第三話 絶望のはじまり

俺は何だ?


俺は坂本龍馬と一緒に殺されたはずだった。

それなのに、気が付くと、初めの日、再びペリーが浦賀に来たばかりの、あの日に戻っていたのだ。

だが、それは単純な死に戻りと言うものではなかった。

所謂いわゆる、タイムリープとも違う。


俺は、俺としての記憶はさっき斬られた記憶までそのままに、別の人間にインストールされていたのだ。

これは憑依と言うのだろうか?

考えてみれば、最初の時もそうだった。

そして、今回も、前回と同じ様に、俺には、この新しい身体の持ち主の記憶もある。

だから、誰かの身体を奪ったという感覚はないのだが。

という存在に、大きな疑問を持たざるを得ない状況だったのだ。


実際のところ、は何なのか。

一体、何が起きているのか。

疑問に持った俺は、まず、前の身体の持ち主が、どうしているかを確認しに行くことにした。

何しろ、前の記憶があるのだ。

家が何処にあるかなんて、簡単に判るはずだった。


だが、前の身体の持ち主を、俺は見つけることが出来なかった。

前の身体の持ち主が住んでいたところに行っても、住んでいたのは別人なのだ。

まるで、最初から存在しなかったかのように。


そうすると、俺は、この世界と、自分の存在に疑問を持つ。


この世界は、実在するのか?

