第十二話 大西洋大海戦 その4 ワシントンの戦い

ポドマック川を遡る大英帝国艦隊。

ミルン司令の乗艦する旗艦に、同盟士官として乗り込むブルック中佐と、観戦武官として乗り込む土方歳三の姿があった。

実のところ、船の好きな勝も乗艦を希望したのだが、船酔いの酷い勝には、その任は任されなかったのだ。

世界最強の大英帝国の操艦を学ぶのに、船酔いの酷い勝では勿体ない。

観戦武官として、その戦い方を学びつつ、大英帝国艦隊の船に乗ることで、日本が大英帝国に敵対する意思はないことを示す。

その為にも、観戦武官の参加が望まれたのである。


ブルック中佐を乗せてやってきた日本艦隊には、ブルック中佐の訓練を受けて来た者も多くいる。

例えば、榎本釜次郎などは、日本艦隊の艦長として乗り込んできているのだ。

その他に、日本艦隊には中浜万次郎なども船長として参加しており、今回、アメリカに来ている日本艦隊乗員は、日本海軍の最精鋭であると言っても過言ではないだろう。

だが、同時に、彼らはアメリカ合衆国艦隊と戦闘となる恐れもある状況である。

合衆国艦隊は、東部同様に西部でも無差別攻撃を開始する恐れがある。

そうなれば、アメリカ連合国の綿花を輸入しようとする日本艦隊と衝突する可能性は十分だ。

だから、大英帝国に観戦武官を出したくとも、日本艦隊の士官クラスを出す訳にはいかなかったのだ。


そんな訳で、ヨーロッパでも兵学を学んで来た土方歳三が観戦武官として参加することになったのである。

土方はアメリカ連合国に行った日本人の中でも特に目立つ存在だった。

元々、色男で有名だった男だが、1855年にヨーロッパに渡って以来、5年間、パリの社交界で浮名を流してきたこの男はアメリカの田舎者から見ると、飛び抜けて洗練された存在に見えたようだった。

洋装も板につき、パリで誂えたスーツでブルック中佐の護衛役を務める土方は、確かに格好良かった。

そんな土方に、熱狂するヤンキー娘たち。

中には、噂のプリンス・ケーキが身分を隠して、アメリカ連合を助けに来たのだという噂が生まれた程だ。

そんな熱狂を当然のものと受け取り、平然と楽しむ土方。

ヨーロッパでの彼の生活が伺える一面であった。


そんな土方が、ポドマック川を遡る旗艦の甲板でブルック中佐に尋ねる。


「ミルン司令は、どうして、偵察艦を出さないんだ?

確かに、バミューダ諸島を仏露連合艦隊が攻めに来たと聞けば、ワシントンを守っている軍艦が多数残っている可能性は低いだろう。

その上で、合衆国艦隊は艦隊決戦を避け、少数部隊に分散している。

だから、手薄な本拠地を奇襲しようという意図はわかるが、でも、確実な訳ではないだろう。

もし、ワシントンに大量の軍艦が待ち構えていたら?

大英帝国の大艦隊は、ポドマック川で大西洋ほど自由に動くことが出来ない。

ポドマック川の中で待ち構えていた艦隊に手こずっているところ、後ろから仏露連合艦隊が攻めて来れば逃げ道も塞がれ、全滅しかねないじゃねぇか」


ヨーロッパ生活の長い土方はブルック中佐に英語で尋ねる。

ブルックと土方は、日本艦隊で出航して以来の付き合いではあるが、この数か月で二人は、かなり気安く本音で話せる仲になってきている。


「いえ、一応、偵察艦は出しているはずですよ。

バミューダ諸島への偵察と、カナダへの援軍依頼の船は出しています」


ブルック中佐の言葉を聞いて、土方は肩を竦める。


「じゃあ、何故、肝心のワシントン偵察をしない。

何故、いきなりポドマック川上流のワシントン攻撃に大英帝国艦隊大西洋派遣軍の主力を投入するんだ?」


土方の疑問に、日本での教師経験の長いブルック中佐が丁寧に応える。


「それは、この攻撃が奇襲攻撃だからですよ。

偵察を出せば、こちらの動きが敵方に知られる恐れが高い。

今回の戦闘は、時間との勝負です。

迅速にポドマック川を遡り、合衆国艦隊、仏露連合艦隊がポドマック川に来る前にワシントンを破壊して、ポドマック川を脱出する事が出来るかどうかの勝負。

その為に、偵察を出して、合衆国側に、ワシントン奇襲攻撃の可能性を知られる訳にはいかないと判断したのでしょう」


ブルック中佐の言葉を土方は鼻で笑う。


「だが、それで、ワシントンに合衆国艦隊が待ち構えていればどうする?

