第二十話 日本の御裁き

酔った国防軍隊員が市民に斬りかかることなどありえない。

淡々と語る評定方木村敬蔵の言葉に、ピリリョフが食って掛かる。


「確かに、治安を守るべき治安部隊が酒に酔って、暴行を働くなどあり得ないことでしょう。

だが、実際に、ここに被害者がいるのです。

ならば、あり得ないはずの事を、その男がやったことは明白。

それを、何故、否定されるのか」


ピリリョフの言葉に、木村が静かに応える。


「心得の問題ではない。

仕組みの問題として不可能なのだ。

国防軍の兵士は、非番の際に武器を持つことは禁じられておる。

あくまでも、武器を渡され、持っていられるのはお役目中だけ。

渡された武器は、お役目の時間以外には武器庫に返さねばならぬ。

それは、刀でさえも同じことだ。

そして、お役目中ならば、隊服を着用せねばならぬのも、また定められておる。

そんな状況で、酒を飲むなど不可能なのだ」


それは、全て阿部正弘と佐久間象山が作り上げた仕組みだった。

武士にとって、刀は、その存在意義を示す物であった。

刀こそ、武士の魂であった。

だが、それを阿部正弘と佐久間象山は、慎重に、慎重に、その常識を変えていったのだ。


刀とは主や国を守る為にある物。

己が力を誇示する為に持つ物にあらず。

士官をしたいなら、国防軍に行けば良い。

国や主を守る姿勢も見せず、刀を持ち歩くのは、自己顕示欲の為の恥ずべき行為である。

その様に人々の常識を変えていき、主を持たない浪人が刀を持ち歩くことを難しい状況を作り上げていった。

国防軍の兵士が、勤務時間以外に武器を持てないようにした。

それが、平八が夢で見たという浪人による闇討ちを防ぐ為の一手だった訳だ。

主を持たない浪人は武器を持ち歩きにくい。

主のある侍や国防軍は、責任が主にも及ぶ為に、闇討ちなどは簡単に出来ない。

その仕組みが、ピリリョフの言う闇討ちを不可能にしているのだ。

思いがけない木村の指摘にピリーリョフが慌てる。


「であったとしても、実際に酒に酔った日本人が斬りかかったという事実は変わらない。

仕組みがなんだ。

事実は変わらないのではないか」


ピリリョフの言葉に首を振り木村が静かに告げる。


「だから、勘違いがあるのではないかとお尋ねしております。

当日、そこなる下村が、何処かで酒を飲んだという証言は得られておりません。

何処の酒場にも、隊服を着用した者が現れて、酒を飲んだという証言はない。

一方、下村に斬られたロシア船員の方々が、大層飲まれていたという証言は、あちらこちらから得ております」


「被害者である我々が、酒に酔い嘘を吐いたと言うのか」


ピリリョフが激高するのに対し、木村は静かに応える。


「嘘を吐いたとは申しておりません。

だが、人間、酒に酔えば、前後不覚になるのも良くあること。

酔って勘違いされたのではないかと申しているのです」


ピリリョフは木村が穏便に話をまとめようとしている意図に気付く。

これ以上、日本側のミスであるとロシア側が騒ぎ立てれば、どうしても事実を明らかにせざるを得なくなる。

日本側の過失か、ロシア側の過失であったかだ。

だが、ピリリョフは、この事件がロシアと日本の対立の火種になっても構わないと考えている。

実際に、ロシア側に被害が出ているのだ。

穏便に済まそうとするのは、調べた結果、日本側に瑕疵があったということだろう。

そう考えて、ピリリョフは妥協せず、強気に返す。


「日本の官憲が日本の商人に取り調べを行えば、日本の役人の批判など、するはずがないでしょう。

アジアでは、よくある事ではありませんか。

そして、仮に被害を受けた船員たちが酒を飲んだとしても、日本の弱い酒では酔うことなどありません。

そもそも、酒を飲むことは合法。

酒を飲んだだけで、斬られる理由にはならないはずではありませんか」


ピリリョフの言葉に木村は首を振る。


「証言をしたのは、店の者だけではありません。

客として来ていたイギリス、フランスの方々も証言されているのです。

ロシア船員が泥酔していたことを。

逆に、隊服を着た者が酒を飲んでいるのを見た者はみつけられなかったのです」


「目撃者がいなかったとしても、その男が酒を飲んでいなかったことを証明出来た訳ではないだろう。

家から飲んでいったのかもしれないではないか」


「ご存じないか?

