第七話 大英帝国の参戦

大英帝国は未曾有の危機に直面していた。


世界中に植民地を持ち、太陽の沈まない帝国、世界の工場と呼ばれていた大英帝国。

その植民地各地での独立運動が同時多発的に起こっていたのだ。


ことの始まりは、クリミア戦争中に起きたインド大反乱であった。


それまでの大英帝国の統治方針は分割して統治せよであった。

まず、植民地に親英政権を樹立させる。

別に、現政権を倒させる必要はない。

現政権に援助したり、脅迫したりして、親英政権にすれば良いのだ。

まあ、現政権が、あまりにも反英国的あるならば、現在の政権を転覆させて、親英政権を樹立させる場合もあるのではあるが。

権力を求めて大英帝国の援助を求める勢力は幾らでも存在する。

大英帝国にとって、親英政権の樹立は決して難しいことではなかった。


そして、英国は、その親英政権維持に力を貸す一方で、反英勢力がイギリスに不利益を与えた場合は、親英政権に責任を取らせるという形で、大英帝国への依存度を高めるという方式を取っていた。

もっとも、植民地の反英国勢力が強くなり過ぎれば、英国海軍を中心にして、植民地の現地人を叩くのも当然のことではあったのだが。

そもそも、植民地の原住民には、まともな武器など与えていない。

その上で、現地人の中にも英国に協力する勢力が存在していた。

だから、それで植民地は十分に統治出来ていたのだ。


だが、インド大反乱が全てを変えてしまっていた。

平八の見た世界線とは異なり、こちらの世界線のインド大反乱の裏には、ロシア帝国の援助と戦略が存在していた。

インドの反乱勢力の中心であるインド皇帝はロシアに保護され、姿を隠す。

その上で、インドの反乱勢力は大英帝国との決戦を避けるのだ。

インドの反乱勢力は、ロシアから古いながらも武器は貰っている。

大英帝国がインドに保管していた最新のライフル銃の奪取にも成功している。

それなのに、正面からは戦わないのだ。

英国人、親英国的な人々に、小規模な戦闘、ゲリラ戦を仕掛け、只々、大英帝国の出血と負担を強いる戦術。


この様な戦術に対し、これまでの大英帝国ならば、その様な反英勢力の取り締まりは親英政権に任せ、英国側に被害が出れば、その賠償を親英政権に求めるだけで良かった。

そうすれば、植民地の勢力は互いに争い、消耗していく。

それは、平八の夢で見た世界線の日本でも行われていたことであった。

ところが、今回は親英政権が姿を消し、大英帝国がその反乱勢力と直接対峙しなければならない。

大英帝国が直接損害を被り、インドの植民地経営が、損益分岐点を大きく下回る状況へとなっていったのだ。


そして、困ったことに、このインドの戦術が世界中に拡散されたのだ。

大英帝国植民地各地で反英政権が誕生し、姿を隠す。

そして、大英帝国側に負担を強いる戦いを始めるのだ。

何故か、何処かで入手した武器を持って、英国人並びに親英勢力へ行われる攻撃。

大英帝国としては、溜まったものではなかった。

当時の植民地経営は、儲ける為に行うものである。

古代の王の様に、只の征服欲を満たす為に行う訳ではない。

植民地を持つことで損害を受けるのでは、植民地を保持し続ける意味がなくなるのだ。

とは言え、全ての植民地の独立を許せば、大英帝国の勢力は低下せざるを得ない。


まさに、大英帝国の危機であった。


この世界各地での植民地の反乱に対処していたのは、ベンジャミン・ディズレーリである。


これは平八が夢で見た世界線とは大きく異なる。

平八の夢における、この当時の英国宰相はパーマストン子爵。

パーマストン子爵は、英国宰相として、アメリカ南北戦争に対して厳正中立を宣言するはずだった。

アメリカ南北戦争の勃発は、アメリカ南部の綿花に依存していた英国には、大打撃であった。

この為、パーマストン子爵もアメリカ南部の輸出を妨害するアメリカ合衆国に対し、強硬姿勢を取ろうとしたこともあった。

だが、奴隷制に反対の姿勢を取るパーマストン子爵は、アメリカ合衆国に理解を示し、最後まで南北戦争への不介入を貫いたのである。


しかし、日本の介入によって歴史は大きく変わっている。

パーマストン子爵は、クリミア戦争敗北とインド大反乱鎮圧失敗で、4年前1857年の選挙に敗北。

首相の座を追われていたのだ。


変わった歴史で政権を担っていたのはダービー伯爵。

平八の見た世界線とは異なり、ダービー伯爵率いる保守党が1857年末の選挙で勝利していたのだ。

それ以来、ダービー伯爵は、多数与党で安定政権を確保していた。

そして、ディズレーリは、そのダービー政権の中で、庶民院院内総務、蔵相を務め、陰の実力者として政局を主導していたのである。


ディズレーリは、現実主義者である。

機を見るに敏。

利益があると見れば、主義主張もコロコロ変える。

