閑話 あの男の正体

これは象山書院で歴史を変える会談が行われる前日の夜の話。

象山書院を訪ねた勝は、上座に座り正座をする象山の前で胡坐をかき、

出された茶をすすっている。


「象山先生、いよいよ明日、楽しみですね」


「ああ、一体、どんな人間が集まり、あの男が何を語るのか。実に楽しみであるな」


そう言うと象山は腕を組み、ニヤリと笑う。

それを見ると勝は正座に座り直し、象山に尋ねる。


「ところでさ、象山先生。

あの平八っつぁん、本当のところ、何者だと考えてらっしゃるんで?」


「うむ」


「本人の言う通り、たまたま未来の夢を見ただけの男って、本当にそう思ってらっしゃるんで?」


「君が、そう言って連れてきたんだろうが」

そう言うと象山は苦笑する。


「いやあ、おいらは、面白そうだから、連れて来ただけでね。

実際に何者かってのは、気にしてなかったんですが。

これだけ大掛かりになってくると、どうも、気になってきましてね」


「予知だの、予言だのは、ほとんどがまやかしだ。

だからと言って、本物がないとは限らないであろう」


「おや、象山先生は奴さんが本物だと思ってなさるんで?」


「考えもせず、決めつけはいかんと言っているのだ。

彼が本物の場合も、考慮に入れておく必要はあるだろう」


「なるほどねえ。で、本物でないなら、何だとお思いで?」


「いくつか可能性を考えられるな。まず、平八君が、君と僕の考えを見抜いたことは事実だ」


「江戸に住む、普通のおっさんには、そんな事、出来るはずはねぇよな」


「占いなどだと、誰にでも当てはまる曖昧なことを言って信じさせるものだと聞くが、

平八君は、僕の考えを見事に言い当てた。君もかね?」


「ええ、おいらの考えもビタっと当ててきやしたよ。

未来が見えないにしても、人の心を読む位は出来るんじゃねぇかな」


「心を読めるなどと言い出しては、未来を見えるのと変わらないではないか。

もっと、現実的に考えねばならんぞ」

象山が苦笑すると勝が首を捻る。


「と言ってもなあ。おいらや先生の考えを、どうやって見抜けるってんですかい?」


「まず、ある程度以上の知識がなければ不可能だろうな」


「平八つぁんも蘭学を学んでいたと言うんですかい?」


「いや、蘭学の世界は狭い。誰かに師事を受ければ、必ず僕の耳にも入っただろうが」


「先生も聞いたことがねえと」


「それに蘭学を学んだだけで、僕や君の考えまで見抜けるものでもないだろう。

実際、僕を知っているはずの麟太郎君も、僕の考えを見抜けなかったしな」


「そりゃあ、開国派のはずの象山先生が、あんな搦手からめてを考えているなんざ、

想像もつきませんぜ」


「確かにな。吉田君にも話したが、彼も理解出来なかったよ。

つまり、平八君は一般的な知識があるだけではなく、

僕や君の考え方まで深く理解しているということだ」


「でも、おいらも先生も、平八つぁんには会ったこともねぇんですぜ」


「誰かが、僕たちのことを平八君に伝えたかもしれないと考えたのだがな」


「そんな暇な奴がいるんですかい?」

勝が苦笑すると、象山が苦笑を返す。


「僕は、麟太郎君のイタズラの可能性が一番高いと思っていたのだが、

その可能性は低そうだな」


「おいら、そんな回りくでぇことしませんよ」


「そうかね?

僕の名前で、江戸に住む見どころのある若者を集め、

これから先何が起こるかを語ると称して、徒党を作り、それを誘導する。

何が出来るかは別として、それなりの効果がありそうな手ではあると思うよ」


「なるほどな。

それで、謀反人の集団でも作れそうではありますな。

でもさ、そのためには、集めた連中のことも詳しく知らなきゃ、信用してさえ貰えんでしょ。

土佐から出てきたばかりの田舎者に、多摩の剣術使いのことなんざ、おいら知りませんぜ」


「そんなに、幅広く声を掛けていたのか。

となると、平八君には、協力者がいるのかもしれんな」


「協力者?」

勝が怪訝な顔をする。


「僕たちだけでなく、そんな幅広い人間を調べるのは一人では不可能だよ。

となれば、平八君の代わりに調べ、伝えた人間がいるはずだ」


「そんな暇な奴らがいるのかねえ。例えば、どんな奴らだい?」


「例えば、か。例えば、幕府の隠密、例えば、異国の間諜。色々、想像は出来るがな」

象山は再び苦笑する。


「かあ、そんな奴らがおいら達に何をしようってんですか。

ちょっと、荒唐無稽過ぎやしませんかい?」


「まあ、それだけ、気を付けた方が良いということさ。

平八君は、僕や君の考えを見抜いた。

それは、確かだ。

だが、彼の言う通りのことが将来起こる保証はない」


「でも、そいつぁ、平八つぁんも、わかってそうではあるんですけどね」


「さて、彼は本物の予言者なのか。

それとも、誰かの思惑で動く傀儡なのか。

一体、どんな未来を語るのか。

その裏には、一体何があるのか。

きっと、僕なら見抜ける。いや、僕以外の誰に、見抜けるだろうか」


「まあ、楽しみなことに、変わりはねえってことですね」

勝は苦笑すると、すっかり冷めたお茶をすする。


まだ見ぬ未来に心を躍らせる二人の学者であった。

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