第三十二話 収束する運命
大破したポーハタン号を父島まで曳航し、そこで修理することが決まると象山先生は、今集まれる海舟会の面々に招集を掛けた。
既に、吉田寅次郎さんと桂小五郎さんはロシア視察の為、樺太でロシア語習得に励んでいるが、父島に父島海軍伝習所が作られ、ポーハタン号を基に、軍艦の修復、製造をすることになると、更に、勝さんや龍馬さんも父島に移動することになり、江戸に残るのは象山先生、斉藤弥九郎先生、近藤さん、土方さん位になるので、その送別と今後の確認を兼ねて会う必要があると言い出したのだ。
集まった勝さん、龍馬さん、近藤さん、土方さん、それにアッシ、平八を見渡し象山先生が挨拶をする。
「まずは、良く集まってくれた。
残念ながら、既に、吉田君や桂君は樺太に行き、その後もロシアに行く予定であるから、なかなか僕の話を聞けなくなってしまっている。
地球で一番の賢者である僕の話を聞けなくなることに、彼らは大層落胆していることだと思う。
勿論、彼らが北蝦夷(樺太)に行く前、詩を献じ、激励もしてやり、北蝦夷(樺太)に行った後も、手紙もマメに送ってやっているのだが、やはり、直接会うのとは違うだろう。
僕自身、もっと、彼らに助言をしてやるべきではなかったかと後悔をしているところである。
そんな中、今度は勝君と坂本君も父島へ向かい、暫く、僕と対面することが出来なくなるという。
その後、アメリカ、あるいはヨーロッパに向かうことになるというのに、僕に会うことが出来なくなり、大層不安を感じていることだと思う。
また、国防軍に参加している近藤君や土方君も、厳しい訓練に励んでいるということであるから、心の支え、あるいは導く光が必要であると思う。
本日は、それを君たちに与える為に、集まって貰ったのだ」
象山先生の、実に象山先生らしい、激励に、思わず、苦笑が漏れる一同。
一番付き合いの長い勝さんはともかく、他の面々も象山先生と出会って、そろそろ1年半になる。
出会った頃なら、その口調に反発していそうな土方さん辺りも、わかっているのだろう。
佐久間象山という人は、本当に博識で、知恵も回るが、負けず嫌いで、頭を下げるのが苦手で、人付き合いが極端に下手な男だと言うことを。
彼の頭には天下国家と自分の誇りのことしかないが、それでも、それなりに、一同を心配しての発言であるということを。
おそらく、それを一番理解しているであろう勝さんが答える。
「随分とオイラ達のことを心配してくれているようで、感謝しますぜ、象山先生。
だけど、今のところ、十分うまくいってるじゃねぇですか。
建白書の内容は、オイラは勿論、龍馬も勇も、歳三だってわかってるんですぜ。
遠く離れようと、その方針は間違いやしませんよ。
そう、心配はいらねぇと思うんですが」
勝さんがそう言うと、象山先生は少し考える素振りを見せる。
まあ、そう思うのは当然かもしれないな。
アッシも象山先生に言われるまで気がつかなかったことだし、実際、表面上は順調そのものなのだから。
「ふむ、勝君は何の問題もないと見るか。
それでは、今回のポーハタン号について、何か感じたことはないか」
「ポーハタン号ですか? 地震の対策も含め、うまくやったんじゃないですかい。
事前に国防軍の部隊を被害の起きる見込みの地域に派遣しておいたおかげで火事が減ったり、瓦礫の下になった連中が救出されたり、下田じゃあ、津波で何十人も死ぬはずだったところ、ポーハタン号の船員が一人、大筒の下敷きになって亡くなっただけで、犠牲はほとんど出なかったって話じゃねぇですか。
いや、さすがですね。
それに、地震まで当てるとは、平八つぁんの予言もいよいよ本物だってことでしょ」
「いや、平八君の予言のことは良いのだ。
残念ながら、彼の予言が何故当たるのか、僕にもわからない。
だから、頼り過ぎることも危険なのだが、僕が聞きたいのは、ポーハタン号についてのことだよ」
「ポーハタン号? だから、うまくやったんじゃないですか?
ロシアの帆船の代わりに、蒸気船のポーハタン号が大破してくれたおかげで、蒸気船や蒸気機関の仕組みもわかりやすくなったって、職人連中は大喜びだって話だし、英語の勉強も、一人ひとり話せるので随分進んでいますしね。
おまけに、このポーハタン号には、平八つぁんの言っていた甲鉄艦の設計者ジョン・ブルック大尉まで乗っていたって言うじゃないですか。
てことは、うまくやりゃぁ、地球で最初の甲鉄艦を日ノ本で作れるかもしれねぇってことでしょ?
