第十六話 動乱への仕込み

ポサドニック号事件が起きている頃、佐久間象山と平八は横須賀造船所にいた。

象山と平八は、横須賀造船所で建造された甲鉄艦(装甲艦)の試乗に訪れたのである。

甲鉄艦は、日本の軍事上の最重要機密。

その存在と有用性を世界に知られれば、工業力に勝る欧米列強に大量に生産される危険がある。

実際、平八の見た世界線において、南軍でジョン・ブルック大尉の作った甲鉄艦が北軍艦隊相手に圧勝を収めると、北軍はその優れた工業力で大量の甲鉄艦を製造。

ブルック大尉の甲鉄艦に対抗し、ブルック大尉の甲鉄艦を苦しめたという事態が起きている。

だから、基礎的な工業力が劣る日本としては、異国に甲鉄艦の存在を知られる訳にはいかなかったのだ。

甲鉄艦の存在が欧米列強に知られない間だけは、日本が海軍力で一時的にでも欧米列強に対し優位に立つことが出来る。

その一時的な優位を有効に利用する為にも、日本は甲鉄艦の開発を隠さなければならなかったのである。


だが、これまで、日本本土に外国人技師を日本本土に招くことが出来なかった。

日本には、異人嫌いの空気が存在し、異国から隠す為とは言え、最新技術を日本本土で外国人技師と研究することが出来なかった。

それ故、機密漏洩を恐れながら、異人たちが来る父島で技術開発を続けるしかなかったのだ。


しかし、昨年1857年のアメリカ視察団の日本訪問で、日本の空気は大きく変わっていた。

人は知らないものを恐れ、嫌うものである。

異人とは、多くの日本人にとって、そういう存在であった。

それが、アメリカ視察団の日本訪問で、多くの者が異人を見世物の様に感じるようになっていた。

しかも、アメリカ視察団は、国を代表する者として日本を訪れている。

アメリカ人達は、日本への敬意を示す為、出来る限り、礼儀正しく振る舞ったのだ。

その態度が、日本人に好意を持って迎えられた。

そして、好意には、好意で返すのも人間というもの。

アメリカ人の日本訪問に係わった多くの者が異人に好意を持つ様になり、日本人の異人に対する拒否反応が減っていったのである。


となれば、最新技術の研究を異人に見られる危険のある父島などで、する必要がないと判断された。

そのおかげで、日本の最新技術であり、最高機密であるケリー=ベッセマー法による鉄鋼炉の開発、鉄で出来た甲鉄艦の開発は父島を離れ、横須賀に移すことが出来たのである。

ちなみに、海軍操練所は父島に置かれたまま。

オランダ人やアメリカ人の海軍教官にも、甲鉄艦は秘匿されていた。


これまで、模型の様な小さな船で何度も実験を繰り返した結果、今回、象山らが乗り込むのは、初の大型で、実戦にも使える甲鉄艦。

それが、想像以上の速さで、波を切り裂き進んで行く。


「素晴らしい。

木造の船から鉄で作った船に変えれば、船は必ず重く、遅くなるはず。

だが、この船は、他の蒸気船に勝るとも劣らぬ速さなのではないか」


象山が素直に賞賛すると、ブルック大尉は誇らしげに応える。


「蒸気機関の改良に成功しましたからな。

恐らく日本の蒸気機関は、世界でも最高水準にあります。

その上で、スクリューの形、大きさ、様々な工夫をした結果です。

その実験があるから、甲鉄艦は、これだけの速度を出せるのです」


「それも、全ては、あなたの指導の賜物。

我ら、日本人が世界最高水準の蒸気船を作る事が出来たとすれば、世界最高水準の教師である、あなたがいたからでしょう」


象山がそう言うとブルック大尉は肩を竦める。


「そもそも、日本には優れた技術者が多い」


ブルックは、ヒサ(田中久重)やカゾー(嘉蔵)を思い浮かべて応える。

ヨーロッパでも大学教授になれる程の知識を持つ人間が数多いる国。

人間の能力というものは、人種などには何の関係もないという事実をブルック大尉は実感させられていた。


「その上で、ショー(象山)のアイデアは卓越していました。

これまで、工業製品は、職人一人一人が作るものでした。

軍艦の様な巨大な物でも、一艘づつが船大工のオーダーメイドでした。

だが、あなたは、ネジから何から全ての物を企画を決め、統一した基準で製造する事を提案された。

最初は苦労したようですが、今や日本の職人は同じサイズのネジ、部品を作る事が可能となっています。

その事が、この船の大量生産を可能としたのです」


ブルック大尉は、尊敬の籠った目で象山を見ると、この男としては珍しく賞賛に対して胸を張るでもなく、居心地悪そうに苦笑する。

共通規格化に関するアイデアは、平八から聞いて伝えただけの物。

先の世で大量生産をする為に、実現するアイデアを先取りしただけのもの。

象山のアイデアではないのだ。

そして、彼のプライドは自分の手柄でない物を自分の物の様に話すことを許さなかった。


「いや、このアイデアに関しては、僕も文献から見つけただけのもの。

僕の手柄ではありません」


象山がそう言うと、ブルック大尉は象山の謙虚な態度を賞賛する。


「確かに、武器の共通規格は、古代のカルタゴから始まったと聞きます。

だが、それを実践する態度が素晴らしいのです。

それは、あの宣言文にも現れています」


ブルック大尉はそう言うと、従者に指示をして艦長室に書箱を取りに行かせる。


「宣言文?ああ、あれですか?

