第二十話 弱者の戦術
いくら言っても、日本がクルチウスを退出させないと見て、スターリングたちは相談する。
オランダは、イギリスと日本の関係を妨害しようとするのは間違いないだろう。
だが、少なくとも今回のスターリングたちの日本訪問はロシアとの戦争の為。
ロシアとの戦いを有利にする為のものだ。
そして、オランダも日本がロシアと親しい関係を結ぶことは望まないだろう。
その点で、クルチウスに協力を求めることが出来るはずだ。
この時代のヨーロッパの外交用語としては、英語ではなく、フランス語が主流。
だから、外交官と言えどクルチウスも英語はわからないだろうと、スターリングたちは油断して英語で相談している。
まあ、クルチウスに聞かれて困るようなことは話さないよう一応注意はしているのだが。
スターリング達の誤算は、英語の解る中浜万次郎が、この会談に参加していたこと。
スターリングたちが相談していることを、万次郎は逐一訳して川路に伝えている。
イギリスとしては、日本とロシアを敵対させておきたいのだろう。
そして、オランダにしても、日本の全面的な味方と言う訳ではないのだから、ロシア排除というイギリスの提案に乗るかもしれないな、と川路聖謨は考える。
「さて、そろそろ話はまとまりましたかな。私も忙しい身。
どうしても、伝えたいことがあるから時間を割けというから、何とか時間を作ったのですが。
話すことがないなら、そろそろお帰り頂けないか」
川路がそう言うと、スターリングが慌てて返事をする。
「わかった。クルチウス殿がいても、構わない。用件を伝えさせて頂きたい。
あなた方はロシアと交渉をされているようだが、どのような交渉をされているのか?」
「ロシアとどの様な交渉をしているかなど、第三国であるあなた方にお伝えすることではございませんな」
「我々がロシアと戦争中であることはお伝えしたはずです。
もし、あなた方がロシアに協力するようなら、あなた方は我々の敵となります。
その場合は、我らは、あなた方を攻撃せざるを得ない。
ですが、我らは、その様なことはしたくない。
だから、我らは、あなた方の立場を明確にして頂きたいのです」
川路は内心ため息を吐く。
日本の味方であることを行動で示さねば信用しないと言っているのに、攻撃を仄めかし、
脅迫して、従わせようとするのか。
果たして、これは強者の驕りなのか。
それとも、この男が生粋の軍人で交渉と言うものを解っていないだけなのか。
まあ、この連中が強気で来てくれればくれるほど、後の交渉が楽になるのだが。
とりあえず、川路は内心の呆れた気持ちを出さないよう、淡々と返事をする。
「その件に関しては、既に、使いの者が申し上げたはずです。
我ら貴国とロシアの戦いに介入するつもりはない。伝えたいことはそれだけですか?」
全権代理である川路から、日本の局外中立を確認出来て、イギリス側は内心安心するが、スターリングは更に状況を確認しようとする。
「それは間違いのないことですか。
ロシアに対して、薪や食料、水の補給の約束をしていれば、それもロシアへの協力と看做しますが」
もともと、スターリングとしては、海軍も持たない日本がロシアに軍事的な協力をすることなど、何の警戒もしていない。
だが、この長大な海岸線を持つ日本という国が、ロシアに協力し、補給を行うとなると、ロシア船を見つけることも難しくなり、実に厄介な存在となる。
だからこそ、日本の言質を取り、補給を見つけた場合は、只では済まさないと脅しを掛けようと考えたのだ。
だが、最初からイギリスを信用しないと公言している日本に対しての脅しは悪手であった。
「我ら日本は、イギリスとロシアの
だから、当然、薪や食料などを与えることもない。
だが、それを証明することは困難です。
それで、あなた方の
我らがロシアに協力していないと申しても、陰で協力していると言い張り、日ノ本を攻撃する腹積もりであろう。
ロシアのプチャーチン提督の仰る通り、イギリスは油断ならない国家であるな」
川路に指摘され、スターリングらは冷や汗をかく。
日本などと言う弱小国は脅せば、言う事を聞くと思っていた。
しかし、ロシアと戦争中の今は、脅してはいけなかったのだ。
今、日本を脅せば、その脅威から、ロシアに接近してしまうかもしれない。
ロシアと協力する日本と戦っても負けることなど、ありえない。
結果として、イギリスは日本を占領し、植民地を増やすことが出来るかもしれない。
だが、イギリス本国の指示もなく、独断で日本を訪れ、不用意な発言で、ロシアの協力者を増やしてしまったとしたら、スターリング達の本国の評価はどうなる?
