第三話 ブルック大尉との密約
ジョン・ブルック大尉は、発明家にして軍人である。
平八の夢の中では、開国して日本にやって来たが日本に乗ってきた船が沈んで遭難し、日本の依頼で咸臨丸の実質的な艦長となって日本視察団をアメリカに連れて行き、南北戦争では南軍に参加し、装甲艦(甲鉄艦)を開発している。
そんな運命を巡るはずだったブルック大尉が日本に技術者としてやって来てから約5年。
日本は、ブルック大尉をはじめとする多くの異人達の指導の下、驚くべき速度で工業化に成功していた。
発明家ウィリアム・ケリーは転炉の開発に成功、日本は大量の鋼鉄の生産に成功。
その鋼鉄を基にして、ブルック大尉は甲鉄艦の開発に成功。
統一規格の導入により、銃、大砲、武器、甲鉄艦などの大量生産に成功。
今や日本は、一時的とは言え、世界最強の海軍力を持つようになっていた。
その立役者の一人であるブルック大尉が南北戦争勃発の報を聞き、佐久間象山との面談を求めて来たのだ。
「まずは、お忙しい中、お時間を取って頂けたこと、感謝致します」
ブルック大尉が礼を言うと象山が応える。
「ジョン(ブルック大尉)は、我が国の恩人。
その恩人が、火急の要件で面談を求めて来たと言うのだ。
幾らでも、時間を作ろう。
して、用件は、やはりアメリカで起きたという奴隷を巡る争乱のことであるかな?
だが、今更動いたところで、戦争は止められないだろうが、僕に何を求めて面会に来られたのかな」
象山がそう言うとブルック大尉は苦笑を漏らす。
「まったく、君には一体、何処まで見えているのか。
話が早いのは助かるが、結論まで、そう急かされては話も出来ないよ」
「僕には結論が見えている話ではあるのだがな。
時間は貴重だろう。
だが、どうしても話したいというなら聞こうではないか」
「寛大なお言葉感謝する。
それでは、話させて貰おう。
推察の通り、私が来たのは、アメリカの争乱での件でだ。
私としては、祖国が内乱を起こすことなど望まない。
何としてでも、この紛争を回避したいのだ」
ブルック大尉の言葉に象山は肩をすくめる。
「その答えはさっき言った通りだ。
もう、紛争は始まってしまった。
君に出来ることはないのではないか」
象山の言葉にブルック大尉は微笑む。
「確かに、アメリカ連合国(南軍)はアメリカ合衆国(北軍)の半分以下の国力しかない。
工業力も工業地域を持つ北軍の方が、農業が主要産業である南軍より圧倒的に上だ。
だが、大義名分までアメリカ合衆国にある訳ではない。
その上で、君の宣言文がある。
まだ、紛争を止める余地があるはずだ」
南北戦争開戦当初、この戦争が長期化し、凄惨なものとなると想像する者は、ほとんどいなかった。
南北戦争の口火を切る援軍の出動を指示したリンカーン大統領でさえ、紛争は3か月で決着が付くと考えていたのだ。
アメリカ合衆国側は、戦力・工業力の差と道義的な正しさを確信していた。
これに対し、南軍側は北軍の正義を全く信じていなかった。
それ故、戦いは現有戦力だけの紛争ではなく、アメリカ全土を巻き込む総力戦へと至ったのである。
とは言え、この時点で、そんな事実に気が付いている者は少ない。
それは、南軍への加勢を考えているブルックも、本来は北軍の将軍として戦うはずだったグラント中尉も同じこと。
だから、南軍が負ける前に動かなければならないとブルック大尉は焦ったのだ。
これに対し、北軍の順当な勝利を確信しているグラント中尉は事態を静観しているというのが現在の状況である。
ブルック大尉の内心の焦りを理解している象山は静かに尋ねる。
「僕の宣言文?
3年前に君にチェックして貰った、あの宣言文のことかね?
あれは、確か、君が本国に送ったと聞いたが。
その上で、君の知人たち、アメリカ人達は、あれを採用しなかったのだろう。
だから、紛争となってしまった。
それを今更、どうすると言うのだ」
「確かに、3年前、君の宣言文を届けても、彼らはあの宣言を採用しなかった。
だから、今回は私が自分で届け、説得したいのだ。
紛争が始まったばかりの今ならば、まだ、内戦を止められる可能性はあるはずだ」
「紛争が始まってしまった今、あの宣言に戦いを止めるだけの力はない。
もし採用されたとしても、下手をすれば、戦いがより熾烈となる切っ掛けになりかねないぞ」
象山がそう言うとブルック大尉はため息を吐いて頷く。
「しかし、講和交渉の切っ掛けとなる可能性はある。
北軍側の大義名分が曖昧になれば、戦う理由もなくなるかもしれない」
「それは希望的観測だ。
もう既に殺し合いは始まってしまっている。
憎しみの連鎖は始まっているのだ。
互いに信じる大義の下で行われる戦いは、より凄惨なものとなる危険性がある」
「それを防ぐ為にも、私はアメリカに戻りたいのだ」
ブルック大尉がそう言うと象山は暫く考えてから尋ねる。
「確かに、可能性はゼロではないと思う。
だが、それなら、どうして、僕を訪ねて来たのだ?