前の身体の持ち主は、俺が憑依する為に用意されたものなのか。

この世界は、仮想世界で、俺は歴史を検証する為のシミュレーターの装置に過ぎないのだろうか。

いや、この世界の存在が本当だとしても、神様みたいなものが存在して、それに何か試されているのだろうか。

あるいは、俺が並行世界パラレルワールドを移動しているのか。

暫く考えてみたが、考えても結論の出しようもないことは、考えても仕方ないと俺は前向きに考えることにした。


と言うか、がいくら悩んだところで、俺の身体の持ち主にも意識がある。

その意識にとっては、俺の悩みより、毎日の生活の方が重要なのだろう。

そもそも、何が原因かわからないことも、解決出来ないことも生きていれば幾らでもある。

そんなことを気にしていても仕方がない。

そう考えたのだろう。


それよりも、俺の知識と言うメリットがあるのだ。

前回の15年の記憶もあるから、もっと、うまく動ける可能性は高い。

誰が、何処で、いつ、何をするか。

実際の経験もあるから、前の時よりも、はっきり覚えている。

そして、未来の記憶があるということは、とんでもないチャンスだ。

そう考えて、俺は、新しい身体の持ち主と共に、再び動き出したのだ。


とはいうものの、考え方や、方針の根本が変わった訳ではない。

勝さんや龍馬の様に、身分や立場を考えずに、受け入れてくれる人は、決して多くない。

町民になってしまえば、もう、それだけで成功の可能性はグっと減るのだろう。

渋沢栄一も、百姓から身を立てたと言うが、前回では会っていないし、どうやって、成功したかもよく知らない。


つまり、知っている範囲では、やはり、勝さんや龍馬と共に動くことが成功への最大の近道だったし、今度こそ、龍馬を助けてやりたいと思ったのだ。

何だかんだで、龍馬はいい奴だからね。


しかし、そうすると、問題になるのは、世界線の収束だ。


前回でも、龍馬の暗殺を避けようと、確かに、出来る限りの努力をした。

それなのに、龍馬は殺されてしまった。

前回の俺は、バタフライエフェクトを警戒し、世界が予想不能に変化することを恐れて、歴史の改変をギリギリまで避けようとしていた。

だが、この世界は、バタフライエフェクトの様に、小さなことを変えただけで大きく物事が変わるようになってはいないらしい。

むしろ、起こることはある程度決まっていて、龍馬の暗殺という事実を変えようとしても、龍馬の死という事象にどうも収束してしまうようなのだ。

これを変えるには、どうしたら良いのか。


考えたのは、どうにかして、世界線の変更点を探して、龍馬が暗殺されない世界線に移動すること。

前回は、先が判らなくなるからと、ギリギリまで歴史の改変には挑まなかった。

だが、今回は、積極的な歴史改変に動き出すことにしたのだ。


全ては、龍馬を生き残らせ、俺が明治の世界で大成功を収める為に。


果たして、何がトリガーとなり、世界線が変更されるかが判らなかった。

だから、龍馬暗殺までの15年の間、手あたり次第に手を出してみたのだ。

龍馬の暗殺に関係ありそうなことなら、何でも。


龍馬が寺田屋で幕府の捕り方に襲われた時、捕り方を殺傷してしまったことが原因で、殺人犯として幕府に追われていたという話がある。

つまり、龍馬が寺田屋で役人を殺したから、幕府に命を狙われたという説もあるのだ。

だから、その動機をなくす為、俺は、寺田屋では、誰も殺さず逃げるように動いてみた。


龍馬は紀州藩に殺されたという説もある。

これは、紀州藩の明光丸と海援隊が借りていたいろは丸が激突して沈没した責任を、紀州藩に取らせた為に、紀州藩に狙われていたという説なのだ。

そんな動機を潰す為、そもそも、俺は、船の衝突が起きないように画策した。

まあ、実際は事故を避けられなかったのだけれど。

それでも、紀州藩から恨まれないように、賠償金を紀州藩から取らないよう動いて、紀州藩が龍馬の暗殺を考えないようにしようとした。


後は、武力討幕を防ごうとして、武力討幕派にも命を狙われていたという話もあるんだけど。

まさか、大政奉還とか、船中八策とか、龍馬の口を封じることも出来ないからなぁ。


というか、龍馬、命狙われ過ぎだよ。


幕府は勿論、紀州藩、仲間だったはずの薩摩藩や、出身の土佐藩にも龍馬を殺す動機があるなんて。

何やってんだよ、龍馬。

もう、動き回って、一つ所に留まってないしさ。

いや、龍馬は剣の達人で、俺なんかより、ずっと強いのも知っているけど。

守ろうとする俺としては、迷惑でしかないんだよ。


そんな訳で、俺は龍馬の巻き添えで殺され続け、何度も憑依を繰り返すことになる。

いや、何度ではないな。

何十回もだ。

正直、何回かと記録していた訳ではないから、もう回数も判らなくない。

幕末という15年の時間を何度も、何度も繰り返し、龍馬を助ける為に駆け回り、最後は龍馬の巻き添えで殺されていたのだ。

だから、幕末の歴史については、かなり詳しくなっていったと言っても良いだろう。


その中で、俺は、様々な人間に憑依し、運命と戦ってきたんだ。

ちなみに、俺のインストール先は、江戸の町民ばかりではなかった。

武士だったこともある。

女だったこともある。

子供だったこともある。

だが、その結果、理解したのは、江戸の町民の成人男性だった方が、一番自由に動けるということだった。


町民だった頃は、勝さんみたいに、武士だったら、もう少し、他の人に話を聞いて貰えたのになあと考えていたのだけど。

武士は、想像以上に、自由がない。

浪人の場合は良いんだよ。

でも、何処かの藩に属したり、御家人だったりすると、もう自由に移動することさえ出来ない。

何処かの藩に属していれば、藩を離れて移動するにも一々許可が必要で。


実際、吉田寅次郎なんて、許可が出る前に、許可される見込みがあるのに、先に旅行に出かけたら、それだけで脱藩扱いされた位だからなぁ。


そして、脱藩は社会の秩序に対する重大な犯罪。

その上で、身体の持ち主が、守るべき家とか、家族とかあると、どうしたって、勝手な行動は取りにくくなる。

俺の記憶があったって、元の身体の持ち主の意志や価値観が消えた訳じゃないからね。

藩を離れようとすると、元の身体の所為か、抵抗感が凄くて。


そうやって考えると、脱藩したり、藩の指示を無視して、天下国家の為と命を賭ける志士の連中がおかしいんだよな。


まあ、幕末もペリー来航から8年が経ち、桜田門外の変の後位になると、幕府の締め付けが弱まり、多少は動きやすくなるのだけれど。

幕末15年の内、その半分が、ほとんど動けないのは、なかなかに辛いところだったんだ。


これに対し、浪人だと自由だよ。

だけど、生活の方もなかなか大変で。

何処の藩出身かで、勝さんや龍馬と関係を持ちにくくなる場合もあって。

武士って、言ってもなかなか大変なものなんだよね。


女になった場合は、もっと大変だったよ。

この世界、女性であるってだけで、まつりごとなど、商いなどに口を出すことさえ難しいんだよ。

それでも、勝さんや龍馬に関われば、何とか出来ないかって?