いやあ、うまく行き過ぎて怖い位だね」
勝さんがそう言うと象山先生は目を剥いて驚く。
「待て! ジョン・ブルック大尉まで乗っていたのか? それは、まだ報告を受けておらんぞ。
彼は本来、まだ、この国に来ていないはずなのに。
やはり、そういうことなのか」
象山先生が考え込むと龍馬さんが口を挟む。
「だけど、勝センセ。ワシは、あの黒船が沈んだのを見て、何とのう嫌な予感がしたんじゃが」
「嫌な予感て何のことだい?
あんたは黒船好きだから、黒船が壊れているのを見て、嫌な気分になってるだけじゃねぇのか」
土方さんがそう揶揄すると、龍馬さんが答える。
「いや、理由はわからん。只の勘や。やけんど、あのちゃがまった黒船を見ると、
何か悪いことが起きるような気がしてのう」
腕を組み考え込む龍馬さんを見て象山先生が口を開く。
「勝君、坂本君、土方君。僕は庶民の知恵という言葉が嫌いだ。
何も学ばず、何も知らず、何の努力もせず、感情のおもむくままに行動し、それが民意だ、天の声だ、庶民の知恵だなどと言う人間には嫌悪感を覚えるし、庶民の知恵に従えなんて言葉は、僕ら学者を馬鹿にした言葉だと思っている。
……だが、坂本君の様に、理由は判らないくても、論理も経緯も抜きにして、直観だけで正解だけを当てられる人間もいることも否定はしない。
厄介なことではあるがな」
「龍馬の見立ての方が正しいというんですかい?」
勝さんが訝し気に尋ねると象山先生が頷く。
「ポーハタン号沈没という事件が単体でもたらす利益は勝君の言う通りだ。
間違えてはいない。
だが、勝君は大きな誤解をしているようだな」
「誤解? どんなことですかい?」
「僕は、本気でポーハタン号の沈没を食い止めようとしていたんだ。
この僕が失敗するなど、想像もつかないことかもしれないが、認めざるを得ない。
僕は失敗したんだ」
「え? ポーハタン号の沈没を食い止めるつもりだった? それで、失敗って?」
「ポーハタン号沈没によって受けられる利益は勝君の言う通りだ。
ブルック大尉もいるのなら、その利益は計り知れない物となるだろう。
だが、僕は、いや、僕たちは、あの地震で異国の船が下田で沈むという事態を避けておきたかったのだ」
「そいつは、一体、どういうことですかい?」
「君たちは僕の様な天才は何でも知っていると思っているかもしれない。
しかし、驚くべきことに、僕が知らないことも存在する。
その一つが、平八君の見た夢、予言だ。
今のところ、僕の知識と知恵を総動員しても、彼が何故、未来を夢見、予言が出来たのか、
その仕組みが全くわからない。
だが、地震の発生まで当ててしまうとなると、さすがに、只の偶然や、誰かからの情報だとは言えなくなってきている」
「だから、象山先生は、地震が起きるのを知っていて、ポーハタン号を見逃したんじゃないんですかい?」
勝さんがそう言うので、アッシが頭を下げる。
「いえ、アッシはペリーの来た年の冬に、地震が起きて、ロシアの船が沈むということは夢で見ましたが、詳しい日付までは覚えておりませんでしたので」
「突然やってきたポーハタン号を追い出そうにも、翌朝に出ると言われて、夜に出航させることも出来ず、一日位ならと、僕も気を緩めてしまった。
これまでの流れを考えれば、警戒して然るべきだったのに。
僕としたことが。完全に計算違いをしてしまったのだ」
「それが、何で計算違いなんですか?」
「未来を夢で見たという平八君と話すと、時間とか運命とか、そういうことを考えざるをえないのだよ。
そして、平八君は、夢で見たことが運命で変えられないことかもしれないと言っていたではないか」
「でも、そいつは、もう変えられたんじゃないですか?