ワシントンも破壊出来ず、自由に戦う事も出来ない状況で、後詰が来れば、本当に終わっちまうぜ」


土方の尤もな疑問に、ブルック中佐は大きく頷いて応える。


「うむ、その危険はあるでしょうな。

ですが、そんな場合は、ポドマック川で待ち構える合衆国艦隊を壊滅させて、逃げ道を塞がれる前に、逃げるつもりだとミルン司令は仰っていましたよ。

大英帝国の戦略目的は合衆国艦隊の壊滅。

ポドマック川では、合衆国艦隊も逃げ回ることは出来ない。

ならば、戦略目標は達成出来ると判断したのでしょうな」


ブルックの言葉に、土方は苦笑を浮かべて応える。


「随分な博打うちだな、ミルン司令官てのは。

そもそも、最近の戦では、武器の数と性能が大きく勝敗を分けるもんだって聞いたぜ。

正面切っての戦闘なら、勝てると随分な自信みてぇだが、操艦能力だけじゃ、どうしようもねぇこともあるんじゃねぇのか。

それに、ワシントンは、今や指揮旺盛な兵が集まり、要塞化を進めているとも聞く。

そして、船で運ぶ大砲よりも、地面に置く砲台の方が大口径で遠くまで届くものを置きやすい。

そんなところを、船で攻めて、どうにかなるものなのかねぇ」


土方の根性論ではない意外な知識と判断力に内心感心しながら、ブルック中佐は、土方に足りていない海軍軍人のしての知識を披露する。


「確かに、そんな可能性もあるでしょう。

ですが、砲台は動けないが、船は動いて射程距離外に逃げることも出来る。

砲台から撃たれたとしても、避けることだって出来る。

砲台からは攻められない角度から侵入し、攻撃することも出来る。

逆に砲台は逃げる事が出来ず、懐に飛び込めれば、船を壊すより容易に破壊出来る可能性だってある。

クリミア戦争でセヴァストポリ要塞を落とした経験は決して無駄ではないと思いますよ」


ブルック中佐の説明に、土方は興味を惹かれたように楽しそうな笑みを浮かべる。


「なるほど、水の上では、水の上の戦い方があるって言う訳か。

では、お手並み拝見させて頂くとするか」


このワシントン奇襲攻撃は、土方が指摘した様に、後の世において、博打的要素が強い攻撃であったと言われている。

何しろ、ポドマック川に大英帝国艦隊が封じ込まれる危険さえあったのだ。

そういう意味では、土方の慎重論は、むしろ常識的であったとも言えるだろう。


だが、奇襲とは、相手が予想しないからこそ、有効なものである。


勿論、合衆国側でも、ワシントン奇襲の可能性を全く考えていない訳ではなかった。

だから、何艘かの帆走コルベット艦をワシントンに残していたし、襲撃に備え、ワシントンに砲台を築いてはいた。

しかし、大英帝国艦隊のワシントン襲撃の規模は、事前の合衆国側の対策の規模を明らかに凌駕するものだったのだ。


ポドマック川に大量の大英帝国艦隊が突入したとの報は、電信を使い、瞬く間にワシントンへ、そして、ニューヨークに集結し、バミューダ諸島に攻め込もうとしていた合衆国艦隊に伝えられた。

