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 所変わって『金龍の息吹』では、新人雑用係のネレが窮地に立たされていた。



(皆さんの要求が高すぎるにゃーっ!?)



 自己紹介を済ませてから、直ぐに彼女の仕事は始まった。ルーブやマグリーンが求めるお茶を出し、イフェローが魔術に必要とする素材の買い出しに出掛けたのだ。


 しかし、提示された素材はかなり高価なものだと言うのに、イフェローからはお金を渡されない。リーダーのグレッドにその事を伝えると、少し渋られた後に渡された。


 何故、買い出しに行かせられているのか分からないまま、ネレは素材を取り扱う商店で物品を買い揃えた。グレッドに渡された額を若干越えてしまったが、素材が高いので仕方が無い。後でまた請求しようと考えながら宿に戻った。


 戻って来た直後に掛けられた言葉は感謝──では無く罵声であった。


 お茶が不味いだの、茶葉が違うだの、熱すぎるだの、濃すぎるだの、遅すぎるだの、各々から文句が飛んできた。


 ルーブやマグリーンからは新しいお茶を要求される。


 勿論、ネレはお茶淹れなんてした事もなく、適当に淹れただけだ。先ず、こんな宿屋の一室でお茶を要求された事自体、訳が分からなかったネレ。それでも新人がとやかく言うものでは無い。知識は無いが出来るだけ頑張って淹れたのだ。ズブの素人が淹れればそんなものだろう。何処ぞの高級レストランや豪邸で用意されるお茶とは違うのだ。一体何を期待していたのか。


 イフェローからは睨まれる。遅すぎる、と。


 しかし、伝えられた素材が何処に売っているのか、ネレが知る由もなかった。魔術を使う者なら素材が売られている場所を把握する事は必須だろうが、魔術を使えない〈雑用〉のネレが覚えておく必要のない事。突然言われ、何も教えられないまま、町を駆け回ってようやく見つけたのだ。遅いというのも仕方ない。それに、急を要する物ならともかく、今必要としているものでは無いはずだ。


 そもそも、こう言った雑務を雑用係に全て任せるというのも間違いな話なのだ。冒険者ギルドが提示している規約では、雑用係もパーティの一員であり、決して何でも押し付けて働かせる奴隷のような存在では無い。雑用係の仕事はあくまで遠征中の炊事など。町の中での世話は含まれていない。


 Bランクパーティであり、Aランク間近と囁かれている『金龍の息吹』とあろう者達が、そんな事をしているなんて。


 ネレは気付いた。前任の雑用係であったものは、この人達に無茶振りをさせられ嫌気が差して辞めたんだ。


 この先が一気に不安になる中、喚くルーブの声に耳を閉じてから新しくお茶を用意し始めた。




 ※ ※ ※




 ファナが『金龍の息吹』を追放されてから2週間が過ぎた。この2週間でファナはイルベーチに慣れてきていた。行きつけの八百屋などの店主とは親しくなり、泊まっている宿屋のオーナーからかなり信頼を得ていた。


 と言うのも、ファナが泊まっている宿屋は最初に受注した『庭の雑草刈り』を出していた宿屋である。長年『ガスト』に困り続けていたオーナー夫婦は、物は試しと冒険者ギルドに依頼を出した。その依頼を受けたとしてやって来た少女のような少年を見て、酷く不安になったものの、最後の頼みの綱と仕事を任せた。そして、彼の妙技によって雑草は全て一網打尽となったのだ。


 あの厄介者の『ガスト』でさえ、彼の手によって綺麗に

消えていったのだ。また生えてくる可能性もあるが、これ程綺麗な庭を久々に見た夫婦は涙を流して喜んだ。謝礼金を更に出そうとするも、ファナは一切受け取ろうとはしない。話を聞けば泊まる所を決めていないと言うので、夫婦は喜んでファナを宿屋へと引き入れた。


 こういう理由でファナは信頼出来る宿を確保し、豪華な美味しいご飯にありつけることが出来たのであった。



 他にもファナな様々な汚れ仕事を引き受け続けた。これにより冒険者ギルドが抱え、滞っていた割に合わないクエスト達が一掃されていき、町人からの信頼を得ることになる。その立役者たるファナが、町人達から感謝されない道理がない。今までの2年間が嘘のように、たった2週間でファナは幸せな生活を確立していた。



「······また、潜り込んできたんだね···?」


「むにゃ···うぅん···ファナおねぇちゃん···」


「僕は男なんだけどなぁ···」



 朝目覚めると、決まってファナの寝床には侵入者が居る。その侵入者はファナに抱き着きながら、気持ち良さそうに眠っていた。ピンク色の髪の毛を長く伸ばし、あどけない笑顔が可愛らしい少女。名をエルフィアと言う宿主夫婦の娘さんだ。


 初めてここに来た時から懐かれてしまい、このように『お兄ちゃん』では無く『お姉ちゃん』と呼ばれている。確かに、からかわれて兄妹達からも女の子扱いされる事の多かったファナ。認める事無く何度も訂正はするが、さほど気にするような事でもなかった。また、布団に入り込んでくることも、妹の世話だと思って寛容に受け入れていた。その感性故に手を出すような真似は決してしない。



