第十八話 大将の器

グラント中佐が頭巾を外すと国防軍の反応は二つに分かれる。

納得する者と驚愕する者だ。


納得する者達は比較的柔軟な考えを持つ者達。

村田蔵六が、教官をアメリカ人に頼むことになったと言った時点から、既に蔵六の後ろに立つ人物がアメリカ人であると予想していたのだろう。

どんな人間なのだろうと好奇心に目を輝かせている者さえいる。


一方、驚愕した者たちは、少々頭の固い者達。

そもそも異人が日本に入って来るはずがないと思い込んでいたのだろう。

だから、頭巾をした謎の人物がいたとしても、それが異人であると想像さえしていなかったようだ。

ありえないことが起きたと驚愕で我を失う者もいれば、いち早く驚愕から立ち直り、裏切られた気分で怒りを露わにしている者もいる。


そんな中、蔵六は淡々と話始める。


「彼がアメリカからやって来たグラント中佐であります。

彼は、まだ日ノ本の言葉は解りません。

ですが、それ以外は、色素の量が違うだけで、我らと同じ人間であります」


蔵六はそう言い、グラント中佐と並んで見せる。

だが、そこで与える印象は蔵六の意図とは異なり、納得とは程遠いもの。

グラントは、この時代の日本人には珍しい髭面で、日本人よりもがっしりした体格。

肌の色も日本人の言う色白とは異なる白さで、彫が深く、鼻が高く、目と眉の距離が近いのも大きな違いだ。

これに対し、蔵六は小柄で色黒。頭が異常に大きく、目も大きく、眉も濃い。

蔵六自身が、一般的な日本人とは言い難い、かなりの異相なのだ。

そんな人間が、グラントの隣に並んだところで、同じ人間だと納得する者は皆無。

むしろ、蔵六よりも、異人のグラント中佐の方が自分に近いかもしれないと思う者もいたかもしれない。

それ位の違いに、何とも言い難い微妙な空気が流れる。


そんな中、頭巾を脱いで、辺りを見渡したグラントは蔵六に声を掛ける。


「ロック(蔵六)、そろそろ、私の方からも話をしたい。通訳をして貰えないか」


グラントが声を掛けると蔵六は通訳することに同意して、グラントの言葉を待つ。

これは、蔵六とグラントが予め相談していた流れだ。

グラントから見ても、蔵六はかなりの切れ者。

本で読んだだけと言うが、驚くほど軍事理論を理解し、自分の物にしている。

だが、グラントの目から見ると、ロック(蔵六)はアメリカ人以上に論理的で、相手の気持ちに鈍感であるように見えていた。

この辺は、グラントが、アメリカでリョーマ(龍馬)やセゴ(西郷)から、聞いていた情緒豊かで、理屈より感情を大事にする日本人とは大きな違いだ。

恐らく蔵六は、非常に優秀な参謀タイプなのだろう。

しかし、軍隊の指揮官に必要なのは論理だけではない。

だから、グラントは蔵六の苦手な感情面を受け持とうと、国防軍の説得に、参加することを申し出ていたのだ。


「君たちが外国人を嫌いなことは私も知っている。

だから、君たちが私を納得させることが出来るなら、すぐに日本を出て行くことを約束しよう」


蔵六がグラントの言葉を訳すと、一斉に視線がグラントに集まる。


「まず、聞こう。

君たちは何の為に、国防軍に参加したのだ!

この国を、外国の侵略から守る為ではないのか!」


訳された言葉に対して、当然だとか、お前に言われるまでもないなどの声が三々五々に上がるのを蔵六が『当然だといっております』と訳すとグラントは頷き続ける。


「では、更に聞こう。

君たちは、どうして陸軍にいるのだ?

