第二十四話 江戸に集められた人々 長州藩
幕末において、日本で内乱勃発となる要因として、大きく分けて4つの勢力が存在する。
一つは、尊王攘夷という理論的背景を与えてしまう水戸藩。
一つは、幕末の最大戦力を擁する薩摩藩。
一つは、天子様という権威を利用し、その権力を拡大しようとする朝廷勢力。
そして最後に、吉田松陰のつけた倒幕の灯の下、勝敗を気にせず突き進む長州藩。
これに対し、水戸藩の過激派は既に樺太と小笠原諸島に配備され、その上でロシア視察が予定されているので、暴走する恐れはかなり軽減されている。
薩摩藩は、島津斉彬公が倒幕に反対していて、近代化した中核戦力を国防軍に参加させ、斉彬亡き後に薩摩で倒幕の主導権を握るとされる西郷と大久保に、斉彬が直々に釘を刺したというので、余程のことがない限り、内乱の原因となることはないだろう。
朝廷勢力に関しては、異国嫌いの孝明天皇と策士である岩倉具視が動き出すと厄介ではあるが、武力を持たない存在であり、口を挟む隙を与えなければ問題なかろうと放置している状況。
最後の長州藩に関しては、樺太に行く途中の吉田寅次郎が動いていた。
彼は樺太に行く途中、御用船で長崎から長州藩に寄り、
これが、薩摩藩や土佐藩などとは大きく異なる、長州藩の特徴である。
関ケ原の時に徳川家康に騙され、領土を奪われ、中国地方の西端に押し込まれ、260年も主君と家臣が寄り添って過ごしてきたおかげで家族的な雰囲気が生まれているのが長州藩なのだ。
ただ、平八の夢によれば、その長州藩も藩論が別れ、内部抗争を起こすことになってしまうのであるが。
敬親公が寅次郎に山鹿流を教わったということはあったとしても、脱藩の罪で士籍剥奪扱いになっている寅次郎に面会を許すなどと言う事は異例中の異例であると言っても良いだろう。
「寅次郎、よく来てくれたな。
全国遊学に行っていたと思えば、幕府の御用船で、長州まで戻ってくるとは相変わらず驚かせてくれる。
それで、わしに話があるとのことだが、どのような用件であるか」
敬親が上座から話し、平伏する寅次郎に話しかける。
その周りには長州藩の重臣のお歴々が並ぶが、その雰囲気は非常に暖かい。
遠くに行っていた親戚の子が遊びに来たのを迎えるような雰囲気だ。
だが、寅次郎はそんな空気を一切読まず、用件を口にする。
「は、それでは、率直に申し上げます。
まず、幕府の異国視察団及び国防軍募集の話は届いておりますでしょうか」
「うむ、聞いておる。
何でも、異国に視察団を派遣するから、希望者を参加させ、その為の予算を出せとのことであろう」
敬親がそう言うと、周りの家老たちが付け足す。
「そのことなら、安心せい、寅。我ら長州藩士は、幕府の誘いに乗ったりはしないからな」
「一代限りで幕府に召し上げると言いながら、参加したら、どの様な目に合わされるか。
異国と戦う為の捨て石にでもするつもりなのであろう」
「そうだ、そうだ。どうせ、長州から兵と予算を奪い弱体化させる目的なのであろう。
そんな奸計に踊らされる我らではないわ」
「どうしても参加せねばならぬのなら、部屋住みの者たちを何人か参加させるだけで十分であろう」
「そもそも、参勤交代を緩和する為に、予算報告をせねばならぬと言うのも、幕府が言いがかりをつけ、お取り潰しにする罠。それ位、わかっておる。
それなら、参勤交代の緩和などせずとも結構と答えることにするわ」
250年積もりに積もった、幕府への警戒感と不信感に否定的な言葉が続く中、寅次郎が口を開く。
「そうでは、ございません。
私が、ここに参りましたのは、視察団に長州より一人でも多くの参加をお願いする為であります」
寅次郎がそう言うと、驚いた家老たちが黙り、寅次郎に注目する。
「この策は、幕府の策にあらず。私が、我が師、佐久間象山先生と共に幕府に献策した物でございます」
「ほう、幕府に策を飲ませたと言うのか。して、その目的は」
敬親が尋ねると寅次郎が応える。
「この国を異国から守る為でございます。
約15年前、清国はイギリスなどの西洋列強に敗れました。
そして、私は江戸でアメリカの黒船を、長崎ではロシアの軍艦を見てまいりました。
どちらも、今のままでは、この長州藩はおろか、日ノ本中の大筒を集めても勝つことは出来ないでしょう」
「その為に、幕府の軍を強化すると言うのか。
だが、それに我らが協力してやる義理が何処にあるのだ?」
「そうだ。幕府はもともと、我らの怨敵。関ケ原の恨みを忘れた訳ではあるまいな」