「ほら、フィアちゃん起きて。僕が起きれないでしょ?」


「んにゅぅ······おはよ···ござます···ファナおねぇちゃん···」


「うん、おはよう」



 朝の早いファナが起きる時間に合わせてエルフィアを起こす。これが2週間続いているファナの起床ルーティーンだ。最初、起こすのは可哀想だと抜け出した事があるのだが、何で居なくなったのだと拗ねられてしまい、一緒に起こすようになった。


 寝惚けたままのエルフィアの手を引いてファナは1階へと続く階段を降りていく。


 この宿屋は1階が食堂、2階と3階が部屋となっている。ファナに用意された部屋はその中でも陽当たりのいい上等な部屋であった。遠慮したファナだが、押し切られた事実がある。



「おはようございます。サルシャさん」


「お母さん···おはよござます···」



 台所にて朝食の支度をしている女性に挨拶をする。彼女がこの宿主の奥さんであり、エルフィアの母親だ。柔らかな薄ピンク色の髪を束ね、何時も仕事し易いような格好をしている。



「あら、おはよう。相変わらず早いわねぇ、ファナちゃん、エルフィア」


「あい!フィアは朝早いのです!」



 ファナと手を繋ぎながら胸を張るエルフィア。つい2週間前までは起こしても遅くまで寝ていたと言うのに、ファナと長く居たいからと起きるようになった。宿屋の娘として、跡を継ぐことを考えれば早起きはして欲しい。変化は嬉しいが、ファナに迷惑を掛けていないか心配になる。



「ファナちゃんに起こしてもらっているだけでしょう?まったく。ごめんねぇ、ファナちゃん。迷惑だったら教えてね」


「いえいえ、フィアちゃんはとてもいい子ですよ。······むしろ、フィアちゃんの心配をした方が良いのでは無いでしょうか···?」



 フィアは宿主夫婦の一人娘だ。2人にとってフィアは宝物に等しい存在だろうに、自分のような男に近づけていいのだろうか。信頼されているのは分かるが、流石に床に入ってくるのを止めるべきであろう。ファナは間違いを起こすつもりはサラサラないが、その可能性を考えるのが親というものであろう。



「ファナちゃんなら構わないわよ。むしろエルフィアとくっ付いて、家を継いで欲しいくらいだわ」


「あい!フィアはファナおねぇちゃんと結婚したいです!」



 ファナだけが心配している状態なのだ。夫婦、そして張本人である娘さえファナを受け入れてしまっている。


 確かにファナの〈雑用〉が持つスキルには、宿屋を運営する上で重宝されるようなものもある。しかし、ファナには経営出来る自信が無かった。これは2年間の雑用係時代が影響している。自分の価値をとても低く見積もるファナの悪い癖であった。



「まぁ、ファナちゃんを婿入りさせたら、私達はこの町で袋叩きに遭っちゃうかもしれないけどねぇ」


「むぅ〜!リナちゃん達もファナおねぇちゃんを狙ってるです!」



 そう。ファナはこの町に受け入れられている。むしろ人気者になっていた。ファナにはその自覚は無いが、大半の町民からは支持を得ている。そして、ファナを狙っている店も多かった。


 冒険者ギルドに依頼されていた厄介な雑務。それらを片っ端から片付けていく中で、ファナはその実力を多くの人に見せていた。また、可愛らしい若者が汚れ仕事を進んで引き受ける姿には好感を持たれていた。


 ファナが掃除のクエストを受ければ、その箇所は作り立ての輝きを放つ程綺麗になる。こびりついていた不快な臭いも拭い取られ、代わりに心地よい花の香りがする。それ程完璧な仕事をたった1人で、それとあっという間に行ってしまうのだから、注目されない理由が無かった。


 人気になった理由の1つに、ファナの平身低頭な態度がある。常に相手を敬い、多少の無茶振りを言われても嫌な顔一つせず引き受け、完璧にこなすのだ。傲岸不遜な態度をする者が多い冒険者に、好い気持ちを抱かない町民は多い。その気持ちをぶつけられてもニコニコと仕事をするファナは、接客業をする経営者に欲しい人材であった。


 そして、ファナは子供達──主に女の子達からも人気を集めている。冒険者が多いこの町で、冒険者を目指す少年は多い。彼等からすれば、ファナは目指したくない軟弱者と映るだろう。しかし、女子達からは『とても優しいお姉ちゃんなお兄ちゃんだけどお姉ちゃん』として人気を集めていた。元々、ファナは妹や弟の世話をよくしていたからこそ、年下の扱いが上手いという理由がある。お菓子作りや裁縫、髪結びなど、手先の器用さから何でも出来てしまうファナ。冒険者としての仕事が暇な時は、子供達の相手をしていたさせられていたのだ。



「あははは······あ、僕も手伝いますよ」


「あらあら、何時も悪いわねぇ。本当に助かるわぁ」


「フィアも手伝うです!」



 お客様であるファナに手伝ってもらう事はどうかと思うが、ファナが手伝ってくれれば早く綺麗に美味しく出来上がる事は確か。また娘がファナを真似て積極的に手伝いをするようになった事も嬉しかった。ファナが進んでやってくれているので、拒むような事はしないと決めたのだ。


 ファナもファナで、タダ同然の料金で泊めてもらっている事に申し訳なさがあった。それを払拭するべく、手伝えるようなことは手伝おうと思っていたのだ。


 こうしてお互いの利害が一致し、ウィンウィンな関係を築いている。ファナが泊まってから客数が3割程増え、同業者からファナの貸し出しを要求されているが、それは要らない話であろう。



 こうしてファナの1日が始まる。

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