この島では、酒は酒場で飲むことは出来ても、買って帰ることは出来ません。

この男は、非番の日に飲んで暴れたことはあるようですが、家で飲むことは出来ぬのです。

加えて、この男の家探しもしましたが、酒はみつかっておりません」


異人のいる島で日本人による闇討ちが起きるのは避けたいところ。

だから、幕府は、この島では日本人は酒を買えないように定めていた。

酒を飲めるのは、武器を持たない非番の酒場でだけ。

闇討ちが起きる危険は最小限にしてあるのだ。


「加えて言えば、そこの下村は、事件当時、治安維持の為の巡回中であったことが確認されております。

巡回するのは、二人一組。

一緒に回った伊藤甲子太郎なる者も、飲酒などしていなかったと証言しております」


「身内の意見など、何処まで信用出来るか。

そもそも、巡回中であったなら、どうして、その男が一人で斬りかかったのだ」


「伊藤の証言によると、路地裏から女の悲鳴が聞こえたとのこと。

それで、悲鳴を上げた女を探す為に、走っている内にはぐれたと聞いている」


「女の悲鳴?その様なものがあったとは聞いていませんが」


「ええ、あなた方の証言では、その様な話は出ておりません。

ですが、事件が起きた際に、現場付近で、女の悲鳴があったとの証言は、他にも取れているのです。

本当にあなた方は、女の悲鳴を聞いていないのか」


木村は腕を斬られたロシア人を見て尋ねると男は首を振る。

それを見てピリリョフが声を荒げる。


「彼は聞いていないと言っているではありませんか。

彼が嘘を吐いているとでも仰っているんですか」


「嘘を吐いているとは決めつけ、侮辱するつもりはない。

だが、彼が聞いてい様と聞いていまいと、

事件当時、現場付近で女の悲鳴を聞いた者が複数以上存在するのは、客観的な事実だ。

だから、確認しておきたかったのだ。

彼は女性の悲鳴を聞いたのか、聞いていなかったのかを。

女性の悲鳴はあった。

ならば、彼は泥酔して、聞いていなかったのか。

あるいは、女性の悲鳴が聞こえない様な場所にいたのか」


ピリリョフは木村の歯に物が挟まった様な言い方に違和感を覚える。

この男は何を意図しているのだ。

何処かに誘導される様な気味の悪さを感じていた。


「あくまで事実を確認するだけという事ですか」


「その通り。

我が国のお裁き(裁判)では、事実が重要である。

余談を持って、裁くことのない様、強く申し付けられておる」


本当のところ、これは、あくまでも、異人相手の方針に過ぎない。

実際、この当時の日本の取り調べでは、拷問は普通に行われていたし、自白偏重であったのは間違いない。

だが、そんなことを知られれば、日本の法に対する異国の信頼が落ちる。

それ故、日本の法も、異国を参考に徐々に変えていく方針が決められていた。

そして、それに先駆け、異人絡みのお裁きでは、自白に頼らず、客観的な事実の積み重ねで、事実を暴くことが求められていたのだ。

ピリリョフを見詰めながら、木村は続ける。


「そこで、我らは、事件当時、悲鳴を上げたという女性を探した。

何かを見ている可能性があるからな。

事件の内容を伝えた上で、このままなら、下村は死罪となること。

目撃した者が証言しても、罪に問わないことを伝えた。

その結果、申し出た者がいる。

入れろ!」


木村がそう言うと、遊女がお白洲に入って来る。

遊女がお白洲に座ると、木村が尋ねる。


「まず、名を名乗れ」


「対馬遊郭、遊女もとでござりんす」


「さて、事件の際、お前が悲鳴を上げていたと聞いたのだが、何があった」


「はい。

あの夜は、お座敷に行く途中、泥酔された異人さんに絡まれましんした。

お待ちのお客様がおりんしたので、お断りしたのでありんすが、言葉が通じず、襲いかかられたのでござりんす」


「それで、悲鳴を上げたと?」


「いくら遊女とは言え、言葉の通じねえ異人さんに襲われるのは恐ろしゅうござりんすから」


「悲鳴を上げたら、どうなった?」


木村がそう尋ねると、遊女は下村を指差し、


「そこの国防軍の方が駆けつけておくんなんした」


「駆けつけてどうなった?」


「そこのお方と異人さんは、異国の言葉で話されまして、お侍さんは刀を抜かれんした」


ロシア語で訳される二人のやり取りを聞いて、ピリリョフは顔色を変えて割って入る。


「待たれよ。

まさか、被害者の二人が、その娼婦をレイプしようとしたから、斬られたとでも言いだすつもりか」


慌てるピリリョフは尻目の木村は平然と続ける。


「私は、ただ事実を確認したいだけ。

だから、発言に間違いはないか確認させて頂いたではありませんか」


そう言われてピリリョフは考える。

今回、連れて行ったロシア船員たちは、素行の良い者ばかりではない。

アジアは蛮族の地だと野蛮な振る舞いをする人間も少なくないのだ。

腕を斬られた船員に目を向けると青い顔をして首を振っている。

だが、その表情を見た限り、動揺しているのは一目瞭然。

犯罪者が犯罪を否定するのは当然のこと。

まさか、ついさっきの自分の発言が自分に刺さって来るとは。

しかし、ここで黙って引く訳にはいかない。

そう考えて、ピリリョフは強気に出る。


「それは、その娼婦の発言を信じてのことですか?