確認して頂けましたか?」


象山が嬉しそうに尋ねると、ブルック大尉は苦笑で返す。


「全く、この国には、どれだけの天才がいるのか。

ショーには、発明の才能だけではなく、演説の才能まであるとは。

しかも、外国語である英語で翻訳しても、感動させられるとは」


そう言われて、今度は自分で考えた宣言文である為に、象山は胸を張って応える。


「まあ、僕が天才であることは否定しませんが。

それでも、フランス人権宣言だの、アメリカ独立宣言だの、参考に出来る文書がありましたからな。

しかし、それでも、僕にとっては外国語に過ぎない。

文法の細かい所は間違っているかもしれない。

aやtheの使い方など、間違う訳にはいかない。

だから、間違いがないかの確認をお願いした訳です」


「確かに、日本語と英語では全く異なる言語ですからな。

多少の間違いがあり、それを皆で確認して訂正しておきました。

が、それでも、そのアイデアは素晴らしい。

難しい単語を使わず、長文を使わず、子どもでも解る様な簡単な文書でありながら、感動的なもの。

恐らく、あの思想は、まだ世界中の何処にも存在しない素晴らしいものです。

日本では、あの様な法が既に実施されているのですか」


「いえ、残念ながら、まだ、僕のアイデアに過ぎません。

これから幕府に提案し、採用された際に、世界にも発表しようと思うから、今回見て頂いたのですから」


ブルック大尉は感嘆の声を漏らす。


「本当に素晴らしい。

あなたの様な政治家がアメリカにいてくれれば、アメリカでも、奴隷を巡る対立など起きなかったでしょうに。

この宣言を見て思ったのですが、日本にも、奴隷を巡る対立があるのですか」


「いえ、日本にはアメリカの様な明確な奴隷という制度はありません。

ただ、年季奉公と言って、最初に給金を貰い、一定期間働く仕組みがあります。

商家の丁稚や、花街の遊女などがそれに当たりますな。

その様な者は酷使される傾向にあります。

しかし、僕としては、それが効率的に使われないのが、どうも気に喰いませんでな。

それで、あのような事を提案することにしたのですよ」


「我が国アメリカでも、奴隷の待遇を巡り、大きな議論が存在するのですが。

奴隷は買った者の物である。

どう扱おうと奴隷を買った者の自由であるとの意見が強くて」


「書いたこととは矛盾しますが、奴隷を人だと考えて差別意識を持つから間違うのです。

もっと合理的に考えるべきです。

人だと思えなければ、家畜だとでも思えば良い。

買った馬や牛を虐待し、使い潰す者は愚か者と呼ばれ、財産を失っていくことでしょう。

馬や牛でも、効率的に働かせる為には、十分な食事を与え、休憩を与えなければならない。

僕の提案は、そういう愚かな行為を規制するだけのもの。

どんな契約であろうとも、双方に利のある関係の方が長く有効なものなのです」


象山がそう言うとブルック大尉は黙って考え込むのだった。


******************


ブルック大尉から修正された『宣言文』を受け取り、甲鉄艦の試乗を終えると平八が象山に声を掛ける。


「いやあ、甲鉄艦は見事な物でございましたね」


「うむ、想像以上だ。

これで、我が国は甲鉄艦の増産に入る事が出来る。

銃や大砲も共通規格化に成功して大量生産が可能。

アメリカ南北戦争勃発まで、後3年。

何とか準備が、間に合いそうだ」


そう言うと象山はニヤリと笑う。


「準備と言えば、例の御触書の方はどうなりましたか?」


平八は象山と違って外国語は解らない。

だから、ブルック大尉と象山の英語での会話も理解出来なかったので、象山に会話の内容を確認するしかないのだ。


「問題ない。

多少の文法の間違いはあったようだが、十分、感動出来る物になっていたと感心していたぞ」


「ええ、感心していたのは、言葉が解らずとも察することが出来ました。

さすがは、象山先生。

こちらが大丈夫となれば、もう一つのお触れの方も」


「ああ、今回直されたお触れを参考に、大急ぎで書き、坂本君たちに渡そうと思う」


象山が悪い顔で笑うと平八はため息を吐く。


「しかし、ブルック大尉には皮肉なものですな。

あの方は、日本を助ける恩人。

その方を、ある意味騙す様なことになるとは」


