四
―まもなく列車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください―
總子は、毎朝聞きなれたアナウンスを耳にしながら電車に乗る列に並ぶ。
いつものこととて、本当に混んでいる。仕事をするための体力と精神力なのに、確実に何割かはここで削られる。
考えても仕方ないので違うことを考えようとしたら、後ろから肩を叩かれた。
「おはよっ!」
昨日の少年だった。顔を見た瞬間、昨日考えたことを思い出し、總子の心に緊張感が走る。
(そうだった、この子問題があった…)
しかしまずは挨拶。
「お、おはよう。昨日は本当にありがとうね」
「もういいよ、あれは。でも会えてよかった。昨日名前も連絡先も聞かなかったし、見逃しちゃうかと思ったよ」
何の邪気も裏もないニコニコ顔で、ジュールは安堵を口にする。
すっかり忘れていようと、見落としてすれ違いになろうと構わないし、万が一總子が「守る」と言われたことを真に受けていたとしても、約束を違えたところで文句を言う筋合いでもないのに。
真っすぐで疑うことを知らない少年の顔を見ながら、總子は、何かとても大切なものを見つけたような、取り戻したような、思い出させられたような、そんな気分を味わっていた。
「今日は俺が付いてるからね。でも360度がら空きだと怖いから、俺の影にいてね」
「そ、そのことなんだけど!」
總子が声を上げると、ん?という顔をした。
「あ、あの、ま、守ってくれなくても大丈夫だから…」
「なんで?きっとまたあんな目に遭うよ。お姉さん目立つから」
め、目立つ?私が?
そんなわけない、十人並み中の十人並みなのだ。
「で、でもね。昨日は丸く収まったけど、もし変な人だったら、君も被害に遭うかもしれないし…」
頑張って説明するが、ちょうどプシューっという音と共に電車の扉が開いて、大きな人の波が動き始める。
ジュールは總子の肩を抱いて、乗り込む準備を始める。
「だ、だからね、君はやっぱり私から離れていたほうが…」
「そんなことしたら守れないじゃん」
だから守らなくていいから…。
しかしこの人混みの中、ボディーガード役になりきっている彼を説得するのは難しい。
一度しっかり説明し、自分がやろうとしていることのリスクを理解してもらう必要がある。
発言通り、車両の壁際まで總子を誘導して一安心している少年に、そっと声を掛けた。
「あのね、一度ちゃんとお話ししたいんだけど…明日って、学校?」
今電車を降りたらお互い連日遅刻になってしまう。迷惑をかけることは承知の上だが、明日の土曜日に時間を取ってもらうことにした。
總子の提案に、ジュールはびっくりした顔で一瞬固まったが、すぐ頷いた。
「ううん、土曜日は学校無いよ…。じゃあ、LINE交換しよ?」
今度は總子がジュールの提案に驚いたが、
(まあ若い子にとってはSNSのIDなんて使い捨てか)
と勝手な解釈をして、自分のスマホを取り出し、取り急ぎの連絡先交換を行った。
はたから見ればただのラブラブカップル、よくて仲のいい姉弟。
そんな二人組をあえて狙うような馬鹿な痴漢は、当然のごとく現れなかった。
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