に寝てしまうという日々だったが、あたしは毎日が、こんなに充実していると感じたのは初めてだった。
そうしてあたしは初めて舞台に立つ。これが「わたし」の初めての舞台。
男のこねで初めから大きな舞台に立つ事になり、周りからの中傷は当然のこと。しかし、あたしが演じ始めるとそんな中傷を言っていた連中は黙り込む。それほどまでにあたしの演技は完成されていて、初舞台は喝采を博した。
あれは忘れることが出来ない。あたしにとって生きる意味が生まれた瞬間だった。
そして、その舞台が終わってからもあたしは貴方の作品を演じ、好評を博していった。あたしは貴方の脚本に、この劇場に欠かせない存在となったのよ。
男の作り出した脚本のヒロインを演じるのは必ずこの「わたし」となり、それはこの劇場で当たり前の光景となる。「わたし」の立たない舞台の客の入りはとても少なく、名実ともに大女優の地位となったあたしの想いは募る一方だった。
貴方の作品を演じられるのはあたしだけ。
貴方の中のイメージをこの舞台で紡げるのはあたしだけ。
なのに……。
男が舞台に現れたのはあたしが始めて舞台に立ったあの日だけ。
どうして? そんな思いが心の片隅ふとよぎる。ううん、違う。一人の大女優を生み出した男が劇場に現れないのはあたしを信用しているから。貴方の書き上げた台本をあたしが完璧に演じきると貴方は信じてくれている。だから、見に来ないんだわ。
貴方だけなのよ……。貴方だけがこのあたしを独占できる。
大女優となった「わたし」の元には以前とは違って身なりの良い、高価な贈り物を携えた男が数え切れないほどやってきて、「わたし」の目の前で膝を付いた。
野次ではなく愛の告白をその口から吐き出して、紙くずではなく札束を抱えてやってくる。そんな男達を「わたし」は顎であしらう。自分は何も変わってない、そう思っていたあたしにとって、ストリッパーが女優になっただけで態度を変えてくる男達に腹も立っていた。
でも、貴方は違った。ストリッパーのあたしの中に「わたし」の可能性を見出してくれた。だからあたしの全ては貴方の物なのよ。
あたしは舞台が始まる前、裏方の全てを回り、幕が上がる直前には必ず舞台袖から客席を眺める。習慣化されたその姿を見ていた共演者達はきっと緊張を和らげる為だろうと思っているだろうけどそうじゃない。あたしは捜していたの、男の姿を。
あれから一度として貴方はあたしの舞台を見に来ない。
分かっているわ……、貴方はあたしが完璧に演じると信用しているから見に来ないのだという事は。でも、舞台で貴方の想いを完璧に演じたあたしに観客が感染していく様子を見て欲しい。そして、良くやったと抱きしめて欲しいの。
信じていた、けれども心は動く。
女は確実な想いを手に入れたかった。この日もいつものように幕の隙間から客席を眺める女。
ただ一人の姿を探す為だけに。その一人に自分の決意を伝える為に。キラリと女の目元に涙が光ったが、流れ落ちる前に舞台は暗転。
フワリと体を宙に浮かべた案内人は、クスクス笑いながらシャンデリアへと戻っていく。
「さぁさ、今宵の四人の舞台の幕は開けた。物語は動き出す……。思惑通りに? それとも思惑違いに?」
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