この国を外国の侵略から守る為に、まず大事なのは海軍であるはずだ。

外国からの日本侵略を防ごうと思うなら、日本に来る侵略者の船を海で沈めることが一番であることは君らも解るだろう。

それにも関わらず、どうして、君たちは陸軍にいるのだ!」


その言葉に対する返事はバラバラだ。

もともと、今の国防軍で海軍に参加するには、外国語を話せなければいけないという条件がある。

これは、海軍の教官がオランダ人やアメリカ人であったからなのだが、その為に、海軍に行きたくても行けなかった者もいるのだ。

国防軍では、敵を知り、己を知り、地の利を知れば百戦危うからずを標語として、国防軍に入った者には、まず最初に語学学習をすることを義務付けている。

不満を持つ者も少なからずいるが、敵を知らずして、どうやって敵を倒せることが解るのだ!とは何度も国防軍で繰り返される言葉だ。

このように語学学習を義務付け、語学を習得した上で、海軍に行くことを望む者だけが海軍に行くのだが、陸軍に残る者には様々な者がいる。

一生懸命、外国語を習得しようとしても、外国語が習得出来ず、海軍に参加出来なかった者。

外国人の教官になど教わりたくはないと最初から外国語の勉強すら真面目にやらなかった者。

勝麟太郎の様に船に弱くて海軍参加を諦めた者。

様々な者が、それぞれの返事を訳すのをグラントは腕を組んで聞くと、声を上げる。


「船が苦手な者、言葉が習得出来なかった者は仕方がないだろう。

外国の軍隊が海軍の防衛網を破って日本上陸してきた場合に、駆けつけて敵軍を撃退する為に戦う軍隊が必要なのも事実だ。

ならば、君たちにはその役割を果たして貰おう。

海軍が打ち漏らし、上陸してしまった敵軍を撃退するのだ。

決して、君たちは海軍に行った者に劣る者などではない。

戦いには、様々なやり方がある。

語学が出来ずとも、船が苦手であろうとも、私が力を貸そう。

実際、私も君たちの言葉は解らないしな」


そう言うとグラントは笑って見せて話を続ける。


「だが、日本語は解らなくても、私は、君たち日本人が長い平和の中で経験することのなかった銃や大砲を使った戦闘に精通している。

私を信じて付いて来て貰いたい。

私が君たちを世界最強の軍隊に鍛え上げてやろう」


グラントがそう言うと、戸惑う者と、お前なんかに教わるつもりはない、お前が教官なんて認めないと叫ぶ者に分かれる。

だが、グラントは、そんな声を気にせずに続ける。


「だが、問題は教官が外国人だからと、海軍に参加しようともせず、外国語を学ぼうともしなかった諸君だ。

君たちは、本当に日本を守る気があるのか!

外国人を嫌いなことは理解出来る。

私だって、野蛮なアメリカ原住民に狩りの仕方など、習いたいとは思わない。

だが、我が祖国の為に、どうしてもバッファローの群れの位置を知る必要があるならば、彼らに頭を下げて教えを乞うことを厭わない。

君たちは、どうして外国人が嫌いなのだ?

君たちは、祖国を守ることよりも、自分の好みやプライドを守ることの方が重要なのか?」


グラントの言葉には、そのまま聞いても日本人には解り難いことがある為、蔵六は考えながら、国防軍の面々に解りやすく訳していく。

すると、さっきから蔵六に反論していた男(清河八郎)が答えたので、その言葉を蔵六が訳す。


「彼らは、日本列島は神聖な物であり、外国人はその神聖な物を穢す存在である。

穢れた異人などを日本に入れれば、天が怒り、天変地異を巻き起こすと言っております」


その言葉を聞いて、グラントは鼻で笑い、両手を軽く挙げ、肩を竦める。


「君たちの神は、我らの神より、ずっと度量が狭いようだな。

我らの神は、悪徳の街、ソドムとゴモラでさえ、数人の善人がいれば、その数人の善人を巻き添えにしない為に、街を滅ぼすことを踏み止まると約束されたお方だ。

それに対し、君らの神は、外国人がたった一人来ただけで、天変地異を起こし、関係ない者まで滅ぼされるとは」


ソドムとゴモラとは旧約聖書の中に出てくる悪徳の街。

性の乱れが激しく、それが原因で神に滅ぼされたと言う。

もし、江戸の性風俗を知れば、グラントは江戸をソドムとゴモラの様な街と感じたかもしれないが、まだ、そんなことを知らないグラントは、平気で例に挙げてしまう。

ちなみに、ソドムとゴモラが滅ぼされる直前に、ユダヤ人の始祖であるアブラハムが滞在し、ソドムとゴモラを滅ぼさないでくれと懇願して、数人の善人がいれば滅ぼさないと約束して貰ったとの伝説が聖書にはあるのである。

