第4話

 二人目の女の想いが綴られる。

 暗転した舞台の下手に光が灯り、案内人がその光の方へと歩いていけば、舞台に座り込み、ぼんやりと床を見つめる女が。

 女の周りをゆっくり歩く案内人を気にすることなく女は小さな澄んだ声を響かせた。


 彼と出会ったのは六年前。

 私は友人との待ち合わせに早く着きすぎてしまった。ずっと働いていて、遊びに出るなんて久しぶりだったから、少しはしゃいでいたのね。時間つぶしにと入った小さな劇場は、人気が無いのか空席が目立っていた。そして、その舞台に彼が。

 とても端正な顔立ちで、流し目をされればドキッと胸を鳴らしてしまう風貌だった。一度見たらその顔立ちに思わず目が行ってしまうけれど、芝居が上手い訳では無いという事が、芝居を知らない私にでも分かった。

 だから、私は「あぁ、空席なのはそのせいね」と少し評論家気取りに思ってみたりした。ただ、そんな風に思ってみても彼の発する気配はあっという間に私を捕らえてしまっていた。

 舞台を動き、袖に引っ込んでも私の瞳は彼を追う。

 こんな気持ちをなんていうのか私は知らない……。今までこんな気持ちになったことも無い。お世辞にも上手いと言えない彼の舞台、彼の動きから目が離せない。

 幕が下り二度とその幕が開かないと分かった瞬間、強制的に彼との逢瀬を阻まれているようなそんな感じがした。

 私の足はふらふらと、この小劇場を出て思いもしない方向へ歩き出す。特定の有名人のファンになった事等無いこの私が、既に友人との待ち合わせ時間を過ぎているのにもかかわらず、その劇場の裏口で彼が出てくるのを待つ。

 まるで恋する乙女のように心臓を高鳴らせ、胸の苦しさに何度も深呼吸をした。自分の意思で彼を待っているのに怖さに体は小刻みに震えて、まるで子犬のようだった。

 裏口と書かれたドアからは、彼ではない人が何人も出入りして、ドアノブが回るたび私の心臓はドキンと大きく跳ねる。数度の緊張を経験した私の目の前にとうとう彼が現れた。

 始め、私の存在に気づかなかった彼。でも、とても優しい人で周りの雑音にかき消されるほどの私の小さな声にも振り返ってくれる。なんて素敵な人なんだろうと私の想いは大きくなって、もう二度と会えないかもしれないという思いも手伝い、彼に震える告白をする。

 見も知らぬ私の急な告白。きっと断られるだろうと覚悟をしたけれど、彼は頬への優しい口づけで返事をした。

 幸せだと言い切れるようなものは何も無かった私の毎日の生活が満たされる。

 彼と会えるのは一日のほんの数時間。それでも私には十分幸せな時間だった。

 暫くして、私の部屋に彼がやってきて彼と二人の生活が始まった。同じ部屋で同じ時間を過ごしていても彼は怒ることも無く、いつでもとても優しい。私の心は彼に満たされ、役者の卵の彼を支えていく事が私の全てとなった。

 でも、こんなに私は幸せなのに、周りの人達は冷たかったわ。

「騙されているのよ! 目を覚ましなさい」

「貢がされるだけ貢がされて捨てられるわよ」

 そんな暴言を私に浴びせる。

 なんて冷たく寂しい人達。

 なんて心の貧しい人達。

 彼のことを知りもせず、勝手に彼と言う人間を憶測、推測して、酷いことばかり。彼がそんな事するわけ無いじゃない。

 いつも優しい瞳で私を見つめ、私にキスしてくれるのよ。

 会社から帰ってきた私に今日あった出来事を全て話してくれるのよ。

 それは私を愛しているからでしょ? 私を想ってくれているってことでしょ? だから、決めたの。誰がなんと言おうと私が彼を支えていくんだって……。

 彼が演劇に全てを注ぐ事ができるように、それ以外の事は私が支える。決して彼の邪魔にならないように、彼が私を愛してくれる限り私は影で彼を。

 それは悪い事? 悪いはずが無い。私が自分でそう決めた、私の想いを貫くわ。

 彼が私を見つめてくれるんだもの。彼の瞳には何時だって私が映っているんだもの。

 そう、なんというかわからなかった私の気持ちは愛。彼が私を想い、そしてそれ以上に私が彼を想う……、愛。


 女は両手を胸の谷間でギュッと握り締め、瞳を閉じ、フッと優しい吐息を漏らす。

 ライトを浴びた女の顔は満たされていて、幸せを体全てで現していた。

 女はありったけの愛を男に注ぐ。決して表に出る事は無く、男の言う通り、影に、影に身を潜め、そっと見守って己の全てを差し出していく。

 男を知らない純粋な女は己の愛という妄想に酔いながら。

 俯いていた二人目の女は話の最後には顔を上げ、舞台上に設置されたシャンデリアをぼんやり眺めて、舞台のライトは女を中心に小さく絞られた。

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