アメリカとも、ロシアとも条約の内容は変わり、視察団が各国を回ることになった。
国防軍が作られ、中央に巨大な軍隊が生まれようとしている。
オイラ達は、歴史を平八つぁんの言う未来を変えられたんじゃないですかい?」
「そうかもしれない。そうでないのかもしれない」
象山先生は腕を組み、静かに話す。
「実際に、運命は存在するのか。それすらも、僕にはわからない。
一応、歴史の変革に成功している様には見える。
だが、本当に最後まで成功するのか、僕には、まだ確信がないのだ」
「やき、黒船の沈没を防ごうとしたんやか」
龍馬さんがそう言うと象山先生は頷く。
「そうだ。平八君の夢では、あの地震でロシアの船が津波に巻き込まれ大破するとのことだった。
そのロシアの船が来なくなった代わりに、何故か、アメリカのポーハタン号がやってきて大破したのだ。
アメリカの船の代表に理由を聞いたが、入港にたいした理由もなく、本来の条約の約束を破ってまで、何故か彼らは下田にまで来ているのだ。
おかしいではないか。
これでは、ロシア船の代わりに、ポーハタン号が沈むよう、運命か、何かが導いているようではないか」
象山先生がそう言うと、勝さんも象山先生の不安が理解出来たようだが、反論を試みる。
「ですが、ペリーとの条約は予定よりも象山先生たちのおかげで、予定よりも早く結ばれたんですから、ポーハタン号が予定よりも早く来て、
「ああ、全てが偶然だとしても、おかしくはない。
僕は、運命など知らないし、信じない。
だが、偶然で片付けるには出来過ぎているのだ。
だからこそ、警戒すべきではないのか。
あの時、僕は一日程度なら問題ないと思い、ポーハタン号の下田への停泊を認めてしまった。
その結果、ポーハタン号は津波に巻き込まれたのだ。
となれば、異国の船が津波に巻き込まれ、沈むという運命が存在し、それを変えられなかった可能性を検討すべきではないか」
「運命という物が存在して、それを変えられない可能性ですか?」
「そうだ。全ては変わったはずだった。
異国の船が下田に来る理由はなくなり、その船が津波に巻き込まれ沈むはずもなかったのだ。
だから、僕は北蝦夷(樺太)に西洋帆船の作り方を学ぶ為に、船大工を送ったりしたのだ。
だが、ロシアの船が、アメリカの船に変わったという変化はあっても、結局、船は下田に来て、沈んでしまった。
その事実を見ると、どうしても懸念が沸いてくるのだ。
この国が分裂するという未来は、運命ではないのか?
それは、本当に変えられるのか? と」
「だけど、吉田君も、象山先生も密航の罪で蟄居を命じられたりせず、幕府にだって役割を認められているじゃねぇですか。
おまけに、象山先生の提案通り、国防軍が作られて、薩長が幕府に反乱を起こすことなんか、出来なくなりそうだし」
「そうとは限らん。
もし、この国が分裂することが運命であるならば、国防軍と幕府の軍が対立することになるのかもしれない。
もし、日ノ本が、異国に支配されることが運命であるならば、異国からの直接の侵略があるのかもしれない」
象山先生の反論に、勝さん達も問題の危険性を認識し始めたのか、息を吞む。
「僕は、暗殺など、バカなことをやらせない為に、国防軍に参加しない侍からは武器を取り上げ、国防軍の武器は軍が管理するようにしている。
だが、もし、僕が10年後に死ぬことが運命であるならば、僕は、そこで死ぬことになるのかもしれない」
「いやいや、そんな縁起でもねぇこと」
「本当に、今、ポーハタン号に、甲鉄艦を作ることになるブルック大尉が乗っているなら、それも、おかしいのだよ。
ブルック大尉は、平八君の夢では、6年後に勝君たちの操るアメリカ行きの船を指揮する人物だ。
6年後にこの国に来るはずの人物が、こんなに早く来ているはずがないのに、何故いるのだ?
まるで、ブルック大尉が日ノ本の初のアメリカ視察団に参加しなければいけないようではないか」
象山先生の指摘するポーハタン号大破やブルック大尉の存在の不自然さが、勝さんにも運命という物が敵になる可能性を意識させ始めたようだ。
静寂が広がる中、近藤さんが反論する。
「たとえ、どんな運命があろうとも、私はそれを食い破り、日本を守って見せます」
その声を聞いて、象山先生が頷く。
「うむ。確かに、最後はそういう強い意志が必要になるのかもしれない。
だが、ただ、気持ちだけで、どうにかなるというものでもないのだ。
死が運命として存在するならば、僕だけではなく、近藤君も、土方君も、最後まで残ることは出来ないはずだ。
その場合、残される者がどうするべきかを考えておく必要があるかもしれないのだ」
象山先生がそう言うと、象山書院を再び沈黙が支配する。
もし、本当に死が避けられない運命として存在するならば、この国を本当に救うことなど出来るのか。
そんな想いが、それぞれの胸に去来する。
そんなことはあり得ないと言いたいところではあるが、根拠もなく、否定することも出来ない。
どうやったら未来に立ち向かえるのか、変えたことに成功したと思っても、運命が牙を剥いて襲い掛かってくるとしたら、一体、どうやって克服することが出来るのか。
一同が、そんな焦燥感に苛まれるところ、象山書院に、斎藤弥九郎が駆け込んで来て叫ぶ。
「坦庵(江川英龍)が倒れた。平八君、来てくれ。担庵が君を呼んでいる」
運命の黒い牙が襲い掛かってくるのが見えた気がした。
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