第九話 大西洋大海戦 その1

大西洋は、太平洋と比較して拠点となりうる島嶼部が少ない。


拠点となりうるのは、アメリカ大陸とヨーロッパの間にある英国領バミューダ諸島位。

大英帝国はそのバミューダ諸島を攻撃の起点とした上で、カナダ、アメリカ連合国との連携を行っていくのである。

一方、アメリカ合衆国側には、積極的に大英帝国と戦う意思はない。

だから、大英帝国とアメリカ合衆国の戦場はアメリカ大陸近辺に限定されることとなっていくのである。


ディズレーリの目指した戦略は短期決戦である。

大英帝国側も、世界各地で起きる植民地独立運動に対処する必要がある為、戦力的な余裕はない。

だから、アメリカ合衆国艦隊と決戦を行い、そこでアメリカ合衆国艦隊を壊滅させて勝利することが大英帝国の戦略であった。


だが、前述した通り、大西洋は広い。


まして、レーダーや無線及び航空機の発達していない、この時代、敵国艦隊に戦う意思がない限り、敵艦隊を見つけて戦うことは非常に難しかった。


その上で、リンカーンは大英帝国の実力をよく理解していた。

リンカーンは、戦略眼に優れた大統領である。

この時代では、最先端のことだが、リンカーンは電信で部隊に命令を伝え、鉄道を使った兵站の輸送を積極的に行っていた。

各州に権限が分散される分権的なアメリカ連合国と異なり、中央集権的なアメリカ合衆国の大統領が優れた戦略眼を持っていたことはアメリカ合衆国の大きな強みでもあった。

そのリンカーンが戦略を練り、大英帝国対策を指揮していたのである。


そのリンカーンの戦略に嵌り、大英帝国アメリカ方面司令官アレクサンダー・ミルンは困惑していた。

幾ら探しても、アメリカ合衆国艦隊が見つからないのである。

アメリカ連合国沿岸の港町のあちこちから、被害報告は頻繁に上がっている。

だが、そこに大英帝国艦隊が、急行すると数隻のアメリカ合衆国軍艦が全力で逃げる姿に遭遇するだけ。

艦隊を維持して移動しようとすれば、どうしても数隻の船を捉えることは難しい。

そうやって、アメリカ連合国、大英帝国の商船に被害が続出することになるのである。


そうして、何度かのアメリカ合衆国軍艦の襲撃を経て、ミルン司令官はリンカーンの戦略を朧気ながらに理解する。

驚くべきことだが、リンカーンは、恐らくアメリカ合衆国艦隊を解散しているのだ。

大英帝国艦隊と正面から戦えば、合衆国艦隊が多大な犠牲を受けることは確実だ。

だから、リンカーンは、合衆国艦隊を少数の部隊に分けて、決戦を避ける方針を取ったのである。

アメリカ合衆国艦隊の根本戦略は、アメリカ連合国の通商破壊である。

通商破壊を行い、経済的にアメリカ連合国を追い詰める戦略。

だから、リンカーンは、合衆国艦隊を少数の部隊に分け、ゲリラ的に南部の艦隊及び港湾を攻撃するという方針を選んだのだった。

アメリカ合衆国艦隊の被害を減らし、戦略目標を維持する為に。


アメリカ合衆国軍艦は、アメリカ連合国の港湾を襲撃し、アメリカ連合国商船を見れば攻撃する。

だが、アメリカ合衆国の部隊よりも多くの敵艦隊と遭遇すれば、可能な限り戦わずに逃げる。

独立戦争で行われているゲリラ戦が海に持ち込まれた形だ。


それは皮肉なことに、大英帝国がスペイン無敵艦隊を破り、世界一の海軍国となった私掠船戦術に近い。

アメリカ合衆国正規艦隊が、海賊の様に跋扈し、無差別通商破壊を行っているのである。

大英帝国が宣戦布告するまで、これでもアメリカ合衆国は大英帝国に気を使い、大英帝国側に被害が出ないように注意していた。

大英帝国に、アメリカ連合国側に立って参戦される様な事態を避けたいが為に。

だが、その努力は失敗に終わった。

大英帝国は、アメリカ合衆国に敵対し、宣戦布告してしまったのだ。

それ故、アメリカ合衆国は大英帝国商船への遠慮がなくなった。

その結果、皮肉なことに、宣戦布告前よりも、大英帝国商船の被害が増加することとなったのである。