日本の警察では、罪人つみびとである娼婦の言葉を我らロシア人船員より、信じると仰せなのか?」


キリスト教において、結婚しない男女がSEXをすることは罪であるとされる。

それどころか、女性を見て発情することさえ宗教的な罪であるとされるのだ。

従って、キリスト教圏において、娼婦は罪深き者たちとされる。

ピリリョフは、その点を突き、目の前の女の証言など信じるに値しないと主張したのだ。

だが、ここは日本。

キリスト教とは異なる倫理観が支配する土地であった。


「遊女であろうと、その証言の重みは変わらない。

ロシアでは、遊女は蔑まれた立場なのかもしれない。

だが、我が国では、春を売ることは罪ではない。

日本では、遊女は倫理的に蔑まれ、否定される様な立場の者ではないのだ」


これに対して、日本では、そもそも性を罪とは考えない。

性は食べることや寝ること同様の自然な欲求であると考えられていた。

だから、女も男も春を売るし、田舎の祭りの夜は乱交が当たり前、夜這いなども、田舎では普通のこととして行われていたのが日本の文化なのだ。

ピリリョフが呆気に取られていると木村が続ける。


「重要なのは、実際に何が行われたのかという事。

仮に嘘を吐いたとしても、事実を確認し、嘘を見抜けば良いだけの話だ。

話を続けよう」


木村は再び遊女に目を向けると尋ねる。


「さて、下村が刀を抜いた後、どうなった?」


「はい。

異人の方が驚き、怯えた様で、あちきを盾にして、短筒(銃)を構えられんした」


「ほう、短筒を。

それで、どうなった?」


「異人さんとお侍さんは何か異国の言葉で話されんしたが、あちきを盾にした異人さんが、短筒をあちきの頭に向けると、お侍さんはその異人さんの喉を一突きにされんした。

そして、血の吹き出す中、落した短筒をもう一人の異人さんが拾おうとしたところ、その手を斬り捨てられんした」


遊女から語られる驚くべき事実に、聴衆からは驚きの声が広がる。

ロシア船員が女性に暴行しようとした上で、取り押さえに来た官憲に武器を向けたのでは自業自得も良い所ではないか。

むしろ、容疑者とされている侍は、二人の暴漢から女性を守った英雄ではないかと。

その空気を嫌ったピリリョフは大声を上げる。


「それは、あくまで、その娼婦の証言に過ぎぬではないか。

金を貰って男に抱かれる様な女は、金を貰えば平気で嘘を吐くのではないか。

日本の常識がどうであろうと、私は、その娼婦より、我が国の船員を信じる。

だいたい、どうして、その娼婦は、今更、そんな証言をするのだ。

事件が起きた時に、証言していれば、済むことでないか。

後になって出てきたということは、何か後ろめたいことがある証拠ではないのか」


ピリリョフの発言に木村は静かに頷き、遊女に尋ねる。


「私も不思議に思う。

何故、お前は、事件が起きた時、すぐに申し出なかったのだ?」


木村が尋ねると遊女は静かに応える。


「あちきが襲われた為に、異人さんが二人も斬られておりんす。

お奉行様はあちきの言葉も信じてくれると仰っておくんなんしたが、そこの異人さんの様にあちきを蔑む方もいらっしゃいんす。

そんな中で、あちきがどの様に扱われるか解らず、恐ろしゅうて」


「逃げたということか」


「はい。

でも、あちきが黙っていては、あちきを守って下さったお侍さんが死罪になると聞きまして」


「それで名乗り出たということか。

安心せい。

襲われた女子おなごを裁く法は我が国にはない。

それで、お前は、その女を守る為に黙っていたと言う事か。

もう、その女が裁かれることはない。

それならば、話しても良いだろう。

何が起きたか話せ」


木村が下村に話しかけると下村は重い口を開く。


「大筋においでは、その女の話した通り。

ロシア人達は金だら払うがら、抱がせろど伝えろど言ってぎだ。

ですが、遊女だって、気に入らねえ男を断るごどは出来るはず。

振られだのだがら、野暮はするなど言うが通じず、女に乱暴すっぺどした。

そごで、私は威嚇の為、刀抜いだが、どういう訳だが、ロシア人は持っていねえはずの短筒抜いでぎだ。