砲艦外交、自由主義経済を主導するパーマストン子爵に対抗する為に、ディズレーリは、保護主義経済、植民地など必要ないとする小英国主義を唱えていた。

だが、実際に政権を取ると、平気で、その態度を豹変させる。

ディズレーリにとって、大英帝国の利益と政権の維持、国民の支持を受けることが最優先。

その為には、主義主張など無用の長物。

どんな手でも平然と打てる男であった。


ディズレーリの目から見て、現在、世界各地で起きる植民地の反乱は見過ごせない問題だった。

保護主義、小英国主義を訴え、植民地の放棄を考えてはいたが、この様に敵対する形での植民地独立は全く望まないことであった。

ディズレーリの考える植民地の放棄とは、植民地に親英政権を維持させたまま、これらを囲い込むことだったのだ。

植民地の防衛費が掛かり過ぎることから、植民地の防衛は植民地の政権に任せ、貿易の利益だけを享受するのが、ディズレーリの考える植民地の放棄であったのだ。

植民地が大英帝国に敵対し、離脱していくなど、全く許せることではなかった。


この植民地の反乱をどう鎮圧するのか、それがディズレーリ最大の課題であった。

世界各地での植民地の反乱には、黒幕がいる。

ディズレーリは、早い時期から、そう考えていた。

何故か伝わるインドの独立戦術、何処からか供給される大量の武器。

植民地だけで出来ることでは断じてなかった。


そして、ディズレーリは、その反乱の黒幕をロシアであると考えていた。

実際、インドで見つかった反乱軍の武器の中には、ロシア製の物も散見されているという事実もある。

諜報部の分析でも、インドの反乱に関しては、ロシアが裏にいるとされている。

ロシアは、大英帝国の覇権に挑戦する為に、自分の勢力を使わず、植民地の原住民を唆すことで大英帝国の消耗を強いている。

その上で、ロシアは武器の輸出で利益を上げ、儲けた金をロシア帝国内の産業促進に充てる。

それは、背筋の寒くなるような恐ろしい戦略であった。


だが、実際にロシアが暗躍しているという証拠は存在しない。

ロシア船が植民地各地に寄港しているという事実は存在しないのだ。

となれば、ロシアと共に植民地独立を唆す勢力が存在する可能性があるとディズレーリは考えていた。

そして、黒幕を押さえ、武器の供給さえ断つことが出来れば、植民地の反乱は鎮圧することが出来るはずだ。

だが、その黒幕の姿が見えない。

武器を供給することが出来るとすれば、それなりの工業力のある国。

そんな国は決して多くはないはずなのに。

ディズレーリは忸怩たる想いを抱えていた。


そんな中、勃発したのがアメリカ南北戦争であり、アメリカ合衆国の奴隷解放宣言である。


現実主義者のディズレーリが考えたのは、アメリカの分裂を促進し、固定化すること。

植民地から独立した国が、巨大な領土を持ち、攻め難い場所で勢力を拡大することなど、望むところではなかった。

アメリカが分裂し、互いに争い続けてくれた方が大英帝国の利益となる。

これが、ディズレーリの考え方であった。


加えて言えば、大英帝国の繊維産業の為にも、アメリカ合衆国のアメリカ南部への攻撃は見過ごせるものではなかった。

インド大反乱以来、インドからの綿花輸入は困難となり、イギリスの繊維産業はアメリカ南部の綿花に依存している状況にあったのだ。

そんな中、アメリカ合衆国海軍は、アメリカ南部の輸出入封鎖を目指して活動していた。

この活動に対し、ディズレーリは何度も抗議したのだが、アメリカ合衆国は非常事態を理由に大英帝国の抗議を受け入れることはなかった。


そして、そんな中、奴隷解放宣言が発表される。


世界中の全ての差別、抑圧に対する宣戦布告とされた奴隷解放宣言は、特に大英帝国植民地において熱狂的に支持される。

奴隷解放宣言に、植民地の住民たちは、彼らの独立運動に対するアメリカ合衆国の援助を期待したのだ。

何しろ、アメリカ合衆国は大英帝国から独立した最も有名な国。

実際に独立したのは、原住民ではなく、原住民を抑圧した白人の政権に過ぎない。

だが、多くの植民地の住民たちは、元植民地という事実だけに着目し、奴隷解放宣言の文言に期待をしたのである。


こうして、奴隷解放宣言によって活性化される植民地独立運動。

アメリカ合衆国の存在は、植民地独立運動のシンボルとなりつつあった。

そんな状況を見逃す現実主義者のディズレーリではなかった。


「それでは、どうしてもアメリカを攻撃すると申すか」


ヴィクトリア女王が尋ねる。

ディズレーリは頭を下げたまま、ヴィクトリア女王とその夫アルバート公に応える。


「は、既に議会での根回しは済んでおります。

繊維産業関係者、植民地での反乱に手を焼く勢力からは、党を越えた横断的な支持を受けております」


「それは、解った。

だが、攻撃開始を避けることは出来ないのか。

戦争は賭けだ。

クリミア戦争の時の様に、再び敗れれば、どれだけの被害を被るか」


