第十八話 アメリカ史上最悪の大統領
1856年1月、井伊直弼一行が、ワシントンに到着する。
サンフランシスコに到着してから、ワシントン到着までにかかった期間は約2か月。
太平洋から大西洋までパナマを鉄道で渡り、大西洋で待っていた船に乗り換えてアメリカ沿岸を進むと、沿岸の風景は、南部の地平線まで畑が続く光景から、北部に来ると今度はいくつもの煙突が並ぶ工業地帯へと変わる。
その巨大な農耕地と工業地帯の存在に圧倒される井伊直弼一行。
そして、日本人のニュースは新聞でアメリカ各地に報道されていたから、どこに行っても人が集まり大歓迎が繰り広げられる。
それは、もちろん首都ワシントンでも変わらない。
むしろ、その歓迎は今まで以上に熱烈であった。
これは、この時期のピアース大統領が、自らの政治的な失策から国民の目を逸らし、日本人の人気を利用し、日本との国交樹立を大事業達成の様に煽り立て、自らの人気回復を狙っていたのではないかとも言われている。
ピアース大統領は、日本視察団一行が来ると日本視察団一行をホワイトハウスに招き入れ、大勢の報道陣の前で挨拶をする。
「ようこそ、アメリカに。井伊宰相閣下。
ピアース大統領はそのハンサムな顔に人懐っこい笑顔を浮かべて握手を求める。
アメリカ側には宰相の一族であると紹介されている井伊直弼は、ピアース大統領の手を握り答える。
「大変な歓迎を感謝いたします。プレジデントピアース」
井伊直弼の通訳を務めるのは、勝麟太郎だ。
勝が通訳を務めることになったのは、幕臣の中では、最も英語に通じているという阿部正弘の推薦によるものである。
本当は阿部正弘と海舟会の意向を会談に反映させる為の手段ではあるのだが。
それでも、勝は平八から聞いていた情報をアメリカの新聞で確認した上で、小栗を通じて直弼に伝えており、直弼からも一定の信頼を得るようになっていたとも言われている。
他に、この会談に同席するのは、幕臣として小栗忠正。
長野主膳と福沢諭吉は、ワシントンまで来ているが、この会談への同席は許されていない。
この様に、団員の身分に拘り参加者が決まるのが、安政元年遣米視察団の特徴の一つと言われている。
「それは、あなた方、日本人への我々の感謝の気持ちです。
あなた方が、大地震に遭って大破したポーハタン号の乗員を命がけで助け、船を作って、送り届けて下さったことは、いくら感謝しても足りません」
ピアース大統領の言葉を勝が訳すと、直弼が答える。
「それは、当然のことをしたまでのこと。
我々は、ペリー提督と、アメリカ人が日本で遭難した場合は助けることをお約束しました。
だから、お助けしたまでのこと。
我々、日本人は約束を守るのです。
アメリカ人も、我々との約束を守って下されば、より良い関係を築けることでしょう」
アメリカ船は、小笠原諸島以外に立ち寄らないこと、日本の領土に来るは武装放棄して来ることという条約で決めた条件をポーハタン号が破っていたことを直弼が皮肉る。
だが、ポーハタン号の行動を知らないのか、ピアース大統領は微笑んで手を固く握り、親愛を込めるように直弼の肩を軽く叩き、挨拶を終える。
アメリカ人記者たちも、日本人の噂通りの謙虚さ、礼儀正しさ、真面目さに感心するだけで、直弼の皮肉には気が付かず、新聞には日本人を賞賛する記事が掲載されるだけで終わることとなる。
挨拶が終わると、記者団を残し、ピアース大統領と井伊直弼は条約の交渉の為に、部屋を移動する。
民主主義の国、アメリカと言えども交渉の場に記者を入れることはない。
アメリカ、日本の首脳が部屋に入り、扉を閉め、席に着くと、早速ピアースが尋ねる。
「さて、今回の日本の視察団は、アメリカの情勢を視察し、貿易をするに値する相手であるかを見極める為のものであると伺っております。
我が国は、貿易をするに値する国家であると認めて頂けたでしょうか」
アメリカの優位性を信じるピアース大統領は断られることなど、想像もせず、直弼に尋ねる。