「だからこそ、ジョン(ブルック大尉)に、この御触書の推敲を頼んだのだ。

この御触書は劇薬。

元々はアメリカの分裂を決定的にする為の物ではあるが、うまく使えばアメリカの分裂を防げる可能性すらある。

僕は、ジョンに示唆は与えたのだ。

それを利用しないのは、彼の判断だ」


「そりゃぁ、理屈ではそうですが。

恨まれることになりませんか」


平八が恐る恐る尋ねると象山が胸を張って応える。


「それは覚悟の上だ。

そもそも、君の夢において、南軍は敗れ、多くの南軍兵士が死ぬことになるはずなのだ。

だが、僕たちの策により、死ぬはずの南軍兵士が助かる可能性がある。

少なくとも、僕の良心に恥じることは何もない」


「その代わりに、北軍の兵士が死ぬことになるということでございますか。

アッシの様な庶民から見ると、他人の運命を握るという事が恐ろしくて溜まりませんよ」


平八がそう言うと象山は暫く考えてから、応える。


「平八君から160年後の世の話を聞き、僕の視野も広がった。

目先の日ノ本という国の行く末、天下国家だけでなく、もっと先の世を考え、地球全体のことを考えられるようになった」


そう言うと象山は感謝を込めた視線を平八に向ける。


「日ノ本が分裂するという運命を変えたくて、僕たちは足搔いてきた。

その結果、平八君の見た夢と今の世は大きく変わっているように見える。

だが、変わった様で変わらない物も多くある。

江川先生や阿部様は病で倒れ、藤田東湖殿は亡くなり、異国の船が江戸湾で遭難するという事件そのものは変わっていない。

そこから考えたのだ。

運命という物は、実は何も変わらぬのかもしれないと」


象山の思いがけない発言に平八は驚いて尋ねる。


「これだけ変えたのに、全ては無駄になるかもしれないということでございますか」


平八が驚くと象山は苦笑して応える。


「いや、言葉足らずだったな。

そういうことではないのだ。

実際に目先で変えられることは多いだろう。

例えば、平八君の夢では、江戸は地震や津波で多くの人が死に、更に異国から齎された疫病で多くの人が死んでいるという。

だが、今の世では、それらの被害を食い止めることが出来ている。

一方で、終わるはずのクリミア戦争が継続し、多くの者が追加で死んでいる。

本来起きるはずの第二次アヘン戦争が大規模には勃発しない代わりに、インド大反乱はより大規模となっている」


「それは、変わっているということではございませんか」


「目先ではな。

だが、千年先の世から見れば、あまり変わらないのではないかと、僕は思うのだ。

平八君の見た160年先の世では日ノ本が分裂し、白人が地球を支配していたと聞いた。

だが、千年も、そんな状況が続けられると思うか?

能力に人種は関係ない。

僕の存在が、その証拠だ。

平八君の夢でも、奴隷は解放されたと言う。

それならば、速度は遅くとも、人種は平等な方向へと動いていくのではないのか。

平八君の夢は、その通過点に過ぎないのではないか」


象山がそう言うと、平八は象山の壮大な視点に呆気に取られる。


「大河に岩を投げ込めば、多少の流れは変わるだろう。

死ぬはずの者が行き長らえ、死なないはずの者が逆に死ぬこともあるだろう。

あるいは、死ぬ人間の数だけは決まっていて、江戸で死ななかった代わりに、他の者が死んでいるのかもしれない。

だが、結局、大河の流れは元に戻るのやもしれぬ」


「たとえ、同じ流れに戻るとしても、より良い流れはあるのではございませんか?」


「そうだ。その通りだ。

だから、僕たちは、より良い世を実現する為に動く必要があるのだ。

日ノ本だけではない。

この地球全体の未来を見据えてな。

たとえ一時的に犠牲が出ようと、最終的に、より多くの者が笑える世。

何処に生まれようと、才ある者がその力を遺憾なく発揮出来る世。

それが実現されるならば、たとえ恨まれ、殺されることになっても、僕は厭わない」


象山の言葉に平八は息を飲む。


アメリカに嵐が近づいていた。


******************


象山と平八が象山書院に戻るとポサドニック号事件の事が齎される。


裏閣議の開催である。

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