結局は、善人が足りなくて、ソドムとゴモラは、硫黄と熱で滅ぼされてしまうのであるが。

信仰厚いグラントからは、つい、こんな譬えが出てしまうのだろう。

だが、そんな譬えをそのまま通訳しても、聖書を知らない日本人には伝わらない。

だから、蔵六はどう訳したら伝わるか、ソドムとゴモラは何なのかをグラントに聞いてから、日本の言葉に通訳する。

その結果、グラントの言葉が悪かったのか、蔵六の通訳が悪かったのか、蔵六が訳し終えると、攘夷派の侍たちはいきり立つ。

それを抑え、清河が続ける。


「我らの天子様も、また寛容だ。

だから、まだ、あなたが、無事に日本にいることが出来るのだろう。

だが、我らは日本という聖域を穢すケダモノを受け入れることが出来ない。

あるいは、天に代わって、排除しようとする者も現れるかもしれないぞ」


その言葉を聞くと、グラントは確認する。


「つまり、それは、私を教官として迎え入れることを拒否するのは、君たちの気持ちの問題であると考えても構わないか」


それに対して、清河が答えるのを蔵六が考えながら通訳する。


「そうだ。野良犬が汚れた脚でベッドに入り込むことを我らは許さない。

天が許しても、我らが天に代わって悪を討つ」


この天誅という考えのもと、自分の考えと違う者たちが、続々と暗殺されたのが本来の幕末の歴史だ。

だが、既に国防軍の面々の武器は、軍に管理されているから、急に誰かに攻撃することは不可能だ。

また、国防軍に入っていない者にも、異人への勝手な攻撃を禁止する命令が幕府より出されている。

そもそも、国防軍以外の者が刀を持って街を歩くと白眼視されるような世の中に変わりつつあるのだ。

物理的に、暗殺やテロの可能性は減っている。

だが、全ての者の攘夷という心までが変わった訳ではない。

外国へ視察に行った者たちは、もう単純に攘夷などと言う者はいない。

国力の差を実感し、外国人の中には穢れているなどと言えない者がいることも実感したのだ。

だが、それ以外の者たちの気持ちも変える必要がある。

睨みつける清河に対し、グラントはニヤリと笑って答える。


「日本の侍は、命よりも名誉を大事にする誇り高き戦士だと聞いている。

今の私は、武器も持たない無力な存在だ。

そんな人間を、武器で脅し、襲い掛かる戦士の何処に誇りがあるのだ」


「誇りとは、人と人の間にある物だ。

獣に対して、礼を尽くす侍などいない」


「我らを獣と言うか。

ならば、再度問おう!

君たちは、今、その獣が群れを成し、襲ってきた時に、本当に勝てると思っているのか!」


グラントが一喝すると、言葉は通じなくとも百人近い国防軍の面々が気圧される。

敵を知れの標語の下、座学において、イギリス、ロシア、アメリカなどの欧米列強の国力、植民地、軍事力、近年の戦争の結果などを、国防軍の面々は散々知らされている。

イギリスが最近、隣の大国、清を破ったことも、ロシアやアメリカが信じられない位の広大な領土と豊富な兵を備えていることも聞かされているのだ。

風に関係なく、自在に高速で動く何十隻もの蒸気船。信じられない程の遠距離に届く鉄砲。

遠距離を飛び、その上で着弾時に爆発する大砲。

勢いと気合で勝てると強がることが出来る者はいても、思慮深い者ほど、簡単に反論することは難しかった。

まばらに勝てるという反論の声を聞いた後、声を和らげ、グラントは続ける。


「確かに、勇猛果敢な君たちなら、死力を尽くして戦えば、目の前のいくつかの戦場では、勝つことが出来る戦場もあるだろう。

だが、最後まで勝つことは不可能だ。

戦争は結局、強い者が勝つ。

勇猛さや戦術で、一つや二つの戦場で勝つことは出来ても、勝ち続けることは不可能だ。

より多くの兵を揃え、より多くの高性能の武器を持ち、兵への食糧、弾薬の補給を絶やさない。

結局、そういうことが出来る国力を持つ国が勝つのだ」


グラントは今度は、声を荒げたりせず、懇々と当然のことを伝えるように話す。

静まり返った現場で、グラントは再度尋ねる。


「君たちは、何の為に国防軍に参加したのだ?