アルバート公が尋ねるとディズレーリは応える。


「アメリカ攻撃を避けようと最大限の努力はしてまいりました。

アメリカ合衆国には、綿花貿易を妨害しないように警告しましたが、受け入れられることもなく。

植民地に対する武器の供給をするなと言っても、その様な事実はないと否定するだけ」


ディズレーリの予想外の言葉に、ヴィクトリア女王が声を荒げて尋ねる。


「植民地に、アメリカが武器を売っていると言うのですか?」


それに対して、ディズレーリは冷静に応える。


「確証はございません。

ですが、文明化し、武器を供給出来る勢力は限られております。

奴隷解放宣言により、世界中の植民地を扇動したアメリカが裏で武器を供給した可能性は十分にあるかと」


ディズレーリがそう言うとヴィクトリア女王は吐き捨てる様に言う。


「植民地の独立など、愚かなことです。

彼ら、原住民は、我らが教化し、飢餓から救ってやらねば、生きて行けぬ存在。

我らが彼らを見捨てれば、どれだけの原住民が死ぬことになるでしょう。

権力欲に酔った一部の原住民に騙され、独立運動に邁進するなど、何と愚かで哀れなことか」


怒り心頭のヴィクトリア女王を尻目にアルバート公が穏やかに尋ねる。


「だが、アメリカ合衆国が植民地独立運動を支援しているという証拠もないのだろう。

まして、全ての差別に対抗するという奴隷解放宣言は、国際的にも高い評価を得ている。

そんなアメリカ合衆国を攻撃すれば、アヘン戦争の時の様に、我が国が国際的な非難を受けることになるのではないか?」


アルバート公の言葉に、ディズレーリは頷いて応える。


「さすがはアルバート公、卓見でございます。

それが、我々がアメリカ合衆国攻撃に踏み込めなかった理由でございます。

ですが、先日、南部のアメリカ連合国が発した奴隷人権宣言。

これが、アメリカ合衆国の正義を相対化してくれました」


ディズレーリは、そう言うと、奴隷人権宣言の内容を説明する。

その内容に、驚きながらも深く頷く、アルバート公。


「なるほど、アメリカ連合国は、我らが植民地に住む原住民たちを教化し、飢餓から救い、幸せにするのと同様に、奴隷を幸せにすると言うのか。

もし、本当に実現出来るのであれば、確かにアメリカ合衆国はアメリカ連合国の財産を奪う強盗だと言うことも出来るが。

それでも、戦争に参加することによって、生じる被害を考えると」


アルバート公が懸念を表明すると、ディズレーリが応える。


「実際問題、アメリカ合衆国が植民地独立運動を支援している確証はございません。

ですが、アメリカ合衆国が、植民地独立のシンボルとなっていることは、間違いないのです。

もし、何もせず、アメリカ合衆国が勝利すれば、植民地独立運動が活性化し、世界中の植民地がアメリカ合衆国を盟主として仰いで独立する危険性すら存在します」


アメリカ連合国から奴隷を奪おうとするアメリカ合衆国が、大英帝国から植民地を奪おうとしている。

それは、十分に予想出来る悪夢であった。

アルバート公が考え込んでいると、ヴィクトリア女王が尋ねる。


「ですが、私の臣民がクリミア戦争の様に多大な犠牲を出しながら、何の利益も得られない事態は認められません。

あなたは、どんな名目で、どうやって、アメリカ合衆国を抑え込もうと言うのですか」


ヴィクトリア女王の言葉にディズレーリは穏やかに応える。


「宣戦布告の名目は、アメリカ連合国の財産を守り、植民地独立扇動に抗議する為に。

こうすれば、植民地を持つ他の国も、我らを非難することは難しいでしょう。

そして、攻撃するのは、アメリカ海軍。

陸軍は使わず、アメリカ大陸への侵攻は行いません。

アメリカ海軍を壊滅すれば、アメリカ合衆国の植民地への援助は不可能となるでしょう。

その事実を持って、植民地独立運動の士気を挫くのです」


実際問題、世界各地の植民地独立運動に手を焼いている大英帝国には、アメリカに振り向けられる戦力は決して多くはない。

だが、世界最強の英国海軍であるならば、必ずやアメリカ海軍を壊滅させられるとの報告をディズレーリは海軍より受けていた。


「なるほど、そうすれば、臣民の犠牲は最小限に抑えられるか」


アルバート公が頷くとディズレーリもホっとした様に頭を下げる。


こうして、ヴィクトリア女王への根回しも無事に終わり、後日、英国議会でも大英帝国のアメリカ南北戦争への可決されることになる。


だが、大英帝国の参戦は、ディズレーリの思惑とは大きく異なる方向に展開していくこととなる。


大英帝国に対して、フランスとロシア帝国が宣戦布告したのだ。


地球全体を舞台とする世界戦争、The Greatest WARの開幕であった。

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