結果がどうであろうと、被害が出れば、その責任は問われるだろう。
では、自分達が原因でなく、日本はロシアと既に協力関係にあったと強弁するか。
しかし、それではロシアとの戦いが終わった後、ロシア側から日本とロシアは協力関係になかったという事実が暴露されてしまうだろう。
となれば、先程話し合った通り、ロシアの脅威を強調し、日本とロシアが協力出来ないようにするしかないだろう。
そうスターリング達は話し合い、川路に答える。
「あなた方は、ロシアやオランダに、我々イギリスに対する強い不信感を植え付けられているようだ。
我らは、あなた方が、明確にロシアに協力している証拠がない限り、日本を攻撃することなど、ありえません。
むしろ、ロシアを信用し過ぎているようで、非常に心配です」
「ロシアを信用し過ぎる?
我らは、事実を見て判断しているだけです。
少なくとも、彼らは攻撃を仄めかして我らを脅迫などしませんでした。
紳士を自称するあなた方よりも、プチャーチン提督は、余程、紳士でしたよ」
「いえいえ、あなた方はロシアという国のことをわかっておられません。
ロシアという国は、北の果てにある非常に寒く広大な国。
領土拡大を国是としており、凍らない港を手に入れることを悲願としております。
我ら、イギリスが、今、ロシアと戦争しているのも、彼らの野望を挫く為なのです」
スターリングがそう言うと、川路はクルチウスに確認を取る。
「確かに、ロシアは領土拡大主義国であり、不凍港を手に入れることを悲願としていることは事実です」
クルチウスがそう返事をすると川路が尋ねる。
「なるほど、ロシアが、そういう国であることは理解しました。
それで?伝えたいことと言うのは、それだけですか」
「ここから、日本の皆さんにお伝えしたいことです。
ロシア人は、この東洋でも、領土拡大を企んでおり、千島列島や樺太の占領を企んでいるのです」
スターリングは重大な秘密を伝えるように言うが、川路もクルチウスも、既に知っている話。
特に、川路に至っては、既にプチャーチンと領土交渉までして、
だから、予定通り川路は、日本の樺太領有をイギリスに認めさせる方向で話を進めることにする。
「それは、誠か?
実は、ロシアもイギリスが樺太に攻めてくるかもしれないと言っておったのだが」
「それがロシアの常套手段です。
守るという名目で軍隊を送り込み、そのまま、その場所に居座り、領有権を主張する。
そうやって、ロシアはいくつもの領土を占領してきたのです。
絶対に彼らの軍隊の上陸を許してはいけません。
もし、万が一、ロシア軍が既に樺太に上陸しているなら、我らイギリスが彼らを追い出す手伝いをさせて頂きましょう」
スターリングがそう言うと、クルチウスが慌てて止める。
「川路様。日本の領土は日本が自分で守るべきです。
ロシアであろうと、イギリスであろうと、外国の軍隊の力を借りるべきではありません」
「当然ですな。ロシアから守るという名目でイギリスに居座られたのでは溜まりませんからな」
川路がそう言うとスターリングは少し嫌な顔をする。
「川路殿は、我々を盗賊団とでも思っておいでのようですな」
「それは仕方のないことでしょう。
これまで、イギリスが我が国に対して行ったこと。この地球でやってきたこと。
それらを知って、あなた方を信用する理由がどこにあるのでしょうか。
イギリスを信用してくれと言うのならば、行動で示して頂けませんか」
「ですから、ロシアが侵略してきた場合に守って差し上げると申し上げているではありませんか。
失礼ながら、ロシアが本気で侵略してきた場合、日本だけではなく、オランダと協力しても、ロシアを撃退することは出来ないでしょう。
その時、我らが、ロシアの侵略から、あなた方を守りましょうと申し上げているのです」
スターリングがそう言うと、川路が確認する。
