第十九話 日英交渉の進め方
勝との交渉の結果、イギリスは約200年ぶりに長崎上陸を果たす。
上陸したのは、スターリング提督とその参謀、護衛の下士官と通訳の合計7人。
イギリスの軍艦に乗船したのは、勝と万次郎の二人だけなのだから、
イギリス側が上陸させられるのは、本来、二人だけのはずなのだが、
提督と通訳だけで上陸させる訳にはいかないと言うイギリス側のごり押しに押されて、仕方なく他の将官の上陸も許可したという形になっている。
まあ、実際のところ、イギリス人同士が油断して英語で話して、情報を漏らしてくれることを期待して、
譲歩した振りをしただけなのだが。
スターリング提督らが出島上陸を果たすと、勝と万次郎は彼らをオランダ商館に案内する。
オランダ商館の応接室で待っていたのは、ロシアのプチャーチンとの交渉をやり遂げた
スターリング提督らは、日本との交渉の場に、同じ西洋人がいることに驚いているようだ。
その動揺の隙をついて、川路が挨拶し、話を始める。
「私は、日本の全権代理、川路聖謨だ。地球の裏側、イギリスから
だが、残念ながら、我が国は、イギリスと国交を結んでいないし、結ぶつもりもないのだ。
そのことは、使いの者が伝えたはずなのだが、全権代理の者にどうしても会わせろというので、私が来た。
一体、何の用事があるのですか」
通詞が川路の言葉をオランダ語に訳すとスターリング提督が応える。
「私は英国東インド・中国艦遠路隊司令ジェームズ・スターリング提督です。
遠路はるばる来た客に、随分冷たい挨拶ですな」
「仕方ないでしょう。あなた方は招かれざる客なのですから。
我々は、あなた方、イギリス人がこの地球で何をしてきたかを知っています。
とても、お招きしたい様な客ではありませんな」
「あなた方は、我々イギリスの悪い噂を吹き込まれ、誤解されているようですね。
その様な噂を吹き込んだのは、先日長崎に来たというロシア人か。
それとも、ここにいるオランダ人か」
スターリングは、そう言いながらクルチウスを見て話すと、クルチウスはスターリングの言葉がオランダ語に訳され、その言葉がどうやら日本語に全て翻訳され終わったのを確認した後、話し始める。
「初めまして。スターリング提督。私は、オランダ商館長クルチウスです。
我々が日本に嘘を吹き込んだようにお考えのようですが、我々は事実しか伝えていません。
根拠なく、誹謗するのは止めて頂きたいものですな」
クルチウスの言葉を訳すと川路が手で制して話す。
「我らも、オランダからの情報を無条件に信じている訳ではない。
あなた方が、清国で禁止された阿片を持ち込み、それを没収されたことを契機に清国と戦争し、莫大な領土割譲と賠償を請求したことは事実ではないのか?
また、50年前、イギリスのフェートン号がオランダ船の振りをして、長崎に入港し、オランダ人を人質に取って、食料や薪などを強奪して行ったことを我らは忘れていない。
事実を伝えた人間を誹謗する前に、信用して貰える様な行動をすべきではありませんか」
川路が言った言葉が翻訳されると、スターリングは目を閉じ、軽く首を振って応える。
「確かに、清国と戦争をしたことは事実です。
でも、それには理由がある。
その理由を伝えずに、我らの評判が悪くなるような情報だけを伝えるなら悪意だと言うのです。
また、50年前の事件にしても、あの時、我々、イギリスとオランダは戦争中だったのです。
戦争中に敵国に攻撃するのは当然のことでしょう」
「当然ですか。あなた方の法では、
川路がそう言い、オランダ語に訳されると、クルチウスが口を挟む。
「当然のはずはありません。完全な不法行為です。
国旗とは重要な物です。それを使って、敵国が味方を装う為に使うなど、許されるはずがありません」
実際、イギリスは、これから僅か二年後、その国旗が元で清国と再び戦争を起こしている。
清国人が乗っている清の船(アロー号)を海賊の疑いで清国が取り締まったところ、イギリスは、その船が英国の物であったと主張し、清側が英国との登録は期限切れで、英国国旗も上がっていなかったと反論したにも関わらず、イギリスは、清国がイギリス国旗を勝手に引きずりおろしたに違いない、これは国家に対する侮辱であるとして、清国全土を巻き込むアロー戦争を起こした位、重要なものであったのだ。