そごで、短筒下げる様指示出したが、力及ばず。

女を傷づげる恐れがあるど判断し、斬らざる得ませんでした」


「そのことを女を守る為に黙っていたと言うことか?」


「実際に、私がロシア人を斬ったごどは事実。

その罪は、私が背負えば良いごど。

言い訳の様な見苦しい真似は致しません」


下村がそう言いきると、ピリリョフが再び慌てて声を荒げる。


「そんなのは、全て、罰を受けたくない娼婦と人殺しの戯言ではないか。

どこに、そんなことがあった証拠があるのだ。

そんな証言だけで罪を認めず、こちらに罪を擦り付けるなど、看過することは出来ない」


ピリリョフがそんな風に叫ぶが、聴衆の空気は既にロシアに冷たくなってきている。

そこまで来て、ようやく、木村が何度も証言の確認をしてきた理由に気が付く。

これまでの会話の流れを見ていた者ならば、誰でもロシア側の証言は信用出来ないと判断するだろう。

完全に嵌められたとピリリョフは頭に血が上る。

それに対し、木村は相変わらず冷静に応える。


「証言だけで信用出来ないというのは、ごもっとも」


そう言うと木村は遊女に尋ねる。


「その方、事件が起きた夜に来ていた服は持ってはおらぬか。

横のロシア人が斬られたならば、返り血を浴びていてもおかしくはないが」


「申し訳ございんせん。

確かに、返り血は浴びた服はございんした。

でありんすが、事件の関わりを疑われることが恐ろしゅう、服は燃やしちまいましんした」


「そうか。

下村、ロシア人の持っていたという短筒は持っておらぬか」


「残念ながら、斬った後、医者を呼びに行っている間に、何処がにいっちったようです」


物的な証拠はない。

その事実にピリリョフが安心すると、木村から思いがけない言葉が掛けられる。


「それでは、ピリリョフ殿。

あなたの船、ロシア船ポサドニック号の捜索をさせて頂けませんか?

そもそも、今回の事件、上陸の際に預けたはずの武器を持っていたことが事件の発端だと、下村は申しております。。

武器さえ持っていなければ、斬らずに済んだとも。

ならば、ロシア船の捜索を行い、皆さんが武器を隠し持ったりしていないことを確認させてはいただけませんか?

そこで、ロシア船に武器がないことを確認出来れば、武器を向けた者に対処する為という下村の証言が嘘であることを証明出来ましょう」


そう提案されてピリリョフは内心蒼ざめる。

武器は全て渡したということにしているが、実際は、かなりの数を隠し持っているのだ。

酔ったロシア兵が振り回したというのも、その内の武器の一つだろう。

捜索など受ける訳にはいかない。

ここは強気に断り、日本の裁判の不公正を訴えるしかないだろう。


「そんな申し出を受ける訳にはいかない。

そもそも、武器なら、上陸の際に、全て預けたはずではないか。

それならば、武器が出てくるはずがない。

それなのに、万が一、武器が出てくるならば、それは我らが武器を隠し持っていたからにあらず。

日本側が持ち込んだ証拠なのではないか?

そもそも、酒を飲んだ国防軍隊員が我らに危害を加えられない仕組みになっていると言うなら、同様に日本に上陸したロシア人は武器を持てない仕組みにもなっているのではないか。

つまり、それだけで、あの証言が嘘であることは明らか。

日本の裁判は、真実を歪めようとするものなのか」


ピリリョフが発言すると、聴衆の間には冷たい空気が流れる。

これまでの裁判の流れを聞いている限り、日本側が真実を追求しようと調査を続けていたことは確か。

ピリリョフの口車に乗りそうな者は多くない。

だが、それでも、世界中に、日本が裁判を歪めたという『事実』を広げてしまえば、皆は日本への信頼を失っていくだろう。

そして、その上で、日本への攻撃を開始すれば良い。

ピリリョフがそう考えていると、思いがけない声が響き渡る。


「もう、十分だ。これ以上、みっともない真似をするな」


ポサドニック号は最終局面を迎えようとしていた。

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