広大なアメリ連合国の海岸線で、その様な戦術を取られると、アメリカ合衆国艦隊を壊滅させることは、非常に難しくなる。

それ故、大英帝国ミルン司令官も選択を迫られることとなるのである。


一つは、これまで通り艦隊を維持した上で、その根拠地であるアメリカ合衆国首都ワシントンに攻めあがる方法。

アメリカ合衆国が艦隊を分散させているとは言え、首都を攻撃されれば防衛の為に集まらざるを得ないだろう。

そこで、予定通りに艦隊決戦を行い、アメリカ合衆国艦隊を壊滅させる作戦だ。

うまく、南部のアメリカ連合国との連携に成功すれば、一気にワシントンを陥落させ、戦争を終わらせることが出来るかもしれない。

それは、大英帝国宣戦布告前から考えられていた戦術の一つでもあった。


ただ、懸念材料としてあったのが、果たしてワシントン陥落で本当に戦争が終わるかというもの。

この戦争は、利益の為という他の戦争と異なり、主義主張の戦いへと移行している。

その状況で、逃げる場所が豊富にあるにも関わらず、アメリカ合衆国が負けを認めるのか。

更に言えば、アメリカ合衆国の大英帝国に対する反発が強いと言う事実もある。

実際、約50年前の米英戦争では、ワシントンが陥落しても、アメリカ合衆国は大英帝国に降伏せず、徹底抗戦を続けた程なのだ。


ワシントン攻撃を餌にアメリカ合衆国艦隊を誘いだし、壊滅させる事が出来れば、一応の戦略目標は達成出来る。

だが、そのまま戦争が続いてしまえば?

戦争の長期化、泥沼化は避けられないのではないか。

まして、大英帝国がワシントンを攻撃したという事実が残れば。

バルカン半島を得て海軍の増強を続けているロシアに、イギリス本土を攻撃する口実を与えることになるのではないか。

そう考えられて、バミューダ諸島に拠点を作り、そこからアメリカ連合国と合流した上で、アメリカ連合国を守るという口実でのアメリカ合衆国艦隊との決戦が考えられていたのである。


そして、もう一つは、大英帝国側もある程度艦隊を分散し、商船を守りながら、襲撃してくるアメリカ合衆国の軍艦に被害を与える方法。

大英帝国とアメリカ合衆国の艦船の練度を考えれば、同数でも十分に大英帝国軍艦はアメリカ合衆国軍艦に勝つことが出来るだろうとミルン司令官は考えていた。


そうやって、アメリカ合衆国に被害を与え続ければ、最終的には確実に勝てるはずだ。

そして、この戦術は、商船の保護を求めるアメリカ連合国側にも好まれる方法でもある。

だが、この戦術はアメリカ合衆国に戦いの主導権を与えてしまうことになるという欠点がある。

攻める、攻めないを選ぶのもアメリカ合衆国側。

戦って不利になるとアメリカ合衆国側が判断すれば、合衆国側が商船への攻撃を控え、戦いが長期化、泥沼化することも予想された。

海賊退治と同じだと考えれば、多大な時間と労力が掛かるのは確実なのだ。


ミルン司令官は、元々、カリブ海西インド諸島に跋扈する奴隷貿易業者を捕える為に大英帝国に雇われることから、大英帝国海軍のキャリアを始めた男である。

逃げ回る海賊を捕える難しさも十分に理解していた。


そんな時に、ミルン司令官の下に、急報が入る。


フランス・ロシア連合のアメリカ連合国と大英帝国に対する宣戦布告である。


その結果、急遽、ミルン司令官はアメリカ連合国首都リッチモンドに近い、港湾都市ノーフォークに寄港することとなる。

アメリカ連合国デーヴィス大統領、スティーブンス副大統領、奴隷人権宣言提唱者と言われるジョン・ブルック中佐がノーフォークまでやってきて、ミルン司令と会談することとなったのである。

ちなみに、勝麟太郎は、ブルックの従者として会談に同席。

黒人は白人に劣り、仕えるのは当然であると考えているスティーブンス副大統領の白眼視をものともせず、平然とブルックの横に立ち、ブルックの従者の様に振る舞いながら、必要に応じ、ブルックに書類を渡したりしたり、ブルックの相談に乗っている。