確かに、勝さんも、龍馬も面白がってくれはしたんだけど。

あの二人、ああ見えて、滅茶苦茶モテるんだよ。

その傍に、女の姿をしたがいるだけで、周りの女に嫉妬されるわ、邪魔されるわ。

その上で、勝さんや龍馬みたいに、女の話なんか真面目に聞いてくれる人間は、もっと少ない。

薩摩藩の人間なんて、完全に龍馬か勝さんのお妾さん扱いで、意見を言うだけで睨むんだもの。


で、子供になった場合は、気味悪がられるばかりで、身体が大きくなり、大人になるまでは動きようがなかった。

結局、武士の時と同じだよな。

幕末も後半にならないと動きようがない。


そうやって、俺は何回も、何十回も、歴史を繰り返し、歴史改変、龍馬救出に奔走してきたのだ。


最初は、龍馬に関わることだけの歴史改変のはずが、回数を繰り返す度に、どんどん大規模な歴史改変への挑戦になっていった。

何度やっても、うまくいかないし、失敗しても、また、最初からやり直しだから、俺も、段々、大胆になっていったのかもしれないな。

いや、あるいは、段々、一度きりの人生という枠から、俺の感覚がズレ始め、失敗しても、また、やり直せば良いという感覚になっていったのかもしれない。


本当に色々やったよ。

もう、歴史を変える分岐点を探して、本当に色々と。


吉田松陰が煽り、討幕運動の狼煙を上げたという事実がある。

つまり、吉田松陰がいなければ、討幕運動なんか起こらないかもしれない。

そこで、俺は、ペリー密航で捕まる前の吉田寅次郎(後の松陰)に会い、何とか説得して、ペリーの黒船ではなく、ロシアの船に密航させることに成功した。

ペリーは生真面目に、密航を認めなかったけど、ロシアのプチャーチンは大雑把だから、既に他の密航者を受け入れていてね。

吉田さんも、念願かなって、海外渡航に成功。

それで、長州藩の討幕運動起こらないと思ったのだけれど。


人が一人いなくなっただけでは、変わらない歴史の流れってものがあるみたいなんだよな。

徳川時代に積み重なった260年の恨みって奴は、消えないみたいで。

吉田松陰がいなくなっても、長州藩の討幕運動は始まってしまい、世界線は元の流れに収束しちまったのだ。


それから、今度は薩長同盟締結を失敗させようと、画策したりね。

もう、自分でも滅茶苦茶だと思っているよ。

龍馬を助ける為に龍馬に薬を飲ませて体調を崩させて、薩長同盟締結の邪魔をするなんて。

だけどさ、龍馬のおかげで、薩長同盟が締結されなかったら、龍馬が狙われなくなるかもしれないと思ったのだよ。


だけど、龍馬いなくても、薩長同盟は締結されちゃうしなあ。


いや、薩長同盟は、龍馬がいなくても実現したって説があるのは聞いたことがあるけど。

俺が参加した限りでは、龍馬、ちゃんと活躍していたのだけれど。

やっぱり、世界線の収束は、想像以上に強固なんだよ。


それに、そうやって、龍馬を薩長同盟の立役者から引き離せば、暗殺から逃れられると思ったのだけど。

それでも、やっぱり、暗殺はやってきて、毎回、俺は巻き添えで殺されるのだもの。


本当に、どうしようもなかった。


そうやって、何十回挑んで、何十回失敗して、俺はいい加減疲れて来ていた。


結局、俺は龍馬を助けることを諦めることにしたんだ。


史実の海援隊は、坂本龍馬、中岡慎太郎亡き後、瓦解したらしい。

だけど、海援隊の幹部に出世した俺が生き残れば?

龍馬が死んでも、俺が生き残り、海援隊を率いれば、明治の世で成功出来ると考えたのだ。


いや、龍馬はいい奴だよ。

その為に、俺は通算すれば何十年、何百年の時を過ごして戦ってきたのだよ。

だけど、もうダメだと心が折れちまったんだよ。


見捨てる龍馬に悪いなと思いながらも、龍馬から離れる俺。


だが、そこで、俺は世界線の収束の本当の意味を思い知らされることになる。


龍馬のいないところで、俺も暗殺されたのだ。


この世界線は、俺を殺そうとする世界線だったのだ。

俺の絶望の始まりだった。

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