家老たちが反対の意見を続けると、寅次郎が応える。
「関ケ原の恨みは私怨であります。我ら長州は天子様の
日ノ本全体のことを考え、私怨を捨て、国防に力を注ぐべきであります」
「幕府とのことは私怨と申すか。
だが、彼らに力を貸して、報われると本当に思うのか」
「そうだ。関ケ原でも裏切ったのが、徳川の連中。
奴らを助けたところで、どんな目に合わされるか」
「長州の軍が弱体化したところ、異国が攻めてきたら、どうするのだ。
幕府の連中が助けに来てくれるとは思えぬぞ」
反対意見が続く家老たちに寅次郎が答える。
「日ノ本全体のことを考えず、長州のことを考えるのは、
幕府を全面的に信用出来ぬのは、私も同じ。
だからこそ、一人でも多くの長州の者が、国防軍に参加する必要があるのです」
寅次郎がそう言うと敬親が尋ねる。
「ほう、多く参加させてどうする?」
「国防軍では、最新の兵器の使い方を教え、最新の兵学を教えます。
異国への視察に参加出来れば、異国の最新の技術を学ぶことが出来ます。
異国から、日ノ本を守ることを考えれば、日ノ本の中で内輪揉めなどしている場合ではございません。
しかし、幕府が私利私欲に走ろうとする場合、国防軍に長州の者が多くいれば、これを止めることが出来るはずであります」
「長州藩士を埋伏の毒として、用いるつもりか」
「いえ、私はあくまでも、日ノ本を守ることを第一と考えているだけのことであります。
最初から埋伏の毒とするつもりなど、ございません。
ただ、国防軍に長州の者が多くいれば、その力を幕府が私利私欲に使いにくくなるかと。
逆に、薩摩藩、佐賀藩など多くの外様大名が参加する中、長州藩が参加せねば、国防軍の主導権は他の藩に奪われ、どうなるかの保証もございません」
「なるほどのう。新たに作る国防軍の中で主導権を取る為の参加か。その方らはどう思う」
「参加したところで、どの様な扱いを受けるのかもわかりませぬ」
「いや、しかし、寅の言う通り、参加せねば、主導権が取れぬのも間違いありますまい。
もし、本当に参加させて、主導権を取れる可能性があるならば」
「その様な曖昧な可能性に、藩士たちの未来を賭けられるか。
幕府の旗本に陪臣と蔑まれ、異国との戦では捨て石にされるやもしれぬのだぞ。
寅次郎、国防軍とやらに参加する者の身分がキチンと保証される証拠はあるのか」
「いえ、確たる証拠はございません。
ですが、我が師、佐久間象山先生は、老中筆頭阿部正弘様と直談判出来る昵懇の間柄。
無体な事はなされないかと」
「ほう、阿部殿と昵懇か。阿部殿はまだ随分若いはず。
その阿部殿が保証するならば、当分心配することはないか」
「とは言え、幕府のやることが、信じられぬのも事実ではありませんか。
少なくとも、藩命として、参加せよと言うべきではないかと」
「うむ、そうかのう」
敬親が考える素振りを見せるので、寅次郎が提案する。
「それでは、明倫館(長州藩の藩校)で、私に話させて頂けませんか?
そこで、この日ノ本の現状を伝え、異国から守る為に、戦う者が必要であることを話します。
それで、日ノ本のことを考えず、己の安全を考える者は必要ございません。
自ら進んで参加を決意する者であるならば、お歴々の心配なさることも問題ないかと」
「待て!我らとて、日ノ本のことを考えていない訳ではない。
だが、幕府のことは信用出来ぬというだけであってな」
「そうだな。藩の為、お家の為に、残ることは悪ではないはずだ。
明倫館で話すにしても、残る者を非難するようなことはするな。
代わりに、わしらも国防軍や視察団への参加は反対せぬ」
「話すなら、明倫館の者達に、国防軍に参加すれば、幕府にどの様な扱いを受けるかわからぬことも、キチンと伝えるのが条件だ。
それで、参加しようと言う者がいれば、参加をわしは許そうと思う。
どうだ、ご一同、それで問題ないでありますか」
その言葉に他の家老たちも口々に賛意を示す。
家老たちが意見をまとめると敬親は頷き、
「そうせい」と答え、寅次郎、の明倫館での講義が決定する。
翌日、後々にまで語り継がれる吉田寅次郎の名講義が明倫館で行われ、
高杉晋作、久坂玄随ら、後に松下村塾に参加するはずだった多くの若き長州藩士たちが江戸を目指すこととなる。
彼らがどの様な運命を辿ることになるのか、それを知る者は、まだ誰もいない。
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