僕には、君の辞職を決める権限はない。
僕は、あくまで顧問に過ぎないからな。
君が訪問するべきは、国防軍総裁、一橋慶喜公ではないか。
また、君の雇用契約の際に、君が辞職を求めた場合の条件も定められているはず。
これも、僕が変えられる話ではない。
君は、僕に何を求めているのだ?」
象山が尋ねるとブルック大尉が応える。
「辞職する場合は、ここで得た技術を口外しないことだったかな?
確かに、ここにあるのは世界でも最先端の技術ばかりだ。
椎の実型の爆裂弾、ガトリング砲、ライフル銃、甲鉄艦、統一規格による大量生産。
驚くべき技術が、この日本には沢山ある。
その技術流出を恐れる気持ちは良く解っている。
日本に来た当初は、こんな技術が日本に生まれるなどとは想像もしていなかった。
だから、契約締結当初は、随分、大げさな契約だと思ったが。
技術開発に成功した今となっては、慧眼としか言いようがない」
日本は平八の持っていた先の世の技術の話を参考として、技術開発を進めていた。
行先の解らない道を進むのではなく、ある程度の目的地が解った上で行う技術開発は非常に効率的なものとなっていた。
だが、日本全体の工業化自体は、まだまだ欧米先進国と比較すれば遅れている。
日本にある最新技術が欧米に知られる様になれば、すぐに、その優れた工業力で模倣され、大量生産されることになるだろう。
だからこそ、技術の秘匿は最重要項目であったのだ。
それは、平八の夢の中のブルック大尉も同じことを経験している。
1861年南軍の海軍に参加したブルック大尉は中佐に昇進。
木製のフリゲート艦メリマック号を、装甲艦(甲鉄艦)バージニア号に改修。
そこで装甲艦の優秀さを実績で示すことになる。
ところが、その優秀さを認めた北軍は、すぐに、その優れた工業力を利用して、装甲艦を模倣し、大量生産。
その性能では北軍の開発した装甲艦は、ブルック中佐の開発した装甲艦には劣るものの、大量生産された北軍の装甲艦に南軍は苦しめられることとなる。
その様な事態は、日本としては絶対に避けたいことであった。
「君が約束を守ってくれるなら、我らとしては、君が日ノ本を離れることに反対するつもりはない。
それが、最初からの約束だからな。
正直言えば、不安ではある。
君が南軍に参加するのであれば、苦しい戦いになるだろう。
劣勢の軍を守る為、ここでの知識を使いたくなるに違いない。
だが、我らは君を信じることにしたのだ。
その事は、慶喜公も同じだろう。
君の辞任には、反対されないと思う」
象山の言葉にブルック大尉は頷く。
「その信頼には、心より感謝する。
それに、約束を破ったところで、アメリカ連合国(南軍)に武器の大量生産を出来る様な工業力はない。
だから、いくら戦況が苦しくなろうと、無意味な約束違反をするつもりはないよ」
「確かに無意味だな。
それで?