どうすれば、日本を守れると考えているのだ」


国防軍への参加を決めた時は、攘夷の志の基、日本を守りたいの一心だった者もいる。

国防軍に入って成り上がりを夢見ていた者もいる。

だが、国防軍に入って教えられたのは、絶望的までに開いた欧米列強と日本の間の国力差だったのだ。

それでも、

『日本は神の国であり、元を吹き飛ばした神風が吹くのだ』

『アメリカの船もこの間、地震で沈められたではないか』

などの反論がマバラに聞かれるのを蔵六が訳す。

その返事を聞いて、グラントは頷いて見せる。


「なるほど、確かに、信仰は自由ではある。

だが、軍人であるなら、神の力は当てにするな。

もし、祈って国が守られるなら、軍人が命を懸ける必要などないのだ。

神の力に関係なく、日本を守る方法はないのか」


再び静かなグラントに気圧される一同。

異人の教官など受け入れられないと言いつつ、どうすれば日本を守れるか言い返せないことに忸怩たる思いを持つ者もいる。

答える者がいないので、グラントが続ける。


「日本を外国の侵略から守りたいなら、まずは時間を稼ぐことだ。

その間に、日本の産業を発展させ、武器を開発し、兵を鍛え、外国の侵略に備えるのだ。

国を強くする為には時間を稼ぐことが必要なのだ。

その為に、外国に日本侵略の口実を与えないことが重要だ。

君たちが、本心で外国人を嫌うことは自由ではある。

だが、子供でないのだから、そんな感情を、解りやすく外国人に知らせるな。

君たちが外国人襲撃などの軽率な行動を取れば、外国に日本侵略の口実を与えてしまうことを知れ。

自制しろ。それが、日本を守る為に必要なのだ」


グラントがそう言うと静まり返る一同の中、清河が尋ねるのを蔵六が訳す。


「だから、自分を教官として受け入れろと言うのか。

あなた自身がアメリカのスパイでない証拠はないのかと聞いているであります」


「スパイでない証拠などない。

だから、私の行動を見て、判断して貰うしかないだろう」


そう言うとグラントは一同を見渡して続ける。


「だが、私は、私を信じ、頼ってくれた人たちへの期待に応えたいと思っている。

何より、この国は美しい。

日本には美、調和、洗練がある。

私は、父島では発展していく、この国の産業を見てきた。

何より、日本人は庶民ですら、読み書きが出来ると言うではないか。

時間さえあれば、この国は、世界の一流国になれると、今は私も思っている」


グラントの言葉に静まり返る中、後ろから象山が、他の者にも解るよう、あえて日本語で声を掛ける。


「リズ、君を教官として迎え入れれば、日本を異国の侵略から守れると言うのか」


その言葉を蔵六が訳すと、グラントは微笑んで頷き答える。


「信じてくれ。

その為に、私は日本まで来たのだ。

私について来られるなら、私の知る戦略、戦術の全てを叩き込んでやる。

君たちを世界最強の軍隊に鍛え上げてやろう。

イギリスにも、ロシアにも、我が祖国アメリカにも負けない軍隊だ。

その上で、どうしても外国人が嫌いなら、君たちが最強の軍隊になった後、私を追い出せば良い」


グラントは自信満々に話した後、皮肉に口元を緩めて続ける。


「だが、私の訓練は厳しいぞ。

私の訓練に、ついて来る自信がないのなら、すぐに、私を追い出し、ロックの下での訓練を続けた方が良いかもしれないな」


グラントの言葉を蔵六が訳すと象山が笑って答える。


「その様な腰抜け、ここにはいないぞ!

日ノ本の武士もののふの強さを知って驚くが良い。

そんなことを言っているなら、すぐに最強の軍隊になった我らの下から、アメリカに帰ることになるぞ。

そうだろう。

この偉そうな男の訓練に耐え、その戦術、戦略を学び取れば、アメリカに追い返せるのだ。

君たちなら、そんなこと、簡単だろう」


象山がそう国防軍の面々に声を掛けると、事前に象山と平八が面談して打ち合わせて置いた河合継之助や井上源三郎など、攘夷の意思のない国防軍の面々が

『訓練が厳しいからと逃げる腰抜けはいない』

『とっとと、赤鬼の戦い方を学んでアメリカに追い返せ』

などと声を上げ、反論しにくい空気を作り出してしまう。

その空気の前に、攘夷派の面々も黙らざるを得なかった。


そして、この日から、国防軍、地獄の訓練が始まることとなるのである。


************


そして、それから半年の時間が経ち、アメリカから日本視察団が出発したとの連絡が入る。


日本視察団団長は、タウンゼント・ハリス。

平八の夢では、最初の日本領事になった男である。

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