第十九話 祭りが近づく

タウンゼント・ハリスを団長として、アメリカの日本視察団が1857年春に日本にやって来るという報告を、1856年末に佐久間象山、勝麟太郎と平八は中浜万次郎から受けていた。

場所は象山書院。

象山は上座に座り、平八はその横でそこでの討議を書き留めている。

平八は、夢を見て以来、夢で見た知識おかげで楷書なら、ある程度の読み書きを出来るようになったが、崩した草書が読めなかった。

だが、それでは不便だろうと、この三年間、象山らが平八に書の指導を行っていたのだ。

おかげで、平八の書の腕もそれなりに上がり、今では象山の指示を書き留める秘書の様な役割も果たしている。

勝麟太郎は、象山の隣で胡坐をかき、万次郎は正座で報告を始める。


とはいうものの、報告の内容そのものは、既に父島から届いている。

報告が届いたのに、万次郎がすぐに江戸に来られなかったのは、幕府が構築した交易制度が原因となっている。

誰だろうと異国に行ったものが直接に日本に入れない仕組みを構築しているのだ。

これは、日本人の外国人に対する拒絶反応を和らげることと、国防の二つの目的を持っている。


まず、交易を行うのは、北蝦夷(樺太)、対馬、父島に限定し、異国の船が立ち寄ることが出来るのも、異人が来ることが出来るのも、これらの島に限定する。

それも、北蝦夷はロシア、対馬はイギリス及びフランス、父島はアメリカと寄港出来る国を限定し、外国同士が直接日本では取引が出来ない仕組みを構築している。

この様に外国同士の日本での交流を制限したことにより、例えば戦争中のロシアがイギリスから買えない物を日本がイギリスから買い取り、それをロシアに販売して儲けることが出来る様にしたのだ。

