5/25(月) 小鳥遊知実②

 学校で普通に授業を受けた。

 授業が脱線し、教師が将来についてどうのこうのと話しはじめた。

 俺には関係がないから黙って立ち上がり、教室を出た。

 そういえば授業中に出て行くなんて初めてだった。俺ってばまじめ君だし。

 だから、クラスがしんと静まり返ってしまった。

 やっぱり来なければよかったかな。すべてが息苦しい。



 行くところもないから、屋上に寝そべって空を眺めた。

 心なしか身体がだるいし、心音が寿命へのカウントダウンのように感じるし。すべてが俺を追い込んでいるような気がする。

 思いっきり泣き叫んでみれば、少しは晴れたりするのだろうか。

 すっと息を吸ったところで、目の前に影が落ちた。


「やっぱりここでした」


 日野の顔が空を遮る。


「……なにしてんの」

「小鳥遊くんを探してきます!って、出てきました」

「それ許可はとれたん?」

「返事なんて待てますか!」

「サボりかよ」

「誰かさんと同じです」

「……敬語」

「はっ!」


 正直、倒れたところを見られている日野には会いたくなかった。彼女がどこまで勘づいているのか、計り知れないから。


「倒れたこと、おばさまから貧血って聞きま……聞いてて」


 ……新鮮な日野のタメ口だが、案外、心地良いかもしれない。

 日野は隣に体育座りしてスネた。


「毎日黄色い卵焼き食べてたのに貧血って贅沢だ」

「怒るポイントそこかよ」

「うん。でも……」


 靴の先をいじっていた手が止まる。


「なにか、もっと違うところでつらそうに見えたから……」


 そっと顔を自分のひざに埋めた。


 思わず顔が引きつる。

 日野が首をこっちにまわそうとしたのに気づいて、慌てて体を起こして両手で頭を押さえた。


「え? あれ?」

「頼むから前を向いてて」

「え、どうして?」

「人生前向きがいちばんだからだよ!」

「……よくわからないけど、うん」


 顔を見られたくなくてとっさに出た言葉に後悔する。前向きじゃないの、明らかに自分のことだ。

 日野の頭は素直にまたひざの間に収まった。

 あぐらをかいて座り直し、俺も前を向く。


「ひとついいです?」

「……」

「知実くんがつらいのは身体? それとも、心?」


 その問いには答えられなかった。


 居心地が悪い。日野に心配されるのがキツい。

 適当にはぐらかして逃げるか……と思っていると、


「あたし、知実くんのおかげで楽しいって言いましたよね」


 日野はひとりで話しはじめた。


「前の学校でも家を優先してたから、友だちも上辺だけの付き合いって感じで。本音を話せる人がいなかった」


 俺は静かに耳を傾ける。

 日野は足をもぞもぞと動かしながら、それでもきちんと前を向いたままだった。


「こっちの学校にきてまだ数日なのに、環境がめまぐるしく変わった。知実くんに本音を話せた。お弁当作ってもらえた。下の子のことまでお世話になってる。実行委員にも入った……。それが奇跡みたいで」


 ぜんぶ、普通の高校生が普通に生活しているレベルの話だ。


「知実くんのおかげだね」


 俺は頭を振った。


「そんなこと。だってそれは普通のことだ」

「その普通が難しかったんだよ(笑)」


 日野は遠慮がちに横目で俺を見た。


「黄色い卵焼きだって、ずっと食べられなかった。そういうところで生きてきたの」


 なにも言い返せないのは、それは日野にとっては冗談でもなんでもなくて、それが彼女の生活だったから。


「でもそんなことみんなに話してさ、お涙頂戴とか情けないからしなかっただけ! ううん、自分のこと、情けないって認めたくなかったから。情けないのに」

「日野っ」

「あ、えっとだからね、そんなあたしを救ってくれたのが知実くん。あたしだけじゃなくて、知実くんはみんなから頼りにされてる。音和ちゃんはもちろん、虎蛇会でも、クラスでも。その優しさには自覚ないのかもしれないけど」

「買いかぶりすぎだ。好きにしてるだけだし……」

「それすごいよ。なかなかできないよ……あたしにはそんな知実くんが輝いて見えるから」


 俺は黙り込んで足元を見た。誰かの役に立っているなんて思ってはないけど。少なくとも、まっすぐな日野がそう言ってくれたことがうれしくて。ありがたいと思った。

 隣の友人を見た。

 彼女の笑顔はまぶしかった。


 日野。

 そして音和や虎蛇会のメンバー。

 みんなの笑顔をもっと見たいな。

 今はまだぎくしゃくしている虎蛇だけど、もっと仲良くなれると思うんだよ。

 だって俺の好きなヤツらで構成されてるメンバーだから。できないはずはないんだ。

 そういう心残りを片付けること、なんて言ったっけ。

 えっと……。あ、そうだ。たしか。



“身辺整理”?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る