「確かに、アメリカという国が予想以上に大きく、豊かな国であることは理解しました。
ですが、今回の我々は、ペリー提督が結ばれた条約の批准に参ったもの。
アメリカと交易を始めるかどうかは、これから、我らがアメリカの様子を我が国に報告し、検討させて頂くものでございます」
直弼にそう答えられ、ピアース大統領は慌てる。
ペリーが結んできた条約を批准したところで、それはペリーの手柄だ。
東洋の果てにいる神秘の国の素晴らしい人々をアメリカに紹介したと、ペリーの功績を称える声は日増しに大きくなっている。
その称賛の声をピアース大統領は自分の物にしたいのだ。
それなのに、条約批准だけで帰られては、何の手柄にもならないではないか。
いや、実際のところ、ペリーの手柄も実益があるものではない。
日本と国交を結べたことは確かだが、条約で約束したのは、日本の指定する地域を日本の領土として認め、日本の領土における日本の完全な主権を認め、武装して入らないことを約束する代わりに、遭難時のアメリカ人の保護と、小笠原諸島において捕鯨船のみが補給の為に寄港することを許されたのみ。
アメリカが日本に与えた利益と比較して、日本から得た利益の何と小さなことか。
ペリーの報告によれば、日本がアメリカ視察を行い、通商の約束を進めれば良いとあったではないか。
だから、アメリカの偉大さを見せつければ、喜んで通商条約を結んでくれると思っていたのに。
ピアース大統領には、この時期、どうしても外交的な大成功達成を実現しておく必要があったのだ。
昨年1855年はピアース大統領にとって、最悪の1年であった。
この頃、アメリカは黒人奴隷の労働に支えられた綿花のプランテーションを主要産業とする南部(奴隷州)と1812-14年の米英戦争以来、急速に工業化が進み黒人奴隷を必要としなくなった北部(自由州)との争いが始まっていた。
昨年のピアース大統領は、この南部と北部の対立を決定的な物としてしまったのだ。
特に問題となるのは、キューバ問題と自由州と奴隷州の区分けの変更だ。
キューバ問題については、ハイチで奴隷による革命が起こったことが、その発端である。
ハイチで起こった革命がキューバにも広がり、最終的にはアメリカがアフリカの様になるのではないかという恐怖が当時の南部のアメリカ人達には、確かにあったのだ。
ところが、キューバを植民地とするスペインは、キューバ独立を認める方向で動いているように見受けられえた。
その為、出来れば、キューバをスペインから交渉で買い取るか、それがダメなら武力行使も辞さないでアメリカの領地としようという計画(オステンド・マニフェスト)がピアース大統領の指揮で作られていた。
だが、その計画が議会で公表さると、北部の自由州はキューバを奴隷州にして奴隷州を増やすつもりかと激怒し、北部アメリカのピアース大統領への支持が激減することになる。
次に、自由州と奴隷州の区分けの変更についてだが、これも裏目に出てしまう。
これまで自由州と奴隷州の区分けは、北緯36度30分以北に新たに設けられる州では奴隷制度は禁止されるというミズリー妥協が存在していたのを、ピアース大統領は、州に住む住民が投票で選べるようにしてしまったのだ。
洲のことは住民が自分で決めるべきであり、関係ない別の地域の人間が口を出すべきではないというのが彼の考えだったのだろう。
実際、そこに住んでいる住民だけが投票するだけならば、何の問題も起きなかったのかもしれない。
だが、奴隷に反対する北部の勢力が南部に移住して来るようになってしまったのだ。
その結果、かえって奴隷を巡る対立は激化し、紛争が頻発することとなってしまい、最終的には、それが、これから5年後に起こる南北戦争の火種となってしまうのだ。
以上のことから、ピアース大統領の人気は急激な低下中。
平八の見た世界線においては、ピアース大統領は現職大統領であったにも関わらず、次の大統領選挙では、党の指名を受けることさえできず、大統領を続けられなくなり、アメリカ史上最悪の大統領の一人と言われるようになってしまうのである。