そんな他国の国旗を勝手に揚げて、敵国を装い奇襲攻撃をするなど、海賊顔負けの行為であったのだ。
だから、クルチウスが言ったことは当時の国際法の説明としては間違っていないのだが、スターリングはクルチウスが川路との会話に口を挟んで来たことに不快感を示す。
「私が当然だと言ったのは、イギリスがオランダに攻撃したことについてです。
クルチウス商館長が言う通り、オランダ船を装ったことは不法行為に当たるでしょう。
その様な事は私が自らお伝えする。
クルチウス殿、あなたは、どの様な資格で、この会談に参加しているのだ。
私が、日本の全権代理と会談中に割って入るのは、失礼ではないかね」
スターリングがそう言うと、川路が取り成す。
「クルチウス殿には、あなた方の常識を教えて貰う為に参加して貰っている。
恥ずかしながら、我らは長く国を閉ざし、あなた方の法や常識に詳しくはない。
だから、過ちを犯さぬよう疑問に答えて貰い、
どの様な交渉が行われたのかを客観的に記録し、国外に伝えることをお願いしている。
だから、クルチウス殿は私の疑問に答えてくれただけなのだ。
気を悪くしないで頂きたい」
川路にそう言われて、スターリングはクルチウスに対する怒りを収め川路に言う。
「先ほどの質問は私へのものではなく、クルチウス殿への質問だったという訳ですか。
その様なことをされなくとも、私に聞いていただければ、キチンとお答えするのですが」
「率直に申し上げれば、我らはあなた方を、信じていないのです。
あなた達は自分達の法を守ることを我らに強要するのに、我らの法は守りません。
イギリス軍艦が、進入禁止としている我が国領海に入り、勝手に測量をしていたのも、数年前のことです。
おまけに、あなた方の法を我らが知らないことすら許さない人々であると理解しております。
まして、あなた方は巨大な軍艦を持っている。
その気になれば、この長崎を火の海にすることも出来るのでしょう。
だから、私としては、自分が間違いを犯して、我が国の権益を失うことが恐ろしくて仕方ないのです」
川路の本音としては、イギリスにどんな言いがかりをつけられるかわからないから、クルチウスを証人として、イギリスの無法行為を抑止する為なのだが、川路の臆病が原因のように言われると、スターリングも態度を軟化させざるを得ない。
「その為に、我らイギリスとの交渉に、他国であるオランダを参加させるのですか。
その様な心配は不要です。
オランダやロシアが何と言っているか知りませんが、イギリスは紳士の国です。
ロシアとは戦争中ですが、あなた方がロシアの味方をしない限り、日本と戦う理由はありません。
また、あなた方が我らの法に詳しくないことも理解しました。
従って、もしあなたが何か間違いを犯しても、些細なことで目くじらを立てることはせず、間違いを指摘するだけに留めましょう。
それで、問題はないでしょう。
だから、クルチウス殿には、ご退場頂けませんか?」
スターリングが穏やかに話すのを見て、川路は苦笑する。
「何故、そんなにも、クルチウス殿に退場して頂きたいのですかな?
まるで、彼がいると都合が悪いようだ」
「オランダは日本との交易の独占を望んでおりますからな。
我らイギリスと日本の間に友好関係が生まれることも望ましいことではないでしょう」
「クルチウス殿が、イギリスの妨害をするかもしれないから、追い出したいと言うのですか。
なるほど、あなたの意図は理解しました。
しかし、それが、我ら日本の不利益になることはなさそうですな。
我らはイギリスとの交易を望んではおりませんから。
その点から考えて、クルチウス殿に、退場をして頂くことはありません。
あなたが、私に話したいことがあるからというので、私が来たのです。
選んで下さい。
このまま、クルチウス殿と一緒に、私に要件を伝えるのか。
あるいは、私に伝えることを諦めて、この長崎を去るかをです」
そう言うと、川路聖謨は穏やかに微笑んだ。
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