ワシントンは、ポドマック川沿岸から、大英帝国艦隊の迎撃を試みたが、そこにアメリカ連合国のワシントン攻撃部隊が突入。

ポドマック川沿岸にいた合衆国守備隊は、アメリカ連合国陸軍とポドマック川を遡る大英帝国艦隊の半包囲攻撃により、壊滅的な打撃を受ける。


ポドマック川沿岸の守備隊の壊滅を聞いたワシントンは戦術を変更。

ワシントンに攻めあがる大英帝国艦隊を待ち構え、時間稼ぎに徹することを決める。

遅滞戦術を選び、合衆国艦隊と仏露連合艦隊が大英帝国艦隊をポドマック川に封じ込める戦術を取ることにしたのだ。

ニューヨークからポドマック川に急行する合衆国艦隊と、バミューダ諸島に仏露連合艦隊を呼びに行く伝令船。

ブルックの予想した通り、戦いは時間が鍵を握ることとなったのである。


ポドマック川は遡っていくと、ワシントン直前で海軍造船所のあるアナコスティア川とホワイトハウスや政府中枢部のあるポドマック川の二つに分かれる。

時間稼ぎを目的としたワシントン上層部は、二つの河の沿岸と分岐点に砲台を設置。

更に、二つの河の対岸にコルベット艦を配置して、大英帝国艦隊が攻めて来た場合、砲台とコルベット艦から挟み撃ちに出来る布陣を敷いて待ち構えたのである。

攻めれば、被害を受けざるを得ず、どちらを攻めるか迷えば、それだけで時間が稼げる。

そして、時間が稼げれば、味方がポドマック川河口に集まって来る。

それが、合衆国側の戦術であった。


これに対し、この戦いは、速さが勝利の鍵であることを理解しているミルン司令は、予定通り、大軍の利を生かし、躊躇わず、大英帝国艦隊を二分。

アナコスティア川を遡り合衆国造船所を襲撃する部隊と、そのままポドマック川を遡り合衆国中枢部を攻撃する部隊に別れたのだ。

多少の被害を恐れず、驚くべき速度で砲台の前を通過。

こうして、砲台のある河の沿岸や分岐点の攻略はせず、砲台の射程距離外で合衆国艦隊を襲撃・破壊することを選んだのである。

これに対し、質量共に圧倒的な差がある合衆国コルベット艦は対抗する力を持たず、あっという間に壊滅してしまう。

艦隊の動きを止める者がなくなった大英帝国艦隊は、ワシントン中枢部と合衆国造船所に壊滅的被害を与えることに成功したのである。


この時代において、戦争とは戦場で兵士同士が行うものであるというのが常識。

確かに、要塞に補給をする後方の都市を攻撃することは戦術的に有効な行為ではある。

実際に、このワシントン攻撃により、要塞側から飛び出す兵もあり、補給されるべき武器も火の海へと消えた。

結果として、河の沿岸や分岐点の要塞の兵力を削ぐことにも成功していたのだ。

だが、たとえ敵国首都であろうとも、この様に無差別攻撃に近く砲弾の雨を降らせることは、明らかに、その常識を逸脱した行為ではあったのだ。


ただし、この判断を下した当事者のミルン司令としては、自分から不法行為を行ったという認識はない。

むしろ、合衆国の自業自得であると考えていた節すらある。

何しろ、合衆国は既に先に無差別商船破壊を行い、戦争の常識を逸脱してしまっているのだ。

だから、総力戦として、都市攻撃をされたとしても文句を言える筋合いではないと考えていたのだ。

しかし、人間というのは、自分の行動には甘く、他人の行動には厳しい判断を下すもの。

まして、戦争中は、相手の不法行為を声高に宣伝し、自分の不法行為には口を噤むもの。

この攻撃が、戦争を新たな局面へと導くことになるのである。


砲弾の雨で壊れ、炎の海に包まれるホワイトハウスなどの合衆国主要機関と、ワシントン造船所。

そこには、多くのアメリカ人技術者が含まれ、犠牲となっている。

その為、この戦いで、アメリカ合衆国は造船能力を大きく後退させることになるのである。

その上で、河口の沿岸と分岐点にあった砲台は、反撃を出来ない角度からの大英帝国艦隊の攻撃により壊滅。

50年前の米英戦争が再現された様に、ワシントンは廃墟と化しつつあった。

そこに攻め上がって来るアメリカ連合国陸軍。

これで、予定通りにカナダから大英帝国陸軍が南下してくれば、合衆国は壊滅的な打撃を受けるだろう。

土方がそう考えていると、ミルン司令は戦略目的は達成出来たと判断して、艦隊を反転。

ポドマック川を下る指示を出す。


ワシントンを壊滅させても、大英帝国艦隊がポドマック川に封じ込まれ、壊滅させられては大英帝国としては意味がない。

あくまでも、大英帝国としては、植民地の希望である合衆国に打撃を与え、大英帝国の強さを植民地に見せつけることが目的なのだ。

そんな時に、ワシントンを壊滅させても、大英帝国艦隊が壊滅してしまえば、説得力に欠けること甚だしい。

そう考えて、ミルン司令は、仏露連合艦隊がバミューダ諸島から到着する前に、狭いポドマック川を脱出しようと考えたのである。

そして、その時間は十分にあるはずであった。

何しろ、バミューダ諸島は遠い。

ワシントン襲撃の可能性を伝えたとしても、すぐに駆けつけるにはもっと時間が掛かるはずだったのだ。


そこに、計算違いが生じる。


バミューダ諸島は遠くとも、ニューヨークはバミューダ諸島より近いのだ。

そして、そこに集結しつつあった合衆国艦隊。


その結果、大英帝国艦隊は、ポドマック川に突入する合衆国艦隊と遭遇することになるのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る