このことにより、交易地間を動く交易船が活発となり、日本近海の哨戒が頻繁に行われるという利点も得ている。


そして、万次郎がなかなか江戸に戻れなかったのも、この制度が原因である。

当然のことであるが、外国に対して

「異人は日本を穢す穢れであるから、日本への上陸は許さない」などと言うことは出来ない。

だから、グラント中佐らに説明した様に、

「日本は疾病対策の為に、何人たりとも、外国から直接日本に入国することは許可しない」と伝えたのだ。

実際、日本が異人に慣れる前に、平八の夢で見たようにコレラが流行してしまえば、折角消えかかった攘夷熱が再燃してしまうという危険もある。

それ故、外国から来たものは、日本人であろうと船であろうとも、直接日本に入ることは許されないと定めたのである。

その結果、日本人であろうと、外国に行った者は、半月は交易地に滞在することを義務付けられている。

それで、万次郎も父島で半月待たされたのだ。

ちなみに、万次郎は自分がアメリカから乗ってきた船で江戸まで来た訳ではない。

日本の船であろうと外国に行った船が直接日本に来ることは許されていない。

その為、万次郎は父島に着くと、父島に半月滞在した後、国内移動用の蒸気船に乗り換えて、江戸まで来たのである。


「それで、来年の春にはハリス殿率いる日本視察団約100名がアメリカから来ることになっちゅーのけんど」


「うむ、それは既に報告書で読んでいる。

タウンゼント・ハリスというのは、平八君の夢で見た初代駐日アメリカ領事と同一人物と考えて間違いないのだろうか」


象山が尋ねると平八が考える。

万次郎も、アメリカに行っている間に麟太郎から平八の話は聞いているので、平八のことを隠すことなく話を続けることが出来るのだ。


「名前は同じではありますが、それだけでは何とも」


「同一人物だとすると、どういう人物だ」


「熱心な耶蘇教徒であると聞いております。

清教徒ピューリタンというとか。

生涯独身で、女を寄せ付けなかったとも聞きますが」


その説明を聞いて象山が万次郎に尋ねる。


「どうだ。今度来るハリスというのは、今、平八君が言った様な男か?」


そう言われて暫く考えてから万次郎は応える。


「確か、独身であるとは聞いておりますが」


「なるほど、そうすると堅物の可能性は高いか。

となると、色町などは紹介しない方が良さそうだな、麟太郎君」


「その辺は大丈夫でさぁ。

アメリカに行って、あっちは堅物が多いことは解ってますからね。

最初から、色町なんて用意しちゃあいませんよ」


「そうか、さすが麟太郎君だな。

となると、後はアメリカ側が思い通りに動いてくれるかだけだな。

そう言う訳だから、中浜君にはアメリカへの返信を運んで貰いたいのだが」


象山がそう言うと平八は阿部正弘より預かった桐の箱と手紙らしき物を取り出し、中浜の前に置く。


「これは公方様よりアメリカ・プレジデントへの親書である。

桐の箱の中身を見ても良いのはアメリカ、プレジデントだけ。中浜君も、決して開けないように」


「まるで、玉手箱みたいですな」


麟太郎が茶化す様に声を掛けると象山が苦笑する。


「こちらでは封蝋の習慣がないからな。

代わりに、この箱には紙で封をし、署名をしてある。

これでプレジデントにしか開けられない印としている訳だ。

とは言え、中身の解らない物を運ぶだけというのも気味の悪い事だろう。

だから、中身については、写しがあるので、それを中浜君に渡し、目を通しておいて貰う。

それで、内容について聞きたいことがあれば説明しておくこととしよう。

さあ、写しを読みたまえ」


象山がそう言うと、万次郎は封筒から親書の写しと言われた紙を取り出して、広げ読み始める。

読みだすタイミングを計り、象山はその中身について話始める。


「まず、アメリカの視察団は来年の春に日本に来る予定とのことであるが、視察団一行にはなるべく冬の終わりから、春の始めまでに、父島に到着するようにして欲しいと伝えて貰いたい」


「どいてやか」


「色々仕度があるのでな。

遅れられると折角の歓迎の準備の一部が無駄になりかねん。

最高の歓迎にする為に、父島まで、少し早めに来て、半月ほど待機して貰いたいと伝えて欲しいのだ」


「まあ、確かに迎える側としては、早めに来て貰うに越したことはねぇんですけど。

一国の視察団を半月も父島に待たせたりしても大丈夫なんですかい」


麟太郎が横から声を掛けてくるのに象山が答える。


「だから、事前に伝えるのだ。

条約で約束した通り、秋津洲への上陸は原則として許可しない。

アメリカと交易するのは、父島の上でだけだ。

とは言え、我らの視察団がアメリカで大歓迎を受けた以上、今回は特別に秋津洲への上陸を許可することにしたのだ。

とは言え、異国から来れば、疾病対策の為に誰であろうと半月は交易地点に滞在するのが、我が国の決まりだ。

その決まりに従って頂きたいと伝えて貰いたいのだ」


象山が強気な発言をするのを、平八が補足する。


「まあ、おそらく国際的に無礼と看做される様なことはないと思いますよ。

象山先生も、こんなことを仰せですが、アメリカ視察団が来た場合に納得して頂けるよう人員の準備も既に万端になさっているようですから」


「当然である。戦は始まる前に勝負が決まっているもの。僕が準備を怠るはずがないであろう」


象山がふんぞり返って、自慢げに笑う。

それを苦笑する一同。

そんな中、写しを読み続けていた万次郎が顔を上げて象山に確認する。


「父島に来てから、アメリカの船は父島にずっと停泊させること。

日ノ本に来てからの移動は日本側が全て責任を持つと提案するということでよろしいか」


「そうだ。わざわざ遠方より来て頂いたのだ。

日ノ本に来てからの移動は我らで責任を持つので、船員の方々には島で寛いで頂くか、視察団と共に日ノ本視察に来るかを選ぶように伝えて置いてくれ」


「まあ、建前としては、そんなところでしょうね。

で、本音の方は?」


「アメリカの視察団の移動をこちらで制限する為だ。

日ノ本の海岸線を異国の船に自由に動いて貰うのは日ノ本防衛の上でも問題がある。

その代わり、アメリカの視察団には特別に日本の各地名所を案内すると伝えて置いてくれ。

半年ほどの時間が貰えれば、江戸を皮切りに、視察団には日本各地を回って頂き、土地土地の土産を持って帰って頂く予定である」


象山が自慢げに話すのを聞いて、万次郎は呆気に取られる。

万次郎は、日本の攘夷の気質を知っている。

アメリカ帰りと言うだけで、売国奴と疑われるおかげで、万次郎などは未だに日本にいるよりも、船の方が居心地がいい位なのだから。

それなのに、アメリカの視察団が日本各地を回ることにするとは。


「その様に日ノ本各地で異人の訪問を受け入れてくれるのやろうか。

それに、攘夷をおらんだ侍が切りかかって来たりはせんのやろうか」


「まあ、その辺は大丈夫だろうぜ、中浜君。

異人の視察受け入れを申し出ているのは、異国との交易を申し入れている土地ばかり。

異人が来ることに反発の少ない土地ばかりだよ。

おまけに、警備の方も、かなり厳重な計画を立ててるからな」


そう言うと麟太郎は象山の方に顔を向けて尋ねる。


「だけど、象山先生、国防軍は、本当に計画通りに動けるんですか?