その様な事態を避けたいピアース大統領は、何としても、ここで成果を挙げておきたかった。
そして、その状況を勝から聞いて理解している井伊直弼と小栗は、交渉を日本に最も有利な形で進めようと手ぐすね引いていたのだ。
日本側は急いでアメリカと通商条約を結ぶ必要などない。
早く異国の技術を吸収し、軍備を整える必要はあるが、アメリカと交易を始めなくても、他の国との交易で儲けられる可能性もあるのだ。
日本にとっては、より有利な条件で交易相手を選びたいというのが今の状況。
それに対して、ピアース大統領は、アメリカ国民に支持を受ける範囲でなら、妥協してでも、何とかして通商条約を結びたい状況なのだ。
こんなに、有利な条件で、通商条約を結べる状況など、滅多にない機会である。
この様な有利な状況を勝に教えられた時、小栗も直弼もすぐには信じることが出来なかった。
日本では、
それなのに、アメリカではニュースペーパーという物に、政府の決定だけでなく、審議過程まで公開されてしまうというのだ。
日本の様な異国に知られれば、不利になる様な情報まで。
勝に言わせると、アメリカには武士がおらず、民草が兵となり、プレジデントを入れ札で決める国であるから、民草が納得して熱心に戦う為に、そしてプレジデントを選ぶ為に、ニュースペーパーで情報を公開する必要があるということなのだが、直弼には狂気の沙汰としか思えなかった。
だが、勝の読むニュースペーパーを他の者に訳させても、勝の言葉が正しいことを認めざるを得ないのだ。
日本が圧倒的有利な状況にあることを確認すると、直弼と小栗はアメリカを理解している勝を交えて
アメリカに飲ませる条件を検討し、この会談に臨んだのである。
「私は日本の全権代理として、アメリカに来ておりますので、確かにお望み通りアメリカと通商条約を結ぶことは可能です。
ですが、だからこそ、日本が不利になる条件で、通商条約を結ぶことは出来ません。
ですから、時間をかけて、他の国と比較しながら、お互いが納得出来る取り決めを結びたいのです」
直弼がそう言うと、ピアース大統領は考え込み、提案する。
「我々、アメリカは、あなた方が不利になる様な条件での条約を押し付けることはありません。
日本の要求される条件を言って頂けませんか?可能な限り、ご期待に添わせて頂きます」
「条件も何も。
我々は、どの様な条件で交易をするべきかすら、わからないのですよ。
我々は250年に亘り、オランダと付き合ってきました。
オランダは、我らの言う条件を全て飲んでくれました。
その上、軍艦で来たあなた方アメリカに、開国しないと攻撃すると脅されると、オランダは蒸気船や武器を寄贈してくれました。
実に得難い友人です。
ですが、これだけ良くして貰っていても、実際のところ、オランダとの交易の条件が、本当に我らにとって有利なものであるかは、わからないのです。
だから、私たちは、この地球のことをじっくり調べ、その上で交易をするかを決めたいのですよ」
直弼がそう言うと、アメリカ側は驚愕する。
「待って下さい。ペリー提督は、開国しないと攻撃すると、あなた方を脅迫したのですか?
私は、そんな報告を受けていません。
そもそも、私はペリーに日本を脅す様なことはするなと命令していたのです」
ピアース大統領は、全てはペリーの暴走であると説明しようとする。
実際、その通りなのを、勝は『知っている』が、直弼たちは知らない。
見苦しく言い訳しているようにしか見えないのだ。
「もし、仰る通り、本当にペリー提督の独断だったとしても、我ら日本の常識では、任命した者にも責任があると考えます。
ですが、アメリカでは責任を問われないのですかな?」
直弼の言葉にピアース大統領が絶望的になるところ、直弼は事前に相談していた通商の為の条件を出すことにするのだった。
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