君が僕に会いに来た理由は?」
「二つある。
一つは君にしか出来ない、君に許可を貰うべきこと。
もう一つは、君からも慶喜公に話し、説得を頼みたいことだ」
「ほう、僕にしか出来ないことと、説得の助力か。
聞かせて貰おうではないか」
「まず、君の宣言文。
あれを君の発案であるということを隠させて貰いたい。
あの宣言文は、恐らく歴史に残る宣言だ。
本来ならば、その発案者である君が、賞賛を受けるべきであることは認識している。
だが、私がこれから行く南部には、愚かにも人種によって能力に差があると信じる愚か者が少なくないのだ。
アジア人である君の発案であると説明すれば、それだけで偏見を持たれ、聞かれない危険がある。
だから、君の発案であるのを隠すことを許して貰いたい」
「つまり、あの宣言文を君の発案であるとアメリカで説明したいという事か」
黙って自分の名で発表することも出来るだろうに、それでも敢えて象山の許可を取ろうとするところが、ブルック大尉の律儀さであろう。
そんな様子に好感を持ちながらも、象山が呟くとブルック大尉が応える。
「恥知らずの図々しい依頼であることは十分承知している。
別に、私は盗作で自分の名を上げたい訳ではないのだ。
だから、時が来れば、この宣言の真の発案者が君であることを公開しよう。
だが、それまで、君の宣言が発表されるまでは、君の名を隠すことを許して貰いたい」
ブルック大尉がそう言うと象山は頷いて応える。
「別に、僕の名を出さなくても構わない。
日本なら、僕の名を出せば、僕の威光が伝わり、採用の確立も上がるだろうが、アメリカでは無理だろう。
それに、日ノ本は国として、敵を作りたくない状況。
日ノ本の僕の宣言文だと知られれば、日ノ本が敵意を買う危険もある。
それを考えれば、名前は隠しておいて貰った方が都合が良い位だ」
「寛大な言葉を感謝します」
「それで?
もう一つ、慶喜公へ口利きを頼みたい件とは?」
「私が、アメリカ連合国に行く為の船を出して貰いたい。
現在、日本はアメリカ合衆国と定期的に交易を行っている。
その寄港先は、サンフランシスコが中心。
だが、サンフランシスコは、アメリカ合衆国の勢力範囲。
その交易船に乗せて貰って、アメリカに戻ったとすれば、合衆国を離脱し、連合国に参加するには、どうしても時間が掛かる。
私は、一刻も早く、アメリカ連合国に行って、その指導者たちを説得したいのだ」
ブルック大尉の言葉に象山は顎を撫で、暫く考えてから尋ねる。
「我が国が、国家方針として、敵を作らないようにしているということは理解されていると思う。
その様な中、アメリカ連合国の為に、船を出すことは、アメリカ合衆国に敵対行為と見られる危険があることは理解されておられるか」
「だから、ショーに口利きをお願いしたいのです。
私の目的は、紛争の早期解決。
紛争の激化を望んでいる訳ではない以上、敵対行為だと見られる危険は少ないはずです」
「では、君は我が国に、武器の供給を望まないということでよろしいのか?」
象山は一歩踏み込んで尋ねる。
いくら急いでいるとは言え、サンフランシスコ経由でも、ブルック大尉がアメリカ連合国に参戦することは不可能ではないはず。
実際に、多くのアメリカ合衆国軍人が退役して、アメリカ連合国に加勢しているのだ。
ブルック大尉一人が、連合国側に参加することが難しいはずはない。
となれば、ブルック大尉の本当の目的は別にあるのではないかと考えたのだ。
工業力の劣るアメリカ連合国。
そこに、もし優れた武器を持つ日本の存在を知らせる事が出来るなら。
武器の供給先として、アメリカ連合国首脳陣に、日本を意識させようとしているのではないかと疑ったのだ。
象山の質問に、ブルック大尉は苦笑する。
「本当にショーには隠し事が出来ないな。
確かに、内戦が始まった場合、日本に武器供給を頼みたいのは、正直なところではあるな」
そう言われて象山は首を振り応える。
「大前提として、日本は敵を作りたくないということがある。
だから、堂々と武器供与することは不可能だ。
その上で、武器供与を知られれば、アメリカ合衆国から攻撃される危険もある。
その場合、アメリカ合衆国の臨検を拒否し、攻撃されれば、相手を壊滅する必要がある。
日本だと知られない様にする為に徹底的に破壊する必要があるのだ。
それは、紛争を早期に解決したいという君の本来の目的に反することにならないか」
象山の疑問にブルックは応える。
「私が目的とするのは、どちらかの勝ちではない。
勢力の拮抗だ。
勢力が拮抗すれば、結果として被害は減り、講和へと至れるはず。
その為に、一時的に犠牲が生ずることは許容しなければならないと思っている」
「それから、もう一つ。
ここが、重要なことなのではあるが。
アメリカ連合国は人種差別が激しいと聞いている。
白人が優れ、有色人種が劣等だと考える人々が多いと。
その様な国を助ける意義が、我が国に本当にあるとお思いか」
「確かに、アメリカ連合国には人種差別主義者が少なくない。
だからこそ、あなた方の助けが彼らを変えるとは思いませんか?
あなた方の武器供与によって、自分の故郷、家族が守られるなら、誰が、あなた方有色人種を侮れるでしょう。
少なくとも、武器供与をあなた方に依頼するならば、日本に対する差別的態度は禁止にすることを約束させましょう」
巨大な歴史の渦が巻き起ころうとしていた。
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