「ロシアが日本を攻めてきた場合、イギリスがロシアから我らを守ると仰るのか」
そう言うと川路は驚いて見せた後、首を振る。
「だが、守るという名目で、あなた方に、我らの領土に居座られても困りますからな。
もし、ロシアから守る為に、我が国に来ると言うなら、幾つかの条件を守って頂く必要がございますな」
「条件とは?」
「まず、第一に、樺太、千島列島、蝦夷、対馬、秋津洲(本州)、四国、九州、小笠原諸島、
そして琉球が、我が国の領土であると認めること。
そうすれば、イギリスに領土を奪われる心配はなくなるでしょうからな」
川路がそう言うと、スターリングらは考え込む。
「要請もなく、勝手に我が国に入らないこと。
そして、もし、我が国に、イギリスの軍隊が入ってくる場合は、我が国の法と指示に従うこと。
あなた方は、清国では、清国の法に従わず、法令違反を咎めると、
我が国で、同じようなことをされては溜まりませんよ」
「その条件を守った上で、ロシアが日本を攻撃した場合に守れ、と。
随分と虫のいい話ですな」
「別に、我らがロシアから守って欲しいと頼んでいる訳ではありませんからな。
それに、出している条件は、あなた方が我らを支配しようとしているのでなければ、問題なく同意して貰えるものだと思ったのですが。
何か、不都合がございますかな」
川路がそう言うとスターリングは東の果ての野蛮人をバカにしたように笑い、返事を返す。
「あなた方は理解出来ないかもしれませんが、あなた方の条件は抽象的過ぎます。
あなた方は領土を認めろと仰るが、それは一体、何処から、何処までなのですか?
領土の保全を認めろというのならば、正確な地図が必要です。
あなた方の作る様な、いい加減な図では、とても領土として認めることは出来ません。
また、あなた方の法に従えと言うが、その法は明確になっているのですか?
我ら、イギリスでは全ての裁判の結果が記録され、罪を犯した場合、それに基づいて裁かれることになっています。
領主の気分によって、結果が変わる様な法に従う訳には、いかないのです」
それを聞いて、川路は再び呆れる。
この連中は武器を持っているかもしれないが、日本のことを知らな過ぎる。
開国を求めてきたペリーやプチャーチンは、日本のことを調べてから来ていた。
だが、彼らは開国を求めてきた訳ではなく、単にロシアとの戦争を有利にする為だけに来たので、日本のことなど調べもせず、東の果ての野蛮人どもと侮っているのだろう。
まあ、今の内は、侮ってくれた方が都合が良い。
おかげで、利用することが出来るのだから。
「つまり、あなた方は、我らが日ノ本の正確な地図を示し、明確な法を示せば、我が国の領土保全に協力し、我が国の法に従って頂けるという事でよろしいかな」
川路が確認をすると、スターリングは鼻で笑って答える。
「キチンとした正確な地図であり、法であれば、ですな。不正確な物ではダメですよ」
何処までも上から目線で、野蛮人を教えてやろうという気分で話しているスターリング達は、川路が出した伊能忠敬や間宮林蔵が作成した日本地図を見て凍り付き、佐久間象山と江川英龍らが事前にオランダ語で作成し、クルチウスに確認を取っていた刑法書を見て、驚愕に震える。
「あなた方に同情します。
あなた方はせめて、シーボルトの書いた『日本』に位、目を通してくるべきでしたよ。
それに、昨年末からは、日本の依頼で、樺太の情報と地図を我々からも流しているはずなのですがね。
ここにいるのは、閉じこもった世間知らずかもしれないが、決して蛮族などではない。
我らとは異なるが、違う分野では、我らを上回るかもしれない文化を持つ人々なのですよ」
クルチウスがため息混じりに呟く。
だが、その呟きが、動揺したスターリング達の耳に届くことはなかった。
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