確かに、アメリカの日本視察団の警備と同時に国防軍の訓練を実施するスゲェ計画だとは思いますが」


「あの計画を立てたのは僕ではない。グラント君だ。

日ノ本が異国に攻められた場合に、一刻も早く兵を現地に送る為の訓練として丁度良いと提案してきてな。

村田君も大丈夫だと言ってきているので、まあ大丈夫だろう。

それに、日本商社の方も輸送、武器と補給の準備は出来ているのだろう」


「まあ、その辺は小栗様が計画を立てていましたが。

だけど、国防軍が計画通りに動くには、かなりの稽古が必要でしょう。

グラント殿に反発する連中がいるなら、うまく行かなくなるのではありませんか?」


「グラント君が教官になって半年。

追い出す為に早くグラント君の技術を習得するのだと学び始めても、方便でも一度、師として仰げば、親愛の情を持つのが人情。

教えてくれた者に対して、お前など、もう必要ないと言えるような不人情な者はほとんどいないだろう。

まあ、最初からグラント君から学ぶ気もなく、反発している者も幾らかはいるだろうが」


そう言うと象山は暫く考えて、平八に尋ねる。


「気を付けた方が良さそうな者はいるか、平八君」


その言葉に平八は記憶を探り出す。


「そうですな。

まずは、ハリス様が来るとすると、ハリス様の通訳として来たヒュースケン様を斬ったと言われている清河八郎様は気を付けた方がよろしいかと。

まあ、ヒュースケン様はオランダ語の通訳としてきたはずなので、アメリカの言葉を話せる者が多い今の日ノ本ではヒュースケン様そのものが視察団に参加されないかもしれませんが」


「清河君か。確か、グラント君、赴任の際に先頭を切って反対していた男だな」


「はい。そうでございます。

後、それで思い出しましたが、象山先生がグラント様赴任の際に声を掛けた時に象山先生を見ていた小柄で女性と見間違うような方がいたのですが、もしかすると、あれが河上彦斎かわかみげんさい様かもしれません」


平八がそう言うと象山は好奇心に目を輝かせる。


河上彦斎かわかみげんさい?確か、僕を斬るかもしれない男のことだな。

気が付いたなら、何故、教えてくれん。

僕を斬るかもしれない男なら、どんな男か見ておきたいではないか」


「アッシとしては、象山先生の安全の為にも、危険な連中にはなるべく会わず済ませて頂きたいのですが」


「だが、君の夢によれば、河上君は無知故に僕を斬ったが、後に僕の偉大さを知り後悔したと言うではないか。

それならば、事前に河上君に会い、僕の偉大さを理解させておいた方が安全になるやもしれんぞ」


確かにそんな可能性もないことはないが、河上彦斎は筋金入りの攘夷主義者だったと言われた男。

象山先生のことを知ったからと言って、本当に意見を変えるかどうか。

そういう意味では、やはり計画通りに進めた方が無難だろうと思い平八は返事をする。


「確かに、象山先生の偉大さを知れば河上様も、その威光にひれ伏すかもしれません。

ですが、警備のことを考えれば、予定通り、視察団に斬りかかる様な可能性がある連中は、中浜様にアラスカ探検に連れて行って貰った方が良いんじゃございませんでしょうか」


「アラスカ探検やか」


急に自分の名前が出てきたことで、万次郎はキョトンとして尋ねるので象山が説明する。


「そうだ。今度、日ノ本がロシアからアラスカ購入を決めたことは話したろう。

それで、今、アラスカを日本が保有し続ける価値があるか、それともユダヤ人に譲渡してしまうかで、幕府の意見が分かれているのだ。

平八君の情報が正しければ、アラスカには金、石油など鉱物資源が豊富とのことなので、保有の価値は十分にあるだろう。

だが、本当にアラスカに資源があるかは確認出来ていない。

だから、春が来て雪と氷が溶ければ、アラスカを探検しておこうという話になっているんだ」


象山の説明を平八が引き継ぐ。


「それで、そのアラスカに行く船を万次郎様に率いて貰きたいのでございます。

まずは、そのアメリカ・プレジデントへの親書をサンフランシスコまで運んで頂きます。

親書は、サンフランシスコの日本商社支社で坂本様に渡して頂ければ、後は問題なく、プレジデントまで渡して頂けることでしょう。

そして、親書を坂本様に渡したら、その船に、そのままアラスカ探検隊と一緒に異国嫌いの方々を護衛役としてまとめて連れて行って頂きたいのでございます」


平八がそう言うと麟太郎が同意する。


「なるほど、異国嫌いの何の言ったって、アメリカって奴の大きさを見せつけてやれば、攘夷なんて馬鹿なことは言えなくなるってことか」


この辺はアメリカ視察で麟太郎も経験してきたところ、納得の行く話ではあるが、万次郎は確認をする。


「けんど、異国嫌いの方々が、大人しゅうアラスカ探検に行くのやろうか」


「その辺の合意は既に取れているとのことだ。

グラント君の指揮下に入るのが嫌という連中、攘夷意識の強い連中、そういう連中を半年の間に探している。

そんな連中に水戸藩の方々から、穢れるのを覚悟で敵地に乗り込んだ方が、異人の教官の指示に従うよりマシだろうと煽って貰ったのだ。

今や、攘夷派の侍たちは、アラスカ探検に行くのを心待ちにしているとのことだぞ」


「なるほどねぇ。まあ、危なそうな連中がアラスカまで行ってくれるなら、問題はないか。

となると、危ない連中がいなくなった後、国防軍の連中に頼みたいことがあるんですが」


祭りの仕度は続いていく。

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