ミルン司令官が、会談場所であるホテルのスイートルームに入ると、早速、アメリカ連合国側から、仏露宣戦布告の経緯が説明される。

仏露の宣戦布告がアメリカ連合国に着いたのは数日前。

フランスから、直行したフランス軍艦より、アメリカ連合国が宣戦布告を受けたのだと言う。

それと前後して、大英帝国側からも、仏露が大英帝国に宣戦布告した旨を告げる船がノーフォークに到着。


この時代、艦隊を維持しながら、大西洋を渡ろうと思えば、どうしても速度は遅くなる。

風任せの帆船が減り、全てが蒸気船であったとしても、無線やレーダーがない、この時代、艦隊から脱落艦を出さないだけでも一苦労なのだ。

その為、熟練者の多い大英帝国艦隊でも、ミルン司令官は、一旦、バミューダ諸島での合流を指示していた。

そして、バミューダ諸島で、脱落艦を合流させてから、アメリカ連合国のノーフォーク港に向かった程なのだ。


その為、宣戦布告を告げる船が、仏露連合艦隊よりも、早くアメリカ連合国に到達出来たのだろうが。

それでも、仏露連合艦隊が、アメリカ合衆国に到着するまで、そんなに時間がある訳ではないだろう。

そう考えてから、ミルン司令官は発言する。


ちなみに、今回、ミルン司令官は事実上の特命全権大使の様な権限を大英帝国から与えられている。

本国から距離が離れ過ぎ、本国の指示が間に合わないのだ。

その為、ミルン司令官の判断が大英帝国の判断とされることになるのである。


「まず、事態の急変を、すぐに伝えて下さったことに感謝します。

その上で、我が大英帝国は、アメリカ連合国と共に、我らの通商破壊を行う犯罪国家アメリカ合衆国と戦う仲間でもあります。

だが、両者の間に上下はない。

それ故、よく話し合い、今後の方針を決めた上で、我らの方針をご理解して頂きたいと思う」


先述した通り、ミルン司令官は奴隷貿易業者摘発を海軍最初のキャリアとしていた男である。

だから、奴隷制を維持しようとするアメリカ連合国に対しては、思うところもある。

だが、ディズレーリより、アメリカ合衆国の奴隷解放宣言の危険性の説明も受けている。

アメリカ合衆国の奴隷解放宣言が、植民地独立運動を活性化させていると言うのだ。

それ故、アメリカ合衆国艦隊を壊滅させなければならないことも理解している。

世界中の植民地にアメリカ合衆国の援助が届かないことを知らせる為に。

そう考えて、ミルン司令官は冷静に戦況を分析していた。


すると、アジア系の従者と何やら話していたブルック中佐が尋ねる。


「率直に伺いたい。

仏露連合艦隊が近づいているとの話だが、正面から戦って、あなたの大英帝国艦隊は勝つことが出来るのか」


「仏露連合艦隊の規模が解らないから、確実な答えは何とも言えない。

が、練度では間違いなく、大英帝国の方が上だ。

その上で、我が大英帝国は、世界で第二位の海軍国フランスと第三位の海軍国ロシア、この二つを合わせた以上の規模の海軍を持つことを国是としている。

通常ならば、負けることはあり得ない」


ミルン司令がそう説明し、アメリカ連合国側に弛緩した空気が流れる中、ブルック中佐が続ける。


「だが、現在、大英帝国は世界各地の植民地独立運動にかなりの海軍を奔走させていると聞きます。

更に、大英帝国本国を守る為の艦船も、イギリス近海に残しておく必要もあったでしょう。

それに、規模で勝っていたとしても、ロシアは海軍を増強し、最新の蒸気船を増やしていると聞きますが。

本当に大丈夫なのですか」


ブルック中佐の指摘に、ミルン司令は内心感心する。

植民地の田舎者にしては、よく現況を理解しているのではないか。

さすがは、奴隷人権宣言の起草者と言ったところか。

いや、アメリカ合衆国のリンカーンと言い、戦略を理解するものは少なくないのかもしれない。

内心、そう考えながらも、顔色を変えず、ミルン司令は平然と応える。


「最初に申し上げた通り、我らと仏露では海軍の練度が違う。

最新の武器があろうと、連携したこともないフランスとロシアの艦隊に、負けることはあり得ない」


そう言って、言葉を切るとミルン司令は言葉を続ける。


「とは言え、仏露連合艦隊が到着する直前が有利であることは間違いはない。

もし、仏露連合艦隊が何処にいるかが解れば。

大西洋を長躯し、脱落艦隊を出し、疲弊しきった仏露艦隊に攻撃を仕掛けることが出来れば、より有利に勝つことが出来るとは思うのですが」


そう言うとミルン司令はアメリカ合衆国首脳部を見渡す。

アメリカ南北戦争は、急遽、偶発的な衝突で始まった内戦である為、アメリカ連合国には、ほとんど軍艦がない。

加えて、綿花のプランテーションを主な産業とするアメリカ連合国側には圧倒的に工業力でアメリカ合衆国に劣るのだ。

それ故、アメリカ連合国が手にいられる情報は、商船に使っている蒸気船から得られる情報程度しかないのだ。

情報力としても、アメリカ連合国は、大英帝国のみならず、アメリカ合衆国にも、圧倒的に劣っていると言わざるを得なかった。


アメリカ連合国側が悔しい思いをする中、急報が告げられる。


フランス・ロシア連合艦隊が、バミューダ諸島沖に出現。

事態は大きく動くこととなるのである。

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